第9話:解析と憤怒
月曜日の朝。世界で最も憂鬱な時間が、九条蓮太を包み込んでいた。
新宿の高層ビル群、その一角にある『帝都システムソリューションズ』の第ニ会議室。そこでは、実のない不毛な定例会議が延々と続いていた。
「――というわけで、B社の次期基幹システムの要件定義ですがね。昨夜、先方の重役から追加のオーダーが入りまして」
佐竹課長が、脂ぎった顔でプロジェクターの資料を指し示す。
それは、すでに完成していた設計図を根底から覆すような、現場を無視した「鶴の一声」だった。同僚のエンジニアたちが、一様に死んだ魚のような目でため息を吐く。
(……非論理的だ)
蓮太は会議机の隅で、ノートPCのキーボードを静かに叩いていた。
画面の左側には、佐竹に提出するためのダミーの進捗表。
そして、隠された右側のターミナル画面には、聖エルモ学園の機装OSから抽出した、数百万行に及ぶソースコードの断片が流れていた。
蓮太は、昨夜からずっとある違和感を抱いていた。
結衣の同期率が0.01%という異常値。それは単なる相性の問題ではなく、システムの「根幹」に何かが仕込まれているのではないか、という疑念だ。
「……見つけた」
蓮太の指が止まった。
OSの入出力制御《I/Oマネジメント》、その最深部。
『神経適応フィルタ』と名付けられたモジュールの中に、あまりにも不自然なコードの記述を発見した。
「なんだ、これは。特定の波形パターン以外を、強制的に『例外処理』として破棄している……?」
それはバグではなかった。
明確な意図を持って、そこに記述された「仕様」だった。
最新のシンクロ・ドライブは、特定の家系や、特定の訓練を受けたエリートたちの脳波に「最適化」されている。
一方で、結衣のように複雑で高精度な――しかし最新規格からは外れた――脳波を持つ者の入力は、システム側が意図的に「雑音」と見なして遮断する。
つまり、この学園のシステムは、努力で才能を伸ばす余地を最初から切り捨て、選ばれた人間だけが評価されるように『イカサマ』が組まれていたのだ。
「……九条くん。さっきから何を聞いているんだね?」
突然、佐竹の鋭い声が飛んだ。
「課長。このB社の要件、現状のサーバー構成では遅延が許容範囲を超えます。物理的な限界を無視した設計は、いつか必ず破綻しますよ」
「あー、また君の悪い癖だ! 理屈じゃないんだよ、ビジネスは! いいから言われた通りに作り直せばいいんだ!」
佐竹が唾を飛ばして怒鳴る。
蓮太は無表情のまま、ノートPCの画面をパチンと閉じた。
(……理屈じゃない、か)
胸の奥で、静かな、だが凍りつくような怒りが燃え上がった。
会社では上司の理不尽な命令に、学園では何者かが書いた不公平なコードに、娘の未来が、そしてエンジニアとしての誇りが踏みにじられている。
同期率が低いのではない。
「低くされるように」作られているのだ。
その事実が、蓮太の中に眠っていた「職人の魂」を完全に呼び覚ました。
「失礼します。腹痛ですので、午後はリモートワークに切り替えさせていただきます」
「おい、九条! まだ会議は終わって――!」
呼び止める声を背中で聞き流し、蓮太は会議室を後にした。
* * *
午後。帰りの電車を一本見送り、蓮太は駅のホームにあるレンタル・ワークボックスに籠もっていた。
狭い個室。正面のモニターには、学園OSの全構造が展開されている。
「お前たちが『最新』を誇るために、誰かの努力をノイズと呼ぶのなら……」
蓮太の指が、キーボードを猛烈な速さで叩き始める。
そこにあるのは、丁寧な設計図ではない。
既存の秩序を内側から食い破り、真実を強引に引きずり出すための「攻性コード」だった。
「……そのゴミ箱ごと、書き換えてやる」
彼は『K-Shell』のコアを再定義した。
学園のOSが「例外」として放り出した結衣のパルスを、ネットワーク・パケットの隙間に偽装して再収集する。
そして、OSが気づくよりも速く、機体の駆動カーネルへ『最高優先度』の命令として割り込ませる。
それは、システムにおける「クーデター」だった。
「よし。……次は、機体側の受信用バッファの拡張だ」
蓮太はスマートフォンのテザリングを介し、地下倉庫のアリエスに潜ませたバックドアへアクセスする。
結衣が昨夜、汗を流して強化したあの物理回路。
蓮太が送る大量のデータを受け止めるための「器」は、すでに娘の手によって用意されていた。
「準備はいいか、結衣。お父さんが、本当の『論理』を教えてやる」
蓮太は実行ボタンを押し、通勤用の鞄を手に取った。
午後三時。
まだ仕事の真っ最中であるはずのサラリーマンが、一人、鋭い目をして満員電車へと乗り込んでいく。
* * *
一方、聖エルモ学園。
放課後の第一演習場では、Aクラスの生徒たちによる模擬戦が行われていた。
「すごい……! 進藤君のタウラス、今の回避見た?」
「シンクロ率がさらに上がったらしいよ。やっぱり、選ばれた人間は違うよね」
華やかな歓声が飛び交う中、地下の北倉庫にいる結衣に、一通の通知が届いた。
トメさんと共に、アリエスの出力テストをしようとしていた、その時だった。
『Update complete.』
『Module "K-Shell" has evolved to: "Anti-Filter-Logic v1.0"』
『Dad's Message: 「これでお前の声が、全部届く。思い切り叩き込んでこい」』
「……お父さん」
結衣はスマートフォンの画面を握りしめた。
画面の向こう側にいる父の、静かな、だが烈火のごとき怒りが、コードを通じて自分の中に流れ込んでくるのを感じた。
「どうした、お嬢ちゃん。……妙にいいツラ構えになったじゃないか」
トメさんが、愛用のスパナを肩に担いで笑った。
「トメさん、テストの予定を変更します。……限界まで、出力を上げてください」
「ほう。……アリエスが悲鳴を上げるよ?」
「いいえ。……この子も、怒ってるんです。無視されてたことに」
結衣はコクピットに飛び乗り、ハッチを閉めた。
真っ暗な空間に、青いコンソールの光が浮かび上がる。
最新のAIが、彼女を拒絶する?
同期率が、彼女を無能と呼ぶ?
そんなものは、父が作った「最強の一行」の前では、ただのゴミ屑に過ぎない。
「アリエス――ログイン!」
その瞬間。
地下倉庫の奥深くで、一台の残骸が、天を衝くような咆哮を上げた。
Dad is Online.
最適化の狼煙は、今、ここに上がった。
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次回お楽しみに。




