第九話 ”兄弟”
「……以前、我らが王女より、其方の過去をお伺いしたことがございます」
「はは、お喋りだな」
これまでの、かつての仲間たちに向けていた、飄々とした微笑みではなく、
ここにきて初めて、目を細めた。それは心からの笑顔のように。
「今一度、問わせて頂きます。……既に答えはあるようなものですが、それでも。其方は……王国のために日々奔走し、国を民を守るために闘った……となかわ殿は、全て、嘘なのですか」
「うん。嘘だよ、何を今更……」
この惨状を前にしても、京はまっすぐにそう問いかけた。そうして……
「……認識しました。では……となかわ殿……」
甲冑の中で、目が揺れ動く。
大敵の前では、あってはならないことだ。それでも、今から発そうとするその言葉の前に、目が、唇が震える。
「……アム王女への愛も、……嘘、なのですか……?」
これまで、如何なる大敵にも、困難にも、まっすぐに立ち向かってきた近衛隊長。
そんな彼らしくもなく。震える声で、ゆっくりと問いかけた。
となかわは、少し沈黙している。
その側に寄るのは、一つの人影。
「……王女……!!」
「あら、京。なんだか久しぶりね」
この期に及んでいつも通りなアム。
そこにあるのは、一種の不気味さだ。
彼女の穏やかな話し草は、あの穏やかな空間だから居心地がよく思える。
だがこの凄惨場において、それは心地よくなりえない。
京が、一歩後ずさる。
その行動に反し、かつて敬愛したとなかわを、静かに睨んだ。
「…………京。確かに、僕のすべては嘘だ。さっきも、つい数十分前も説明した通り。皆を守るための聖騎士という姿も、騎士たちの修練を指南する姿も、自然を愛し、この世界のために闘う姿も、すべてが偽物だ」
京は動かず、話を聞き続けた。
「…………でもね」
となかわの手が、傍らのアムに伸びる。
「く……!!王女……!!」
危険な香りを感じ取ったか。京の腕も、また前へ……
「───この愛だけは本物だよ」
……京の腕がとなかわに伸びる前に、
となかわが、アムを抱き寄せていた。
「……ふふ」
「は……」
京の腕が、だらりと下がる。
少しの安堵。安堵している場合ではないのだが、それでも少し、ほんの少しほっとした。
そうだ。彼は昔から………
彼が、本当の自分を見せる時はいつも……。
「……京。騙してごめんなさいね。となかわの真の計画はずっと前から知っていたけど、みんなには言わないでいたの。……誰にも、誰にもよ。ま、となかわと違って、私は私で国のために動いていたけどね」
「……ふふ。お茶目心で、つい口を滑らせてしまったらどうしようかと思ったけどね。それでも、君を信じてよかった。……バラされても、アムちゃんになら別にいいしね」
「……王女」
色々な気持ちが渦巻く。
脳裏に浮かぶのは、聖騎士として過ごした、10年以上にわたる日々。
王女と、聖騎士の笑顔。
聞きたいことは、他にも山ほどある。
だが京は、最後にこれだけを、絞り出した。
「……容認していたことは許されるわけではありません。ただ……この渦中でも私は安心いたしました。王女は、潔白なのですね」
それは質問というより、
祈りに近い一言。
アムは、少しだけ口を噤んだ後、
「私は……潔白なんかじゃないわ。京。私は悪魔に心を売った。人様に言えないことを、たくさん、たくさん、してきた……この地位のため、あの王国のため。”王女アム・ニヤ”もまた、すべてではないけど、嘘に塗り固められた偶像なの」
「…………王女……」
「……おかしいなあ」
となかわが、アムを抱いたまま、静かに語り掛ける。
「……え?」
「君の心は、既に僕が奪ってしまってるはずなんだけど。無いものをどうやって売ろうって言うんだい?王女というものが、規約違反じゃないか」
「……となかわ」
「それに売る相手が悪魔なんて、なんだそれ。そんなものに、僕の大切なアムちゃんの心は奪わせてなんてやれないね」
「……!!」
アムが、俯いていた顔を上げた。
そして抱き寄せられていたその腕に、ぼふ、と顔をうずめる。
「……暖かいなあ」
京は、その様子を、ただ静かに見つめていた。
その時。
─────倒せ、今のうちだ。
「……!?」
声が響く。一体、どこから。
「さて。とても名残惜しいがアムちゃん。さっきまでのように、少し離れていてね」
「……分かったわ。貴方に、幸あらんことを」
─────さっさと襲い掛からんか、こんな隙はそうそうないぞ。
「…………」
再び、響く声。
京はやっと、この声の正体を理解した。
懐かしい、穏やかで鋭い声。
むしろ、これまで聞こえなかったことがおかしなことだろう。
京は静かに、剣を構えた。
「……長話になってしまったね、京。さあ、やろうか」
─────ほら、早く掛からぬから、構えてしまったではないか。
「いや、今でいいのだ。むしろ今でなければ、王女が離れ、その安全が確保した今でなければならぬのだ」
「……ん?なんの話、だい?」
絶妙にかみ合っているような、かみ合ってないような返し。
急に口調が変わったのも気になる。正式に、僕を敵と認識したということか?それなら、面白いけど。
それには答えず、京は剣を振りかぶる。
「おおっ……!!!」
一閃。
紫色の気炎が、辺りに散らばる。
その剣閃は、その心を映すように、鋭く真っすぐだった。
渾身の一撃が、となかわの、すぐ前を掠める。
「いい振りだ。だが、半足分届いていないよ。君らしくもない」
勢いそのままに、体をねじり、横薙ぎの斬撃を放つ。
<“暴鐵一閃”>と同じ要領だ。
……不可解なのは、それが、その姿勢のまま繰り出されたことだ。
一撃目はとなかわに届いていない。
その体勢のまま体を捻って打ち込んでも、届くはずはない。先程の焼き直しのように、剣はとなかわの少し手前を通り抜ける。
「……?」
京の打ち筋からは、考えられぬことだ。
前へ。いつまでも前へ。それでも前へ。
退くことを許さぬ気勢。
敵の臆病心を刈り取る轟々しき剣筋。
それが、京の剣術ではなかったのか。
ぶお、ぶおんと剣を振るう音。
それはとなかわの顔の紙一重を掠めてゆく。
何を狙っている?京。
「せあっ……!!」
尚も続く紙一重の剣戟。
唐竹、右切上、左薙、逆袈裟、逆風、
次々に繰り出される剣の舞。
「……そうか。思い出したよ」
ああ。なるほど。
そうだな、京。
かつて僕と京は、こんな修練をしたことがあった────
………………
『と、となかわ殿っ、斯様な修練、ここらで打ち止めとさせて頂きたく……!』
『いいや、まだだ、まだだよ京。ここからだ、ここからが面白いんだよ』
『く……そうは、言われましても……!』
『さあ、もう一回だ』
『う、ぐう……!』
遠慮がちに、しかし鋭く振るわれる鉄剣。
それはとなかわの体の、少し前を通り抜ける。
『うーーん、もうちょいいけない?京。無理を言うようだけど、君の技術なら、もうちょっといけるはずなんだけどな』
『御期待に沿いたいところではありますが、私めにはもう……』
鎧の隙間から染み出る多量の汗。
剣を握る手は震えている。
『そうか……参ったな』
いい修練だと思ったのだけどな。
京に、僕を殺すことのできるギリギリまで、その寸前まで剣を振るってもらう。
僕は静かに迸る殺気を抑えながら、敵の擾乱を見極め、最小限の動きで敵を滅ぼすことができる。
京は1ミリ単位の剣の振るいを、間合いのとり方を、そして敵の殺り方を実践に近い形で学ぶことができる。
『……』
誤算があったとすれば。
京は、たとえ修練となれども、僕に真剣を向けることは躊躇われるようで、
その全力の一振りが首に直撃しても多分大丈夫だろうに、
その振りにはまるで殺気が籠っていない。
狙っている場所も、急所ではない。
『ワカった、京。無理を言ってすまなかったね』
『いえ、私は……』
引け目があるのか、辞めたかったはずの修練が辞められる、その機会を前に俯いた。
……いや、これは。
チャンスなんじゃないのか、今こそが。
『じゃあ京。この修練は終わりにする。だが最後に、最後にもう一回だけ、やってみてくれ』
『う……!?』
『言うまでもないが、この大事な修練を半端な終わりにはするなよ。君を見込んで、僕は頼んだんだ。狙いはココだ。剣先と首筋の間に、一本の針も通らない程の繊細な距離感を目指すんだ』
自分の首をトン、トンと指し、狙いを示す。
『…………!!御意……!』
そして鋭い眼で、京を見つめる。
誰が観ても分かるレベルで緊張している京は、
深呼吸の後、大きく振りかぶって───
『おお───!!………っ!?』
鎧から染み出した汗。
緊張により震える腕。
ほんの少し、ほんの少しだが、強く鉄剣を握っていた京の手が、柄から滑った。
『は───!!!となかわ殿……!!』
狙い通り放たれた首筋への一閃。
それはとなかわを間一髪、掠めるはずだったが、
ほんの少しすっぽ抜けた手によって、その首に轟速で差し迫る。
『そう、こういうのがあるから、この修練は実りがある』
キン、という金属音が辺りに響く。
『な……!?無事、なのですか……!?』
握っていた鉄剣の刃が、根本から地面に落ちていた。金属音は、それが小石にぶつかった音だ。
となかわの指には滅びが纏われている。あの刹那、鉄剣を側から叩き割ったのか。
いい音だ。適当な剣を見繕ったつもりだが、どうやらそうなまくらでもないらしい。
『寸止めも、難しいものだ。いつか手が滑って、加減をミスって、こうなってしまう。敵から見える微かな動き、血流、闘気から、次にどう動くか……どんな攻撃が来るか、察知する為に、これは重要なんだよ。……まあ、さっきのは、明らかに来そうだったからそんな実りにはなってないけどね』
『…………!!』
早口で語るとなかわ、そして呆然とそれを見つめる京。
『これができれば、戦場の、一刻一秒を争う場においても、各陣営の動きを見切り、最適解を導き出せる……そんな力を得られると思うんだ』
『……………となかわ殿、其方は、何処まで……』
京は重厚な鎧を着込んでいる。
その上からの動きを観察されるとなれば……
『いつか京にも、これを修得して欲しいな』
となかわは独り言のように、遠い目をしてそう言った。
京は激しく、ぶんぶんと、首を振っていた────
…………………
「なるほど……アレか。随分と懐かしいね。あの時と違って、完璧な位置調整だ。相当な修練を積んだんだね」
「………」
尚も振るわれる紙一重の剣。
少しずつ、少しずつ、その距離は狭まってゆく。
途轍もない精度だ。
「で……それがどうしたんだい?まさかこの期に及んで、修練の成果を見せたい、って訳じゃあるまい」
────京。
そうだ、それでいい。
京は無言で紙一重の剣戟を続ける。
二人の声にも、耳を貸さず。
「そして……実戦でそんなの、通るわけがないよね」
京の剣戟が迸る刹那、
となかわがずい、と前に出た。
「……!」
「……ほう」
京は切り返し、距離がかなり変わったのにも関わらず、それでもそれを紙一重に留めた。
「……素晴らしい精度だ。この場でそれに拘る理由は分からないけど」
愚直。
それは聖騎士としての任を捨て、仲間達を屠ったとなかわへの当てつけか、
それとも、王女への愛が本物だったことに対する最後の敬愛か、
いずれにせよ、どう見ても、
無意味で、意味不明な行動だ。
「うおお……!!」
またも掠める斬撃。
────京。
そろそろだ。おそらく、次はないぞ。行け───
となかわにも、少しずつ、苛立ちの情が浮かぶ。
もはや技の精度をここまで鍛え上げた京を、褒める気など無くして。
「………。最後まで、ただの一言も発さず、ただ僕を睨んで立ち続けた。ぴくりとも体を動かさず。そうして、最後の1人になって、やることがこれか?京。頼む、もう少しはなやかに終わらせてくれよ」
そういうと、もはや終わりだとばかりに、滅びを纏った剣を構えた。
融剣は解除されている。
それを見た京は、同様に剣を構え、大地を蹴った。
…………それは微かな小揺らぎ。まず、気づかれることはない。
ほんの少しだけ、ほんのちょっとだけ、その時は踏み込みが強かった。
そして、放つのは此度の剣戟初めての…………”刺突”。
確か、<“紫炎踏突”>と言ったか。
「……む」
その剣が、となかわに差し迫る寸前────
ガギィ、と響く鋭い音。
そして、宙を舞う京の剣。
”紫虎羽剣マガミドミリナ”。王国ニヤの兵士として就任以来、片時もその身から離れなかったその重厚な剣が、空高く打ち上げられた。
「……当てるつもりだったな、京…………」
弾いた剣。勿論、放たれた刺突が届くわけはない。
だが、同時に。
その剣の後方に、刺突と同時に静かに放たれた魔法撃。
<“紫覇龍怨貫砲”>が、となかわを襲う。
戦虎の雄叫びのような、覇龍の嘶きのような鳴動を侍らせて。
「……。京、これはあの時見せてくれたばかりじゃないか。僕にこんな小賢しい真似が通用するとでも?」
煙が晴れる。
となかわは容易にその魔砲を打ち消し、その体には傷一つついていない。
「む…………?」
京の姿が見えない。
煙に紛れ、何処かから不意打ちを仕掛けつつもりか?
もしそうなら、これまでの京がするはずのない戦法だ。
「……無論、思っておりませぬ」
予想を裏切り、いやある意味では予想通り、
京が居たのはとなかわのはるか後方。
こいかわが霧散した、あの場所だった。
「……京」
「其方の眼をかいくぐり、確として此れを手中に収めるには、今しかなかったのです」
「………」
…………どんな、択だ。
僕の行動を、感情を読み切り、ただその剣を手にするために、他のすべてを犠牲にした。
針の糸を通すような……いや、針に針を通すような無謀な賭け。
なるほど確かに、僕は、あの剣を手にしようとする京を、きっと止めるだろう。
ひとつでも歯車が食い違えば、即座に瓦解する硝子の作戦。
こんな行動を、迷わずとるような男だったか?
なにか、何者から天啓をうけているような────
「征きます。となかわ殿。其方を、必ずここで斬す」
あの剣は、奇跡の産物だ。そこらの呪いの魔剣や、伝説の聖剣と比較にならぬ禁忌。
いくら京が一騎当千の戦士とはいえ、まず扱える代物ではない。
すぐにその体は滅びゆくだろう。…………僕とて、あれを完全に調伏し扱える自信はない。
京の手が、その剣に伸びる。
────心配するな、京。魅せてやれ、我達の力を。
また声が響いた。
そして───
「…………っ!」
咄嗟に防御を取るとなかわ。
激しい反動。衝撃を滅ぼし、今一度京に向き直る。
間髪入れず、叩き込まれる二の太刀、三の太刀。
「…………そうか。<“狂空無為顕現”>。あの剣を握り、そして斬りかかったのは、あくまで可能性の京か」
あの時のように。
京が朱眼の願いを叶えた時のように。
京はあの剣を抜かず、代わりにその剣を抜いた可能性の体が、となかわへ斬りかかったのだ。
「如何にも。其方を切り裂くのは真の太刀に非ず。打倒しに征くは偽像の剣なり」
偽りの剣と言えども。
それは確かに、京の剣筋だ。
真っ直ぐな気勢。それは勿論読み易いが、
その剣の持つ力が余りにも強く、思うように打ち返せない。
「いい気になるなよ、京───!!」
だがそんな偽剣に押し切られるとなかわではない。
次々に放たれる剣戟をいなし、
迅雷に本体へと突き進む…………!!
「…………!」
数瞬の隙。
<“狂空無為顕現”>の発動後の、わずかな隙を捉え、律剣が京を襲う。
「……む……!」
目の前に、ブン、と長い朱色の鎌が振るわれた。
となかわの頬には小さな傷。
「カカ、これは本物だぞ?となかわよ」
京の魂から声が聞こえてくる。
黒い手が伸び、その鎌を振るっている。
「……そうか。違和感があった。まさかそこにずっと潜伏していようとは。“魔門 朱眼”」
「カーッハッハッハ……!なんとまあ、天下のとなかわと云う者が、こんな雑兵まで覚えていてくれようとは、光栄じゃァないか!!」
「兄者よ。あまり身を乗り出してくれるな。此処から出れば、兄者の意識も存在も即座に消滅することだろう」
…………僕の”白い魂” と ”開放” とは少し違うな。
<“御天魂開闢”>のその性質と、純粋で対極の魂があるから成せる業。
「固いことを言うな京よ。どうせ、これが罷り通らねば我らは消滅ぞ。我と貴様で、必ずこのクソったれとなかわを打ち倒そうぞ」
むしろ、これがあったから。
京の魂の中に、朱眼が居たから。
「ああ、征こう、兄者よ」
あの剣を。
超越の剣、神・星奪濠頼剣マッシブドルヴォリィ・ヴェルヌズドルマーを扱うことができたのだろう。
「「は、あああーーーーー!!!」」
可能性の剣とはいえ。
自らが滅ぶことを承知の、捨て身の攻撃とはいえ。
あの剣を握れば、一瞬も持たず魂ごと滅びゆくだろう。僕に斬りかかるなど不可能だ。
あの剣は聖剣と魔剣が融合している。だからどんな魂とも適合しない。
だが京なら。京だけは。
「……!」
根源が魔でありながら、
王国を守る騎士として、最前線に立ち続けた聖なる姿と、
志を捨てぬ闘士として、生き抜いてきた魔の姿が、併さっている。
普通、一つの魂に聖と魔など併さりえない。だが彼なら、
「これが……」
────いや、彼らなら、
「我ら兄弟の…………」
神・星奪濠頼剣を、数秒でも振るえることができる。
「「……力だ………………!!!!」」
これまでその剣をいなし、躱してきたとなかわに、
遂にその剣先が掠める。
もう少しだ、あと少しで届く。
兄弟は、さらに勢いを増し、可能性の刃を振り続ける。
「「う・お・お・お・お─────!!!!!!!!!」」
だが届かない。
わずか数 mmのわずかな距離。
それはつい数分前の焼き直しのように。
変わったことがあるとすれば、それをどちらが仕掛けてるか、ということか。
「どうしたんだい?また、あの紙一重の斬撃かな?」
「ぬう………!!」
「な、なっ…………!!」
────神業だ。
あの剣に斬られようものなら、となかわとて無事では済まない。
こいかわ戦でそれは分かっているはず。
なのに、微笑みのまま、それを紙一重で躱している。
「う、おお───!!」
「はあ────!!」
考えてみれば当たり前の話だ。
虚を突けば、一本の剣を抜くことはできよう。
「……ふふ」
だが、その体に一太刀を入れられるほどまで、
実力が伯仲しているはずはないのだ。
「……!!」
ここには圧倒的な実力差がある。
小手先の技術や、フェイントなどでは到底埋められぬ差。
「……く」
…………そして、言うまでもなく<“狂空無為顕現”>は消耗が激しい。
そして京は常に<“御天魂開闢”>を開放し、共闘している。
…………ただ避けているだけで、彼らには十分に覿面なのだ。
「……進め、弟よ」
「……兄者」
「進むのだ、前へ、とにかく前へ!己が信じたものを、最期まで信じ抜き…………そして、必ず、貫いて見せようぞ」
「……御意」
前へ。
食らいつくように前へ。
となかわが回避するのなら、その避け先に。
跳ぶのなら、その跳び先に。
弾くなら、その腕を────
「ふふ、スゴいな。<”開放”>で顕現させているのならまだしも、<“御天魂開闢”>を維持したまま、ここまで動くとは。”開放”と違い、御天魂開闢では単純に魂の消費が2倍になるはずなのにね。
「承知の上でございます。私も兄者も、滅びゆく覚悟はとうに決めている」
覚悟と信念の剣。
彼らは後退など知らぬとばかりに、
大地を蹴り、空を裂き、差し迫る。
そして…………
「はあ───!!」
「ぬおお…………!!」
その剣が、ついにとなかわを捉えた。
「……!!」
ズ、と刃の食い込む感触。
「ついに…………捉え…………!!」
…………瞬間。
となかわの姿が消えた。
「な……!?」
「…………倒し、たのか……?いや…………」
「…………ふむ。一体何をしているんだい?君たちは」
となかわは、二人の背後でくつろいでいた。
待ちわびた、という表情をしている。
「な……」
「…………まさか」
「……京。<“狂空無為顕現”>を習得するに至ったキッカケは、何だったっけ。僕がそれを使えないとでも?」
「……我々が、相手していたのは」
「となかわ殿の………可能性の幻影」
まさに絶望。
力をひり出した先程の攻勢で、魂を、光の力を随分消費してしまった。
眼の前に見えるは無傷のとなかわ。そして、我らのみのアドバンテージだと思っていた<“狂空無為顕現”>も使えるときた。
ダッ、と大地を蹴る音。
たとえ眼の前が絶望でも。視界が闇に包まれていても。
我らは進むしかない。前のみを見据えて。
それに。
こいかわのあの一撃は、効いているはずだ。
これを活かせねば、皆に合わせる顔がない。
それでも。
「く……」
「また……!」
斬撃は儚く空を切る。虚空を裂く感触しか、この腕には響いてこない。
<“狂空無為顕現”>の読み合いをされると、途端に苦しい。
更に苦しいのは。
可能性の攻撃では、可能性の体を穿てないということだ。
いかに可能性の体と言えど、攻撃を受ければ未来は限局し、狭まる。
だが可能性の刃が可能性の体を切り裂いたところで、限局される未来はあまりにも薄められる。
<“狂空無為顕現”>以外での攻撃方法が事実上存在しない京・朱眼陣営において、この状況はほぼ詰みだ。
「ふふ」
となかわもそれを理解しているのか。
微笑をたたえ、ただただ回避に専念している。可能性の体を使って。
「…………」
だが、侮るなとなかわよ。
この勇猛果敢の兄弟の底力を、舐めてはいけない。
「……うおぉ──!!」
となかわには、一つの解れがある。
先程、京の紙一重の斬撃からの刺突、そしてその奥の魔砲。
これを完全に看破し、備えたからと、京に剣を抜く隙を与えてしまったあの時の様に。
それはただの戯れに近いものかもしれない。
だが戯れてくれるのなら、それをモノにするだけだ。
「……<“疾空の月”>」
朱眼の脚に、ポウ、と薄青い闘気が纏われた。
「兄者……!?」
朱眼はさらに速度を上げ、となかわに襲い掛かる。
……速い。
これまで朱眼は、京との魂の繋がりが断ち切れないよう、京のすぐ近くで鎌を振るっていた。
魂のみで存在している朱眼。京から完全に離れてしまえば、すぐに消えてなくなるだろう。
離れる時があるとすれば、このように、可能性の体で突っ込む。その時は無論、神・星奪濠頼剣を携えて。
それはどちらかといえば砲弾に近い使い方だ。
”狂空無為顕現”によって迫りくる朱眼の体は、何もせずともすぐに消える。消滅のデメリットを踏み倒せるのだ。
先程の魔法は、一時的に自身の速度を上げるものか。
だがこんなもの、恐るるに足りない。
───5秒。
これまでの観察。京の魂を離れた朱眼が”狂空無為顕現”を維持できるのは、5秒が限界だ。
ブラフではない。むしろそこまで持つ方が奇跡だ。
1・・・2・・・
朱眼が神・星奪濠頼剣を振るっている。
ひらり、ひらりとそれを躱す。
3・・・4・・・
そして脳内でカウント。もう、その可能性の体は赤信号を発しているはずだ。
最後に、さらに速度を上げて突っ込んできた。そんな愚直な一撃に当たるはずもなく、
朱眼は勢いそのまま遥か後方に翔ける。
・・・5・・・。
京はどこに行った。
そろそろ、終わらせ───
ド ス ・ ・ ・
ちらと斜め前を確認したその瞬間。
となかわの体は、背後から貫かれていた。
「…………な……っっ!?」
自らに食い込む神・星奪濠頼剣の刃。
それはとなかわの反滅界を容易く打ち破り、その魂をかき乱す。
「……!!本物……!!」
「カ、ハ、ハ……ッ!遂に、終に捉えたぞとなかわよ!!貴様を殺す刃だ、受け取れい……!!」
「ぐ……」
本体か。
成程。可能性ではない本物の体なら、5秒よりも僅かに長く、力を維持できるだろう。
朱眼は途轍もない賭けに出たのだ。
初めの5秒は、これまで通りに愚直に、いつも通りの剣戟。
そして5秒ちょうどで、となかわの視界から消える。
勿論その間、神・星奪濠頼剣の力が自分に食い込む。魂が心臓がズタズタに食い荒らされる。
それでも歯を食いしばり、機を待った。
自分への意識を完全に失い、京を探し始めるその瞬間を。
……こんな作戦。
たとえ思いついてもやらぬだろう。
かつて偽りの死を経験した朱眼だからこその、
本当の死を犠牲にした一撃だった。
「ハ……後は、任せたぞ、弟よ……」
「───!」
京もまた、走りこんでいた。
鎧がぼろ、ぼろと崩れ落ちている。
一心同体であった朱眼の魂が消えかけているのだ。自身に反動がないはずがない。
それでも走る。最期まで。
消えゆく朱眼の体からぽろ、と落ちた神・星奪濠頼剣を握り───
「う……!!」
横薙の一閃が、渾身の刃が、蹲るとなかわを捉えた。
紙一重でも、掠めでもない、直撃。
朱眼に神・星奪濠頼剣で体を貫かれた直後だ。思うように回避も出来ず、”狂空無為顕現”も間に合わなかった。
となかわの上半身と下半身が分かれ、夥しい血が溢れる。
「が、はああ……!!」
カラン、カランと神・星奪濠頼剣が地面に落ちる。
担い手はもう、居ないとばかりの空虚な音。
「…………兄者」
「……あ、あ」
「やり……ましたぞ」
「…………」
もはや言葉も発せない状態だ。
最期に神・星奪濠頼剣を握った京もまた、消えゆく運命にある。
だが胸の内にあるのは、失った命と魂を埋めて余りある、莫大な達成感。
─────獅子奮迅の兄弟が、
大敵を打ち破った瞬間だった。
…………。
霞となり、消えゆく体。
そのぼやけた視界に、最後に映ったのは。
「……く。な、何故……」
京はその瞬間………もはや、
流石だ、と感じた。
ここまでやってダメなら、もはやあきらめがつく。
「………はぁ、はあ、は……」
心の底ではわかっていた。
我らが彼に敵うはずなどないと。
だがそれでも、闘い抜くと決めていたから。
事実、となかわはかなり消耗していることだろう。
「まさ、か……魂、のみの状態で……“甦・生”を……!」
「……勿論、試したのは初めてさ。京、そして朱眼。見事だった……」
膝をついた姿勢のまま、消えゆく京を見つめる。
「……あの日、心の底より…渇望、した、其方よりの…賛辞の言葉。今は、まるで、嬉しく……ありませぬ」
「……そうか」
「この命を……託します。ごちかわ殿……モザ、ちゃん、殿」
腕を小さく上にかざし、京の体は消滅した。
その場に残ったのは二人。
「……京」
離れたところから、この戦いを見守っていたアム。
その身体には高密度の反滅界が張られている。これで、衝撃を防いでいたのか。
「……く、なんて消費量だ、この魔法。本当にこの世界の魔法か?普通の人間では、生涯をこれに捧げても唱えることなどできないだろうに」
となかわが、小さく胸を抑える。
京と朱眼に躰を切断されたあの時、自分の生存を即座に諦め、自分の持つすべての光の力を周囲に撒き、それを以て“甦・生”の術式を唱えた。
となかわの死後、術式が光を発し、瞬時にその身体を蘇生する。
1秒にも満たない時。そして大部分の光の力は返ってきたが、それでも尚残る反動。
「アムちゃん。もう少し離れてい───」
「───京。想いは託された」
闇に塗り固まれた空間。
そこに来たるは、そのなかで一際輝く2つの神光。
「あ、あああっっ……!こ、こんな……!!」
「……おや、ごちかわ、モザちゃん。ご無沙汰だね。遅かったじゃないか。ちょうど……終わったところだよ」
「と、となかわ、さん……っ!!」
「……皆、すまぬ。間に合わなかった」
「ど、どうして……こんなことを……!!」
周囲を見渡す。
血飛沫。ズタズタの死体。蠢く漆黒の太陽。
これまでの間に何が起きていたか、想像するに難くない。
「どうしてって、ただの暇つぶしさ。君たちがあまりにも遅いから。もっと早く来てれば、2,3人の犠牲で済んだだろうに」
「う……!!」
「……だが、存外に苦戦したようだな。相当消耗しているだろう。今度は油断はせぬ。全身全霊を以て、俺とモザちゃんで貴様を殺す」
「ふふ……やってみるがいい。確かに君の言う通り、彼ら……の一部は本当に強かった。認めよう。だが、君の相手は僕じゃあない」
「なに……?」
「ここまで来たら、僕も我を通して、モザちゃんとのタイマンをさせてもらおう。……アムちゃん。出番だよ」
となかわがちらと後ろを見ると、
ゆっくりと、王女が歩いてくる。
「はあい、任されました」
な。
俺の相手が、アム?
なんと不可解な。
モザちゃんとの一対一をしたい、というのは理解できるが、
アムを俺と当てるというのが理解できぬ。
アムは直接的な戦闘力はそこまでだ。間違っても俺に傷をつけるには至らぬ。
そしてそれ以上に不可解なのは。
アムを愛し、心の拠り所としているとなかわが、アムを戦わせるとは、それも、この俺と。
これまでアムを戦場に出さぬと、人一倍働いてきたとなかわがだ。
「……ふふ、不思議かい?ごちかわ。知ってるか、こういう愛もあるんだよ」
「……」
「君はモザちゃんが僕と戦うことが心配かい?」
「いいや、モザちゃんなら、きっと貴様を打ち倒せる。如何に貴様といえど、消耗しきったその身体では俺のモザちゃんに勝ち目はない」
「ご、ごちかわさん」
「……そうだろう。僕も同じだ。僕はアムちゃんを信じている。心の底からね」
「……だそうだが、アム。本当に俺に勝てるというのか」
「うふふ、確実に勝てるかはわからないけどね。だけど貴方は私を殺せない。最低でも、となかわの時間稼ぎくらいはできるわ」
殺せない、だと?
たしかに情はある。長い付き合いだ。
だがこの局面で俺が貴様を殺せぬなど、そんな甘いことがあるわけがないだろうに。
「いいわ。“ごちかわ殺し”の力、見せてあげる」
アムは小さく手を開き、俺に向き直った。




