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第五話 ひーろー


 次の日・朝


 小鳥が鳴く朝。日差しが気持ちいい、なんて前向きな気持ちで登校できた。お母さんからのいってきますも、本来の意味で捉えられた。まるで、4月の最初の登校の日にタイムスリップしたみたい。けどちょっと残念なのは、自分の語彙力。小鳥が鳴く、なんて表現は少し残念。もっと本を読んでおけば…まだ間に合うかな。先輩、読書するかな。

 なんだったっけ、ほら。

 小鳥がさえ…さえ…さげすむ?うーん、違う気がする。


「…はは。」


 変人だ、私。こんなくだらないこと考えて、一人で笑って。

 別人だ、私。先輩との出会いが、たった一人との出会いが世界を広げた。

 世界は狭いとか、広いとか。結局どっちなのか、私には答えは出せないけど。

 今に限っては、とにかく地平線が見える。そんな気がした。


「よし、今日も頑張ろ。」


 ぴぴっ、と鳥がさえずる。


 …あ、さえずるだ。



 ・・・



 いつもの如く、校門をくぐりこのゴミみたいな学校に入って行く。でも今は違う。ゴミってほどじゃない。だって先輩がいたから。こんな場所でも、あんなに綺麗な心を持つヒーローがいるんだもん。きっと、私が見て来たのはこの学校の奥の裏。表には、もしかしたら心の綺麗な人だっている。

 あぁ、全てが明るくて、輝いて。


「おはよ、ようやく来たね。」

「…。」


 けれども私は、こっち側。

 靴箱を開こうとして、アイツらの事を思い出して。

 同時に隣に、そのアイツらがいて。

 さらに、その隣。知らない、男の人。身長が高くて、《《ネクタイが赤い》》、男子がむすっとした顔でこちらを睨んでいる。


「…何。」

「ちょっと顔貸して、虹咲ちゃん。」


 腕を強引に捕まれ、私は人気のいない所へと連れていかれる。痛かった。

 まるで私を隠すように、囲むように。いじめっ子三人組が前方左右に立って。後ろにはさっきからいる三年生の男子。じっと私が、背後を気にしているといじめっ子筆頭、リンちゃんが珍しく私に微笑みながら教えてくれた。


「あぁ、気になっちゃう?私の彼氏なの。ね、ソウヤ君!」

「朝から面倒に巻き込まれてこっちはうんざりだぜ?リン。昨日見たテレビの話、したかったのによ。」

「私が付き合うってば!」


 一年生が三年生の彼氏、か。受験生のくせに、年下にかまけてる暇はあるのかな。私は受験生じゃないから、わからない。

 視線を飛ばしていたら気づかれそうで、ふいっとすぐに視線を外した。


 ほどなくして、人のほとんど来ない、家庭科室前の廊下に連れて来られた。この学校の家庭科室は建物の角にある。わざわざ家庭科室に来る予定でもない限り、この場所に人は来ない。加えて、家庭科室に用のある先生、生徒はほぼいない。


「てか久しぶりじゃん?虹咲ちゃん。」


 ばん、と勢いよく私の腕を空中に放り投げつけながらなんでもないように話し出す。怖い。何をされるの。私。

 今までなら、まだ想像できる範疇だった。けど、自分とは違う体格、性格の人がいるだけで、読書もしないくせに嫌な想像ばかり捗る。


「何の用…。」

「いや、ほら。生意気だったから。わかるでしょ。」


 パン!っと挨拶のように、私の頬は痛みを感じる。ただ、緊張のせいか。そこまで痛く感じなかった。


「おわっ、リン。お前刺激的だな。」

「ふふっ、女も強くなきゃ。けど、ソウヤ君を連れて来た理由、わかるよね?虹咲ちゃん!」

「俺一回女殴ってみたかったんだよなぁ。」


 急に、寒さが痛覚を過敏に加速させて頬の痛みを復活させてきた。

 窓のない廊下は暗くて、逃げ道のない角は怖くて。

 今までほとんど関わったことのない人種に近づかれるのは、気持ちが悪かった。


「…あれ、思ったより可愛い顔してんじゃん。」

「っ…。」


 顎に手を当てられ、無理に視線を合わせようとしてくる。

 そんなにイケメンでもないくせに…!

 どうせ、リンが私への復讐のためだけに付き合ってるだけだ。

 お前なんて、ただの使われてる駒なだけ……!!!!

 だけど、それを口に出す、勇気はない。


 ドンッ


「かっ……ごほっ……げほっげほっ。……!!」

「あっはっはっは!良いね良い音した!」

「ふぅ、すっきりすんなぁ。」

「げほげほっ……がはっ…。」


 痛い、熱い、痛い。

 めまいがする。痛い。視界がぼやける。あれ、なんで……え……。


「もう一発!もう一発!」

「わかってるって。」


 初めて感じた、この気持ち。


 私、死……


「おいおまえら!!何してんだ!!!」

「はっ!?」


 モザイクのかかった視線の先、体育の先生が顔を真っ赤にしながら近づいてくるのが見えた。こんなところになんで…!?


「やべっ、おい逃げるぞ!」

「え、ちょっと、ソウヤ!?」

「あ、リンちゃん待って~!!」

「待つのはお前らだ!!おい、にげんな!」


 体育教師はそのまま、横たわってる私なんて人目もせずに、逃げていった四人を追いかけていった。やっぱりこの学校はゴミ。


 走る足音が聞こえなくなり、少し落ち着いて、すると今度はさっき先生が来た宝庫からたったっと誰かが走ってくる足音が聞こえた。


「あ…先輩。」


 先輩は物凄く、私より泣きそうな顔をしながら、私へと抱き着いてきた。嬉しかった。来てくれたことが。先輩の顔を見た瞬間、安心が一気に体中を巡る。

 先生を呼んできてくれたのは先輩だったんだ。


「…!!」

「だ、大丈夫です。先輩。痛いですけど、立てはします。」


 嘘だった。

 先輩から離れ、立ち上がる。立った瞬間、骨が軋むように痛い。

 ただ、おろおろとしているヒーローを見ている方が、心が軋んだ。

 早くいつものように、あの頼り強い先輩に戻って欲しい。それが今一番の、私の傷への特効薬。


「…。」

「…先輩?」


 なのに、先輩は泣きそうな顔を浮かべるだけで、いつもの元気なちゃけた声を出そうとはしない。

 よく見ると、先輩はマスクをつけていた。


「なんで何も言ってくれないんですか…?」

「…。」


 先輩は困り顔を浮かべ、思い出したように笑顔を作る。

 かさかさと、ポケットから先輩は一枚の紙を取り出して、私に渡した。

 そこにはこう書いてあった。


『私は心因性失声症です。たまに声が出ない時、日があります。』


 今までいろんな人に見せて来たのであろう、一文を。私は何度も何度も、繰り返し繰り返し、頭の中で反芻した。するたびに、私の中のヒーローが崩れていった。

 寄りかかっていた全てが、落ちていく。

 今、どんな顔を先輩に見せちゃってるのか、わからない。


「…!…♪」


 身振り手振りで。なんとか私を元気づけようとしてくれているのがわかった。


「なんで…。先輩、ねぇ。なんでなんですか。」


 手話なんて知らない。

 先輩は…ヒーローじゃない。

 だってこんなにも、弱々しい。

 急に先輩の背が低く見えた。そもそもそこまで、変わらなかったはずなのに。

 まるで、一般人で。

 私は思わず言ってしまう。


「………ヒーローなんて、いないんだ。」

「!」


 その言葉は先輩の心を、同時に私の心にも深く突き刺さる。

 どうしてこういう時だけ、思ったことを口に出してしまうんだろう。

 先輩を傷つけることになるって、わかってるのに。


 殴られたお腹より、強く掴まれた腕より。

 今はとにかく、胸が痛かった。


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