第四十四話『ねね vs お濃──恋と警戒心の仁義なき戦い』
昼下がりの清洲城中庭──
春の陽気に包まれ、空は澄み渡り、風はどこまでも穏やかだった。
だが。
その和やかな風景の一角に、明らかに異質な“気”が漂っていた。
「お待たせいたしました、ねね様。お呼びいただいたと伺いまして」
「うん。ちょっと話したいことがあってな」
対峙するふたりの女。
ひとりは、京から来た妖艶なる女中──お濃。
もうひとりは、日吉丸の幼なじみにして、最も近しい“身内代表”──ねね。
ふたりの間には、緋毛氈を敷いた小卓。
茶器が丁寧に並び、抹茶がすでに点てられていた。
だが、その雰囲気は決して“茶の湯”ではない。
──これは、宣戦布告の場。
「お濃さん。あんた、最近ずいぶん日吉丸に懐いとるな」
「ええ。城で迷ったとき、親切にしていただきましたので」
「へえ? うちらは小さい頃から迷い道ばっか一緒に歩いとったけどな」
「それは微笑ましいですね」
──笑顔。
だが、互いの視線は微笑みの奥で火花を散らしていた。
「うちの“日吉丸”、あんたみたいなキレイな姉さんには、ちょっと緊張してまう子やで」
「まぁ、男の方は“少し背伸びした相手”に惹かれるものですし」
──ズキュン。
ねねの眉がぴくりと動く。
「背伸びいうてもな。信頼や安心いうのは、積み重ねやで」
「積み重ねても、届かない“高さ”があることもございます」
──ズキュゥゥゥン。
卓上の湯呑がわずかに震える。
女中たちは気配を察して空気のごとく消え、利家は遠巻きに見て「これはアカン」と背を向けた。
「言うとくけどな」
ねねは、茶碗を手に取り、冷静に口を開いた。
「うちは“あいつを守る”って、昔から決めとる。
あいつが出世しようが、モテようが、心配やろが、うちはずっと近くにおる」
お濃もまた、笑みを崩さず湯呑を取る。
「ならば私は、その隙間に入り込みます。
守る者が手を緩めた隙に、優しく包み込むのも“女”の手立てですから」
──ギリギリギリギリッ!!(※湯呑の取っ手のない抹茶茶碗がきしんだ)
「よー言うたな……」
ねねの笑顔の奥で、完全に戦モードのスイッチが入る。
「じゃあ一度、どっちが“日吉丸を一番よぉ知っとるか”、勝負でもしてみよか?」
「ええ。お受けしますわ、その勝負」
「今さら手加減とか言わんといてな。うちは本気や」
「私も全力で参ります」
──かくして、恋と警戒心と誇りを懸けた“女の腹芸勝負”が幕を開けた。
後日、女中たちの間でささやかれることになる。
「あのとき中庭でな、ねね様とお濃様が“お茶会”しとったんやけど……」
「いや、あれは“笑顔で殺す気まんまん”やったで」
「ちゃぶ台が刀の代わりで、茶碗が手榴弾やったら全員吹っ飛んどったわ」
春の風はまだ柔らかかったが、女たちの火花は、桜の花びらを焼くほどに熱かった。




