第26話:帰還と変貌
筑波から戻った聖エルモ学園は、冬の気配を孕んだ冷たい風に包まれていた。だが、北倉庫の中だけは、数台の大型投光器が放つ熱気と、火花を散らすグラインダーの音で沸騰していた。
中央に鎮座するのは、外装をすべて剥ぎ取られ、無骨な内部フレームを剥き出しにしたアリエスだ。その姿は、昨日アーカイブで目にした『プラン・ゼータ』の設計図に限りなく近づいていた。
「……よし、メインフレームの補強完了。次は関節のシーリングだ。陽菜、そっちの熱膨張率の計算は終わったかい?」
「バッチリだよ、トメさん! パパさんのパッチが叩き出す瞬間トルクに合わせて、全関節のバッファを三〇%増しにしておいた。……でも、これじゃもう『汎用機』なんて呼べないね。特定のロジックに特化しすぎた、ただの狂気だよ」
陽菜が油まみれの顔を拭いながら笑う。
彼女の隣では、ひよりが「多重演算」の才能をフル稼働させ、数千個に及ぶボルトの締め付けトルクを一つ一つセンサーで監視していた。大門は巨大なクレーンを操り、重量バランスをミリ単位で調整している。琥珀と翡翠もまた、機体各所に張り巡らされた神経網の引き直しを手伝っていた。結衣は、その喧騒の中心で、筑波から持ち帰った「非同期式・高精度ジャイロチップ」を掌に乗せていた。
「……お父さん。準備、できたよ」
結衣がスマートフォンに向かって呟く。画面の向こう側、深夜の書斎でカップ麺を啜りながらモニターに向き合う四十歳のエンジニア・蓮太が、力強くキーボードを叩いた。
『ああ。……いよいよ、論理と物理を繋ぐ「最後の一行」を書き込む。……陽菜君、チップをソケットに挿入しろ。……ゼノンOSの監視網を掻い潜るための、カーネル・レベルのフックを開始する』
蓮太の指が、ダンスを踊るようにコードを生成していく。筑波で手に入れたチップは、現代の規格とは一切の互換性がない「異物」だ。これを今のシステムで動かすには、OSそのものを騙し、物理的な生データを直接カーネルに流し込むという、超法規的なドライバが必要だった。
「……挿入、完了。……認識……しません。エラーコード、E−09。……ゼノン社、拒絶してる」
翡翠がモニターを見つめて呟く。学園の基幹システムを司るゼノン社のセキュリティは、アリエスの深部に挿入された「遺産」を、システムを破壊するウイルスだと判断していた。
『分かっている。……ゼノン社のエンジニア共は、安定という名の「停滞」を好むからな。……だが、俺たちが求めているのは「静寂」じゃない。「爆発」だ』
蓮太は眼鏡を指で押し上げ、ある特殊なスクリプトを実行した。それは、彼が会社でゼノン社製のサーバーをデバッグし続けてきた中で見つけた、致命的なバックドアを利用したものだった。
『――ハンドシェイク、強制開始。……論理矛盾を逆手に取る。……アリエスに、二十年前の「鼓動」を思い出させてやる』
その瞬間、倉庫内のすべてのモニターが激しく明滅した。
バチチチッ、とアリエスの胸部から青白い火花が散り、眠っていた電子音が低い唸りを上げ始めた。不規則だったジャイロの回転音が、蓮太の書いた「非同期制御パッチ」と同調し、次第に澄んだ高音へと変わっていく。
「……嘘。……同期率が変わってないのに、システム負荷が……ゼロになった!?」
陽菜が悲鳴のような声を上げた。本来、機体を動かすための計算はすべて学園のサーバー側(ゼノンOS)で行われる。だが今、このアリエスは、筑波のチップが叩き出す物理演算を直接自立制御に回すことで、学園のシステムから「独立」した存在へと変貌していた。
『成功だ。……これが、プラン・ゼータの真の姿。……「シンクロ・ドライブ」に頼らず、機体そのものがパイロットの意志を物理的に具現化する、究極のマニュアル機……「アリエス・カスタム」の完成だ』
蓮太のメッセージと共に、アリエスのモノアイに鋭い光が灯った。
これまでのどこか頼りなげだった「旧型機」の面影はない。そこに立っているのは、剥き出しのフレームが美しいまでの機能美を放つ、鋼鉄の猟犬だった。
「……アリエス……」
結衣は引き寄せられるように、機体の脚部に触れた。冷たい金属のはずなのに、そこからは確かに、パパの執念と、過去の技術者たちの願いが混ざり合った「熱」が伝わってきた。
「結衣っち! これ、マジでヤバいよ! 触ってないのに、機体が『待ってる』感じがする!」
琥珀が興奮して叫ぶ。その時、結衣のスマホに緊急の警告通知が舞い込んだ。差出人はフェイだった。
『九条、すぐに作業を中断して! 筑波でのシミュレーター破壊と、今の「不正なハンドシェイク」が、ゼノン社の広域監視網に引っかかった! 今、学園の警備局がこっちに向かってる!』
倉庫の遠くで、鋭いサイレンの音が聞こえ始めた。
蓮太のモニターにも、ゼノン社からの「不正アクセス遮断」の警告が真っ赤に点滅している。
『……どうやら、大人たちのデバッグの時間はおしまいらしいな。……結衣、みんな、機体を隠せとは言わない。……今のお前たちなら、その「化け物」の力を見せつけて、正面から追い返せるはずだ』
蓮太の声は、冷静だった。彼はすでに、学園内の監視カメラをハッキングし、警備車両のルートを妨害するコードを書き始めている。
「……みんな。アリエスを、守ろう」
結衣は、新しく生まれ変わったアリエスのコクピットへと駆け上がった。
プラン・ゼータ。失われた遺産に、パパの論理が命を吹き込んだ。
ハッチが閉まり、結衣の視界に『Z-Kernel v1.0: Active』の文字が躍る。
これまでは「守られていた」少女が、今は「自らの意志で、大切な居場所を守る」ために。
冬の夜空の下、北倉庫の重厚な扉がゆっくりと開く。
そこから現れたのは、もはや誰の予測も受け付けない、物理法則の特異点だった。
「九条結衣、アリエス・カスタム……出ます!」
一歩踏み出した瞬間、地面が爆散したかのような衝撃が走った。
それは、Dクラスの逆襲が「学園内のルール」を完全に超え、世界そのものと衝突し始めた合図だった。
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次回も無事にログインできますように。




