幕間:陽菜とトメ、油の匂いの記憶
陽菜加入時のお話です。
聖エルモ学園のAクラス校舎。そこは、最新の空調設備で管理され、埃一つ落ちていない「白衣のエンジニア」たちの聖域だ。
陽菜の実家は、国内トップシェアを誇る巨大ロボットメーカー『御子神重工』。彼女の周りには幼い頃から、カタログスペック通りの完璧な挙動を約束された機体と、設計図の数値を神託のように崇める大人たちしかいなかった。
「……つまんない。死んでるみたい」
放課後、ピカピカに磨き上げられた最新鋭機が並ぶ演習場を眺めながら、陽菜はポツリと独り言ちた。
そんな時だった。演習場の最果て、日陰になった場所で、ぎこちない、けれど時折「ハッ」とするほど鋭い機動を見せる旧型機が目に飛び込んできた。
装甲は継ぎ接ぎで、駆動音も耳障りだ。だが、その機体はまるで意志を持っているかのように、自分の限界を確かめるように動いていた。
「……あの子、笑ってる」
陽菜の胸が高鳴った。最新AIの計算ではない、誰かの執念が鉄の塊に命を吹き込んでいる。陽菜は吸い寄せられるように、その機体を操る少女――結衣の後を追った。
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立ち入り禁止区域の奥深く、錆びついたトタン板が目立つ「北倉庫」。
重い扉を少しだけ開けると、そこには陽菜の知る「清潔な世界」とは対極の、濃厚な油と錆と埃の匂いが立ち込めていた。
「誰だい、許可なくアタシの聖域に土足で踏み込む不作法者は」
倉庫の奥、バラバラに解体されたエンジンの山から、一人の老女が姿を現した。
油まみれの作業着に、肩に担いだ巨大なパイプレンチ。学園の伝説的なメカニック、トメだ。
その背後で、コクピットから降りたばかりの結衣が、目を丸くして立ち尽くしていた。
「あ、あなたは……Aクラスの、御子神さん……?」
「おやおや、Aクラスの『お人形さん』が、こんなドブネズミの巣箱に何の用だね。ここは綺麗な白衣を汚したくないお嬢ちゃんが来る場所じゃないよ」
トメの鋭い眼光が陽菜を射抜く。だが、陽菜は一歩も引かなかった。彼女は自分のリュックから、手入れの行き届いた自前の工具セットを取り出し、作業台の上に叩きつけた。
「……この子、アリエスを直させてほしいの。この子の関節が泣いてる。もっと、もっと自由になりたがってるのが聞こえるから!」
トメは鼻で笑うと、作業台に転がっていた汚れた布を目隠しとして陽菜に放り投げた。
「威勢がいいねえ。だが、口だけなら誰でも言える。いいかいお嬢ちゃん、アタシが認めるのは『鉄の言葉』がわかる奴だけだ」
トメは無造作に、床に転がっていた数種類のボルトと、ラベルの剥がれた小さな油瓶を三つ、陽菜の前に並べた。
「目隠しをしたまま、そのボルトのサイズと、油の銘柄を当ててみな。一つでも外したら、二度とその面を見せるんじゃないよ」
結衣が「そんな、無茶ですよ!」と声を上げようとしたが、トメの気迫に押されて言葉を飲み込む。
陽菜は迷わず、目隠しをきつく締めた。
視界が消えた暗闇の中で、陽菜は指先の感覚を研ぎ澄ませた。冷たい鉄に触れる。ボルトのネジ山のピッチ、わずかな摩耗、金属の硬度。
「……これは10ミリ。こっちは……ピッチが1.25の細目。……この三つ目は、焼き付き防止のチタンボルトだけど、ネジ山が0.01ミリ潰れてる。……ジャンクね」
トメの眉がピクリと動く。陽菜は続けて、小瓶の油を一滴、指先につけた。
「……1番はゼノン純正の低摩擦オイル。2番は……旧式の鉱物油ね、粘度が足りない。……3番は、筑波の試作合成油。これ、まだ市販されてないはずだけど?」
静寂が倉庫を支配した。陽菜が目隠しを外すと、トメは肩のレンチをドサリと床に下ろし、顔中をシワだらけにして笑い出した。
「……くははは! 参ったね。御子神の看板は飾りだと思ってたが、その指先だけは本物のドブネズミのそれだ。……気に入ったよ、お嬢ちゃん」
「えっ……えええっ!? 本当に全部当たってるんですか!?」
横で見ていた結衣が、裏返った声を上げた。彼女はトメと陽菜を交互に見つめ、完全に置いてけぼりを食らっている。
「ちょっと、待ってください! 御子神さん、なんでAクラスのあなたが、こんなボロボロの倉庫に……。私のアリエスなんて、学園じゃゴミ扱いされてるんですよ?」
陽菜は結衣に歩み寄り、彼女の、まだ操作の緊張で震えている手をぎゅっと握りしめた。
「ゴミじゃないよ。……私、見たんだ。あの子が、アリエスが、あなたの意志に応えて笑ってるのを。あんな『生きた』動きをする機体、Aクラスのどこを探したっていなかった!」
陽菜の瞳には、熱い、混じり気のない情熱が宿っていた。
「ねえ、結衣。私に、あなたの隣を走らせて。私がアリエスを、あなたが夢見る以上の姿に仕立ててあげる。……だから、最高の景色を見せてよね」
「……あ、私……」
結衣は戸惑いながらも、陽菜の手に力を込めた。トメが「やれやれ、賑やかになるねえ」と呆れ顔で呟く中、北倉庫に新しい、そして最も頼もしい「火花」が加わった。
陽菜の手についた、黒い油の汚れ。
それは、彼女が「完璧な人形」を卒業し、一人のメカニックとして産声を上げた瞬間の、何よりも誇らしい勲章だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
本当は本編に入れたかったお話です。
中だるみ感があったので幕間としました。
陽菜が何を思ってDクラスハンガーに居着いたのか。
今後も重要なメカニック兼友人としてトメさんやパパと絡んでいきます。
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Dad is online
次回も無事にログインできますように。




