第1話:栄光と暗雲
三月の柔らかな陽光が、私立聖エルモ機装学園の講堂を照らしていた。
今日は中等部の卒業式。厳かな空気の中、壇上に立った少女の姿を、誰もが眩しそうに見つめていた。
「――私たちは、この三年間で学んだ誇りを胸に、高等部という新たな戦場へ踏み出します」
答辞を読み上げるのは、卒業生総代・九条結衣。
背筋をぴんと伸ばし、落ち着いた声で語る彼女は、中等部三年間を通じて座学・実技ともに学年一位を独占し続けた、文字通りの「学園の星」だった。
聖エルモ学園は中高一貫の機装操縦士養成機関だ。中等部では基礎教養と機体のハードウェア知識を叩き込まれ、高等部からはいよいよ最新の脳波制御システム『シンクロ・ドライブ』を用いた実戦訓練が始まる。
結衣の成績は圧倒的だった。
複雑な機体制御の数式を完璧に理解し、シミュレーターでのマニュアル操作試験でも、教官さえ唸るほどの精密な動きを見せていた。
(やっと、ここまで来た……。高等部に上がれば、本物の機体に乗れる)
壇上から降りる際、結衣は最前列に座る父・蓮太と目が合った。
くたびれたスーツを着た父は、小さく、だが力強くガッツポーズを作って見せた。隣でおっとりと微笑む母・あかりと、退屈そうに鼻をほじる弟・颯太の姿もある。
九条家は決して裕福ではない。父のしがないSEとしての稼ぎの多くは、結衣の高額な学費に消えていた。
だからこそ、結衣は誓っていた。高等部でトップの成績を維持し、国連や大手企業の特待生枠を勝ち取って、家族を楽にするのだと。
この時の彼女は、まだ信じて疑わなかった。
努力を続ければ、道は必ず開ける。
自分の未来は、この青い空のようにどこまでも明るく広がっているのだと。
* * *
四月。桜の花びらが舞い散る中、高等部の入学式が行われた。
だが、中等部までのような和やかな空気はどこにもない。そこにあるのは、選別と競争、そして「才能」という残酷な物差しによる格付けの始まりだった。
入学初日に行われるのは、高等部の全活動の指針となる『初期同期テスト』だ。
最新の機装に搭載されたシステムが、操縦士の脳波をどれだけ受け入れ、機体の挙動へと変換できるか――。その「同期率」こそが、この学園における唯一無二の絶対評価となる。
「次、出席番号29番、進藤拓海」
測定室の大型モニターに、かつて中等部で結衣の影に隠れ、常に下位に甘んじていた少年の名が映し出された。
進藤は緊張した面持ちで、巨大なヘッドギア状のデバイスを装着し、専用のコクピット・シートに座る。
『パルス計測開始。ニューロン・リンク、安定。……測定完了』
電子音が響き、巨大なモニターに数字が躍った。
『同期率:25.4%』
「おおっ!」
「いきなり25超えかよ! 初回の平均はだいたい10前後だって聞くのに……」
周囲の生徒たちから感嘆の声が上がる。
進藤自身も、自分の数値に驚いたように目を見開き、やがて勝ち誇ったような笑みを浮かべてシートを降りた。
彼はすれ違いざま、待機していた結衣をチラリと見て、鼻で笑った。
「努力なんて、もう流行らないんだよ。これからは『センス』の時代だ」
結衣は無言でそれを受け流し、自分の番を待った。
座学一位。実技理論一位。自分は誰よりも機体を理解している。誰よりも練習を積んできた。
同期率だって、努力の延長線上にあるはずだ。
「次。出席番号30番、九条結衣」
結衣は深呼吸をし、シートに腰を下ろした。
冷たいヘッドギアがこめかみを締め付ける。視界が暗転し、幾何学的な光の模様が網膜を走った。
(お願い……!)
意識を集中させる。機体と一つになるイメージ。中等部で習った、神経伝達の最適化理論を脳内で反芻する。
だが。
どれだけ意識を研ぎ澄まそうとしても、機体側のシステムが、まるで「拒絶」するかのように彼女の思考を跳ね返した。
――ガガッ、という不快なノイズ。
それまで滑らかだった電子音声が、一瞬、戸惑うように淀んだ。
『……パルス、計測不能。エラーを回避。再試行……完了』
測定室が、静まり返った。
誰もが、自分の目を疑った。
モニターに表示されたのは、前代未聞の、そしてあまりにも残酷な数字だった。
『同期率:0.01%』
「…………え?」
結衣の口から、乾いた声が漏れた。
0.01。それは、機械が「何も接続されていない」と判断する際のノイズとほぼ同等の数値だ。
「測定不能か? 故障じゃないのか?」
「いや、システムは正常に稼働している。……単に、機体側が彼女を『人間』として認識していないレベルで波形が合わないんだ」
背後で教師たちが冷淡に囁き合うのが聞こえた。
さっきまでの羨望の眼差しが、一瞬にして冷ややかな、あるいは腫れ物に触れるような憐れみの色へと変わっていく。
「九条さん、代わりなさい。次の生徒が待っています」
教師の声は、結衣が今まで受け取ってきた称賛の言葉とは対極の、事務的で冷酷な響きを帯びていた。
結衣はふらふらとシートを降りた。足元が、自分の地面ではないように覚束ない。
「おい、見たかよ。答辞を読んだ『天才』が、測定不能だってさ」
「期待外れもいいところだな。あれじゃ、機体に座ってるだけの『動かないお人形』だぜ」
進藤の取り巻きたちが、わざと聞こえるように笑う。
親友のサオリが駆け寄ってこようとしたが、彼女の数値は18%。優秀なグループに分類された彼女と、今の自分。その間に、目に見えない巨大な壁がそびえ立ったように感じて、結衣は思わず目を逸らした。
* * *
数時間後。
校舎のメインロビーに、クラス分けのリストが張り出された。
聖エルモ学園高等部。
1年Aクラス。それは同期率20%を超える、将来のエリート候補生たちの集まり。
1年Bクラス。平均的な適性を持つ者たち。
1年Cクラス。努力次第では化けるかもしれない、予備軍。
そして。
1年Dクラス。
通称『スクラップ・ヤード(廃棄置き場)』。
機体に乗ることさえ許されず、後方支援や整備の基礎を学ばされる、事実上の「落第予備軍」のクラス。
結衣の名前は、そのDクラスの、一番最後に記されていた。
かつて全校生徒の前で胸を張って答辞を読んだ少女は、今や学園で最も価値のない生徒として定義されたのだ。
「……っ」
結衣は拳を強く握りしめた。爪が手の平に食い込み、血が滲む。
周囲の嘲笑、親友の困惑した顔、教師の失望。すべてが泥のような重みとなって、彼女の肩にのしかかる。
夕暮れの帰り道。
結衣は重い足取りで、いつもの家のドアを開けた。
「ただいま……」
食卓には、すでに父の蓮太が帰っていた。
老舗SIerの凄腕SEでありながら、会社では理不尽な上司とクライアントの板挟みに遭い、疲れ果てている父。
彼は新聞を読んでいた手を止め、結衣の暗い表情を見て、何かに気づいたように眉を寄せた。
「……結衣、どうした? 入学初日だろ」
「なんでもない。ちょっと、疲れちゃっただけ」
結衣は無理やり笑顔を作って、自分の部屋へ駆け込んだ。
夕食も食べず、ベッドに飛び込む。涙が溢れそうになるのを、枕に顔を押し付けて必死に堪えた。
リビングでは、蓮太が妻のあかりから小声で事情を聞いている。
「同期テストの結果が、悪かったみたいで……」
「同期テストか」
蓮太は、手元にある古びたスマートフォンを手に取った。
彼は無言のまま、画面を高速で操作し始める。
彼がアクセスしたのは、学園の公式ポータルサイトではない。
仕事の合間に自作し、学園のシステムに密かに潜り込ませておいた、デバッグ用プログラムのコンソール画面だ。
「……同期率、0.01%?」
画面に映し出された娘のデータを見て、蓮太の目が細まる。
そこにあるのは、死んだ魚のようなサラリーマンの目ではない。
数百万行のスパゲッティコードから、わずか一行のバグを瞬時に見抜く、一流のエンジニアの眼差しだった。
「おかしいな。これだけ綺麗な波形が出ているのに、システム側が意図的に『無視』している……。フィルタリングのアルゴリズムが、結衣の反応をノイズとして処理してやがるのか」
蓮太は、カチカチと音を立ててスマートフォンの画面を叩く。
満員電車に揺られ、上司に怒鳴られ、家族のためにプライドを捨てて働く中年男。
そんな彼の唯一の宝物である娘を、顔も知らないプログラマーが書いた杜撰なコードが傷つけている。
それは、九条蓮太という男にとって、何よりも許しがたいことだった。
「……結衣。お父さんは、お前の努力を知ってるよ」
深夜。
家族が寝静まった暗いリビングで、スマートフォンの青白い光が蓮太の顔を照らす。
彼の指先からは、学園の最新OSさえも凌駕する、無骨で、研ぎ澄まされた論理の欠片が次々と紡ぎ出されていく。
「最新のAIだかシンクロだか知らないが……。おじさんの職人芸《最適化》、舐めないでもらおうか」
闇の中で、一つのアプリが起動した。
アイコンの名前は、『K-Shell』。
後に、世界最強の機装システムを根底から書き換えることになる、その「最強の一行」は、まだ誰にも知られることなく産声を上げた。
結衣の頭上に垂れ込めた暗雲。
だが、その雲の向こう側で、父は静かに、逆転のためのパッチを練り始めていた。
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次回お楽しみに。




