第二話 ヒーローの必殺技
突如トイレの扉をバンと勢いよく現れた人は、かなりの美人で。だがシチュエーションが残念過ぎる。いじめっ子と私は珍しく、初めてかもしれない。目を合わせ同じことを思っただろう。『この人だれ?』と。
「何だんまり決めこんじゃってるんだ君ら。あ、ちょっと待って手だけ洗ってくる。」
ちょっと待っての返事を待たず、その人は手を洗いに行った。その瞬間、見えたリボンの色でようやくその人が先輩だとわかった。うちの学校は赤色、黄色、青色の順に進級するたびに制服のリボンを変える。残念美人のリボンの色は、青色だった。
「ふぅ。危ない。淑女として手を洗わず人と話すなんて。情けないね。さて…。そっちの三人組。」
「えっ。」
いじめっ子たちが急に顔を青くした。私もこの人の視線を浴びていたら同じ表情を作ったかもしれない。青色のリボンの先輩の目が、まるで別人のように鋭く冷たく変化した。魔法のように。
「話、最初から聞いてたよ。序盤から不穏な空気ぷんぷんですぐに出てきてあげたかったけど、お花摘みの途中だったからね。」
話しながら、先輩は私を守るように前に立ち、いじめっ子たちに立ちふさがってくれた瞬間、心臓の中枢が、熱くなるのがよくわかった。だって、まさか。このゴミみたいな学校で、私の事を助けてくれる人がいるなんて思わなかったから。
「大丈夫か?君。」
「…!!」
泣きそうになって、顔を背ける。いじめっ子たちに涙を見せるのは、負けな気がしたから。
ようやく状況を飲み込めたのか、いじめっ子は外で出すような可愛い子ぶってる甘い声ではなく、明らかに敵意を向けた低い声を出した。
「先輩、ですよね。」
「あぁ。三年生だよ。」
「名前、教えてください。」
「名前?なまえかぁ。うーん、何にしようか。」
ナニニシヨウカ?
名前ってそんな選ぶほど持ち合わせてるもんだっけ…。気づけば涙も引っ込めてまたもいじめっ子と目を合わせてしまった。なんなんだこの人は。もしかして私、助けられたと思ったけどかなり面倒な人に守られてしまったのでは…。
「そうだ、ヒイロにしよう!私はヒイロ。よろしくぃ!」
「ど、どういうことですか…。え、ぎ、偽名ってことですか?」
「ヒーローっぽくない?ほんとの名前は隠して人助けって感じで。ね?」
ここで私に振るのか。
「ん?!あ、あぁ…ま、まぁ。」
「だよねぇ。」
「ふ、ふざけないでくれませんか、ヒイロ先輩。」
どうやらいじめっ子はめんどくさくなったみたいで。そのウソかホントウかわからない名前で呼ぶことにしたみたいだ。
「これは私たちと虹咲との話なんで。先輩は関係ないですよね。というかなんで三年生の階のトイレじゃなくて一年のトイレを…。」
「女の子がトイレトイレって、連発しないの。はしたないよ?」
「っ…!年上だからって良い気になってんじゃねぇよ!」
ガン、といじめっ子は壁を思い切り蹴った。その行為が、トリガーのように先輩の雰囲気はまたがらりと変わる。
「あんまり、物に当たらない方が良いよ。自分も物も、傷つくんだから。…必殺技使っちゃおうかなぁ。」
「ひ、必殺技?」
「うん。私の友達に話す。正義感強いから、どうなるかな。」
横目でも、ぞっとするほど冷酷な瞳。その奥に広がる深淵からは、本能的逃走以外の選択肢を選ぶ余地はなかった。
この学校にはまともな教師がいない。私が『先生に言うよ』なんて小学生ムーブをかましたってこの子らは一切ひるまない。
だからこそ、先輩の一言はいじめっ子らによく効いた。
いじめっ子の一人が、この圧に負ける。
「り、リンちゃん、落ち着こ。ヤバいよ流石に。」
「…クソッ。虹咲、覚えとけよ。」
リンちゃんは顔を真っ赤にしたままトイレから出ていった。名前、初めて聞いた気がする。リンちゃん、か。随分と主人公みたいな名前をしてたんだ。
「よし!大丈夫だった?えーと…ニジサキちゃん、だっけ。」
「おわ。」
「え、何。」
びっくりした。さっきまでの人間とは思えない。本当に別の人なんじゃないかと錯覚する。先輩の朗らかな笑顔は、私の気持ちをジェットコースター並みに揺れ動かしてくる。心臓の音がうるさい。
「い、いや。なんでも。」
「そう?ニジサキちゃん怪我無い?」
「今は、ないです。…ありがとうございました。」
「なら良かった。いやぁにしても怖かった!」
「こ、怖かった?アイツらがですか?」
どちらかと言えば先輩の方が、言おうとしてやめた。怒られそう。
「そうだよ。よくもまぁ同じ人類にあんな事言えるね…。私震えちゃった。必殺技も嘘だし。」
「うそなんですか!?」
なら…ダメだ。頼っちゃ、ダメだ。
「うん、嘘。でも大丈夫!今度またあいつらに絡まれたら…
「い、いえ、その。もう、はい。大丈夫です。助けてもらってありがとうございます。…けど、もう関わらなくて結構です。先輩も、危なくなっちゃいます…から。それじゃあ。」
危なかった、もう少しで本当に泣くところだった。
別に、この半年間一度も泣かなかったわけではない。むしろ週一で私は涙を流してしまっていた。家に帰ってお母さんの顔を見ると、どれだけ堪えても涙が流れてしまう。親の優しさが自分の情けなさをむき出しにしてくるから。
始めて、家以外で誰かの優しさに触れてしまった。今泣けば、まさに号泣になってしまう。
それだけは、嫌だ。きっと後悔する。
決意はとっくに決まっていた。だけど体は前に動かなかった。
先輩に、肩を掴まれていたから。
「……本当に?」
「え?」
「本当に、もう構わなくていいのかい?」
「だ、だって先輩も…巻き込まれちゃ…
次の瞬間、私の肩を掴む手は、ぐるんと体を一回転させ、優しく、私を包み込む。
「君がそんな目をしているのに。本当に、もう。私は構わなくていいのかい?」
不思議な、まるで先輩が先輩自身に問いかけているかのようなその質問に。
返事は、しなかった。
「うっ…うぅ…うわぁああ…っ。」
涙が、十分に答えだったから。




