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婚約破棄されて貧乏酪農男爵と結婚させられましたが、今ではこんなに幸せです。



婚約者の浮気現場を見てしまった。


それはアザレアが、仲の良い友人のアマリリスと観劇に行く予定の休日だった。


懇意にしているデザイナーに特別に仕立ててもらったドレスでお洒落をして、長年世話になっている理髪師に長い髪を艶やかにまとめて貰って、自らの屋敷を出発した。

それからアザレアは王都最大の劇場前で同じくお洒落をしたアマリリスと合流して、支配人にエスコートされながら特別席まで向かっていた。

今回の演目は人気過ぎて中々予約が取れないものだったが、主演の女優と実は幼馴染というアザレアは、彼女の招待で席を用意してもらっていたのだ。


しかしアザレアは途中で、女優へと準備していた筈の贈り物を忘れてきてしまったことに気が付いた。

忘れた場所はきっと、王室外交官補佐として働く自分の職場である王宮に違いない。


「忘れ物?アザレアはいつもしっかりしてるのに、珍しいわね。でも取りに行かなくても、劇場前に花屋があるでしょう?そこで花束を買って渡せばいいじゃない?」

「それは私も考えたのだけど、折角の千秋楽で最高の席を用意してくれたのだから、やっぱり選んでおいたものを贈りたいわ。きっと外交部の部屋にあるだろうから取って来るわね。今から急げばきっと上演までには戻れるから」

「分かったわ。気を付けて行ってきてね。私は席で待ってるわね」


王家の分家筋にあたる公爵令嬢であるアマリリスは、アザレアの意を汲んで頷いてくれた。


こうしてアザレアは職場まで急いで馬車を走らせ、無事に贈り物を見つけた。

このままのペースで帰れば、開演には十分間に合う。


しかし、劇場に戻るための馬車を目指してアザレアが王宮の長い廊下を小走りに移動していると、近くの資料室から不審な音が聞こえているのに気が付いた。


(今日は休日よね?この政務棟で休日に働いている者ほとんどいない筈なのに、なにかしら)


不審に思ったアザレアは、音を立てずに薄く開いた扉の隙間から資料室の中を覗いてみた。

そしてアザレアは驚いた。


なんと自分の婚約者である第二王子が、ピンクの髪の女性と大胆に絡まっているのを発見してしまったのだった。


(……ダレス?それと、見覚えのないピンクの髪の女性。これは、この状況はもしかして……)


驚いて固まってしまったアザレアだったが、直ぐに気を取り直すと、資料室の扉を押し開けて中に入った。


「御機嫌ようダレス。ここで何をしているのかしら?」


その声に気が付いた、アザレアの婚約者のダレスとピンクの髪の女性が顔を上げる。

そしてアザレアの姿を見て、2人とも驚愕の表情になった。


「ア、アザレア!何故ここに?!」

「聞きたいのはこちらの方です。ダレス、そちらの女性とのご関係は?」

「……っ、アザレア、お前はいつも自分が偉いような態度をとるが、まず私の質問に答えろ。お前は何故ここに?」

「あら……話をすり替えようとしていますね?でも流石にこの状況、私が何故ここにいるかより、貴方とその女性との関係の方が大切なのでは?」

「っ、だがお前は今日アマリリスと観劇に行くと言った。それから予約の取れないレストランに席を用意してもらえたから夕食も食べて来るとも!今日お前がここにいるのも何か後ろめたい理由があるんじゃないのか?!」


ダレスは、ほとんど裸のピンクの髪の女性を守るように抱きながら、無我夢中な様子で叫んだ。

ピンクの髪の女性は、これ見よがしにダレスに引っ付いている。

ダレスは明言を避けようと必死なようだが、こんな風では二人の関係性など一目瞭然だ。


「後ろめたい理由?そんなものありません。浮気をしている貴方と一緒にしないでください」


まるでアザレアが思い合う恋人の仲を裂こうとする悪役であるかのように振る舞う二人を見て、アザレアは目を細めた。


「では、私はアマリリスを待たせているのでこれから観劇に行きます。レストランにも行ってきます。折角オーナーにご招待いただいたのですし、私も楽しみにしていましたから。でも、貴方の行為は陛下にも相談させてもらいますね。きっと貴方もただでは済まないでしょうし、そちらの女性も」

「っ、それだけはだめだ。止めろ!」

「こんな場所で大胆に浮気していた割にそんなに青ざめて、貴方は肝が据わっているのかいないのか分からない方ですね」


アザレアは冷たい目でダレスを見下ろしてから、綺麗にラッピングした女優への贈り物をしっかりと抱え直してダレスにくるりと背を向けた。


国王に報告すれば、ダレスはきっと今の宰相補佐という地位から降格される。

アザレアも彼とは正当に婚約破棄出来るだろうし、被害者なのだから社交界での評判も最悪のものにはならない筈。


(むしろ、せいせいした気分だわ)


アザレアがダレスと婚約をしていたのは、優秀が故に選ばれたアザレアが王子であるダレスをサポートするという理由の為だけだった。

命令されたから婚約していたというだけなのでそこには愛は無かったし、浮気をされた今となっては情も無くなってしまった。

あんな生々しいシーンを見せられたのに、心は凪いだ海のようだ。

きっと少しでも愛していれば悲しくなったり怒ったりしただろうけど、そんな気も起らなかった。


アザレアはコツコツとヒールを鳴らし、眉にしわを寄せるダレスとそれにしがみ付くピンクの髪の女性を置き去りにして、アマリリスの待つ劇場へと向かった。

玄関の扉を閉める時、ダレスが「心配するな、大丈夫だ。私に奥の手がある」とピンクの髪の女性に囁いているのが聞こえたが、アザレアは振り返ることなく待っていた馬車に乗り込んだ。



この時のアザレアは自分は婚約破棄して傷物にはなってしまうが、ダレスと別れる正当な理由が見つかってむしろ良かったと思っていた。

アザレアの生家は王族には及ばないが立派な爵位を持つ家だし、一生独り身だったとしても何一つ困らない。

むしろプライドが高くて馬の合わないダレスから解放された事でもっと自分の時間を確保できて、もっとやりたいことが出来るようになるだろう。

興味がある商売をしてみてもいいし、この大陸の各地を旅行してみても素敵だ。

それから気の置けない友人たちと美味しいものを食べたり、観劇したり、異国の菓子を取り寄せて孤児院で茶会を開くことだって、ダレスに小言を言われることなく、いつでも好きな時に出来るようになるに違いない。


(こんなの、浮気してくれたダレスに感謝をしてもいいくらい。ということで来週にでも陛下に申し出て、婚約破棄の話を進めていきましょう)


この時のアザレアは、つい鼻歌を歌ってしまったくらいにはご機嫌だった。



しかし。

翌日のアザレアは、勝ち誇った表情のダレスに詰め寄られていた。


「お前との婚約は破棄だ!!」

「……はい?何故貴方がそんなに偉そうなんです?本来なら私が貴女に婚約破棄を突きつける立場であって」

「フン、馬鹿め。これを見ろ」


ダレスはアザレアが仕事をしている執務室で、手に持っていた何枚もの書類をバッと床にバラまいた。

その場に居合わせたアザレアの同僚の外交官たちは顔を見合わせ、何事かとざわざわとし出す。


(みんなが仕事をしているところに突然入ってきて大声で喚き散らして、このお馬鹿さんにはマナーの心得が無いのかしら)


アザレアは溜息をつきながら屈んで、床に撒かれた書類の一枚を摘まみ上げた。

最初は、どうせまたダレスが勢いに任せて叫んでいるのだろうと思った。

ダレスは士官学校をほぼ首席で卒業する程頭はいいが、沸点が低くて波のある性格に難がある。


今回もダレスが何らかの理由でアザレアに腹を立て、怒鳴っているのかと思った。

しかし、書類に書かれた内容を見たアザレアは固まった。


「見たか?それが証拠だ。お前の父親である侯爵は国の金を横領していた!!大罪人だ!なのに罪人の娘であるお前が、この私と結婚できるとでも?婚約は無しだ!恥を知れ!」


ダレスは更に着服の証拠となる書類の写しを取り出して来て、アザレアに投げつけた。

角の鋭い紙が幾つかアザレアに刺さるようにしてから、床に落ちる。


「ここに大量にある!動かぬ証拠だ!」

「きっと、何かの間違いだわ」

「馬鹿め!間違いかどうかは数字を見てから言うんだな!」

「でも、父はとても厳しい人で、そして誰より王家に忠誠を誓って来た。私が確かめます。父に会わせて頂戴」

「会ったところで何になる。まあ、今頃侯爵は捕まって連行されている頃だろうから、お前が会うことは不可能だろうがな」

「親族として、面会の権利くらいはある筈だわ!」


アザレアは怯まず言い張ったが、アザレアが今回の件に関わっていないと証明できないことを理由に聞き入れてはもらえなかった。


「まあ残念ながらお前が関わったという記録は出て来なかったが、記録には残らないところで侯爵の犯罪の片棒を担いでいたことも十分に考えられる。まあ、仮に完全に無関係だったとしても、お前にも罪を犯した一族の一員としての罰則は受けてもらうことには変わりない。楽しみにしておけ」

「……っ」


何かの間違いだ。

そうは思うものの、今この場では父親の無実を証明する手立てを思いつけず、アザレアは立ち尽くすことしかできなかった。


「ははは、良い顔だな、アザレア。お前は私を敬うことをしないばかりか毎回のように偉そうで可愛げの欠片もない、本当に苛々する女だったが、その顔だけは悪くないかもな」


美しくて聡明で、華やかな人脈もあるアザレアにどこか劣等感を持っていたダレスは、アザレアが唇を噛んだ姿を見て、はははと高い声で笑った。

耳にいつまでも木霊するような、嫌な笑い声だった。





アザレアはその夜、使用人たちが寝静まって静かになった屋敷で、ダレスがぶちまけた書類の写しを一つづつ確認してその数字が意味するところを何度も確認して、迷子になったような感覚に陥っていた。


(……お父様が、こんなことをするはずがないのに。ないのに……)


アザレアの父親は、早くに亡くなった優しい母親とは真逆で、とても厳しい人だ。

アザレアが王家に仕える事が出来るように英才教育を施し、王子を配偶者として支えられるように修行をさせたのも父親だ。

彼は妻や娘よりも王家と法律が大切だと言い切ったこともある。

アザレアの世話は主に乳母に任せっきりで彼は父親としては決して優秀では無かったが、王家にとってはこれ以上ない程忠実な人材だったはずだ。

ただ、あまりに規則法律と融通が利かないので一部で疎まれていたという話もあるが、それにしたってアザレアの父親が金を横領していたなんて、信じられない。信じたくない。

何かがおかしい。

ダレスの浮気を見てしまってからこのタイミングで発覚した事にも、何らかの因果がある気もする。

でもその違和感を証明する手立てが見つからない。


(話を聞こうにも、お父様は帰ってこない。きっと罪人として拘束されているから、屋敷に帰ってくることが出来ないのね)


いつもは気が強くて動じたりすることの無いアザレアだが、今回は流石に途方に暮れるしかなかった。

疲労困憊で、その日のアザレアは気が付いたら机に伏したままの姿勢で眠っていた。



そして程なくして父親の罪に判決が言い渡され、アザレアの家は罰として侯爵位を取られて降格し、土地を取られ、資産を取られた。

父親は牢に入れられ、アザレアも外交官補佐という名誉ある仕事を辞めざるを得なかった。

勿論、ダレスの浮気云々の話はうやむやになって終わってしまった。

大勢いた使用人たちは全員解雇せざるをえず、仕事が無くなったアザレアは何処へもいけないまま、住んでいた屋敷の中の物が差し押さえられていくのを見ているしかなかった。


有名な職人が作った高級な家財が屋敷から一つまた一つと運び出されて姿を消していく様は、栄華からどんどんと落ちていくアザレアの立場のようだった。



アザレアはその作り物のように美しい顔とスラリと長い手足をもって社交界の花と謳われ、その社交的な性格や頭の良さも相まって多くの人望を集めていた。

そんなアザレアの影響力は結構なもので、アザレアが着たドレスは毎回注文が殺到し、アザレアが訪れたレストランは予約が取れなくなる。それからアザレアが街の孤児院に訪れるようになってから、孤児院への寄付も増えた程だ。


アザレアは確かに、多くの人が憧れるような生活を送ってきた。

だがそれもこれも、アザレアが由緒正しい良家の出身で、裕福な貴族だったからだ。

勿論アザレアは自分の影響力を理解していて品行方正に努めたし、美しくなる努力も勉学に励む努力も、社会をよくする為の努力も怠らなかった。

だけどそんなもの、本当は価値が無いのかもしれない。

父親が国の金を横領した罪に問われて地位と金を失くした今となっては、いくらアザレアが優秀で美しかったとしても、人はもう見向きもしない。

そして見向きもしないばかりか、人はアザレアをどんどん忘れていって、最後には嫌味な噂さえされなくなるのだろう。


地位と金を失くしてしまったアザレアは、もう何者でもなくなってしまったのだ。


アザレアは唇を噛み、ぎゅっと両方のこぶしを握り締めた。




そんな中、多くの貴族の憧れの的だった筈のアザレアが一気に落ちぶれた様子を見に来たのか、ダレスが再びアザレアの前に姿を現した。


「今までからは想像もつかない程に服も貧相で、絶望したいい顔だな、アザレア。お前は自分が人気者だと思っていたのかもしれないが、たった一つのきっかけでこの様だ」


がらんとしてしまった屋敷の前でぽつんと立っていたアザレアは、声のした方にゆっくりと振り向いた。


「……ダレスですか。なんの用です?」

「いい報せがある」

「貴方にとっての良い報せは私にとって悪い報せなのでしょうね」


せめて弱った顔は見せまいとアザレアが余裕をもって微笑んで見せると、ダレスは少し残念そうな顔になったが、そのまま話し出した。


「お前はダーウィット男爵家という貧乏酪農家を知っているか?」

「……北の辺境にある家ですね」

「そうだ。汚い作業着を着て、朝から晩まで畜生の世話をしている家だ。貴族の癖に、城下の町人より数倍貧しい暮らしをしている」

「それが、どうかしたのです?」


ダーウィット男爵家と言えば、北部の貧しい土地を与えられて辛うじて貴族を名乗ってはいるものの借金だらけで、社交界はおろか王都にも来たことがないのではないかというような超貧乏貴族だ。

何故今その貧乏貴族の名前が出てくるのか分からず、アザレアは首を傾げた。

アザレアのその様子を見ていたダレスは後ろに控えていた従者が持っていた封筒を受け取り、それをアザレアに投げ捨てるように手渡した。


「北の辺境行きに手配した馬車の切符だ」

「……北の辺境行き?」

「ああ。簡潔に言うと、私はお前に王都でうろうろされたくない。二度とお前の顔を見たくない。だから私はお前をダーウィット男爵家の長男と結婚させることにした」

「はい?」


これには流石のアザレアも驚きを隠せず、ダレスの顔を二度見してしまった。


「そいつは私がまだ士官学校の生徒だった頃も、貧乏で有名だった男でな。お前も士官学校に良く訪れていたから姿くらいは見たことあるか?いや、あんな男、覚えている筈もないか。まあそんな奴だから順当な嫁の候補さえいない。まあ、あんなのと結婚なんてすれば、痩せた冷たい土地で臭くて貧乏な生活を一生強いられる事になるのだから、女が寄り付かなくて当然だ」

「待ってください。話が良く分かりません」

「だから、お前はそいつと結婚して、死ぬまで土と糞に塗れて労働をしろ」


「ちょっと待ってください!そんな話、到底受け入れられません!!」


ダレスが言う突拍子もない命令をようやく理解したアザレアは、猛烈な勢いで反論をした。


北の辺境に送られるなど、冗談ではない。

あそこは驚くほどの田舎だというし、きっと王都生まれ王都育ちのアザレアにとって環境が違いすぎる。

そしてそんなところに住む辺境男爵に嫁ぐと言うのは、もう王都へは戻ってこられないということだ。


「そんなの、実質追放ではないですか!」

「ああそうだ、言うなれば追放だ。私はお前を王都から排除したいと言っただろう?」

「何の権利があって!」

「罪人を輩出したのだから家として責任を取るのが貴族だろう」

「だからって北の辺境などに……」

「いいか、お前がダーウィット男爵家の長男と結婚するのは決定事項だ!お前は辺境から一生出られない!何度も言わせるな!」


アザレアがいくら訴えても、ダレスはもう決まったことだとアザレアを突っぱねるだけだった。


「お前も知っての通り、貴族に結婚の自由なんて元々ないだろう?!あの貧乏人にはお前のような罪人の娘がお似合いなんだから丁度いいじゃないか!これ以上拒むのであれば、お前も父親と同じく牢獄送りだ」



こうして必死の抵抗もむなしく、アザレアは北の辺境に送られることなってしまったのだった。




アザレアが北の辺境へ送られる前日、話を聞きつけた友人のアマリリスが人目を忍んでこっそりアザレアに会いに来てくれた。

公爵令嬢の彼女が護衛の目を盗んで罪人の娘のところまで来たのだから、バレてしまっては一大事なのですぐにでも追い返すべきだが、今回ばかりはアザレアは素直に感謝した。


「アザレア、大変なことになってしまったのに、私は公に貴女の味方になってあげられなかった。本当にごめんなさい」


大きなシャンデリアも撤去されてしまって、たった一つ残った燭台が照らす暗い部屋の中、アマリリスはアザレアの手を握りながら涙を流してくれた。


「この一件で貴女は罪人の娘だって言われることになってしまったかもしれないけれど、それでも私のように貴女と友達でいたいと思っている人は大勢いる事を忘れないで」

「そうかしら……。罪人の娘と友達でいたいだなんて、思っているのは奇特な貴女くらいかもね」

「違うわよ。私が知ってるだけでも、両手で収まらないくらい貴女には味方がいるわ。リリーもマーガレットもアネモネも、貴女の幼馴染もレストランのオーナーも、デザイナーも理髪師も、皆貴女は犯罪には関わっていないし、貴女と友達でいたいと思ってるわ」

「そう……なら有難いわね、本当に。皆にお別れを言えないのが寂しいわ」

「皆手紙を書くって言ってたわよ。私も偽名で送ることになるかもしれないけど、お手紙を書くわね」

「ありがとう、アマリリス。私も返事を書くわ」

「必ずよ。ねえアザレア、私たちまた会えるわよね。また一緒にお話したりできるわよね」

「そうね……」


頷いたアザレアが手をぎゅっと握りなおすと、アマリリスが嬉しそうに頷いた。


アマリリスにはにっこりと微笑んで余裕に見せているが、実際のアザレアの心は悲しみと諦めの気持ちで満たされていた。


(ごめんね、アマリリス。北の辺境に行ってしまえば、私はもうきっとここには戻ってこられない。北の辺境は遠いし、なにより私が侯爵令嬢のアザレアではなくて、名も無き貧乏男爵家の嫁になってしまうから)


確かに友人たちがまだアザレアの味方でいてくれることは素直に嬉しいが、友人たちはアザレアとはもう住む世界が違うのだ。

アマリリスもきっとそのうち、田舎で貧乏な暮らしをしている落ちぶれた友人のことなど忘れてしまうのだろう。

それは、仕方のないことだ。

アマリリスが悪いわけじゃない。



色々なことを話して終始名残惜しそうにしていたが、もうそろそろ帰らないとと言うアマリリスを、アザレアは玄関まで見送った。


「道中、気を付けて。今までありがとう、アマリリス」


せめてアマリリスという良き友人の最後の記憶には綺麗なアザレアが残りますように、と願いを込めてアザレアは最高に美しい顔で微笑んだ。




次の日、アザレアはほとんど荷物がない状態で引っ張り出されるようにして屋敷を出た。

そして長い事ボロボロの馬車に揺られ、日が真っ暗に暮れてから目的の北の辺境に到着した。


(ここが、北の辺境。私がこれから住む場所……。こんな場所なのね……)


北の辺境は王都とはまるで比べ物にならない程の田舎で、鬱蒼とした森に囲まれた小さな村だった。

それはまるで時間の流れから隔離されてしまったかのような、寂しい場所に見えた。


夜になってしまったから益々人気が無いのかもしれないが、王都にあった店の明りや賑やかな酒場なんてものはたったの一つも見つからないばかりか、民家の明りも薄ぼんやりとしていて活気がない。

更に遠くの方で群狼を連想させるような鳴き声も聞こえて、アザレアはごくりとつばを飲んだ。


辺境に到着したはいいもののそこから先にどこへ行くべきか分からないアザレアは、馬車から降りたままの地点で立ち竦んでしまっていた。


「お待たせしてしまいすみません」


妙にかしこまった低い声と共に、背後でザリッと土を踏む音がした。


「アザレア様」


名前を呼ばれて驚いたアザレアが振り向くと、そこには何年も前に型落ちしたような衣裳を身に着けた男性が立っていた。

顔は整っているものの、よく日焼けした肌の印象とその少し格式ばった衣裳がまるで似合っていない。

それに彼が使う敬語には妙なアクセントがあって、アザレアは最初、男性が貴族の真似事をしている村人なのかと思って身構えてしまった。

しかしそれにしては、アザレアの姿を見て間違いもせずに名前を呼んだところに違和感がある。


「申し遅れました。俺……いや私はダーウィット男爵家のテオと申します。お迎えに上がりました」


とことん遠慮したような態度のテオと名乗った男性を前にアザレアは暫く考えて、アザレアはそういえば今回自分が結婚した相手がテオ・ダーウィットだったと思い至った。


「はい。家まで……案内します。馬車なども用意できず、徒歩になってしまって申し訳ありません」


テオはぺこりと頭を下げると、先に立って歩きだした。


(この人が……)


書面上では結婚した関係だが実際は今初めて会った全くの赤の他人で、何の実感も湧かない。

アザレアは前を歩くテオの後に、重い足取りで続いた。



案内されたテオの屋敷は村から離れた先の、広い牧場の真ん中にあった。

近付くにつれてそのみすぼらしさが露わになって来て、アザレアは本当に貧乏な辺境に嫁に来てしまったのだと改めて息を呑んだ。


「粗末な家で申し訳ありません。使用人というものもいないので、私に言っていただければ出来る限り対応します」


アザレアが驚いたことを感じ取ったのか、テオはアザレアから目を逸らすようにしながら謝った。


「食事も質素で申し訳ないのですが準備してあります。口に合うかは分かりませんが、召し上がられますか?」


テオは扉を開けて屋敷の中に入り、ひびの入った燭台に明かりをつけて、ようやくアザレアを振り返った。

アザレアは朝パンを一切れ食べただけだったので腹はすいている筈なのに、何も喉を通りそうにないので首を振った。


「そうですか……では、もしご希望でしたらお湯に入られますか?この屋敷にも湯船があります。出来るだけ磨きましたが古いし大きな物ではないのですが、お疲れかと思ったので」

「……いいえ」


確かに疲れていて湯にでも浸かったら幾分か回復はするかもしれないが、今のアザレアには湯船に浸かるまでの気力がない。

アザレアがベッドで眠りたいという事だけを伝えると、テオは直ぐに頷いて「こちらです」と踏めば抜けてしまいそうな木の階段を上り始めた。


アザレアに用意された部屋は、二階の東にあるという。

そこを目指して廊下を歩けば軋んで音を立て、歪んだ窓からは外のだだっぴろい牧場が見えるばかりだった。


「毛布や枕もしっかり洗ってあります。でもこんな物しかなくて本当に申し訳ありません」


謝るテオは再び「何かあったら遠慮なくお呼びください」とまるで使用人か何かのような言葉を残してアザレアの部屋を出て行った。


アザレアは王都の自分の屋敷の部屋の何十分の1にも満たない小さな部屋を見て、ふうと溜息をついたが、そのままベッドに突っ伏した。

今は何も考えずにただ寝たい。






アザレアが辺境にやって来て数週間経っても、テオは相変わらず使用人のような距離感でアザレアに接し、アザレアの食事を作ってから朝早くに牧場へ働きに行って、深夜遅くに帰って来るような状況だった。

それでも彼はなにかとアザレアを気遣ってくれて「何かあればすぐに行くから呼んでください」とも言ってくれたが、アザレアがテオを呼んだことは一度もない。

この場所には何もないので、人を呼ぶような何かも無いのだ。


屋敷の外に見えるのは広いだけの牧草地。

そして放牧された、カカウというミルクを出す家畜が一日中飽きもせずに草をもしゃもしゃと食んでいる。

そして森を抜けた先の村には幾つかの民家の他には小さな寄り合い所と、数か月に一回来るだけの馬車が停まる停留所くらいしかない。

ダーウィット男爵家の屋敷はボロボロでところどころ雨漏りするし、木の床は古すぎて踏んだだけで恐ろしく大きな音が鳴る。

本も無ければレコードも、紙も無ければペンも無いような貧乏な家で、毎回の食事もカカウミルクのクリームスープと硬いパンだけだった。


でもアザレアは、ここから逃げて別の場所へ行くことは出来ない。

言うなれば、こんな場所に幽閉されてしまったのだ。


こうして北の辺境に来てから、アザレアはほとんど自室に籠って日々を過ごしていた。

何もない屋敷の外に出て何かをしようという気は、中々起こらなかった。

それよりもアザレアは、捕まった父親や、ダレスの高笑い、それからダレスに引っ付いていたピンク髪の女のことを考えていた。

どうしてこんなことになったのか、とそんな事ばかり考えていた。






アザレアは今日も部屋を出ることなく、ひたすら過去の出来事を思い返していた。

しかしふと窓の外を見て、ある異変に気が付いた。


(……あら?あのカカウ、やたら太っている上になんだかおかしいわ。どうしたのかしら)


見ていると、一頭だけ異常に太ったカカウが狂ったように同じ場所をグルグルと回っている。

具合でも悪いのだろうか。もしかして、病気だろうか。

カカウと言えば何も考えていないような顔で一日中平和に草を食べているのに、このカカウだけが違うことに段々と心配になって来て、アザレアは外へ出て見る事にした。



屋敷から出たアザレアは柵越しにおかしなカカウに近づき、様子を観察した。

カカウは長い毛の大きな体が特徴で、いつものそのそと歩く四本足の家畜だ。

しかしアザレアが心配したカカウは大きな腹を二回りほど更に大きくさせていて、苛々でもしているようにずっと同じ場所で回っている。


才女と有名だったアザレアだが、流石に家畜についての知識までは持ち合わせておらず、どうしていいか分からずついカカウに声をかけてしまった。


「貴方、どうしたの?具合でも悪いの?」

「……」

「でもただの食べ過ぎじゃないわよね、大丈夫なの?」


勿論、カカウからの返事はない。

しかし、背後で声がした。


「アザレア様……」


アザレアはハッとして振り返った。

後ろにはテオが立っていて、少し焦ったような顔をしながら「屋敷から出てくる姿が見えたので、外に出てきて頂けたのなら案内でもしようかと思ったのですが……」と呟いた。

でもアザレアが窺うように見ると、テオは少しだけ微笑んだ。


(やっぱり……見られたわ!私がカカウに話しかけてるところ!そして笑われたわ!)


ずっと引き籠ってたのにいきなり外に出てきたと思ったらカカウに話しかけるなんて、変な女だと笑われたのかもしれないと思ったアザレアは少しショックだったが、それは上手く隠してコホンと咳払いし、丁度いいタイミングで現れたテオに聞いてみた。


「それよりこのカカウ、様子がおかしいの。病気かもしれないわ」

「病気?」

「そうなの。明らかに他の子たちと違うでしょう。おなかが大きいし、苛々したように落ち着きが無いの」


アザレアが訴えると、テオは納得したような顔をして頷いた。


「このカカウ、もうすぐ子供が生まれるんです。だから落ち着きがなくて、こうしてグルグルと歩き回っているんですよ」

「……そうなの?」

「そうです。だから病気では無いです」

「そうなのね。確かにお腹が大きいのに、妊娠の可能性を失念していたわ。でも病気ではないのなら安心ね」

「はい。でもおなかにいるのがどうやら双子のようなので、難産になる可能性が高いところが少しだけ心配です」


アザレアはもう一度落ち着きのないカカウに目をやった。

双子が入っているのなら、お腹が驚くほど大きいと思ったのも納得だ。


「人間の知識しかないけれど、難産となると確かに心配ね。双子の出産に立ち会ったことはあるの?」

「いえ、ありません。でも村人にも声をかけていますし、きっと大丈夫です。心配してくださってありがとうございます」


渦中のカカウは勿論、人間がなにを言っているかなんて分からない顔をしていて、二三回蹄で土を蹴ると2人にくるりと背を向けて、ブルブルと鼻を鳴らしながら牧場の中心部を目指して行ってしまった。

アザレアもテオに挨拶をしてからカカウに倣ってくるりと回れ右をし、早々に自室に帰ってきた。




しかしその日の深夜、お手洗いに行った帰りに、アザレアは灯が漏れている部屋から微かに自分の名前が呼ばれたように聞こえて足を止めた。


明りが漏れている部屋は元々は客室だったようだが今では農場関連の雑務室のようになっていて、雑多に物が置いてある場所だ。

中にはどうやら農場での実務を終えて書類整理をしているテオと、テオの農場を手伝うテオの友人がいるようだった。


そしてアザレアの名前を会話に出したのは、テオの友人である村人のティムだった。


「ねえねえテオ、今日アザレア様と外で話してなかった?」

「ああ、話せた」

「ふふふ、よかったね!何について話してたの?」

「……話題はカカウのことだ。彼女はもうすぐ子供が生まれるカカウのことを心配してくれてたんだ」

「そうなの?!アザレア様、案外優しいんだね」

「案外ではなく、彼女はとても優しいよ」


普段使用人のような遠い距離感で話すテオなのに、アザレアが優しいと言った声が柔らかかったので、アザレアは驚いた。

立ち聞きは良くないからすぐに立ち去ろうと思っていたのに、アザレアは何となくそこに留まってしまった。


「まあ、王都で華やかな生活送ってたいいとこのお嬢さんなのに、こんな辺境に送られて貧乏男爵家に嫁がされてもテオに嫌な態度を取ることも無いし、いただきますもお礼もちゃんと言ってくれるもんね。引き籠ってはいるけど」

「ああ。彼女は本当に辛い思いをして理不尽な目に遭ったのに、優しいままだ。本当にあのプライドだけ高い王子には勿体ない人だった。かと言って、こんな貧乏な俺では、勿体ない以前に全然釣り合わないけれど……」


テオは折り目だらけの紙を伸ばしてトントンと机で揃え、また新しい紙に手を伸ばした。

それはつい先ほどティムが机に置いた書類だった。数字がいくつか並んでいる。


「ん?これは?」

「テオ、その数字を見て貰えば分かるけど、今月はもう赤字だよ。先月は屋敷の修繕費が嵩んで大赤字だし、今月は毎回アザレア様の食事に高価なパンを用意してるし、花の苗を買ったり果物を買ったり、毎日湯船にお湯を張ってるから赤字だよ。牧場のお金まで使わないでよ?」

「でも彼女はこんな貧乏には慣れていない筈だから、せめてこれくらいは」

「テオの気持ちはすごく分かるよ。でもだからって、この屋敷の借金増やしてどうするの?」

「それは、俺がもっと働いて牧場の方でもう少し売り上げを出せば」

「あのねえ、やめないって言うならそうするしかないかもしれないけど、最近テオちゃんと休んでる?テオは一枚しかない毛布をアザレア様にあげたって言ってたし、唯一雨漏りしない部屋をアザレア様にあげちゃって、ちゃんと眠れてもいないんじゃない?」

「……」


親身になってくれる友人の言葉に、テオは押し黙ってしまったようだった。

ここでようやく、アザレアは音を立てないようにしてその場を去った。


自室に帰ったアザレアは瞬きを一回し、先ほど聞いた話の内容を考えていた。


あの硬いパンも古い湯船のお湯も赤字でなければ用意できないような物だったのだと初めて知って、そんなにも貧乏なのかと驚く気持ちと申し訳ないような気持ちが入り混じった複雑な心境だった。

そして一枚しかない毛布をアザレアに譲ってくれ、テオは朝から晩まで休まず働いている。


(私の為にパンを買って毎日お湯に浸かれるようにもしてくれて、貧乏に慣れていない筈だからと気を遣って自分は一日中働いて、優しいのは貴方の方だと言いたくなるわね……)


「アザレアは優しい」とテオが言い切った時のことを思い出して、ふっと息を吐いた。


いきなり落ちぶれてしまったことだとか、理不尽に与えられた罰だとか、納得できない過去の事ばかりを考えていたアザレアは、今現在の誰かのことを思いやることが全く出来ていなかったと気が付いたのだった。




次の日になって、食堂へ降りていくとそこにテオはいなかった。

いつもなら朝食を準備してくれているのだが、今日は寝坊でもしたのだろうか。


(昨晩、遅くまで働き詰めだと言っていたわよね。寝かせておいてあげた方がいいかしら)


アザレアはキッチンに足を踏み入れて年季の入った鍋を何とかして温め、その中に残っていたクリームスープを少量だけ皿によそって、それを食べた。

具も少量の野菜だけでとても素朴だけど、ミルクの味が優しいスープだったのだと今更ながらに気が付いた。


「ありがとう、ご馳走様でした」


誰もいない小さな食堂で食事を終えたアザレアは呟き、皿を洗う為に席を立った。

いつもテオが「やりますので置いておいてください」と言うのでそれを受け入れてしまっていたが、自分で食べた食器くらい洗ってみようと思ったのだ。


しかしアザレアは、皿を洗うなんてことを今までに一度もしたことがなかった。

だけど知識としては知っているから出来るだろうと洗い場に立ち、目についたタオルで石鹸を泡立てて、割ったりしないように気をつけながら洗い上げた。


(お皿洗い、何とかできたわ……。神経を使うし結構大変だったのね)


一息ついてキッチンを後にし、アザレアは自室に戻ろうとした。

すると玄関扉がバタンと音と立てて開き、外からティムが中に転がるように入ってきた。


アザレアを見たティムは一瞬足を止めて挨拶をしたが、何かを探して急いでいる様子だった。

見ていると、ティムは雑務室から大きな桶を脇に抱えて、再び外へと走りだそうとしているところだった。

そのただならぬ様子に、アザレアはついティムを引き留めてしまった。


「何か、あったの?」

「えっと、今朝早くに産気づいたカカウがいまして。あ、でも大丈夫です。アザレア様はどうぞ休んでいてください」


ティムはそう言うなりぺこりと頭を下げて、出て行ってしまった。


アザレアは去っていくティムの背中を見送ってから、自室に戻った。


(産気づいたって言ってたわね。きっと昨日のカカウよね)


ということは、寝坊しているのかもしれないとアザレアが推測したテオは実際、陽もまだ昇らないような早朝からカカウにつきっきりだったのだろう。


(双子がお腹にいるから難産かもしれないって言ってたわ。難産って、下手をすれば母親も子供も命を落とすことがあるのよね……)


アザレアを産んでから体調を崩し、結局アザレアが8才の誕生日を迎える前に亡くなってしまった母親の事を思い出し、アザレアは眉をひそめた。


(私、何かできることはあるかしら……)


しばらく窓の外に広がる牧草地を見ながら考えていたが、アザレアはくるりと踵を返した。

そして自室の扉を開け、屋敷の外に出る。


広がる牧草地の間を小走りに移動し、ティムが向かって行った方にある家畜小屋を目指した。


アザレアが家畜小屋の中に飛び込むと、小屋の端で一頭のカカウが苦しそうに鼻を鳴らしていて、その周りにテオとティム、それから街から来た助っ人らしき人物が真剣な顔をしている姿が見えた。


「頑張れ、一匹目の足が出てきた。いい子だ、頑張れ」


額に玉のような汗をかき、テオは母親カカウから子供カカウの細い足が二本出ているのを、慎重に引っ張っていた。

しかし気配を感じて振り向き、アザレアの姿を見たテオは驚きの声を上げた。


「あ、アザレア様、何故ここに!?」

「手伝いに来たの。何か私にできることはある?」

「……え?いや、大丈夫です!汚れてしまいますし、貴女にこんな仕事をさせるわけには」

「汚れるのだって構わないから来たの。難産なんでしょ?カカウ達の命が最優先よ」

「い、いや、でも……」

「確かに私には知識が無いから直接お産の手伝いは出来ないかもしれない。でも水汲み要員でもいるのといないのとでは違うでしょう?」


アザレアはテオの返事は待たずに、脇に避けてある汚れた水の入った桶を持ち上げ、新しい水を汲んで来ればいいかと質問した。

テオが頷いたので、アザレアは細い腕に全力を込めて桶をひっくり返さないように気をつけながら水を捨て、家畜小屋のすぐ外にある井戸で新しい水を汲んだ。


「水はここに置いて置くわね。次は何をすればいい?」

「えっと、次は……」


子供カカウの足を見つめながら屈んだテオは何かを言いかけた。

しかしそれを遮って、テオのお腹がぐうと鳴った。


「そうよね、分かったわ。何か食事を持って来る」

「あ、あの、これは……!」


流石に恥ずかしかったのかテオはバツが悪そうにしていたが、アザレアは構わず立ち上がった。

昨日は深夜まで書類整理をしていて、今朝は早くからカカウのお産に立ち会っているのだから、テオたちが何も食べていなかったとしても不思議ではない。


「料理をしたことは無いけど善処するわ。少し待っていて頂戴」


アザレアは言い残して、家畜小屋を出た。

こんな事なら何冊か料理の本を読んでおけばよかったと思いながら、屋敷のキッチンへと急いだ。




キッチンで見つけた酸っぱいパンとミルクバター、それから安そうな果物を使ってアザレアが何とか作り上げたのは、ただのミルクバターサンドに果物を挟んだ代物だった。

果物の皮を剥く時に急ぐあまり指を少しだけ切ってしまったけれど、基本的に何をやらせても器用なアザレアが食べ物で作ったのだから、食べられる物のはずだ。


家畜小屋に駆け戻ったアザレアは、作ったサンドイッチをみんなに配った。


「えっ、うまい!」

サンドイッチにがっついて最初に声を上げたのはティムだ。

それから助っ人の村人も美味しいと喜んだ。


だがテオだけは両手で子供カカウの足を引っ張っているので、まだサンドイッチを食べることができていない。


「貴方は両手が塞がっているわね。貴方が食べている間だけ足を引っ張るのを代わりましょうか?……いいえ、もっと簡単な方法があるわね」


アザレアは空腹でも頑張っているテオの横に屈んで、その口元にサンドイッチを差し出した。

アザレアがこうしてサンドイッチを支えていれば、テオは両手が使えない状態でもサンドイッチが食べられる。


「どうぞ。手は洗ったから綺麗よ」

「えっ!?や、あの……」


いきなり子供のようにアーンをされて戸惑ったのか、テオは顔を赤くして首を振った。


「おなかが減っているのでしょう?食べられる物で作ったから大丈夫よ。味見もしたし、私が作ったものだけど不味くはないわ」

「いや、不味いなんて全く思ってないですが……」


テオはまだ渋っていたが、ぐううと再びお腹が鳴った。

そしてそれをきっかけに何か覚悟をしたのか、アザレアが差し出していたサンドイッチにかぶりついた。

殆ど飲み込むようにして残りのサンドイッチを全て食べてしまってから、テオは「ありがとうございます」と小さく礼を言った。


「いいえ。そんなことより他は何をすればいいかしら。私が出来る事があれば何でも言って頂戴」


それからアザレアは立ちっぱなしで動けず唸る母親カカウに水を飲ませたり、小屋に敷き詰めてある藁を替えたりした。


そしてそうこうしているうちに、一頭目のカカウが外に出てきた。

アザレアを除いた3人が一斉に生まれたての子供にケアを施し、頭が見えかけた二頭目の出産の準備に取り掛かった。


そして忙しそうな傍らテオはアザレアを振り返って次の指示を出した。


「アザレア様、母親カカウがまだ動けないので、その子の体を濡れた布で拭いてあげてください」

「分かったわ。任せて」


力強く頷いたアザレアはテキパキと濡れタオルを準備し、震えている子供カカウをあやすようにしながら、丁寧に拭いてあげた。


「よしよし、良い子ね。よく頑張ったわ。貴方の兄弟ももうすぐ出て来るから待ちましょう」


子供カカウはアザレアに体を拭かれて気持ちが良かったのか、濡れた鼻を膝を突いたアザレアの服に擦り付けてきた。

既に泥まみれになってしまっている服がまた更に汚れたが、アザレアは特に気にしなかった。


子供カカウが綺麗になって震えながらも立ち上がった頃、二頭目が無事に生まれてきた。

二頭目は初めてでは無かったためか、一頭目に比べたら早かった気がする。


母親カカウは鳴きながら二頭目の子供を舐めて綺麗にし、立ち上がって歩いてきた一頭目に鼻を寄せた。


「やったわね。3頭とも元気で良かった」


アザレアがふうと額の汗を拭いながら頑張った3人をねぎらうと、3人とも達成感を滲ませた顔で微笑み返してくれた。


そしてテオが代表するようにアザレアに深々と頭を下げてから、何故かアザレアの額で視線を止めた。


「……額に泥が付いてる」

「え?」

「さっき汗を拭った時に付いたのかも」

「かもしれないわね。大丈夫よ。後で洗うわ」


皆と同じように達成感を感じていたアザレアが笑うと、テオもつられて笑ったようだった。

しかしすぐにハッと真顔になって、謝ってきた。


「も、申し訳ありません。つい馴れ馴れしく話しかけてしまいました」

「何故謝るの?正直、貴方の言う馴れ馴れしい方がその敬語より随分話しやすく感じたわ。もう敬語を使うのは止めにしたら?」

「いや、それは難しいです」

「でも貴方の敬語、アクセントとか少し妙だし、フランクに話してもらえた方が私は有難いわ」


アザレアが言い張ると、折れてくれた様子のテオは「わかった」と頷いた。


アザレアとテオは簡単に後片付けをして、屋敷に帰ってきた。

他の牧場の世話を他に雇った村人に任せたテオは、流石に今日はもう働かないと言っていた。


体を清めて服も着替えたアザレアが何となく食堂に行くと、そこに汚れを落としてさっぱりしたテオもいた。


「お茶でも、飲むか?」


キッチンでお湯を沸かしているようで、自家製らしい茶葉を手に持っていたテオはアザレアの方に振り向いた。

アザレアは折角なのでお言葉に甘えようと頷き、食堂の壁際にあるテ―ブルの前の、長いソファに腰を下ろした。


しばらくしてお茶の用意が整ったテオはアザレアからは距離を置いてソファに座り、カップを手渡してくれた。


「あまり美味しくないかもしれないけど」

「喉がカラカラだから、なんでも美味しいわよ」


敬語は無くなったがまだ謙遜はするんだなと苦笑いしつつ、アザレアはお茶に口をつけた。

その時に、サンドイッチを作る途中で切ってしまった指に巻いた小さな布がずれてしまったけれど、想像より数十倍美味しいお茶だったので、アザレアは気にせずお茶を飲んでいた。

しかしアザレアが気にしなくとも、テオはそのことについて言及してきた。


「それ、指を切ったのか?いつ?もしかしてカカウの出産の時に?大丈夫か?消毒をしないと」

「大丈夫よ。消毒はしたし、小さな傷だから」

「確か包帯があったはず。持って来る」

「大袈裟ね」


飲みかけのお茶を放り出すように机に置いて、テオは急いで包帯を取りに行ってくれた。


「包帯はこれを使ってくれ。あと薬はこれを」

「ありがとう」

「……いやでも、片手で包帯は巻きにくいだろうか」

「それもそうね。上手くは巻けないでしょうね。迷惑ついでに巻いてくれない?」

「そうか、えっと、じゃあ少し、手に触れても?」

「勿論構わないわ」


スッと手を差し出すと、テオはガラス細工でも触るような手つきで丁寧に包帯を巻いてくれた。

沢山仕事をしてきた大きな手に優しく触れられて、アザレアは少しくすぐったかった。

そして、きっと貧乏で辺境の男爵でなければ沢山の女性から引く手数多だっただろう整った顔も、こんなに至近距離で見る事になって、少し変な気分だった。


包帯を綺麗に巻いてもらってから再びお茶を飲み始めたアザレアとテオは、少しぎこちないながらも会話をしていた。

しかしテオがお茶を飲みながら寝落ちしてしまったので、会話はあっさりと中断されてしまった。


「あれだけ働いていたのだから、疲れているわよね」


アザレアはテオのお茶が零れる前にカップをテーブルに戻し、自身もそのまま目を閉じた。





「申し訳ない、気が付いたら寝てしまっていたようで……」


数時間かそこらの時間が経って、テオが目を覚ましたようだった。

横でもそもそと動いた気配を感じ取り、アザレアも目を開けた。


「そうね。貴方がお茶を飲みながら寝落ちしたから、私も少し横で寝たわ」

「えっ、横で……?!ずっといたのか?」

「そうね」

「俺が寝ている間、な、なにか、寝言で変なことを言ってなかったか?」


バッと起き上がったテオは何か思い当たる事があったのか、口元を押さえながら焦っていた。

アザレアは暫くどうしようかと悩んだが、正直に話すことにした。


「……まあ、少しだけ言ってたわね」

「え、えっと、何て言ってた?」

「まず私の名前を呼ばれたから、寝てしまっていたけど起きたの」

「……申し訳ない」

「それは別に謝られるようなことじゃないわ」

「それは、ということはまた別の事も言っていたのか?」

「言ってたわね」


アザレアの回答を聞いて、テオはパッと赤くなった。

それからそれ以上は何も言わないでというように首をブンブンと振ったが、アザレアはその真意を聞きたくてあえて口にした。


「私の名前を呼んだあとに、幸せにしてあげたい、俺が貧乏じゃなければよかったのに、って言ってたわ」


ハッキリ言葉にすると流石に少し緊張したが、テオの方が二人分かと思うほど真っ赤になっていたので、アザレアは幾分か冷静さを取り戻せた。


「それから、本当に可愛いとも言ってたわ。婚約破棄された罪人の娘を押し付けられたのに、まるで喜んでいるみたいな口ぶりだった」

「な、な、何というか、それは、その、今日は貴女とたくさん話せて、ちょっと舞い上がっていたというか、調子に乗っていたというか、寝言とはいえそんなことを口走って申し訳ない!」

「謝るの?寝言はただの寝言で、実際は可愛いなんて思ってはいないから謝るのかしら」


アザレアがグイッと身を乗り出してテオをソファの端に追い詰めると、テオは逃げるように身をよじった。


「そ、そう思っていることは本当だ。貴女の事はダレス王子が士官学生だった頃から知っていた。王子は俺が嫌いだったから士官学校に訪れた貴女の前でなじったこともあったけど、貴女は間違っていると思うことにきちんと反論出来て、俺のような奴の手当てもしてくれる優しい人だった。でも貴女はただ遠くから見ているだけで十分な憧れの人で、この結婚は貴方にとって罰則でしかないのに、貧乏な俺なんかが貴女を幸せにしたいとか、寝言でも分不相応すぎるから……」


赤くなりながら洗いざらい告白してくれたテオを見て、アザレアは何故か嬉しく思った。

男性に憧れだとか綺麗だとか言われたのは全く初めてではないが、もっと言葉を聞かせて欲しいような、もっとその顔を赤染めさせたいような、こんな気持ちになったのは初めてだ。


「分不相応と言っても、実際貴方とはもう結婚してしまっているんだから、私を幸せにできるのなら貴方しかいないのも事実だと、私は思ったわ」

「でも俺はこんなに貧乏で爵位も無くて、貴女に全然釣り合わない……」


悔しそうに眉を寄せたテオの頬をぎゅっと摘まんで、アザレアはグイッとテオを睨みつけた。


「分かった。貧乏で爵位がないから釣り合わないと言うのなら、お金を稼いで何とかして爵位も手に入れましょう。そうしたら貴方が私を滅茶苦茶幸せにしてくれるかしら」






こんな辺境で何もない貧しい男爵家だが、アザレアには一つ、目を付けていた物があった。


それはカカウのミルクと乳製品だ。

テオが作ってくれていたクリームスープは、食通のアザレアでも王都のどのレストランでも食べたことが無いような濃厚さだし、ミルクバターはそのリッチさと仄かに香るミルクの甘味が絶妙だ。

おまけに、テオが手作りした茶葉もミルクティーにしてみたら驚くほど美味しかった。


アザレアは手始めに村の民家を回って各家の乳製品レシピを集めてまとめ上げ、更に世話焼きのおばあさんから料理も習った。

生まれた時にアザレアに体を拭いてもらったカカウがアザレアに懐いたので、カカウ達の世話も憶えながらアザレアはこの辺境の特産品となる乳製品の開発に勤しんだ。


沢山失敗をしたし、時には村人と衝突をしたりもしたが、テオが横で支えてくれた。


そして約一年をかけ、アザレアは最高傑作ともいえるチーズを作り出した。

アザレアはこのチーズの為に屋敷の一室を改造しているのだが、そこでテオと共にチーズ販売における最終段階の会議を開いていた。


「カカウの乳の供給量には限界があるわ。だからできるだけチーズの値を釣り上げましょう」

「どうやるつもりなんだ?」

「私の知己に良いデザイナーがいる。パッケージとロゴをお願いできないか彼に連絡を取ってみるわ」

「パッケージとロゴ?でもそれは味より大切なのか?」

「ええ、大切よ。それから最初は厳選した客に少量だけしか売らないわ。優越感の刺激とプレミア感の演出よ」

「パッケージに、優越感とプレミア感か」

「ええ。ブランディングは商品に付加価値をつけるの。ただ絶品のチーズというだけでは小金を稼いで終わりよ」


アザレアがチーズを売るつもりのターゲット層は高位の貴族だ。

彼らの、互いにどれほど良いものを手にしているか見せ合って張り合う習性や、流行の先端を行く者の真似をしたがる習性を完全に熟知しているアザレアには、一番やりやすいターゲットだ。

また、このターゲットたちは価値があると判断されたものには大量にお金を落としてくれる。


結論から言うと、アザレアがレシピ開発してブランディングしたチーズは爆発的にヒットした。


経緯としてはまず、アザレアは王都に入れないから、テオを何とか腕利きの使者風に仕立て上げて、友人のデザイナーと連絡を取った。

断られるかとも思ったが、「役に立てるのなら喜んで」と二つ返事で頷いてくれたデザイナーがパッケージなど諸々をデザインしてくれた。

パッケージの制作を請け負ってくれる会社を探して頼み込むのには苦労したし、上手くチーズの良さを表現するものになるまで一か月ほどかかったけれど、最終的に満足いくものが出来た。


そして商品が完成してからは、顧客の開拓だ。

アザレアが最初に声をかけたのは、毎月欠かさず手紙をくれていた公爵令嬢のアマリリスだ。

現在の社交界で彼女の影響力は一番か二番に強く、チーズのアンバサダーとなってもらうには最適な人材だった。


アマリリスや懇意にしていた令嬢達をこっそり辺境に招待して実際に牧場を見てもらったり、緑広がる綺麗な場所で乳製品に囲まれたパーティを開いたりとちょっとしたキャンペーンも考案した。


そうして彼女たちに気に入られたチーズは、贈り物として人の目に触れる様になったりパーティで招待客に振る舞われたりしながら着実に有名になっていった。


でも順風満帆にすべての事が運んだわけでは無い。

輸送についてのトラブルや、アザレアが大事な商談の前に病気になってしまったこと、それからカカウのミルク量が減ってしまったことのような様々なハプニングがあった。

でもいつもテオがアザレアを助けてくれて、アザレアのチーズは最後に王室御用達の印まで貰う事となった。


「これから王宮へ行くが、本当に大丈夫か?今回の表彰式は王族が全員参加する」

「ダレス王子とも会うからってこと?心配?」

「ああ心配だ。あいつは君に酷い事をしたんだぞ」

「でもあのお馬鹿さんがいなければ私は貴方と結婚することも無かったわよね。今正直に言うと、あのお馬鹿さんの愚行に感謝している部分もあるわ」

「それはどういう?」

「まあ、私は結婚の相手が貴方で幸せよ、ということが言いたかったの。実は貴方は、まだお金も爵位もない時から私を大切にして幸せにしてくれてたわ。本当にありがとう」

「……!!」


華やかなドレスに身を包んだアザレアは、建て替えてすっかり立派になった牧場の真ん中の屋敷と、その横に建つ大きなチーズ工場を見上げながら、その横で真っ赤になったテオの腕に手を添えた。


以前着ていた型落ちのダサい衣装ではなく、すらりとした長身を生かしたお洒落な正装のテオはどこか異国の血が混じっていそうな雰囲気で、きっとすれ違った令嬢たちが振り返る。

でもこの人は、絶望的な状況でアザレアを上に掬い上げてくれたアザレアだけの大切な人だ。



「でもあのお馬鹿さん、結婚についてだけは感謝しているけれど、お父様の件だけはハッキリカタをつけさせてもらうわ」


テオと共に歩き出し、小さな書類鞄を小脇に抱えたアザレアはふふふと小さく笑った。





無事にチーズに王室御用達の印をいただいて表彰を終えた後のアフターパーティ。


アザレアは第二王子のダレスをパーティ会場横の待合室に呼び出して、にっこりと微笑んでいた。


テオには見せたくないアザレアの黒い部分も飛び出してくるかも知れないから、テオにはパーティ会場で待っていてもらう事にした。

早く帰らないとどこぞの令嬢がテオにちょっかいをかけるかもしれないから、なるべく手短に済ませよう。


「何の用だ、アザレア」


扉を開けた部屋の外に従者と護衛がいるとはいえ、失墜したはずなのに更に煌びやかになって舞い戻った元婚約者に呼び出されたダレスは苛々を露わにしていた。

彼の心情が手に取るように分かったのがおかしくて、アザレアは小さく笑った。


「何が可笑しい」

「ふふふ、失礼いたしました殿下。私も貴方などとお話している時間は一秒でも短い方がいいので、早速本題に入りますね。殿下、貴方は何故まだ独り身なのですか?」

「は……?お前の本題とは人の事情に首を突っ込むことか?お前まさかまだ俺に未練があるとでもいうつもりか?」

「まさかまさか。貴方に未練があるどころか、貴方との思い出は全部忘れてしまいましたわ。ある一点、私の父の件を除いて」

「何……?」


ダレスは片眉を上げて唸った。

まるで威嚇をする犬のようだったが、アザレアは小脇に抱えていた書類ケースをテーブルに置き、流れるような仕草でそれをパカリと開けた。


「私、本日父の冤罪を晴らさせていただきます」


アザレアの言葉を聞いて、ダレスは目を見張った。


「こちらが貴方が書類を偽装した事を証明した書類になります。ふふふ、巧妙に細工がしてありましたね。誰の手を借りたのかももう全て突き止めてありますが、貴方も流石士官学校を次席で卒業しただけはありますわね」


アザレアは一番上の書類を指でつまみ、ダレスの鼻の先にぴらりと突き付けた。


「は……これをどこから……」

「ふふふ。私、お伺いしましたよね。貴方は何故まだ独り身なのですか?と。私ずっと不思議だったのです。貴方はあのピンク髪の女性に大層執心していたからこそ、彼女が危ないあのタイミングで父の冤罪をでっち上げて私と婚約破棄をした筈なのに、そこまでした愛しい女性とまだご結婚なされていない様子。ではどうしたのでしょう。もしかして、貴方はまた浮気をして嫌われてしまいましたか?それとも彼女のご両親に反対された?」


アザレアは睨みつけて来たダレスの顔を見て、微笑みながら首を可愛く傾けた。


「答えは違いますよね?正解は、いくら求婚しても彼女は応じてくれない。要するに貴方と結婚するのは嫌だと言った訳です。どれだけ贈り物をしても、どれだけ頑張って気を引いても結婚できない。とっても悲しいですわね」

「お、お前、このクソ女……彼女に何かしたのか?何故そんな事を知っている……!」

「彼女に何もしていない、と言えば嘘になります。私、貴方の不正の情報を頂戴するために彼女を買収させていただきました。彼女に許可をいただいたのでお話しますけど、彼女は貴方から物ではなくてもっとたくさんのお金が欲しかったみたいです。お家の借金を返したかったから、よいカモの王子を愛しているふりをしていたのですって。でも私が残りの借金を立て替えましたので、彼女はもう貴方に会うこともないかもしれませんね。そればかりか、もうこの国にはいないかも。だって、元婚約者の親を犯罪者に仕立て上げて辺境に追いやるような怖い男性、絶対ストーカーになるだけじゃ済まないじゃないですか」


ダレスはサッと青ざめた。

推測するに、アザレアがピンク髪の女性を買収した一か月ほど前と同時期から、ダレスは女性と連絡が取れていないのだろう。


アザレアは持って来ていた書類ケースをテーブルに置いたまま、くるりとダレスに背を向けた。


「では、私の父の件は今度こそ陛下に報告致します。ああ、そこにある証拠書類は差し上げます。ピンク髪の女性が知っていることを全部教えてくれて、私が念入りに調べたものです。これで父は解放していただき、貴方には罪を償っていただきますね」



震えるダレスを待合室に置き去りにして、アザレアはパーティ会場に戻ってきた。

いの一番に見つけてくれたテオは、心配そうな顔をしていた。


「大丈夫だったか?変なことはされなかったか」

「大袈裟ね。いざとなったら書類ケースの角で殴ってやろうと思ってたし、大丈夫だったわ」

「そうか」


ホッとした様子のテオが近づいてきて、無意識のように手を握ってきたことを感じて、アザレアは少しだけドキッとした。


「貴方から手を握ってくれるなんて、珍しいわね」

「いや、あそこにアザレアが会場に入ってきた途端に熱心に目で追い始めた男がいたから」

「そう。でも逆に、そういう時しか貴方から手は繋いでくれないんだ」

「……結婚式を挙げるまでは全部自重しようとしてるからな」


低い声で耳元で囁かれて、次はアザレアが赤くなる番だった。


でも向こうでアザレアを呼ぶ友人のアマリリスの声が聞こえて、アザレアは頑張ってふやけた口元を引き締めた。


「私の友人たちも、結婚式に招待したいわ」

「ああ、みんな呼ぼう。君の友達もお世話になった人たちも村の人もカカウも、勿論冤罪が証明された君の父上も」









評価、ブックマーク、感想などとても嬉しいです。ありがとうございます!


あと誤字報告、ありがとうございました!

本当に助けられました!


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― 新着の感想 ―
[一言] 写しなら分かるんですが、なぜ王子に証拠の書類を渡すんでしょうか。 証拠の書類その物を渡してしまったら、冤罪を晴らせませんよね。 とても不思議です。 王子に渡したのは写しで、すでに国王に証拠…
[気になる点] 男爵家なのに爵位がない、とはどういうことなのかよくわかりませんでした。それ以外は面白く読ませていただきました。
[一言] 私も、カカウのチーズ食べたいです。
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