二十過ぎずとも只の人
私、アイリス・メルヴェイユは剣を愛している。
きっかけは剣の名手だった父に憧れたことだ。両親に頼み込んで剣を始める許可をもらった。貴族社会の中では女なのに剣なんて、と言われることもあった。それでもただ好きだった。剣を振っているときは無心になれた。純粋に楽しかった。
大好きな剣をひたすら振るう。女だからと馬鹿にしていた目は次第に変わっていった。同世代の男の子たちにも余裕で勝った私は神童と言われるようになった。女である私が剣を握ることを応援してくれる人もいた。
剣を振るうのが楽しかった。認められるのが嬉しかった。そんな日々が続くことを疑わなかった。
それなのにだんだん思うように剣を振るえなくなっていった。
私は女だ。それを変えることはできない。
変化は13歳くらいから訪れた。少しずつ。着実に。私の意思なんて関係なく身体は成長していく。女の身体へと。
身長は気がつけば伸びなくなっていった。胸が邪魔になってきた。筋肉がつきにくくなった。月のもののせいで身体が重い日もあった。
昔は負けなしだったのに、勝てなくなった。
気がつけば私を神童だという人はいなくなった。誰かが言った。
「まだ20歳にもなっていないのに、只の人だな」
十で神童十五で才子二十過ぎれば只の人。そんなことわざになぞらえた皮肉。
悔しい。悔しい。見返してやりたい。
毎日鍛錬を欠かさなかった。それでも勝てない。褒められない。馬鹿にされる。
楽しかったはずなのに。大好きだったはずなのに。なんでこんなに苦しいんだろう。なんでこんなに辛いんだろう。
それでも手放せなかった。
今日も鍛錬を重ねる。汗を拭うために剣を振る手を止めた。
「お前、いつまで同じことやってんだ?」
急に声をかけられて顔をあげる。1人の青年がこちらを見ていた。
その男は私の幼なじみである。彼の名はシュテルン・グレンツェント。彼も昔は剣を握っていたが、すぐに止めてしまった。それよりも勉強の方が性に合ったようで、学校の筆記試験では上位にいる。
私のことを昔から知っているこの男の言葉に苛立ちを覚える。私が剣を持つことを否定するのか。
「貴方には関係がないでしょう? 私がいつまで剣を手放さなくても関係はないじゃない」
私の言葉にシュテルンはぽかんと口を開いたあとに首を振る。
「違う。そうじゃない。お前は、自分の特性を活かしてやればいいじゃないか。なんでやり方を変えようとしないんだ?」
「え?」
「俺は剣についてはさっぱりだけど、お前の身体の軽さや柔軟性を活かしてなんかやりようあるんじゃないか? 男と同じやり方を続けるんじゃなく、お前のやり方を探せよ」
その言葉に私は目を見開いた。私はずっと剣を振り続けていれば、上手くなっていくものだと考えていた。昔はそうだったから。工夫だなんて、考えてもみなかった。
「……ありがとう、シュテルン」
「お前が礼を言うなんて珍しいな」
「またやってるよ、もう神童でもないのに」
クスクスと笑いながら、通り過ぎていく人達の言葉が突き刺さる。彼らは元々私のことを神童と褒めてくれていた人達だ。私が神童呼ばれていた頃は仲が良かったが、今では馬鹿にしてくる。
奥歯をかみしめた。悔しい。見返したい。その気持ちは私の心に隠れており、少しのきっかけで浮上する。
シュテルンも聞こえていたのだろう。嘲笑ってきた彼らの方をちらりと見てから私の方に視線を戻した。
「ずっと思っていたんだけど、お前を最初に神童と言い出したやつ、見る目ないな?」
「え……」
「神童って才能あるが故に強い人間のことだろう? お前はこんなに努力している。努力している人間が強いのは当然じゃないか」
才能ではなく、努力。
確かに、私のことを神童と言った人は私の試合結果だけを見ている人が多い。私自身の鍛錬や剣への向き合い方を見ていた人は神童と言わなかった。シュテルンのように。彼は懐かしそうに私の持つ剣を眺めながら言った。
「俺が剣の道を諦めたのは、お前がいたからだ。でもそれはお前に負けたからじゃない。ずっと剣を手放さず、一日中鍛錬しているお前に、絶対こいつほどの熱量にはなれないと悟った。だからやめた」
知らなかった。シュテルンがそんなこと思っていたなんて。呆然とシュテルンを見つめていると、彼は笑った。
「アイリス。お前は神童ではなく、只の人かもしれない。それでもお前の努力する姿勢は尊敬しているよ」
ああ、そうか。私は神童でも天才でもある必要はなかった。只の人でいいのだ。
気がつけば悔しいとか見返したいとかそんな気持ちはどこかへ行った。
自分に才能があるとかないとかどうでもいい。残ったのは剣を愛する気持ちと剣を握り続けたいという意思だけだった。
二十過ぎずとも只の人。只の人で上等だ。私は今日も剣を振るい続ける。