7.身に宿す魔力(2)
引き続きセノフォンテ視点です。
通い慣れた空路を辿りデレッダ公爵家の屋根の上に降り立つと、今度は小さな蜘蛛へと変化する。
壁を伝い、当主の部屋らしき所をしらみ潰しに当たり、窓の隙間から寝室に忍び込んだ。カーテンの影にひっそりと隠れる。
寝台に座り、ちょうど使用人から事態の報告を受けている最中のようだ。
「フラミーニアが居なくなっただと……?」
「申し訳ありません! 女官長が食事を届けに部屋に入ったところ、もぬけの殻だったと……。部屋の窓から布を伝って降りたようです。既に魔法痕を追跡できる者を手配しております」
「ああ。誰にも見つからぬように探し出せ。良いな」
「畏まりました」
深々と腰を折る使用人。
デレッダ公爵は特に焦った様子もなく、仄暗い笑みを浮かべた。
「知識を与えずただの人形となるように育てたつもりだったが……変な虫でもついたか。連れ戻したら地下牢、だな」
「いつでも使用出来るよう、準備を進めておきます」
「それよりも一刻も早く見つけ出せ。【魔力転移】を失えば全ての計画が水の泡だ。……まぁ小娘の足で行ける範囲は限られるはずだが」
【魔力転移】という言葉を聞いて全身に震えが走る。
やっぱりフラミーニアは【魔力転移】保持者だった。この全身を巡っている魔力は、元はフラミーニアのものであった。
それに魔力を行使したフラミーニアは必ず何かしらの代償を受けているはず。代償の内容は分からない。一刻も早く、見つけ出さなくては。
セノフォンテは飛び跳ねて床に着地すると、おそらく筆頭執事であろう使用人の靴に張り付いた。
歩く度に大きく揺さぶられるが、落とされないようにしがみつく。そして些細に指示出しをする内容を記憶に留める。
ーーー俺が絶対にフランを見つけ出す。
一度公爵家を後にし、王城へ戻り情報を伝えると、フラミーニアを捜索するためエヴシェンの隊に加わった。
***
王都中に張り巡らされている地下下水の出口はそう多くない。全てを見て回れば、必ずフラミーニアを見つけ出すことが出来るはずだ。
「未成年の少女の足で水を中を進むのは……この範囲が妥当でしょう。デレッダ公爵家を中心にして考えると、おそらく出口は六個です」
宰相補佐の役割を担っているアルトゥルの推察に従って、全ての出口付近を見て回る。王都の南側にある出口の捜索に参加したセノフォンテは焦りからか苛立ちが表に出る。
何処にいるんだ? ここではない他の出口か……?
あんなにフランと過ごしたのに、フランのことを何も知らない。何もわからない。くそ……!
ぽんと肩に手が乗る。
「そう焦んな。大丈夫だ、セノ。人事尽くして天命を待つ、だぞ」
「天命なんか待ってられっかよ」
赤茶色の短髪姿が快活なエヴシェンは落ち着いた口調で話す。
王太子レオポルドの専属護衛騎士として共に同じ近衛騎士団に所属しているが、普段は顔を合わせることが少ない。
「真っ直ぐで長い銀髪を持つ薄緑色の瞳の十七歳の少女か。すぐに見つかりそうだが、意外と見つからないな。きっと隠れるのが上手いんだろう」
うんうんと謎に納得しているエヴシェンを無視して時間を確認する。
「俺は一度王都に戻って相手側の動向を確認してくる。エンは引き続き捜索を頼む」
「承知した。気をつけろよ」
「お互いな」
パンと掌と掌を合わせて、再び鷹に変化する。
一日で何度も変化を繰り返しているのに全く疲れが出ないのも、フラミーニアの魔力のお陰なのだろうか。
公爵家よりも先にフラミーニアを保護するべく、公爵家の捜索の動向を探るのは【変化魔法】を有するセノフォンテでしか出来ないことだ。
なかなかフラミーニアを見つけられない自分の不甲斐なさに怒りを覚えながら、見慣れた景色を悠々と進んだ。
再び蜘蛛の姿となり公爵家に忍び込んだセノフォンテは筆頭執事を探す。
見つけ出した時には真っ青に顔色を悪くした使用人が執務机の上で頭を抱えていた。
机の上にある書類は報告書だ。おそらく魔法痕を調べるために依頼した組織からのものだと思われた。
小さな体を駆使してなんとか覗き見ると、そこには、驚きの事実が記載されていた。
魔法痕追跡の依頼について。
依頼された魔法痕について、公爵家に残留するものを除くと、他には発見に至りませんでした。公爵家に滞在しているか、その魔法保持者が亡くなったか、王都外に移動したか、この三択でしょう。王都外の魔法痕捜索につきましてはーーーー
魔法痕が、無い……。
つまり、フラミーニアが魔力を有していないとそういうことになる。
通常魔法を持つ者なら必ず魔法痕が残る。魔法痕が無くなったということは、つまりその魔法保持者の命が絶えたと考えるのが普通だ。
しかしフラミーニアの保有する魔法は【魔力転移】。身に宿す魔力をゼロにすることが可能なのである。
ーーーフランの全魔力を俺に転移させたのか……!
セノフォンテは窓から外へ飛び出し、フラミーニアと何度も過ごした屋根の上へ飛び移った。
感情が大きく揺らぎ、魔力を調整できない。光に包まれ人間の姿に戻ったセノフォンテは息を荒げ、キツく掌を握りしめた。爪が皮膚に刺さり、血が滲む。
フラミーニアは気の許せる友人の一人だ。自分を大きく見せることもなく、偏見の目で見られることもなく、貴族のしがらみもない。ただくだらない話をして、質素なご飯を食べて、夜空を見る。そんな語る内容もない、そこに居るのが当たり前のような、光のような人だった。
フラミーニアは孤独だった。何も知らず、誰とも接することなく、ただ衣食住を与えられて過ごしていたのを知っていたのに。
セノフォンテはフラミーニアに手を差し伸べることもなく、ただ横にいただけ。居心地の良さに甘んじていた。
俺がちゃんと話をしていたら。犬ではなく人間だと打ち明けていたら。俺がもっと頼れる男だったら。俺が助けてあげられたらーーー
この体の震えは自分自身に対する怒りだった。
今もなお身体中を巡る強大な魔力をひしひしと感じながら、自分の無力さを嘆くことしか出来ない。フラミーニアの魔力を返したくても、それはもう叶わないことなのだ。
「くそ……っ! くそ!」
セノフォンテの金色の瞳から一筋の雫が落ちた。