第25話:拾得と覚悟
ゼノン・シミュレーション・センターの喧騒が、遠く背後でくぐもった音に変わる。カプセルから溢れ出した白煙は、結衣の網膜に焼き付いた「あり得ないはずの光景」の余韻そのものだった。演算不能を意味する『ERROR』の文字。それが自分の出したスコアなのだという事実は、誇らしさよりも、底知れない恐怖となって結衣の指先を震わせていた。
「……やりすぎだよ、お父さん」
結衣はポケットの中で、熱を持ったままのスマートフォンを握りしめた。新宿のオフィスから、一人のSEが送り込んだ論理の暴力。それは、世界最高峰の演算機を物理的に焼き切るほどの力を持っていた。
『勘違いするな。やりすぎたのはシミュレーターの設計者だ。物理法則の限界を「ゼノンOSの仕様」に閉じ込めようとした傲慢さの結果だよ』
蓮太からの返信は、どこか愉快げで、それでいて冷徹だった。
『だが、結衣。ログの解析結果は無慈悲だ。仮想空間のデータ上でさえ、アリエスの仮想フレームには亀裂が走っていた。今の学園指定の「安全基準を満たしたパーツ」では、俺のパッチの出力に耐えられない。現実で今の機動を行えば、アリエスは最初の一歩で自壊し、お前を鉄屑のなかに閉じ込めることになる』
父の言葉は重い。ソフトが世界を超えたとしても、それを支える物理的な「器」が追いつかなければ、それはただの欠陥品でしかない。研修旅行最後の自由時間。結衣は、アリエスを真の「プラン・ゼータ」へと引き上げるための、最後のピースを求めていた。
「……ねえ、結衣。そんな顔してないでさ、行こうよ」
背後から、リン・フェイが慣れた手つきで結衣の肩を叩いた。彼女の瞳には、打算と好奇心が入り混じった光が宿っている。
「あんたが探してるもの、表のカタログには載ってないんでしょ? 筑波の光の裏側……『胃袋』に行けば、何か見つかるかもしれないよ」
フェイに導かれ、結衣たちは最新鋭のビルが並ぶ大通りを外れ、古い研究施設が密集する旧市街へと足を踏み入れた。陽菜は「ここ、未公開の試作パーツが流れてくるって噂の場所だ……!」と興奮を隠せず、大門は琥珀と翡翠を連れて、周囲を警戒するように歩く。ひよりは「怖いところじゃないといいんですけど……」と結衣の裾を掴んで震えていた。
配管が剥き出しになった路地の奥。錆びたシャッターの隙間から油の匂いが漏れ出す、一軒のジャンク屋。そこがフェイの指定した場所だった。
「じいさん、生きてる?」
フェイが声をかけると、山積みの電子基板の中から、灰色の作業着を着た老人が顔を出した。その眼光は、単なる商人のそれではなく、技術への執念だけで生き長らえている狂人の鋭さを持っていた。
「……フン。Dクラスのガキ共が何の用だ。ここは最新のキラキラした玩具なんて置いてねえぞ」
「おじいさん……私たち、パーツを探してるんです。アリエスの、プラン・ゼータに使えるものを」
結衣の言葉に、老人の動きが止まった。彼はゆっくりと立ち上がり、結衣の顔を、そして彼女の手にあるスマートフォンをじっと見つめた。
「……プラン・ゼータ。死んだプロジェクトの名前を、どこで聞いた。あれは、今の『お行儀のいい』AI制御じゃ、ただの自殺志願機だ。……誰が乗っても、一〇秒も持たねえ」
「……お父さんが、ソフトを書いたんです。シミュレーターを壊すくらいの、すごいパッチを。……でも、今のパーツじゃアリエスが壊れちゃうって。だから……」
老人は鼻で笑い、結衣を追い返そうとした。だがその時、結衣のスマホが短く震え、画面に蓮太からの直通チャットが映し出された。結衣はそれを、無言で老人に向けた。
『「非同期式制御における慣性モーメントの相殺不良」。……あんたが二十年前に頭を抱えていた問題だ。俺のロジックなら、それを「計算上の無視」ではなく「動的な吸収」で解決できる。……仕様書を見たいか? じいさん』
老人の瞳が、驚愕に見開かれた。彼は奪い取るようにスマホを凝視し、そこに流れる複雑なコードの断片を、震える指で追った。
「……この、論理。……まさか、あの時の生き残りがいたのか……? いや、これは、あの時よりも遥かに進化している……」
老人はよろよろと店の奥へ引っ込み、厳重にロックされた耐火金庫をこじ開けた。中から取り出されたのは、真空パックされた一つの無骨なチップだった。
「……これは、二十年前に一〇個だけ作られた試作パーツだ。『非同期型・超高精度ジャイロチップ』。今のゼノンOSとは、信号の規格すら合わねえ。……だが、そのスマホの向こう側にいる狂ったエンジニアなら、こいつをアリエスの心臓として動かせるかもしれねえな」
老人はチップを、結衣の手に握らせた。
「……代金は、フェイの小娘が賭けで稼いだ分から引いておく。……その代わり、嬢ちゃん。……そいつを完成させろ。……俺たちが捨てなきゃならなかった、あの化け物を、現実に引きずり出してこい」
手の中にある、小さなチップの重み。それは単なるパーツの質量ではない。時代に敗れた技術者たちの、そして新宿で孤独に戦い続ける父の、積み重ねられてきた「覚悟」の重さだった。
「……はい。私、アリエスと一緒に、戦います」
結衣はチップを胸に抱きしめた。もはや迷いはなかった。自分が乗っているのは、システムのバグでも、時代遅れのスクラップでもない。歴史を塗り替えるための、唯一無二の未完成品なのだ。
研修旅行の終わりを告げるバスの車内。夕日に染まる筑波の街を見送りながら、Dクラスの仲間たちはそれぞれの「拾得物」を抱えていた。陽菜は設計図を、フェイは資金を、ひよりは大門に支えられた勇気を、双子は互いへの信頼を。
『パーツの確保、確認した。……よくやった、結衣。……さあ、帰ってこい。……ここからは、俺たちエンジニアの戦場だ。……二学期末のランキング戦。……世界に、プラン・ゼータの産声を聴かせてやるぞ』
父からのメッセージに、結衣は静かに頷いた。
新宿で待つ父と、筑波で手にした心臓。
バラバラだったパズルが、帰還のバスの揺れの中で、一つの巨大な「反撃のロジック」へと繋がり始めていた。
聖エルモ学園への帰路。秋の夜風がバスの窓を叩く。
その中、結衣の瞳には、まだ誰も見たことのない、完成されたアリエスの姿が、確かに映っていた。
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