第10話:開発と試行
地下倉庫の隅に設営された、直径二十メートルの円形演習スペース。
本来は機体の足回りを確認するためだけの場所だが、今、そこは異様な熱気に包まれていた。
「いいかい、お嬢ちゃん。一度しか言わないよ」
トメが、耳を保護するヘッドセットをずらして怒鳴る。
「今から流す『K-Shell v1.0』は、アリエスのリミッターを外すだけじゃない。機体の各関節にあるアクチュエータに、通常の三倍の電圧を叩き込む代物だ。……一歩間違えれば、機体はおろかお前さんの神経まで焼き切れるよ」
「わかってます、トメさん。……お願いします!」
結衣は、耐圧スーツ越しに伝わるシートの振動を全身で受け止めていた。
指先がわずかに震えている。それは恐怖ではなく、得体の知れない高揚感だった。
『Starting Anti-Filter-Logic v1.0...』
『Dad is Online.』
コンソールに浮かび上がる青い文字。
その瞬間、アリエスの全身から「キィィィィィン」という、鼓膜を突き刺すような高周波の駆動音が上がった。
「システム――オールグリーン。アリエス、テスト開始!」
結衣が操縦桿を軽く、本当にわずかに横へ倒した。
その直後、世界が横へと吹き飛んだ。
「――っ!?」
視界が歪むほどの加速。
アリエスが、まるで重力を無視したかのように、静止状態から一瞬で演習スペースの壁際まで滑走していた。
マニュアル操作につきまとうはずの「機械の重み」が、一ミリも存在しない。
結衣の思考と指先の動きが、ラグなしで直接アリエスの駆動モーターに変換されているのだ。
「速い……! こんなの、中等部のシミュレーターでも経験したことがない……!」
結衣は必死に機体を制御しようとする。
だが、速すぎる。
父が作ったパッチは、機体の応答速度を結衣の反射神経の「限界」まで引き上げてしまった。アリエスが自分の意志を超えて動いているかのような、恐ろしい感覚。
アリエスの腕が壁に触れそうになり、反射的に逆方向へペダルを踏み込む。
すると今度は、逆向きに凄まじいG《重力加速度》が結衣を襲った。
「くっ……あ、あああああッ!」
視界がチカチカと火花を散らす。
脳が機体の挙動に追いついていない。
最新の脳波制御ならAIが補正してくれるはずの「人間の未熟さ」を、この機体は剥き出しのまま突きつけてくる。
* * *
「……やはり、フィードバックが強すぎるか」
地下鉄、東西線の車内。
蓮太は吊り革に掴まったまま、スマートフォンの画面を食い入るように見つめていた。
画面には、結衣のヘルメット経由で送られてくる脳パルスと、機体の慣性センサーの値が並列で表示されている。
グラフの線が、狂ったように上下に跳ねていた。
「ソフトの最適化は完璧だ。だが、人間の肉体には『物理的な演算遅延』がある。……結衣が機体の動きを認識してから次の操作を入力するまでの、わずか〇・一秒の隙間。そこが制御の空白になっている」
蓮太は、周囲の喧騒を遮断し、脳内に三次元の物理モデルを展開した。
機体が速すぎれば、人間は振り回される。
機体を遅くすれば、最新AIには勝てない。
解決策は一つ。
「予測だ」
蓮太の指が、スマートフォンの仮想キーボードの上で残像を描く。
隣に立つ女子高生が「あのおじさんの指、動くの早すぎて怖い」と小声で言っているが、耳には入らない。
「操作入力の履歴から、結衣が次に行いたい『意図』を確率的に推論する。……それを機体の慣性制御に先読みして反映させる。いわゆる『平滑化』のアルゴリズムだ」
これは、オンラインゲームのラグ対策で使われる技術に近い。
だが、相手は本物のロボットだ。計算を一箇所でも間違えれば、機体はそのまま自壊する。
「佐竹課長からのメール……『緊急のバグ調査依頼』か。……後にしろ。今、俺はもっと重要なバグを殺している」
蓮太は会社の通知を無慈悲にスワイプして消去した。
彼は今、世界最高のエンジニアとして、娘の肉体と鉄の塊を融和させるための「架け橋」を築いていた。
* * *
一方、九条家のリビング。
颯太はソファに寝転がりながら、タブレット端末で「あるデータ」をモニタリングしていた。
「……親父のやつ、めちゃくちゃなことやってるなぁ」
颯太の画面に映っているのは、父のPCを介して盗み見ている、結衣の訓練ログだ。
彼はただの帰宅部ではない。
幼い頃から、父の背中を見てプログラミングを学び、そしてこの学園の「誰よりも高い同期率」を秘めている、隠れた怪物だ。
「このパッチ、姉ちゃんの脳波を無理やり引き上げてる。……このままだと、姉ちゃん、意識が機体に持ってかれちゃうよ」
颯太は、画面に表示された複雑な数式の一部を指でなぞった。
「……ま、親父が『予測補完』を入れるなら、しばらくは大丈夫か。でも、もしアリエスのフレームが持たなくなったら……。その時は、僕が学園のメインサーバーに『ちょっかい』出すしかないかな」
颯太は不敵に笑うと、ポテトチップスを一口齧り、再びゲームの画面に戻った。
九条家の「保険」は、今のところ静かに牙を研いでいた。
* * *
「――結衣! これ以上は危険だ! 戻りな!」
トメが緊急停止ボタンに手をかけようとした、その時。
ガクガクと震えていたアリエスの挙動が、劇的に変化した。
荒々しかった動きが、まるで水の中を泳ぐ魚のように、滑らかで、かつ鋭いものへと昇華される。
「……あ」
コクピットの中で、結衣は目を見開いた。
さっきまでの、機体に振り回される恐怖が消えた。
自分が「こう動きたい」と思った瞬間、アリエスがそれを先回りして、自分の体の一部として応えてくれる。
「お父さん……凄いや。……私、これならどこまでも行ける!」
アリエスが、演習スペースを円を描いて疾走する。
残像が残るほどの超高速旋回。
トメは、そのあまりにも「異常な」光景に、持っていたコーヒーカップを床に落とした。
「……マニュアル操作で、慣性制御をねじ伏せた? バカな……最新のオートパイロットでも、あんな軌道は描けやしないよ……」
それは、学園の歴史上で最も同期率が低い少女が、世界で最も泥臭いSEの技術によって、初めて「空」を掴んだ瞬間だった。
だが、その様子を、地下倉庫の入り口にある監視カメラの影から、見つめる瞳があった。
「……見つけたぞ。Dクラスの『バグ』を」
その声の主は、進藤ではなかった。
学園の上位ランカー、あるいは教師陣。
九条親子の「反逆」は、ついに学園の深い闇に触れようとしていた。
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次回お楽しみに。




