3.新生活(2)
暫くの間、メリッサの家で療養させてもらうことになった。酷かった頭痛は睡眠をとると落ち着いたが、長年監禁されていたフラミーニアは圧倒的に体力がなかった。
フラミーニアは、生活していくための営みが如何に大変なのかを痛感した。
身支度を整えるための生活水は川へ行って水を汲み、飲料水は森の中にある湧き水を使用すること。
食糧はその日その日に森へ行って食べられるものを収穫すること。時には川へ釣りに行くこともあるのだそう。
フラミーニアはそんな当たり前のことすら何も知らなかった。水を得ることすら、こんなに大変なことだなんて。
「どうやったら知らないまま生活出来るのよ。とんでもないお嬢様だったの?」
「一応公爵家の娘だから」
「えっ!」
「デレッダ公爵家」
「かなり名門家じゃないの……。でも確かあそこのご令嬢の名前はクラリーチェじゃなかったかしら?」
「それは多分異母姉、かな? 会ったことないからよく分からないけど。私は存在しないことになっていると思う」
「デレッダ公爵の隠し子、ね……。【魔力転移】を持っていたら、確かに有力貴族であれば利用したいと思うのは当然ね」
少ない情報ですぐに正解に辿り着くメリッサの勘が鋭くて「凄いねメリッサ!」と感銘の声を上げる。
「森に住んでいるのに、貴族のこと詳しいんだね」
「まぁ一応王都には住んでいたからね。……あ、この果実は瑞々しくて食感が良いわよ。多めに取っておきましょ」
家周辺の森を散策しながら食糧や薬草を採集する。
いっぱいになった籠を抱え、一度家に戻ることにした。
「それにしても、フランは生活力がなさすぎるわ。体力も知識も少なすぎるし。これから町へ出て一人で暮らすなんて……」
「うん、出来ない」
「はぁ……なんて不出来な子を拾ってしまったの……」
頭を抱えて表情を歪めるメリッサの手を取り、瞳を輝かせた。
「私、自分の為にもメリッサの為にも沢山勉強する! 食べられるものの選定も、生活の知恵も、料理も掃除も! 最初は時間がかかるかもしれないけど……私頑張るから! メリッサの役に立つから!」
「私別にお手伝いさんなんて要らないわ」
「体も鍛える! 熊が来ても槍が降ってもメリッサを守ってみせるから!」
「だからお願い……っ」と藁にもすがる思いで懇願する。
メリッサは諦念し、肺の空気を押し出し視線を逸らしながらポソと呟いた。
「そんな頭じゃあどっちにしろ町にも行けないじゃない。髪が伸びるまでだからね!」
「うん! 大好きメリッサっ!」
「あーだからもうくっつかないで、暑苦しいっ!」
ぎゅうっと抱きついて頬をスリスリと擦り付ける。面倒見が良くて凛としたメリッサが大好きだ。公爵家を飛び出した先でメリッサに出会えた自分はなんて幸運なんだろう。
「早速ご飯食べよう! 動いたらお腹すいちゃった!」
先程採集した食糧を家の中に運び込む。
きのこ類と葉物は軽く火を通し、赤い果実は水で綺麗に洗う。芋はよく洗った後、大きな葉に包んで蒸し焼きにする。
「お芋って、そのまま食べるんじゃないの?」
「五十年前は生が一般的だったけど、消化に負担がかかってお腹を壊してしまう可能性があることがわかってからは火を通すことが多いわね」
「そっか。やっぱりあの本は古かったんだね。こうやって作るんだ……。私も早く覚えなくちゃ」
メリッサの一挙一動を細かに観察する。
デレッダ公爵家では一切教育を受けることは無かった。しかしフラミーニアは手作りの不格好なぬいぐるみに魔力を転移し、焼却炉に捨てられている本を拾っては何度も何度も読み返した。
その為、唯一知っている知識は幾分か時代遅れのものも多かったのだ。
そうやって出来上がった食事を散らかったままのテーブルに乗せる。
この殺伐とした部屋も綺麗に整頓したいなぁ、と頭の隅で思いながら手を合わせる。
森の恵みに感謝を告げ、まずはきのこの炒め物を口に運んだ。
きのこの芳醇な香りが口いっぱいに広がり、鼻腔から抜けていく。
「ん。味がしない……」
きのこ自体の味しかしない。公爵家の屋根裏部屋で生活していた頃は、使用人が毎日食事を運んでくれていたが、もっと味があった。
首を傾げていると、メリッサはあぁ、と思い出したように声を上げた。
「失念していたわ。普通の人は味付けが必要だったわね。ごめんね、フラン」
「えっと、どういうこと?」
「私の魔法の代償は"味覚がない"ことなの。何を食べても味がしないから、面倒で味付けしなくって」
「メリッサの魔法って……?」
「【嗅覚覚醒】よ。鼻が利くって言ったでしょう?」
「確かに言ってたけど……」
人の何百倍も発達した嗅覚を持つ常時魔法だ。常に発動し続ける魔法の代償もそれなりだと古びた本で読んだことがある。
「【嗅覚覚醒】の代償が"味覚がない"なんて……」
「常時魔法を賜った者ならこれくらいの代償は普通よ。生まれた時から味覚がないから、特に困ったことでもないし」
「そっか」
味のしない料理を口に運びながらゆっくりと咀嚼する。味付けのしていない料理は決して美味しいとは言えないが、食べられないほどではない。
魔法を発動させた時にだけ代償を払うフラミーニアと違って、常時魔法を賜った者はその者なりに代償と向き合って生きているのだ。
「早く料理が出来るように私頑張るね」
「そうね。私には不適任だわ」
「そうじゃなくて、食事は味覚だけじゃないもの。食感や鼻を抜ける風味だって、食事の醍醐味のはずだから。私だけじゃなくてメリッサにとっても、食事が楽しい時間になるように」
一瞬唯一の友人だったセノのことを思い出し、胸がチクリと痛む。
ずっと孤独だったフラミーニアに、一緒に食事をする楽しさを教えてくれた大切な思い出。それをメリッサとも共有したい。
フラミーニアは朗らかに笑って赤い果実を齧った。するとあまりの酸っぱさに顔がくしゃくしゃに歪む。
「〜〜〜っっ! すっぱ〜いっ!」
「あら、そうなの? これ酸っぱいのね。知らなかったわ」
何でもないように赤い実をパクパクと食べ進めるメリッサ。
料理を覚えるのは最優先にしようと心に誓い、フラミーニアは酸味で痺れた舌を洗い流すように水を飲んだ。