第十話『わし、モテるで!……たぶん』
草履事件から二日後。
信長から「面白い田舎者」として目をつけられた日吉丸は、侍女や小姓たちの間でもじわじわと話題になり始めていた。
「なんかさ、あの草履の子……ちょっと元気で可愛くない?」
「うち、昨日声かけられたわ。『おはようさんです!』って」
「素直すぎて、逆に腹立たんのよねぇ……」
女中部屋の片隅では、そんな噂話が飛び交っていた。
一方、当の本人である日吉丸は、そんな話にまったく気づかず、いつも通り小走りで雑務をこなしていた。
「へいっ、米俵は裏の蔵へ! 薪は水場の横! 草履は忘れず、胸ポケットぉっ!」
城中をせわしなく動き回る姿は、どこか子犬のようで、見ている方は思わず笑ってしまうほどだった。
その日の昼下がり。
「ほい、お茶やで! こぼさんようにな!」
同じく小者見習いの女中・お凛が、お盆に乗せた茶器を運んでいた。
彼女は城勤めの娘の中では小柄で、よく緊張して動きがぎこちなくなる子だった。
「だ、大丈夫……こぼさないように……っと……きゃっ!!」
突然の段差に足を取られ、盆が傾いた。
「あっぶな──!」
反射的に日吉丸が身を投げ出す。
ざばっ!
熱い茶が日吉丸の着物に降り注いだ。
「うおおっ!? 熱っつ!! ……けど、まあ、誰にもかからんかったで、セーフや!」
「ひ、日吉丸さま!? ご、ごめんなさいっ!!」
顔を真っ赤にして震えるお凛。
「ええってええって、着替えればすむ話やがね」
その場に居合わせた侍女の一人が、笑いながら言った。
「ちょうど替えのが女子用しかないけど、それでよければ」
「女子用ぉっ!? ……いや、しゃーない! 着るで!」
というわけで。
数刻後。
「──な、なんでわし、裾こんなヒラヒラしとるんや……!」
袖の広い、白と薄桃のあわせ着。
腰紐が妙に締まってて、胸元もゆるい。
それを着て現れた日吉丸の姿を見て、女中たちがどっと笑った。
「うそ、かわいい……!」
「ちょっと、普通に似合っとる……!」
「男子やのに、なんかええ匂いしそうってなるの、ズルくない!?」
日吉丸は顔を真っ赤にして、袖で顔を隠した。
「うわぁぁぁ! 笑うなやぁぁぁっ!!」
そのとき、後ろから声が飛んできた。
「おまえ……城でモテる気ぃあるんか?」
振り向くと、そこには信長がいた。
「の、のぶ……信長さま! ちがっ……これには深ぁ〜い事情が……」
「ふっ、まあいい。女子の衣でも似合えば、それも才覚のうちだ」
くるりと背を向けて去っていくその背中を見つめながら、日吉丸は思わず天を仰いだ。
「わし、これから……なんか、どえらいことになりそうやて……」
その予感は、正しかった。
この日を境に、清洲城の“ハーレム物語”は、静かに幕を開けていたのだった。




