メロウの町 3
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メロウの町の外れから”天をも突き刺す光”が昇った事は、最南端に位置する港町からも確認出来たという。
未来を担う者、過去を憂う者、崇拝の視線を向ける者…そして、長い時の果てに待ち望んでいた者が、各地で空を見上げていた。
王都では、古の文献に記されたそれを知る者達が騒がしく王宮を駆ける。太平の世に落とされた一雫の波紋が、ゆるりと広がり始めた。
その光の中心に居たリエフは、足元から立ち昇ったそれが消えていくのを肌で感じた。暖かなそれらが消失し、恐る恐る目元を庇っていた腕を下げる。
何が起こったのかも解らない。異常は何も無いようだ。ただ、地下に降った2人の存在が気がかりだった。
「……?警笛…か…?」
不意に外に響いた甲高く鋭い笛の音に、窓の側へ引き寄せられる。災害の時や緊急時に、男爵家より警笛が鳴ると聞いていた。比較的長閑なこの土地に住まうリエフが耳にするのは、2度目である。
「……」
不穏な空気に思わず腰の剣に手を伸ばす。今の光が無関係ではないだろう。
徐々に館の周囲に騒がしくなっていく。人の声と武具の揺れる音…そして、緊迫した精霊達のざわめきだ。
(ばば様の精霊が…怒ってるのか…)
2年の間、身近に居た精霊達の感情は伝わりやすい。この森の精霊は、殆どが賢女を慕っており、その為彼女の魔法は幅広いのだ。
「ヒメリナ・セオドロス卿、お目通り願いたい!」
門前から聞こえる声の主が名乗ること無く、賢女の名を呼んでいる。
リエフは息を潜めて扉に身を寄せた。
「先の発光について説明願いたい!
応じなければ、クリオス・アイゼンテール侯爵の名において拘束も辞さない!」
(アイゼンテール……?!領主の子爵はともかく、侯爵がこんな地方に目を向ける訳…)
ヒメリナはこの地域で起きた水害を食い止めた功績で、一代貴族の扱いを受けているはずだ。特に精霊との関わりに長けている事もあり、末席の貴族など比べ物にならない地位を確立している。
そんな彼女を、なぜ侯爵が責め立てるのか。
あの光が何だったのか。
リエフには皆目見当もつかなかった。
「リエフ、下に行ってシフォンと逃げるんだ」
(……!!)
いつの間にか背後をとられた。声を出さないように片手で口を塞ぎ、跳ねた肩に置かれた手を見やる。
長い年月を経て深い皺が刻まれたその手には、見覚えがあった。
「…ばば様。無事だったのか」
「シフォンも無事だが、長く話す暇はないよ。下で合流して、そのまま地下を通って町まで帰るんだ」
小声で早口ながら、リエフが1度で理解出来るように言葉を紡ぐ。聡い彼は、きっと言いつけを守ってくれるだろう。
「シフォンは”光の子”だ…これは彼奴らに知られちゃいけない。ばばが戻るまで、あの子を護ってやってくれ」
ヒメリナが強く見据えたリエフの瞳は、予想よりも凪いだ銀朱のそれだった。
真意を見出そうとする視線に目を細め、成長したこの弟子なら大丈夫だと頷く。
刹那の長考から抜けた彼は、小さいながらも力強く了を返した。
「…解った。ちゃんと戻ってきて」
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地下へ続く道を駆け下り、2年前に1度だけ足を踏み入れた魔法陣の部屋を目指す。
初めて精霊と対話し、契りを結んだあの日…今日のような光は発生しなかった。きっとシフォンに何かあったのだと解る。リエフは逸る気持ちを抑えながら、炎の精霊が作り上げた灯りを追いかけた。
「……シフォン!何処だ!」
反響する声が瞬時に霧散する。ヒメリナが結んだ結界の中に居るのだと悟った。結界は外界から完全に遮断され、術者が認めた出入りのみ可能とする。今この空間は、賢女の護る完全な安全地帯だ。
「……!シフォン!」
階段を降りきったそこには、シフォンが横たわっていた。規則正しい呼吸で上下する胸元に、リエフはほっと息をつく。知らず知らずの内に、力が入っていたようだ。
「起きて…シフォン…」
「……ん……」
眉を寄せるだけの反応だが、リエフにとって十分だった。そのままシフォンを背負いあげ、陣の奥に広がる道へ足を進める。
(警戒時に両手を塞ぐのは得策ではない。決して、負傷者を抱えてはいけないよ)
賢女の教えが脳裏に過ぎり、緊迫した環境ながらに笑みが溢れる。師の教えは絶対だ。
…そして、師はいつも正しかった。
「絶対に、護り抜く」
再び上りとなった階段を駆け上がり、剣の柄を握った。背中の温もりは穏やかに呼吸を繰り返している。
リエフは1度だけ振り返り、決意と共に扉を押し上けた。