8.デート
次の日。いつもの朝の時間になり、玄関の扉がノックされる。
セノフォンテが来たのだと察し、すぐに扉を開けた。
「いらっしゃい、セノ!」
「フラン、誰か確認もせずに扉を開けるのは危険だよ。もし襲われたらどうするの」
「ごめんなさい。この家に来る人なんて滅多にいなくて。今日も来てくれてありがとう!」
今日もセノフォンテは白い騎士服を着用していた。紋章が飾られた上質な衣裳は何度見ても胸が高鳴ってしまう。
「はじめまして。フラミーニアさん。僕はアルトゥル・カリノヴァーと申します」
セノフォンテに見惚れていたフラミーニアはハッと隣にいた男性に気づいて膝を曲げた。
「はじめまして。フラミーニアです」
藍色の髪を後ろで一つに結び、左目には革製の眼帯をしている。紅く煌る瞳が幻想的な男性だった。
騎士服のセノフォンテに対して、まるで文官のような出立ちだった。服装に関しては知識のないフラミーニアだが、きっと上位貴族であるのだろうと思わせる風格と気品がある。
「フラン、メリッサは居る? まさか逃げたりしてないよな?」
「うん。奥にいるよ。ご案内しますね」
男性二人を食卓テーブルに案内する。この小さな木の家には来客をもてなす類のものは一切ないのだ。
台所ではメリッサが薬草茶を煮出していた。
「メリッサ。セノとアルトゥルさんが来たよ」
「わかってるわ。とりあえず、お茶を出してくる」
「…………あ。メリッサ、その薬草って……」
フラミーニアの呼び止めに見向きもせず、メリッサはお盆にコップを二つ乗せてテーブルに向かう。
「久々ですね。相変わらずお元気そうでなによりです」
「えぇ。宜しければお茶をどうぞ」
それぞれの前にコップを置くと、メリッサも席に着いた。
静かにお茶を口に含む二人の所作が、メリッサと同様に品があって綺麗だなとぼんやり思う。
「ゔっ」
「貴方達のためにとびきり苦い薬草茶を淹れたの。体には良薬よ」
「メリッサに苦味なんて分からないだろ?」
「フランに苦い薬草を教えてもらったのよ」
そういえば昨夜聞かれたな……と思い出してそっと顔を伏せた。……鋭い視線を感じる。
「確かに苦いけど、元気になりそうですね」
「……アル。そんな建前は良いのよ。何しに来たの?」
「勿論、メリッサのお迎えに来たのですよ」
一瞬でコップを空にしたアルトゥルはニコニコしながらメリッサを真っ直ぐに見つめている。
「私、まだ帰りたくないわ」
「メリッサが二十歳になるまでと、そういう約束でしたよ。とにかく一度王城へ戻ってもらいます」
「嫌よ。王城にいるといろんな匂いがして気がおかしくなりそうだもの。何回も言っているでしょう?」
アルトゥルとメリッサを包む空気が不穏になりつつある。それをいち早く察知したセノフォンテが右手を挙げた。
「あーちょっと待って。その話長くなりそう?」
「そうですね。メリッサを説得するまでは帰ってくるなと言われていますので」
「じゃあフランと外に出てくる。昼過ぎには戻るから。行こうフラン」
「えっ……!」
セノフォンテはフランの手を引いてそのまま外へ飛び出した。
「セノ。あの二人置いていって大丈夫なの?」
「大丈夫大丈夫。ああ見えて仲良いから、あの二人。それよりもさ、町へいこうよ。メリッサとはあんまり行けてないでしょ」
セノフォンテはフラミーニアの手を握りしめたまま町の方へ歩き出す。
「でも私、お金持ってないし……」
「そんなこと気にしない。俺、ずっとフランと町へ行ってみたかったんだよね。今のフランは自由なんでしょ?」
「うん……」
掌から温もりが伝わって、心臓が激しく高鳴っている。
自分はどうしてしまったのだろう。
セノフォンテと再会してからなんだか自分が自分ではないみたいで。
「屋根上で食べてたのは冷たい食事ばっかりだったし。美味しいものでも食べよう!」
「うん……っ! 嬉しい!」
パッと向日葵の様に笑った。セノフォンテと町へ行くなんて、想像しただけでも楽しそうだ。
メリッサの家から森の中を三十分ほど歩いたところに町がある。
王都にほど近い町で利便性が良く、規模は小さいが国民から人気のエリアだそう。地価もそれなりに高いので治安が良いのだと前にメリッサが教えてくれた。
「あー、流石にこの服だと目立つな。最初に着替えるか」
町へ着くなり、セノフォンテは迷いなく服屋へ直行する。
店内に入りテキパキと軽装の衣裳を選ぶと、不意にじっとフラミーニアを見つめた。
「えっと……?」
フラミーニアは飾りが一切ついていない焦茶色のワンピース姿。白騎士服のセノフォンテとは違い、町で浮くような服ではないはず。
基本的に森の中で生活をするのは汚れるし、薬草を扱うので暗い色味の服しか持っていない。デザイン性よりも機能性重視なのだ。
「すみません。これと、この人に似合う服も一式ください」
「セノ! 私はこのままで……」
「いいから。ただの俺の自己満足。付き合ってよ」
「あら、可愛らしいお嬢さん。こちらへどうぞ」
マダムの店員に引っ張られて別室へ連れられる。あれやこれや洋服をあてがわれ、そのうち一枚を着せられた。
さぁどうぞと促され、姿見を見たときは思わず目を見張った。
マーガレットの小花柄模様のワンピース。白い花弁に黄色の花粉の色のコントラストが可愛らしい。襟ぐりは大きく開いていて肩が露出してしまっており、恥ずかしいから断ろうとしたのだが。これは流行りの型だからと圧をかけて言われてしまったので大人しく押し黙った。
髪は編み込んですっきりとまとめてくれた。
鏡の中にいる自分が別人みたいだ。
「元が可愛らしいから、少し華やかな服を着るだけで見違えるわ〜。ほら、恋人の騎士様にも見てもらいなさないな」
「恋人じゃないです……」という弁解の声は無慈悲に受け流される。マダムに引っ張られて軽装に着替えたセノフォンテの前に送り出された。
「あの……」
「……思ったよりも似合ってる」
「ありがとうセノ。私無地しか着たことなかったから、柄物って新鮮で何か不思議な感じがする」
小首を傾げて控えめに微笑む。
フラミーニアも年頃の娘だ。やはりお洒落をするのは気分が晴れやかになる。
嬉しそうに笑顔になるフラミーニアを満足げに見つめたかと思うと、すぐに視線を逸らされた。
「マダム、ありがとうございました」
「またいつでもいらっしゃいね〜」
お世話になったマダム店員へ挨拶をし、再び手を繋いで外に出る。
昼が近くなったからか、先程より人通りが増えている。
「それ、肩寒くないの?」
「私恥ずかしいって言ったんだけど、店員さんに流行りだからって言われちゃって……。寒くはないんだけど」
「ふーん。……着るのは俺といる時だけな」
繋いだ手にぐっと力が込められた。
気恥ずかしくなって下を向いて歩く。
「メリッサとは何処へ行ったの?」
「いつも薬屋に行ってたよ。あとは日用品店と本屋、くらい」
「女性同士なのに服屋とか雑貨屋は行かないんだ」
「森の中で飾り立てても意味がないってメリッサが。あとメリッサの気分が悪くなってしまうから滞在も手短かに済ませたかったし」
「あー。確かに」
並んで歩いていると、漂ってくる甘い香りに思わずスンと鼻を鳴らした。
この良い香りの出所は何処だろうとキョロキョロと辺りを見回す。
「あ、向こうでパラチンキが売ってる。こっちまで匂いが流れてきてるな」
「パラチンキってなに?」
「薄いクレープ状のパンケーキの中にジャムが入ってるんだ。食べやすいよ。買ってみようか」
「そうなんだ」
森の中で生活をしていると甘味はもっぱら生の果物ばかりだ。
パンケーキってどんな味がするのだろう。
お金を支払いパラチンキを二個受け取ったセノフォンテがフラミーニアの元へ戻ってくる。ベンチに並んで腰掛けた。
「はいどうぞ。……なんか昔と逆だね」
「ふふ、ありがとう。昔は屋根の上だったけど、やっぱりベンチが食べやすいね」
夜更けに屋根の上で会っていた時はフラミーニアのご飯を二人で分け合って食べていた。
懐かしいな、と思いながら手の中のパラチンキを見る。
薄い生地が重なり、赤いジャムが溢れ出ていた。一口齧ると香ばしい生地と甘酸っぱいジャムが一体となっていて美味しい。
「やっぱり……セノと食べるご飯は美味しいな」
幸せな記憶を思い出して心が温かくなる。まさかまたセノと並んでご飯を食べられるなんて思ってもいなかったから。
小さく呟いた言葉をセノが聞いていたかはわからない。
「次は何食べようか。飯屋にでも入るか?」
「え、もう食べたの。相変わらず早いね」
「こんなの二口あれば十分。肉食べたいなー。フランは?」
「私もお肉がいいな!」
「よし決まり」
残りのパラチンキを咀嚼するフラミーニアの頭をセノフォンテがぽんぽんと撫でた。
「いつも撫でられる側だったから、俺から触るのはなんか、新鮮」
意地悪く口端をあげるセノフォンテを見てギュッと心臓が収縮する。
金瞳を直視していられなくて、咄嗟に手元のパラシンキに視線を合わせる。
この浮わついた気持ちは何だろう……。
「セノはふわふわで可愛いけど……」
「フランも割と触り心地良いよ」
「絶対そんなことない……」
このままだと何かが破裂しそうなので、パラチンキを食べるのに集中した。あんなに甘かったはずなのに、途中から味がしなくなってしまった。
その後はレストランに入り、二人してステーキを平らげた後は本屋や雑貨店へ寄り、買い物を楽しんだ後、森の家に戻る。
「お帰りなさい」
そう言ってアルトゥルが迎えてくれた。
「メリッサとお話できましたか?」
「お陰様で。メリッサは疲れたのか眠ってしまいました。寝台に寝かしていますから、あとはお願いしますね」
「わかりました」
上着を羽織り帰宅の準備を始めるアルトゥル。騎士であるセノフォンテと同じくらい筋肉がついた男らしい体つきで、騎士服を着ていないだけでもしかしたらアルトゥルも騎士なのかもしれない。
上着の釦を留めながら思い出した様に話しかけられた。
「衣裳も耳飾りも似合っていますよ。セノが選んだにしてはなかなかのセンスですね」
「うるせーよ」
「あの、実はお店の方に見立てていただいて……」
んむ、とセノの大きな掌に口元を押さえられた。
「くくっ。フラミーニアさんは正直な女性ですね」
「ん、んん……」
「フラン、アルとは話さなくていい。あんまり良いことないから」
「んーん?」
「なんでも」
「あと褒められた時は適当にありがとうございますって言っときゃいいから!」と駄目出しをされた。事実を話しただけなのに……。
「それじゃあ、また一ヶ月後に来ますね」
「俺はまた薬を運ぶから、三日後な」
「うん」
馬車が入れない森の中なので、徒歩で帰路につく二人を姿が見えなくなるまで見送った。