第17話:対話と契約
Zいいですよねー
深夜二時。リビングのテーブルを占拠しているのは、食べ終えた夜食の皿ではなく、二台のノートPCと、無数に出力された波形グラフの束だった。四十歳のベテランSEである蓮太は、ブルーライトカット眼鏡の奥の目を細め、アリエスの駆動ログを凝視している。その横顔は、昼間の「冴えない会社員」のそれではなく、数々のデスマーチを生き抜いてきた「現場の鬼」の表情だった。
「……酷いな。一見、スムーズに動いているように見えるが、内部データは悲鳴を上げているぞ、これは」
蓮太がキーボードを叩くと、モニターに映るアリエスの右脚関節部の負荷グラフが、警告色である真っ赤に染まった。結衣はその隣で、父が示すデータの意味を一つずつ飲み込むように見つめていた。今日、自分があのアリーナで感じていた「軽さ」の裏側に、これほどの歪みが隠れていたなんて想像もしていなかった。
「お父さん、これって……壊れそうってこと?」
「壊れるどころじゃない。ハードウェアの『ボトルネック』だ。俺が書いたパッチは、機体の応答速度を論理上の極限まで引き上げている。だが、アリエスのフレームは十年前の設計だ。高速道路を軽トラックで時速二百キロで走らせているようなもんだぞ。このままだと、次の大きな試合で関節が文字通り『自壊』する」
蓮太の言葉は、リードエンジニアとしての冷徹な診断だった。彼は画面上の三次元モデルを回転させ、特定のボルトや油圧シリンダーの数値を指し示す。
「いいか、結衣。ソフトがいくら天才的でも、それを支えるハードに『器』がなければ、それはただの暴走だ。お前は今日、この機体の『声』を聞いたか? センサーが拾う数値じゃない。操縦桿を通じて伝わってくる、金属の軋み、オイルの熱……。一流のエンジニアは、コードの向こう側に物理的な手応えを感じる。パイロットも同じだ。アリエスがどこを痛がっているか、お前の感覚でフィードバックしてくれ。それが、俺が次のパッチを『最適化』するための最高の設計図になる」
結衣は自分の両手を見つめた。あの進藤戦の最中、確かに右脚が「重い」と感じた瞬間があった。それは父の制御が遅れたのではなく、アリエスの物理的な限界が、父の速度に追いつけなかった証拠だったのだ。
「……分かった。明日からの練習、ただ動かすんじゃなくて、アリエスの状態を全部メモして送る」
「ああ。それが『テスター』の仕事だ。……それから、もう一つ大事な話がある」
蓮太はキーボードから手を離し、椅子を回して結衣と正面から向き合った。四十歳の男の重みのある視線。そこには、親としての心配以上に、一つのプロジェクトを共に完遂しようとする「戦友」としての厳しさがあった。
「俺は、お前の『パパ』として甘やかすつもりはない。お前というパイロットを支える『リードエンジニア』として、ここに契約を交わす。……俺が『止まれ』と言ったら、どんな状況でも止まれ。機体が壊れると判断したら、試合の途中でも俺が強制的にシャットダウンする。……いいか?」
「……了解。私の命と、アリエスを預けるんだもんね」
結衣は真っ直ぐに蓮太の目を見返した。そこには、もう「適性がない」と泣いていた少女の面影はなかった。
蓮太は満足げに小さく頷くと、ふっと表情を緩めて欠伸をした。
「よし、契約成立だ。……さあ、もう寝なさい。四十歳にはこの時間のデバッグは心臓に悪い。明日は佐竹課長より怖い『お母さん』の小言が待ってるからな」
「あはは、お父さん、そればっかり。おやすみ、リードエンジニア」
結衣が自室へ消えた後、蓮太は再びノートPCを開いた。画面には、かつて自分が関わったが「オーバースペック」として凍結された、古いプロジェクトの残骸が眠っていた。
「……プラン・ゼータ。あの設計なら、このパッチを受け止められるか。……そのためには、もっと強力なハードの補強が必要になるな」
蓮太の呟きは、深夜の静寂に溶けて消えた。
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次回お楽しみに。




