第30話:接続と日常
聖エルモ学園の二学期終業式。冬の凍てつく空気さえも、巨大なホログラム・ボードの前に集まった生徒たちの熱気で白く濁っていた。全校生徒の視線が集中するその最下段、かつては「ゴミ捨て場」と揶揄されたDクラスの領域に、今、学園創設以来の異変が刻まれている。
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**RANKING UPDATE: [D-98] 九条 結衣**
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かつてランキングの最底辺を這いずっていたアリエスと結衣の名が、ついに二桁の聖域――トップ100へとその爪を立てたのだ。周囲のAクラス生徒たちは、もはや冷笑を浮かべることさえ忘れていた。一条凱という「鉄壁」を打ち砕いた少女のログは、今や学園全体の解析対象となっていたからだ。
「結衣っち、やったね……! 本当に、本当に入れちゃったんだよ、トップ100!」
Dクラスのハンガーでは、耳を劈くような歓喜の悲鳴が上がっていた。陽菜が結衣に抱きつき、ひよりは感極まって涙を拭っている。トメはどこから持ってきたのか、最高級の「ノンアルコール・シャンパン」のボトルをポンッという小気味いい音と共に開けた。
「よおし、今日は奢りだ! Dクラスの『バグ』がシステムを喰い破った記念日だよ!」
大門が無骨な手で結衣の肩を叩き、双子の琥珀と翡翠もまた、静かながらも確かな熱を帯びた瞳で結衣を見つめている。彼らにとって、結衣の勝利は自分たちの居場所が証明されたことと同義だった。結衣は仲間たちの祝福に包まれながら、少しだけ腫れが引いた指先を見つめた。あの激闘の最中、自分の感覚と機体を繋ぎ止めてくれた、あの青い文字の温もりを思い出していた。
その時、ハンガーの入り口を塞ぐように、長身の影が落ちた。
「……くくっ。賑やかじゃねえか、ゴミ捨て場の連中」
三雲嵐。ランキング5位の「野生児」は、鼻を鳴らして結衣に歩み寄った。騒ぎ立てていた仲間たちが一瞬で静まり返る。嵐は結衣の目の前で足を止めると、獲物を値踏みするような鋭い視線を向けた。
「98位か。……ようやく、俺に『狩られる』ためのライセンスを手に入れたわけだ。冬休みの間に、もっと美味そうな匂いを蓄えてこいよ。……今のままだと、俺に喰われる前に、あのクソ真面目な三年生たちの『経験』にすり潰されるからな」
嵐はそれだけ言うと、野性味のある足取りで去っていった。その言葉は、来るべき三学期の、さらに過酷な戦いを予感させる不敵な招待状だった。
一方、新宿。高層ビルの最上階にあるゼノンシステム開発分室の会議室は、アリーナ以上の冷気に満ちていた。蓮太は、三人の監査部門の役員に囲まれ、冷徹な追及を受けていた。
「九条蓮太。筑波の超高速バックボーンから、お前のIDを用いた非正規のパッチ・デプロイが検出された。学園の演習機体に、社外秘のプロトコルを無断で流し込んだ疑いがある。……弁明はあるか?」
役員の一人が、アリエス・カスタムの異常な機動データをデスクに叩きつけた。だが、蓮太は震えるどころか、ゆっくりと眼鏡を指で押し上げた。彼の瞳には、デバッグを完遂したエンジニア特有の、静かな自信が宿っていた。
「……ハッキング? 誤解ですよ。これは『動的ストレス・テスト』の結果報告書です」
蓮太は手元のタブレットから、あらかじめ用意していた膨大な資料をプロジェクターへ転送した。
「一条選手の『イージス・コア』に搭載された予測防御AI。あれには特定の不規則な入力に対する脆弱性がありました。私はそれを、実戦という最も過酷な環境下で検証し、実際にアリエスという旧型機を用いてその脆弱性を露呈させた。……結果的に、ゼノンOSの致命的なバグを未然に発見し、その対策コードまで今回の件で完成させています。……監査の皆さんは、セキュリティを強化した私に、むしろ感謝状を贈るべきではないですか?」
理路整然とした、一点の曇りもない屁理屈。蓮太は、娘のために書いた「禁断のパッチ」を、会社への「貢献データ」へと論理的に書き換えてみせたのだ。監査役たちは顔を見合わせ、言葉に詰まった。システムの穴を見つけた者を罰すれば、ゼノン社の「完璧さ」に自ら傷をつけることになる。
「……チッ。相変わらず、理屈の通し方だけは一流だな、お前は」
一時間後。会議室を出た蓮太の手には、処分通知ではなく、特別ボーナスの査定通知が握られていた。彼はエレベーターの鏡に映る、少しだけ疲れた自分の顔を見つめ、不敵に笑った。
(……デバッグ、完了だ)
冬休み初日の夜。九条家の食卓には、いつもの質素なメニューではなく、蓮太が奮発して持ち帰った最高級のステーキ肉が並んでいた。ジュージューという芳醇な音と共に、部屋中が肉の焼ける幸せな香りに満たされる。
「お父さん、本当にボーナス出たの?」
「ああ。会社を少しだけ『最適化』してやったからな。……結衣、二学期、本当によく頑張ったな」
父と娘。久々に揃って囲む食卓には、戦いの火花も、コードの残影もない。あるのは、どこにでもある、温かな家族の日常だった。結衣は、口いっぱいに肉を頬張りながら、ふと考えた。あの時、網膜に浮かんだ文字。
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**Dad is online.**
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あの青い光が見えた瞬間、自分は独りじゃないと感じた。新宿のビルの片隅で、あるいは筑波の冷たいサーバー室で、父が自分のためにコードを叩き続けてくれている。その繋がり《コネクション》こそが、自分にとって最大の武器だったのだと。
「……お父さん。三学期、もっと強くなるよ。私……アリエスと一緒に、もっと遠くまで行きたい」
「ああ。……俺も、最高のリソースをお前に提供し続けるさ。……だが、冬休みの間くらいは、学生らしい日常を楽しめ。指先の痺れ、まだ残ってるんだろ?」
蓮太の優しい指摘に、結衣は照れくさそうに微笑んだ。スープの温かさが、まだ微かに痺れる指先から心まで染み渡っていく。
その頃。聖エルモ学園、上位ランカー専用のサロン。
卒業を間近に控えた、学園最強の三年生たちが、手元の端末でアリエスのログを眺めていた。
「面白いね……。論理を逆手に取って、予測をバグらせたか。一条が負けるのも無理はない。卒業前に、一度手合わせをしておきたいものだ」
物静かな、だが威圧感のある三年生の言葉。そこには、下級生への侮蔑など微塵もなかった。あるのは、未知の才能に対する、純粋な武人としての好奇心。
「おい。……勝手なこと言ってんじゃねえぞ、先輩方」
サロンの扉を蹴るようにして、三雲嵐が入ってきた。彼はソファに深く腰掛け、凶暴な笑みを浮かべながら三年生たちを牽制した。
「九条は俺が狩るべき獲物だ。……あんたらみたいな『完成品』が、卒業前の思い出作りに弄ぶようなタマじゃねえんだよ。……横取りするってなら、俺が相手をしてやるぜ」
学園の頂点たちが、一人の少女を巡って、静かに牙を剥き合う。
冬の星空の下、世界は静止しているように見えて、その内側では、より巨大な、より熱い「第三学期」の胎動が始まっていた。
第一部・完。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
これで1日完結です。
ちょっと2部のプロットは大幅に変更が必要になったので開始まではお時間いただきます…!
幕間はちょこちょこ挟むかも。
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次回もお楽しみに。




