第12話:挑発と宣戦
学園内に流れる噂の伝播速度は、時として最新の光回線よりも速い。
「ランキング五位の三雲嵐が、Dクラスの倉庫へ足を運んだ」というニュースは、翌朝には全校生徒の知るところとなっていた。
「……ねえ、聞いた? あの『フリーズ・レディ』が三雲様に目をかけられたって」
「ありえない。どうせ、三雲様がゴミ拾いのボランティアでもしてたんでしょ」
学食のあちこちで交わされる心ない言葉。
結衣は、いつものように一人で隅の席に座り、黙々と食事を摂っていた。
かつてのように、その言葉に傷ついて俯くことはない。今の彼女の頭の中にあるのは、昨夜のアリエスの機動データと、父・蓮太が構築した『K-Shell』の論理構造だけだった。
(……三雲さんの言葉は気になる。でも、今は目の前の調整に集中しなきゃ)
だが、その静かな決意を打ち砕くのは、いつだって「持てる者」の傲慢だった。
「――よお、九条。随分と有名人になったじゃないか」
トレイを置く鈍い音。進藤拓海が、取り巻きを引き連れて結衣の前に立ち塞がった。
その顔は、煮えくり返るような嫉妬と焦燥で歪んでいる。彼にとって、自分より下の存在が「注目を浴びる」ことは、自らのプライドに対する耐え難い侮辱だった。
「進藤君……何か用?」
「用? ああ、大ありだ。……お前が地下でコソコソやってる『お遊び』のせいで、学園の風紀が乱れてるんだよ。ゴミはゴミらしく、静かに朽ち果ててればいいものを」
進藤は結衣の耳元に顔を寄せ、低く、湿り気を帯びた声で囁いた。
「三雲様に媚びを売ったつもりか? 無駄だぜ。……お前みたいな不具合、俺が今日中に消去してやるからな」
不穏な言葉を残し、進藤は去っていった。
結衣は胸のざわつきを抑えられず、昼休みが終わるのを待たずに北倉庫へと駆け出した。
* * *
「――っ、そんな……!」
倉庫の扉を開けた瞬間、結衣は息を呑んだ。
そこには、昨夜まで彼女とトメが心血を注いで磨き上げた『アリエス』の無惨な姿があった。
装甲には「D」という文字がスプレーで殴り書きされ、何より、右脚の主要な動力パイプが刃物のようなもので無慈悲に切断されている。内部の冷却液が、床に青白い水溜りを作っていた。
「……ひどい。こんなの……」
「……ケッ、やりやがったねえ」
影からトメが、怒りに肩を震わせながら現れた。その手には、現場に落ちていたという「Aクラス専用」の工具が握られていた。
「監視カメラ《センサー》はあらかじめジャックされてた。手慣れたもんさ。……あいつら、機体を守るべきパイロットが、機体を傷つけることの重さを分かってやがらねえ」
結衣は、傷ついたアリエスの脚部に触れた。
鉄の冷たさが、まるでアリエスの悲鳴のように指先に伝わってくる。
「……直せますか、トメさん」
「……パイプの予備はない。今のうちに発注しても、届くのは来週だ。それまでこいつは一歩も動けやしないよ」
トメが悔しそうに顔を背けた、その時。
倉庫の入り口に、進藤が再び姿を現した。今度は、学園の公式審判員を伴っている。
「なんだい、九条。随分とボロボロじゃないか。……ちょうどいい、今ここで『ランキング戦』の申請を受理したぞ」
「ランキング戦……? 何言ってるの、進藤君。機体がこんな状態なのに……」
「関係ない。挑戦状を出したのは俺だ。……断れば、お前の不戦敗。Dクラスの規定に基づき、直ちに『適性なし』として退学処分が下される」
進藤は勝ち誇ったように笑い、審判員にタブレットを提示した。
「勝負は三日後。……もしお前が奇跡的に勝てたら、俺が今までの無礼を詫びてやる。だが、負けたら潔くこの学園を去れ。……どうだ、受ける勇気はあるか? まったく動けない、お人形さん」
結衣の脳裏に、満員電車で戦う父の姿が、夕食を共にする家族の笑顔が浮かんだ。
退学。それは、家族の犠牲を、自分の努力を、そして父の『論理』をすべて無にすること。
恐怖で足が竦みそうになる。
だが。
結衣の指先が、ポケットの中のスマートフォンに触れた。
そこから伝わってくる、微かな、だが力強い振動。
『Dad is Online.』
父は、繋がっている。
いつだって、自分の背中を見てくれている。
結衣はゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、進藤が一度も見たことのないような、凍てつくような決意が宿っていた。
「……わかった。その勝負、受けるわ」
「は……?」
「ただし、条件を追加させて。……私が勝ったら、アリエスを壊した犯人を突き止めて、全校生徒の前で謝罪させること。……いいわね?」
結衣の気迫に、進藤が一瞬だけ後退った。
だが、すぐに余裕を取り戻し、醜い笑みを浮かべる。
「いいだろう。……精々、最後の一三時間を大切に過ごすんだな」
* * *
同時刻、帝都システムソリューションズ。
蓮太は、自席で凍りつくような殺気を放っていた。
「……ハードウェア損壊。特定セクタの通信途絶」
スマートフォンの画面に並ぶ、アリエスの異常アラート。
そして、結衣のスマホの音声入力が拾った、進藤とのやり取り。
蓮太の指が、キーボードの上で静かに、だが深く沈み込んだ。
「……なるほど。システムの不正だけでは飽き足らず、物理的な破壊まで持ち出したか」
周囲の社員が、蓮太のあまりの冷徹な雰囲気に気圧され、誰一人として近づこうとしない。
蓮太は、あえて『K-Shell』を閉じた。
今の彼に必要なのは、補助パッチではない。
――欠損したパーツを、論理で埋めるための、禁断のアルゴリズム。
「予備のパイプがないなら、残った一本のパイプに全負荷を逃がせばいい。……流体制御の物理計算を、一ミリ秒単位で予測実行する」
それは、機体の寿命を数時間単位で削り取る、エンジニアとしての「禁じ手」だった。
だが、蓮太に迷いはなかった。
「佐竹課長。……今日の深夜対応、俺が引き受けます。……一人で、静かにやりたいのでね」
蓮太は、上司に初めて自分から残業を申し出た。
会社を拠点にし、深夜の超高速回線と高性能サーバーを私物化して、娘のための「最後の一行」を書き上げるために。
「結衣。……お父さんが、お前の足を動かしてやる」
挑発は受けた。宣戦は布告された。
落ちこぼれの少女と、疲弊したサラリーマン。
二人の「逆襲」は、ここから最速の加速を開始する。
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次回お楽しみに。




