第29話:Dad is online
Dad is online!!
――ズゥゥゥゥンッ!!
演習場全体を震わせる凄まじい衝撃音が響き渡り、観客席の生徒たちが思わず身を乗り出した。一条凱の『イージス・コア』が振り下ろした巨大なシールド。それがアリエスの頭上を完全に捉え、床面のコンクリートを爆砕したのだ。
アリエスは辛うじて交差させた両腕でその圧力を受け止めていたが、機体各所のシリンダーからは高圧の蒸気が噴き出し、警告のアラートがコクピット内で狂ったように鳴り響いている。一条の盾は単なる物理的な防壁ではない。ゼノンOSの演算リソースを全て「予測防御」に注ぎ込んだ、絶対に揺るがない秩序の壁だ。その重圧が、アリエスの細いフレームをじりじりと、確実に破壊へと追い込んでいく。
「……九条結衣。お前の『速度』は、所詮は不純なノイズだ。この完璧な計算によって守られた世界の壁を越えることは、万に一つも叶わない」
一条の冷徹な声が、通信回線を通じて結衣の耳に届く。だが、今の結衣にはその言葉に反論する余裕すらなかった。視界を覆い尽くす赤い警告灯。そして何より、彼女自身の感覚が限界を迎えていた。
指先の痺れはすでに肩から胸元まで達し、心臓の鼓動が耳元でうるさいほどに打ち鳴らされている。網膜投影に映る一条の機体は、今や二重、三重にブレて重なり合い、どれが「本物」なのか判別がつかない。右に動こうとすれば視界が左へ流れ、止まろうとすれば世界が激しく揺れる。
『感覚の残響』――脳が捉えている過去の残像と、機体が位置する現実の座標が完全に乖離し、結衣の精神を暗い奈落へと引きずり込んでいた。
(……見えない。どこに、どこにレバーを倒せばいいの……。お父さん……アリエス……)
意識が混濁し、結衣の指先が操縦桿から力なく滑り落ちそうになった、その時だった。
ノイズまみれの視界の中、センターに一条の光が走った。
それは、漆黒の宇宙に灯った一番星のような、鮮烈な青いシステムメッセージだった。
**************************************
**Dad is online.**
**************************************
その瞬間、結衣の心臓が大きく跳ね上がった。絶望的なラグに支配された孤独なコクピットに、新宿の深夜の熱気が、そして父・蓮太の確かな「意志」が流れ込んできた。
『――結衣! 聞こえるか、そのまま意識を繋ぎ止めろ!』
通信機から響く蓮太の声は、驚くほど冷静で、そして怒号のような熱を帯びていた。
『お前の脳がバグっているなら、その「バグ」をそのままアリエスの出力に直結させるパッチをデプロイした。いいか、今の歪んだ景色を直そうとなんてするな。お前の目に映る「ズレて見える偽物の一条」……そこへ向かって、迷わず全力でレバーを叩け!』
「……え……?」
『お前が感じているその矛盾こそが、一条のAIが一生かかっても計算できない、世界でたった一つの「正解」だ! 行け、結衣! ロジックの壁をブチ抜いてこい!!』
蓮太の指が、新宿のデスクで最後の一行―― $Entropy-Drive$ $Active$ ――を叩きつけた。
その瞬間、アリエスのOSが根底から書き換えられた。結衣は痺れる指先を奮い立たせ、涙で滲む瞳で「歪んだ像」を見据えた。
「……いっけぇぇぇぇぇぇぇ!!」
結衣が、現実の座標を無視し、脳内のバグが指し示す「虚像」に向かってアリエスの拳を叩きつけた。
刹那、アリエスの挙動が完全に「狂った」。
それは加速でも旋回でもない。まるで空間そのものが震えるような、物理法則をあざ笑う非線形な揺らぎ。
「なっ……予測、不能……!? 着弾座標が、存在しないだと!?」
一条のコクピットで、鉄壁を誇っていた防御AIが悲鳴のような警告を上げ、処理落ちを起こした。一条の盾は「最も確率の高い未来」を塞ぐものだ。だが、今の結衣の動きは、脳内のバグという「確率計算の分母」すら存在しない純粋な混沌。
計算不能(ゼロ除算)。一条の盾が、着弾の直前で目に見えて激しく泳いだ。
――ガァァァァァァァンッ!!!
矛盾という名の矛となったアリエスの右拳が、イージス・コアの盾の「継ぎ目」を、寸分の狂いなく粉砕した。
砕け散った装甲が火花と共にアリーナに飛び散る。一条の誇り、学園の秩序、その全てを貫通した一撃が、重装甲の機体を壁際まで吹き飛ばした。
沈黙。
静まり返るアリーナに、審判のホログラムが厳かに浮かび上がる。
『……Target: Aegis Core, Silence. Winner: Kujo Yui (Aries Custom)!!』
勝者コールが響き渡った瞬間、結衣の張り詰めていた緊張が、熱い涙となって溢れ出した。操縦桿を握る手はまだ震えている。けれど、その震えはもはや副作用のせいだけではなかった。
(……勝てた。お父さんのコードと一緒に、私、勝てたんだ……!)
その静寂を、観客席の最上段から響く野性的な叫びが切り裂いた。
「――くははははは! 最高だぜ、九条!!」
三雲嵐が、手すりを掴んで身を乗り出し、狂喜の表情を浮かべていた。
「論理を捨てて、脳のバグ《野生》に身を投げやがったな! ああ、今の匂い……たまんねえぜ! システムの檻をぶち壊した、本物のノイズだ! お前、最高に美味そうな獲物になりやがったな!」
三雲の咆哮が響く中、結衣は通信を開いた。
「……お父さん。……聞こえる?」
『……ああ、全部見てたぞ。お疲れ様、結衣。……デバッグ、完了だ』
通信の向こう側で、椅子が軋む音。蓮太の、少しだけ誇らしげで、そして深く安堵した吐息が聞こえた。
Dクラスの少女が、Aクラスの絶対防御を打ち砕いた。
そのニュースは、学園のシステムという名の偽りの平和を、根底から揺さぶり始めていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
本作を応援してくださる方は、ぜひブックマークや下の評価【☆☆☆☆☆】をいただけますと幸いです。
Dad is online
次回も無事にログインできますように。




