第24話:試練と論理
筑波研修旅行三日目。この日のメインイベントは、最新鋭の研修施設『ゼノン・シミュレーション・センター』での実技演習だった。広大なホールには、カプセル型の高精度シミュレーターが百台以上も整然と並んでいる。これは実際の機体に乗るのと同等の負荷を脳と身体に与える「フルダイブ型」の装置であり、その演算精度は世界最高峰を誇る。
「いいか、一年生。今日のスコアは二学期の成績に直結する。各自、自分の愛機のプロファイルデータを読み込ませ、この筑波の最高演算環境でどれだけのパフォーマンスを出せるか証明してみせろ。適性という名の『現実』を、ここで再認識することになるだろう」
教官の冷淡な号令と共に、Aクラスのエリートたちが次々とカプセルに乗り込んでいく。彼らが読み込ませるのは、親の財力や学園の強力なバックアップで手に入れた最新鋭機の、磨き抜かれたカタログスペックだ。「Dクラスの旧型機が、このスパコンの精度でどれだけ無様な数値を出すか見ものだな」という嘲笑の視線が、結衣たちの背中に突き刺さる。
「……気にすんな、結衣っち。うちらの『絆』、見せてやろうじゃん。翡翠、準備はいい?」
「……回線、確保。……筑波のバックボーン、太い。……情報の、海だ」
琥珀と翡翠が二人で一つの複座用カプセルに入り、ひよりは震える手で隣のハッチを開ける。結衣もまた、自分のカプセルの中へと身を沈めた。ハッチが閉まり、完全な静寂が訪れる。網膜に投影されたのは、昨日アーカイブで見つけた『プラン・ゼータ』の骨格をベースに、シミュレーター上で補完された仮想のアリエスだった。
その時、コンソールの隅に、見慣れた青いウィンドウが静かに開いた。
『筑波の超高速バックボーン、接続完了。……会社からのリモート・ハックは骨が折れたが、この帯域なら「制限」を外せる。……結衣、昨日陽菜君が送ってくれたスキャンデータをもとに、シミュレーター内の仮想アリエスのカーネルを書き換えた。……ゼノン社のガチガチな安全策をすべてバイパスして、プラン・ゼータの「生」の機動を試す。……覚悟はいいか』
新宿のオフィスビル。佐竹課長の執拗な進捗確認メールを、蓮太は無意識に近い動作で自動返信プログラムに丸投げしていた。四十歳のエンジニアとしての顔の裏で、彼は筑波のスーパーコンピュータ群を、娘のための「広大な実験場」として私物化していた。彼が送り込んだのは、プラン・ゼータの狂気的な設計思想を現代の論理で復元した、アリエス専用の超機動パッチ『Z-Kernel v1.0』。
「演習開始ッ!!」
教官の声と共に、仮想空間の敵機が一斉に動き出す。最新鋭のアルゴリズムに基づいた、精密で隙のない包囲網。だが、結衣が操縦桿に指を触れた瞬間、彼女の世界は一変した。
――軽い。
アリエスが動いているのではない。自分の思考が、そのまま空間を削り取っているような感覚。これまでの「同期」は、機械に自分の意志を「伝えて」もらう作業だった。だが、今のプラン・ゼータ仕様のアリエスは、結衣の神経系と機体の駆動系が、論理のバイパスによって文字通り直結《直結》されていた。
ドォォォォンッ!!
仮想空間のアリーナで、アリエスが物理的な「予備動作」をすべて置き去りにして加速した。敵機のAIが予測していた回避軌道を、アリエスはさらにその内側の、物理的な最短経路で突き抜ける。関節の遊びをパッチが強制的に排除し、全身のサーボモーターを爆発的な同期で回生させる、非人間的な機動。
「な……っ!? 今、何が起きた!?」
外部モニターで演習を監視していた教官が絶叫し、椅子を蹴立てて立ち上がった。画面上のアリエスは、もはや人型のロボットの動きをしていなかった。重心移動という概念を、蓮太の書いた「物理演算ショートカット」が踏み倒している。それは、最新AIの予測をあざ笑うかのような、雷光のごとき閃きだった。
だが、その異常な機動は、筑波の誇るシミュレーターの「限界」を早々に突破しようとしていた。
「おい! 第四七番シミュレーターの演算負荷がレッドゾーンだ! 物理エンジンがハングアップしてるぞ!」
「あり得ません! ターゲットの座標が……計算上の『存在可能範囲』から外れています! 予測アルゴリズムが……解を導き出せません!」
管制室がパニックに陥る。シミュレーターは「ゼノンOS」の安全規則に基づいて世界を計算しているが、蓮太のパッチは「剥き出しの物理法則」を利用してOSの頭越しに現実を書き換えている。この「システムの想定解」と「物理的な正解」の矛盾によって、演算ユニットに天文学的な負荷がかかったのだ。
――バチチチッ!
結衣が乗るカプセルの制御基板から、鋭い火花が散った。
『Warning: Logic Paradox. Physics Engine Failure. (警告:論理矛盾。物理エンジン故障)』
視界が真っ赤なエラーメッセージで埋め尽くされ、次の瞬間、カプセルを冷却するためのファンが絶叫を上げた直後、プシューという音と共にシステムが強制シャットダウンした。
ハッチが開き、白煙が静かに溢れ出す。
結衣がふらつきながら外へ出ると、そこには唖然として自分を見つめる数百人の生徒と、言葉を失った教官たちの姿があった。最新鋭のスパコンを物理的に「焼き切った」少女を、彼らはもはや蔑むことすら忘れていた。
「九条……。お前、今、何をした……?」
教官の震える声。スコアボードには、算出不能を意味する『ERROR』の文字が空しく刻まれている。結衣は返答に窮し、ポケットの中で震えるスマホをこっそり確認した。
『やりすぎたな。……だが、これで証明された。二十年前の設計図と、今の俺の論理は間違っていなかった。……結衣、今の「仮想のアリエス」の動きを忘れるな。……あれが、本来の姿だ』
新宿のデスクで、蓮太はそっと眼鏡を外した。モニターには、焼き切れる寸前のシミュレーターから吸い出した、膨大なエラーログが表示されている。彼はその中から、ある「致命的な数値」を見つけていた。
『……だが、現状のお前のアリエス(ハード)では、今のパッチを適用した瞬間に、現実に関節が消し飛ぶぞ。……仮想空間でさえスパコンが死んだんだ。現実でやれば、お前の命はない』
父のメッセージに、結衣の背筋に冷たいものが走った。ソフトは世界を超えた。だが、それを支える物理的な「器」が、今の彼女にはない。プラン・ゼータを完成させるには、学園に転がっているジャンクパーツでは到底、この論理の暴威を受け止めることはできないのだ。
「……すごかったね、結衣さん。……空気が、震えてました」
駆け寄ってきたひよりの瞳には、かつてないほどの崇拝の念が宿っていた。大門は無言で、だが深く頷き、陽菜は狂ったようにエラーログを自身の端末へコピーしている。
Aクラスの生徒たちが抱いたのは、嫉妬や嘲笑ではなかった。自分たちが信じていた「システム」という名の常識を、文字通り根底から破壊されたことへの、底知れない恐怖だった。
研修旅行三日目、午前。九条結衣の名は、聖地のデータベースに「物理法則すらバグらせるイレギュラー」として刻まれた。そして、その少女の脳裏には、父が示した「不可能なはずの次の一行」を現実に変えるための、切実なまでの渇望が芽生えていた。
この論理を受け止めるための、本物の「心臓」が要る。
結衣はスマホの画面を消し、静かに前を見据えた。
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Dad is online
次回も無事にログインできますように。




