第11話:胎動と遭遇
地下倉庫の空気は、熱を帯びていた。
アリエスの駆動部から漏れる蒸気と、焦げたオイルの匂い。結衣は、ヘルメットを脱ぎ、滝のような汗を拭った。
「お疲れさん。……信じられないね。あのボロが、あんな『キレ』を見せるなんてさ」
トメが、震える手でタバコに火をつけようとしていた。百戦錬磨の整備士である彼女の目にも、先ほどのアリエスの機動は「異常」としか映っていなかった。
「……お父さんのパッチが、私を助けてくれました。でも、まだ……機体が私の意志より、一歩先に動いている気がします」
結衣がコクピットから降りようとした、その時だった。
「――今の動き。最新の予測演算じゃねえな」
闇の奥、倉庫の入り口付近の資材の影から、低く、野性味のある声が響いた。
トメが鋭く顔を上げ、スパナを構える。結衣は反射的にアリエスの装甲の影に身を隠した。
「誰だい! 許可なくここへ入るんじゃないよ!」
ゆっくりと歩み出てきたのは、Dクラスの作業着でも、Aクラスの制服でもない、特注のパイロットスーツを着た少年だった。
逆立った髪。獲物を狙う猛禽類のような瞳。
結衣は息を呑んだ。掲示板で何度も見た顔だ。
「学園ランキング5位……三雲嵐」
「5位なんて数字はどうでもいい。……さっきの機動、面白かったぜ。マニュアル操作の『雑味』がありながら、反応速度だけがバカみたいに跳ね上がってる。……お前、何者だ?」
三雲はアリエスを見上げ、鼻を鳴らした。
彼は「野生児」の異名を持ち、最新AIの予測を直感だけで叩き潰す天才だ。だからこそ、結衣と父が作り出した「論理の怪物」の胎動を、本能的に嗅ぎつけたのだ。
「私は……ただの、Dクラスの生徒です」
「Dクラス、ねえ。あそこは『死んだ魚』の集まりだと思ってたが……。お前、いい匂いがするぜ。強者の、な」
三雲が一歩踏み出した瞬間、結衣のポケットにあるスマートフォンが、今まで聞いたこともないような甲高い警告音を上げた。
* * *
「――チッ。食いつかれたか」
帝都システムソリューションズ、自席。
九条蓮太は、周囲の社員に気づかれない程度の速さで、キーボードを叩きつけた。
画面には、真っ赤な『INTRUSION DETECTED』の文字。
学園のシステム管理部門――恐らくは委託されている大手セキュリティ会社の「追跡班」が、『K-Shell』の不自然な通信ログを検知したのだ。
「逆探知、開始から三秒。……速いな。プロの仕事だ」
蓮太の背中に、冷たい汗が流れる。
もし発信元が特定されれば、結衣の不正がバレるだけでなく、自分自身も「企業スパイ」や「不正アクセス」の罪で破滅する。
だが、蓮太の瞳は絶望に曇るどころか、研ぎ澄まされた刃のように光を増した。
「甘いな。……そのハニーポット《囮》は、三年前の俺が書いたコードだ」
蓮太は即座にプロキシ・サーバーを六段階経由させ、パケットを世界中の公開DNSへと分散させた。
さらに、社内の基幹システムの一部を、あたかも「正規の保守作業」に見せかけて、学園側からの追跡パケットをその中に閉じ込める。
「佐竹課長、申し訳ありませんが……あなたのログイン権限、一分だけ『最適化』させていただきます」
上司のIDを身代わり《デコイ》に仕立て上げ、追跡の矛先を逸らす。
それは、最前線のエンジニアだけが知る、泥臭くも華麗な隠蔽工作。
「結衣、悪い。……一度、接続を切る。あとは自力で切り抜けろ」
蓮太が『切断』キーを叩くと同時に、彼のノートPCは「無害な進捗表」へと画面を切り替えた。
* * *
「……あ」
地下倉庫。結衣のスマホの画面から、青い光が消えた。
アリエスの駆動音が止まり、静寂が戻る。
「お父さん……?」
「おいおい、どうした? 魔法が切れたか」
三雲が嘲笑うように言った。彼は結衣の足元まで近づき、彼女の目を見据える。
「……まあいい。お前が何をしてようが知ったこっちゃねえ。だがな、一つ忠告だ」
三雲は結衣の肩を、ポンと軽く叩いた。
その瞬間、結衣は心臓が止まるかと思うほどの重圧を感じた。
「近いうちに、学園のランキング戦が大規模に刷新される。……その時、俺の前に立てるくらいには、そのボロを仕上げておけよ。……期待外れだったら、その機体、俺がぶっ壊してやるからな」
三雲はそれだけ言うと、闇の中に姿を消した。
トメがようやく息を吐き、膝をつく。
「……とんでもない奴に見つかっちまったねえ。よりによって、あの三雲嵐だなんてさ」
「トメさん。……私、怖いです。でも……」
結衣は自分の手を見つめた。
父のパッチが切れた今でも、指先には先ほどのアリエスの「感触」が、熱く残っている。
「……でも、ワクワクしてるんです。私、本当は……この子で戦いたいんだって」
その言葉を待っていたかのように、ポッケの中でスマホが短く二回、震えた。
それは蓮太からの、生存報告。
『Trace Cleared. Keep going (追跡回避完了。続けろ)』。
学園の「最強」の一角との遭遇。そして、迫りくる追跡者の影。
胎動を始めた九条親子の反撃は、もはや地下倉庫の闇の中に隠し通せるものではなくなっていた。
運命のランキング戦まで、まだ時間はある。
結衣は、静かにアリエスの冷たい装甲に額を押し当てた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
本作を応援してくださる方は、ぜひブックマークや下の評価【☆☆☆☆☆】をいただけますと幸いです。
次回お楽しみに。




