第19話:閉目と多重
かつては「掃き溜め」と呼ばれた北倉庫は、今や学園のどの演習場よりも熱を帯びた、異様な開発室へと変貌していた。立ち込めるオイルの匂いと、電子機器の駆動音。そこには、システムの枠から弾き出された「欠陥品」たちが、それぞれの居場所を見つけ始めていた。
「よし、ひよりちゃん。無理しなくていいからね。まずは機体を浮かせる感覚に集中して」
結衣の声が、倉庫の天井に反響する。アリエスの足元で、自分専用の練習用軽量ギアに乗り込もうとしているのは、同じ一年の七瀬ひよりだ。同期率はわずか三%。彼女は進藤戦以来、結衣を「自分を変えてくれる希望」として慕い、毎日この倉庫へ通い詰めていた。
「は、はい……結衣さん。が、頑張ります……でも、やっぱり足が震えて……」
ひよりがコクピットの中で震える手を握りしめる。その機体の背後では、超重量級ギアに乗り込んだ大門豪が、どっしりと構えていた。彼はひよりがバランスを崩した際に即座に支えられるよう、巨大なパワーアームを広げている。
「……案ずるな。俺が、下にいる」
大門の短くも重みのある言葉に、ひよりが「ふえぇ……ありがとうございます」と小さく答える。その様子を、機体のハッチを開けたまま眺めていたのは、昨日チームに加わった神崎陽菜だ。彼女は整備士専攻としての好奇心を隠そうともせず、タブレットを片手にひよりの機体のバイタルデータをチェックしていた。
「トメさん、このひよりちゃんの機体、ジャイロの反応がワンテンポ遅れてない? これじゃ高所恐怖症の人がパニック起こすのも無理ないよ。もっとフィードバックを鋭くしないと」
陽菜が不満げに言うと、山積みのジャンクパーツの中から、伝説の老整備士・トメが顔を出した。
「ケッ、分かってねえな。その『遊び』があるから、同期率の低いガキでも振り落とされずに済んでんだよ。……まあ、九条のパパさんから届いた『最新パッチ』を当てるなら、話は別だがね」
トメの視線の先には、倉庫のメインモニターに表示された、リモート接続中のコンソール画面があった。そこには、新宿行きの満員電車に揺られながら、スマートフォンを叩き続ける四十歳のリードエンジニア、九条蓮太の影がある。
(……賑やかだな。これだけ『ノイズ』が多いと、デバッグのやり甲斐がある)
蓮太はスマホの画面を高速でフリックし、ひよりの機体の挙動ログをリアルタイムで追っていた。佐竹課長からの「進捗どうだ」という催促メールを無慈悲にゴミ箱へ放り込み、彼はひよりの脳波波形に注視した。
(気になるな、七瀬ひよりの波形……。恐怖を感じているはずなのに、特定の周波数帯だけが異常に安定している。まるで、脳の一部が『別の計算』に専念しているような……)
蓮太の疑念をよそに、演習が始まった。
「ひよりちゃん、スロットルを微開。……ゆっくり上がって」
結衣の合図で、ひよりの機体が浮き上がった。一メートル、二メートル。機体がわずかに左右に揺れる。
「ひっ、……あ、あああ……高い、高いです結衣さん……!」
高度三メートル。ひよりの呼吸が荒くなる。彼女の「高所恐怖症」は深刻だ。モニターに映る地面が遠ざかるだけで、彼女の脳はパニックを起こし、四肢の制御を放棄しようとする。
「危ない、ひより! 姿勢を戻して!」
陽菜が叫ぶ。ひよりの機体が大きく右へ傾ぎ、大門が支えに入ろうとしたその瞬間だった。極限の恐怖に達したひよりは、絶叫と共に、反射的に両目を固く閉じた。
「嫌だぁぁぁぁぁッ!!」
墜落を誰もが予感した。
だが、その瞬間。新宿の電車内で、蓮太のスマートフォンの画面が真っ赤な警告ログから一転、深い青色の「超高負荷処理」を示すグラフに塗り替えられた。
(……なんだ!? 演算スレッドが……一気に一二八まで跳ね上がっただと!?)
蓮太の目が見開かれる。
目を瞑り、視覚という巨大な情報入力を遮断した瞬間、ひよりの脳内から「恐怖」というノイズが完全に消失したのだ。代わりに、彼女の意識は、機体各所のセンサーから送られてくる膨大な「生データ」へとダイレクトに接続された。
ジャイロの微細な傾き、大気の流速、関節部の油圧抵抗、そして大門の機体が触れた瞬間のわずかな反発係数。それら数万のパラメータを、彼女の脳は並列処理――マルチタスクによって、一瞬で解き明かした。
ガクン、と機体の揺れが止まった。
ひよりは目を閉じたまま、無意識にレバーをミリ単位で微調整している。その動きは、最新AIの予測演算さえも凌駕する、物理現象への「完全な即応」だった。
「……えっ?」
支えに入ろうとした大門の手が止まる。
ひよりの機体は、まるで空間に縫い付けられたかのように、完璧な水平を保って静止していた。バーニアの噴射音が、メトロノームのように正確なリズムを刻んでいる。
「何これ……嘘でしょ? ひよりちゃんの同期率、三%のはずなのに、この姿勢制御の精度はAクラス以上だよ……!」
陽菜がタブレットの数値を二度見して絶叫する。
倉庫の隅でジャンクパーツの品定めをしていたリン・フェイも、琥珀と翡翠の双子も、一斉に作業を止めてひよりの機体を見上げた。
(……信じられん。視覚を捨てて、センサーの全生データを『多重演算』で処理しているのか! 最新のシンクロ・ドライブが彼女を『三%』と評価したのは、脳が処理する情報のレイヤーが深すぎて、表面上の同期波形に乗らなかっただけだ……!)
蓮太は電車の揺れを忘れ、食い入るようにログを追った。
四十歳のSEとしての勘が告げている。この少女は、システムのバグなどではない。
今のOSには贅沢すぎるほどの、超高性能なCPUそのものだったのだ。
「ひよりちゃん……? 目を開けて、もう大丈夫だよ」
結衣の声に、ひよりが「はっ」として目を開ける。
視覚情報が戻った瞬間、再び「高所」を認識した彼女の多重演算は解け、機体は再びガタガタと揺れ始めた。
「ふえぇぇぇん! 怖かったですぅぅぅ!」
地上に降り、コクピットから転げ落ちるように出てきたひよりを、結衣が優しく受け止める。ひよりは涙目でお辞儀を繰り返すが、結衣は確信していた。
「ひよりちゃん、あなた、凄い才能があるよ」
「えっ……? わた、私にですか?」
呆然とするひよりの横で、リン・フェイがニヤリと笑い、ギャルの琥珀が「マジかよ、ひよりん! 最高じゃん!」とハイタッチを求めてくる。無口な翡翠も、フードの奥で目を輝かせていた。
『結衣、聞こえるか』
結衣のスマホに、蓮太からの音声通信が入る。
ノイズ混じりの、だが興奮を隠しきれない四十歳の男の声。
『その娘を、絶対に手放すな。彼女の「多重演算」があれば、アリエスの情報処理の九割を肩代わりできる。俺が今から、彼女専用の「閉目時限定・並列処理補助ドライバ」を書く。これがあれば、アリエスは文字通り「三六〇度全方位」の弾道をリアルタイムで計算できる化け物になるぞ』
蓮太の言葉に、結衣はひよりの肩を強く抱き寄せた。
システムの枠からはみ出した少女たちが、四十歳のSEの手によって「最強のユニット」へと組み替えられていく。
「よし、みんな!……次は大門さんの機体のログも取ろう! お父さん、準備いい?」
結衣の呼びかけに、新宿駅のホームへ降り立った蓮太が、無言でサムズアップの絵文字を返した。彼らの逆襲は、まだ始まったばかりだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
本作を応援してくださる方は、ぜひブックマークや下の評価【☆☆☆☆☆】をいただけますと幸いです。
次回お楽しみに。




