第六話 "虚剣"
これは、あの血戦の中の、もう一つのお話。
封緘された扉。魔界の門よりもさらに小さな小さな扉。
わずかに不吉な光が漏れ出ている。
それをじっと見つめながら、顔をこちらに向けることなく、“伯爵”は話しかける。
『……クイーン・アム、おヒトつ、いいデ~スカ?』
『あら、どうしたの?』
いつもの調子だ。
先程、他の聖騎士の皆を、死地に送り、
涙とともに別れた、その様子ではない。
まるで、庭園で茶菓子をつまみながら、
王国の善き知らせに耳を傾ける、そんな時のような表情。
『……トナカーワサンは、一体どこにいらっしゃるのデ?先程カラ、姿が見えないノデ……』
『ああ、そのことね。大丈夫よ。心配はいらない。大丈夫。彼は、今とても大切なことをしているわ。……いや、しようとしている、かしら』
『……?』
伯爵が全幅の信頼を寄せている王女。指名手配犯である自分を、秘密裏に匿ってくれたアム王女。
彼女のおかげで、今自分はここにいる。"伯爵"として、まだここに居られる。
その彼女が言ってくれているのに、伯爵はいかにも不安そうだ。
それもそのはず。ここにはあの怪物が現れる。必ず。
作戦では自分とアム王女ととなかわの三人で抑える。そのはずだ。
言うまでもなくとなかわが主力。自分たちはその補佐でしかない。
そのとなかわが、いつまでも現れないのだ。現れる予感すらしない。
それなのに、王女は気味が悪いまでに落ち着き払っている。
対照的に、伯爵の胸中には、高純度の"嫌な予感"が渦巻いている。
希望という名のスケッチブックが、黒く塗りつぶされていく感覚。
人気のない夜の廃墟を、裸で歩いてるかのような頼りのなさ。
…………刹那、
その思いを裏付けるかのように、
『面白い。面白い試みです、其方ら』
寒い、寒い突風が吹いた。
――黒い翼が翻る。
魂をその根源から黒く塗り潰さんとする、
不安、恐怖、戦慄……
抱いたそれぞれの感情が心の芯から塗りつぶされる本物の虞。
この扉に、悪しき者は近寄らせんと2週間掛けて敷いた防護陣を、
ソレは鼻で笑い飛ばし、素手でこじ開けた。
『さて。“黄”。“紫”。これはいったい何をしているのか、教えてもらっても構いませんか?』
冷静ながらも濁った声。魂に巣食う瘧が、闇に染まって行く。
『あら、思ったより、早かったわね』
それを、微笑みながらアムは迎えた。
信じられない光景だ。伯爵が息をのむ。近くにいるだけで、狂いそうになる。
『質問に答えていただきたい。原初の虹色“黄”、アム・ニヤ』
『ふふ。分かっているくせに。殺すのよ。“しぃけーちき”を殺すため。そのための異界を作っていただけだけど、何か、文句でもあるのかしら?』
『……!!クイーン……!!』
伯爵の顔が引き攣る。目の前にいる悪魔は言わずと知れたしぃけーちきの側近。三大幹部最恐と呼ばれる存在。その脳魔に、こんな……
『いえ。そんなことは見ればわかります。問題は、こんなものであの御方を嵌められるとでも思っているのか、ということです。こんな突貫の下世界、いつ崩れてもおかしくないでしょう』
『あ、やっぱそう?これじゃあ、ちょっとキツいかなと思ってたのよね』
軽い。まるで昔からの友人と話すかのようだ。
『クク、私の力でこの世界をさらに強固にしてあげましょうか?……あなた方の命を、魂を消費することになりますが』
黒い悪魔は言葉と同時にニヤリと笑いながら、アムに逼迫し、その魂に手を伸ばす。
『やめた方がいいわよ。その指が私に触れる前に────となかわがあなたを殺すわ』
『………ほう』
寸前で手を止め、脳魔が上を見上げる。確かに。
静かな殺気を纏い、死神が空に佇んでいる。
『確かに、これではあなたに手を出せそうにない』
あっさりと手を引いた。
となかわは動く様子がない。
アムと脳魔の距離はわずか数cm。
それなのに、まだ動く素振りを見せない。そしてアムは、それでも尚落ち着いている。
『脳魔、分かっていると思うが───、次にアム王女に触れようとしたら、警告なしでお前を殺す』
静かな声だった。独り言、呟きのような小さな声。遠くにいるのだから当たり前か。
『……ふふ、どうやら脅しではないらしい。成程、今の貴方なら言葉通り私程度なら瞬殺できるのでしょう。一体いつからそこまでの力を付けていたのですか?私は、貴方が彼らを裏切ったことよりも、むしろその、元々ヒトとしての限界を超えていた貴方が……ソレとは比べ物にならない力を、この10数年で付けたこと、これが不可思議でなりません』
『……』
『そしてそれでいて、今もアム・ニヤのことは大切に思っているらしい。そしてアム・ニヤも聖騎士を裏切った貴方を認めている。……貴方の目的は以前に聞きましたが、一体いつから、どこからそれを考えて居たのですか。あの御方と邂逅した時ですか?"橙"と共に、私と戦った時ですか?聖騎士になる前の、あの期間に?……それとも、あの日、"緑"に出会った、その瞬間?』
『……ふふ。認めてるかどうかは、分からないけどね。ひどい男よ、となかわ』
『……』
となかわは喋らない。
遠い……、表情が読めない。
『……まァいい。今はこんなことはどうでもいいでしょう。話を戻します。これでは、こんな世界では、我が君を嵌めて殺すなど不可能に等しい。すぐに内側から破壊されて終いでしょう。其方はどうするおつもりで?』
『決まっているさ。僕が外側からこの世界を押さえ込む。気乗りしないけど、終わるまでこの世界を守り切ってみせるよ。しぃけーちきには、僕も死んでもらわないと困るから。聖騎士の字を貰ってるんだし、せっかくだから任務はやり遂げないとね』
『……何?何ですと?世界を、世界そのものを……?はは、異次元も異次元、そんなことを考える人など、あなたを除いて他にいないでしょう。"橙"でも、考えるかどうか……それでも、其方ならあるいは可能なのではないかと思ってしまいます。ですが油断なきよう。其方が世界を守るために力を使っているさなか、其方の、……もしくはそこの王女の命を狙う影が居ないとも限りませんよ』
『思い上がるなよ脳魔。世界を守りながらでも、君を殺すことなんて造作もない』
『おお、恐ろしい恐ろしい。安心しなさい、こうまで言われてあなた方に手を出すなど私は愚かではありません。……しかし困りましたね。私の仕事が無くなってしまった。世界の形成の補助も不要。邪魔者の掃討も不可能。……このままでは我が君に合わせる顔がありません』
黑い眼がこちらを見つめる。
静観を決め込んでいた、伯爵の背筋が凍る。
『……せめて、手土産くらい持っていかないといけませんね』
『……ッ!!』
隼撃。
原初の悪魔の爪が、伯爵に差し迫る。
<"蕾喿の大楯">
もこ、もこと毛玉が生える。
超高速で放たれたその腕は大量のツボミザワに阻まれ、大きく減速した。
『……む』
拳を握り締め力む。
炎雷とともに、ツボミザワがすべて焼き切れる。
『この程度の足止めで……!』
今度こそと、拳を突き出す。
炎雷を纏った拳は、再度展開された蕾喿の大楯を容易く焼き割り、伯爵へと一直線に突き進む。
それを、
『………ハ………!!!』
伯爵は受け流した。
蕾喿の大楯を幾層にも纏った腕。それは瞬時に焼き切れようが、達する衝撃は大幅に軽減される。
『セヤ………ッ!!!』
伯爵のアッパーが脳魔に炸裂する。
大地を踏み締め、増幅するツボミザワのバネを生かし、その顎に叩きつけた。
『む……貴様……!!』
今度は紫電が迸る。
魔の雷が伯爵を狙い撃ち、殺意を持って迫り来る。
『効かないデースヨ……!!』
左腕に装着した金属製の盾でそれを弾く。
特別製の盾だ。ニヤ王国産の、神秘が宿る"王銀"に、ストガギスタ王国の高純度の"ウ素"を織り交ぜて作る、銀翼の小盾、その硬さたるや……
『なに………!?』
物理攻撃を押さえ込む蕾喿の大楯。
魔法や光線による攻撃を防ぐ銀翼の小盾。
そうして守りを固め、千の暗器で相手を仕留める。
ツーナ=シャーケ伯爵。原初の時代を生き抜き、世界に抗い続けた"死を喚ぶ武器商人"の戦術体型である。
そうして、振り返りざまに、また鉄針を穿つ。
5本目だ。最初の蕾喿の大楯での防御の際、突き出した拳へのカウンター、アッパーの際に顎に打ち込んだもの、紫電を弾く際の手首のスナップ、そして今ーーー……
『原初の"紫"。やはり厄介なものですね。賢しいタイプだ。様々な奇妙な戦型を使う。そして本人もなかなかに"やる"。面白い。もしや、この脳魔をこのまま足止めするつもりですか?』
『その通りデース。ワタシが仰せつかっタ指示はただ一ツ。アナタを止めるコト、それだけデス』
『クク、冗談はほどほどに。他2人は動く様子がないようですが。動揺しているのが見え見えですよ。もう一度問います。貴方一人で、私を止めるおつもりですか』
『何度問われてモ、答えは変わりませンヨッ……!!』
バシュ、バシュと鉄針が射出される。その針は的確に脳魔の脳と心臓を穿つ。
『………ふむ、愚かなことを。何を塗布されているのか知りませんが、私にはこの世一才の毒は効かない。あらゆる呪いを無効化する。そして脳を心臓を破壊されたところで特段どうということはないのですが。其方も原初の七色のはしくれならば、私の性質くらい調べておくといいです……よッ!!』
……原初の悪魔、脳魔の待つ異能。
それは並外れたあらゆるものへの耐性に他ならない。
文字通り"すべてを無効化できる"という概念の塊。
たとえ龍王を死に至らしめる毒を用いようが、
星を砕く神光にあてられようが、
その歩みが止まることは無く、正面から打倒する以外に倒す術が存在しない。
だが侮るなかれ原初の悪魔よ。
貴様が高貴に秩序を繰るのならば、
この伯爵も例外なく常識を覆し得ることよ。
『……む……?』
おかしい。
先ほどから感じる一抹の違和感。
原初の紫の実力が噂に違わず高いことを加味しても、
私ならこんな輩、一瞬で八つ裂きにできる。
それなのに何度も仕留め損ねた。
伯爵の動きは遅い。他の聖騎士に比べて。
それなのに何故ーーーー
『限局の理。貴方、捕まっちゃったわね』
背後から声がする。即座に反応し、裏拳を放つ。
しかし、それは儚く空を切った。
『アム・ニヤ……!?これは貴様が……!?』
『あら、違うわよ。これは間違いなく伯爵の力。凄いわよねえ。こんな対策があるなんて』
立ち塞がる数多の強敵。
強き魔族は、皆例外無く搦手への、状態異常への強い耐性を持っている。
普通、その耐性をも超える猛毒を、魔法を習得することなどコスパが悪いとされている。鍛えた体術でのしたほうがうまく行くとされている。
だが、伯爵だけは、その対策を研究し続けた。
あえて弱い効果を付与する"限局"。そして、相手本人ではなく相手の周囲に効果を及ぼす"収束"。……加えて、与えた弱い効果を蕾喿の容量で指数関数的に増幅させる"発散"。
脳魔自体は至って正常だ。
だが、脳魔を中心とした、わずかな範囲の時間だけが、鈍くなっている。
殺傷でもなく、猛毒でもなく、ただ鈍くするだけ。弱いゆえに、掛かり易く……
『ぐ……ッ、は………!!!』
……そして、鈍くなるが故に、感覚もまた、鈍くなっているのだ。
先ほど空を切った裏拳。
アムは避けていない。
鈍くなったとはいえ原初の悪魔の攻撃。
その首をたやすく打ち砕く威力があるだろう。
ただその腕は、首に届く直前で切断されていた。
遅れて迸る激痛。痛みの源泉は、腕、そして全身への刺突傷。
『忠告はしたはずだ、脳魔』
キン、と滅びの烈焔を纏う剣が鞘に仕舞われる。
鳳凰律剣ドル・エグジル。
原初の悪魔をして耐えきれぬ絶炎。傷を中心として、体が焔と共に滅びてゆく。
『アナタがクイーン・アムを狙えば……トナカワサンは必ず動ク。こんな戦い方もあるんデースヨ』
ドシャ、と地面に突っ伏す。まだかすかに息がある。
剣ではなく、その他で滅ぼさねば気が済まないのだろう。
滅びを纏った腕が、脳魔に差し迫った。
『やめて。となかわ』
『ワカった。やめるよ』
即座にその手を引いた。
直前まで殺そうとしていた相手に完全に背を向けた。まるで、もう興味ないとばかりに。
悪魔は、ハー、ハーと荒い息を上げ、尚も突っ伏している。
『それよりもだ。伯爵、王女をそう使うとは……』
『と、トナカーワサン、これハ……ウッ!!!』
拳が突き刺さる。正確無比な拳。
そして、淡く光る、何やら硬い物体を取り出した。
『ほう。なんて周到なんだ。やっぱりここに"魔核"仕込んでたんだな。たとえ脳魔に倒されても、これで起き上がる猶予があったわけだ。魔族からも厄介と言われるわけだよ。……使わせてもらうよ、伯爵。ちょうど欲しかったんだ』
『……ウ……』
……これで良イ。
これデ……脳魔を止められるのナラ……!!
いやしかシ、トナカワサン、ワタシの魔核ヲ、
イッタイ、何ニ………?
そこで、プツと意識が途切れた。
脳波との接続が切れ、周囲にまとったツボミザワが霧散してゆく。
そして、となかわの近くで、妖しい光が立った。
『脳魔。起きるんだ』
『う……これは……』
いつの間にか治癒されている傷。
そして、世界の境目に立たされていた。
『……ふむ、何を企んでいるのですか?私を仕留めておけば良かったものを、ご丁寧に治療まで』
『なに、忘れたのかい?僕はこちら側でしょ。さっきはつい憤慨したが、本来、僕のやるべきことはこれだ。いや、参るなぁ。仕事が多い』
『成程。いやはや、其方はやはり度し難い』
『良く言われる。聖騎士としての仕事を全うした、個人的な怒りも発散した。あとは君に協力しよう。この2人を持って、しぃけーちきの元に行くがいい。そして、可能ならモザちゃんのステージ"3"を引き出してくるんだ。元々それが目的なんだろ?この前預けた"キリノン"はまだ持っているな』
脳魔の傍にあるのは、気絶した伯爵とアム王女。よく見ると、薄い光の膜が張られている。
『フフ。結構。感謝しますよ、となかわ。一時はどうなるかと思いましたが、これで問題なく成せそうです』
『言うまでもないと思うが、丁重に扱え。伯爵はどう扱ってもよいが……』
『存じ上げております。其方が今申し上げた通り、私の本来の目的はそちら。外の邪魔者を片付けたと言えればそれで良い。ゆえにこれ以上をする必要は一切ないのです。それでは、また。次に会うときは辺獄で』
そう言うや否や、脳魔は淡い光に包まれ、2人を抱えたまま、仮世界へ踏み入った。
『…………ふぅー。いや、魔導人形、初めて作ってみたが、上手くいくものだね』
『どうかしら?案外、気がついてるかもよ。アレでもいいんじゃない?しぃけーちき、存外に適当な輩だし』
彼女はそこらの小鳥と遊んでいる。相変わらず、緩く、緊張感のない人だ。
『少しゆっくりしてから、僕たちも続こう。なに、僕の予想ではもうすぐだ』
『ええ』
小さな岩に腰を下ろす。
2人と1匹は、目の前の世界で巻き起こっている闘争とは対照的な、穏やかな、和やかな談笑をし始めた。
…………………………………………………………
一人一人、懸命に弔う。
簡単に殺された彼らの、命の尊さを証明するように。
そして手を伸ばす。破裂した虹かわの魂。
「……ごめんね」
小さく呟き、力を籠める。
「こいかわ、一体何をしているんだい?弔いを終えたと思えば、急に虹かわの魂をまさぐりだして……」
ずたぼろのぼろきれのような魂。過剰量の光の力の供給により、破裂した今も、ビクン、ビグンと蠕動している。
「……何って、あんたがやったことと同じことをするだけだよ。……死体を弄ぶようだけど、きっと、虹かわはこれを望んでいる。だって、あの暴風のさなか、これだけを死ぬ気で守り切ったんだもの」
<“開放”>
縮れた魂から、莫大の闘気が溢れ出る。
光が渦巻く。内に秘めた力が、人型を成していく。
「……虹かわがあの時、これをなぜしなかったのか気になるけど、それでも死守した。だから今使わせてもらうよ。少しでも、少しでもあんたから時間を稼ぐ」
「……反応は完全に消えたように見えたんだけどね。“異質”、厄介だな。……千聖。そこに、居たのか」
先ほどの焼き直しのように、白い光が煌めき、
2つの影が覗く。
片や、"元"聖剣世界アティシの聖騎士、千聖。
片や、……姿がよく見えない。獣のような風貌。紫色の体毛、黒いフードを被り、つぶさにこちらを見つめている。
長い眠りから冷めたはずの千聖は、寝ボケなど一切感じさせず、ズン、ズンと厳かに突き進む。
甲冑が揺れている。携えた2対の聖剣。そのうちの一つに手を添え、一触即発の意を醸している。
「となかわ。邪に堕ちた貴様を、私は決して許しはせぬ。だが今は……」
聖剣を抜く。凍濠剣アポルヴィリース。
波動が渦巻き、氷塊がガラスのように周囲に舞う。
雹のようにきらきらと辺りに舞った氷が、千聖の姿を反射するその瞬間、
千聖は雨宮玲音に斬りかかった。
「おっと。急になんだい。どこかで、出会ったことがあったかな?」
飄々と、それを躱す。
背後からの、死角からの一撃を。
あるいはこの存在には、死角などないのかもしれぬ。
「黙れ。その姿で、それ以上喋ってくれるな。その男の生き様が、人生が薄汚れたものになる」
尚も舞っている氷。
そしてそのそれぞれに映っている千聖の姿。
そして───
<"破鏡銀冰無限斬">
宙に舞う煌めく氷から、
無数の聖剣が飛び出す。そのどれもが、紛うことなき凍濠剣。氷嵐を模るように、無数の凍濠剣が襲いかかる。
「……へえ。面白い技だね」
雨宮玲音の姿をしたソレは、最初は目にも止まらぬ疾さで回避していたが、途中から、矢継ぎ早に飛び交う凍濠剣に、諦めたようにその身を晒した。凍濠剣はその体を幾度となく突き刺し、血が流れ出る。
「キミ、非道いことをするじゃないか。この……名前なんだっけ?……この蒼い人のことが、大切だったんじゃないのかい?せっかく傷つけないようにしてたのに、もうボロボロだよ」
相変わらず虚な目だ。
姿かたちは雨宮玲音でも、その本質は間違いなく違う。
その目はこちらを見ていない。
「……あの男が生きていたのなら、今すぐ自分を八つ裂きにしろと言うだろう。お前は尊厳破壊もいいとこだ。貴様ごと、消し飛ばしてくれる」
「はは、いいね。そうこなくっちゃ」
もはや原型をとどめていない体で、愉快に笑う。
感情のない笑みだ。
「……」
それを見て更に怒りが増したか。
千聖は二本目の聖剣を抜いた。
「む……」
虚の表情が変わった……気がした。
見据えるはその聖剣の光。
「────参る」
静かな踏み込み。
刹那に虚に逼迫し、輝く聖剣を振るう。
二本目の聖剣の銘は、神剣ドルボロス。
万界共通の滅びの剣。異空の狭間の罪人を裁くがため、その剣身が炫る。
「神剣……なぜ、君が」
「驚くはずよな。これは貴様の世界の剣だろう。私の世界の聖剣は、故あって、ある男に献上したがな。……異空の虚よ。世界を越えて、神秘を求めるのが貴様だけだと思うな」
「ふふ、そうか、そこにあったのか、神剣ドルボロス。我が世にはさして興味がなかったから、気づかなかったよ」
霊銃を撃ち込む。銃槍二天流の基本の型だ。
大きく身を屈めて避ける千聖。
そこに、待ち伏せをするかのように大槍が襲った。
「ぬ……」
「だけど、その担い手の実力がお粗末じゃあ……神剣も泣くよ」
「遺言はそれか?」
突き出された槍は、千聖の肩を貫いたように見えた。
しかし実際には、甲冑の隙間を通り抜け、腋へと逸れている。神業だ。
鮮血が飛び散る。だが傷は浅い。
「おっと、抜けないや」
ギュウ、と腋を締め、武器を封じる。
そして目にも止まらぬ速さで、千聖は三本目の聖剣を抜き、その口を貫くと、背後の隆起した黒い壁に突き刺した。
「…………!!」
断奪剣ジャスドルマー。この剣で突き刺された部位は、未来永劫、その機能を奪われる。
その昔、アティシの勇者が、魔王の高い回復能力を阻害するために好んで用いた聖剣だ。
「貴様の世界のこれならば、貴様にも効くだろう」
言葉と共に、神剣にて虚を斬り裂く。
もはやもう原型を留めてなく、動く様子がない。
「………視えているぞ」
そう言って、千聖は背後に神剣を振るう。
次元が、わずかに揺れる。
「………!!」
雨宮玲音の体を捨てたのか。
虚は元の虚に戻り、
姿こそ見えないが、そこに、確かに居る。
断奪剣の権能が、まだ効いていればいいが。
それなら、この耳障りな声を聞かなくて済む。
「は、せあっ───!!」
右手に神剣ドルボロス、
左手に凍濠剣アポルヴィリースを携え、矢継ぎ早の剣戟を浴びせる。一振りごとにそれは煌めき、氷の剣が飛び交う。
「………なんちゃって。はは、無駄だよ。君の剣も権能も、すべてはただ"虚"になるだけさ──
──<"穢ガケ穢ガケ産穢ノ穢レ">
瘴気が溢れ出す。瘴気は集まり塊を成した。
この世にない物体。千聖を取り囲み蠢く。
「つまらぬ技だ。虚。言葉とは裏腹に焦っているな。やはり、この神剣が怖いと見える」
光輝く剣で瞬く間に塊を斬り落とす。
神業だ。神剣の滅びにあてられ、瘴気の塊は霧散する。
「そう見えるかい。確かに、その剣で依代を壊されたら、ボクはここに干渉できなくなるだろう。だがね、それではボクは滅ぼせない。依代は何とでもなるのさ」
「否。貴様は討ち滅ぼす。必ずだ。貴様が奪った神なき世界の哀れな民と、無念の中命を落とした最初の勇者マイルに、この身を誓って」
4本目の聖剣を抜く。勇頼剣マッシブロウズ。
その剣身には聖剣世界の歴代勇者の力が、祝福が、代々封入されている。千の聖剣を持つ千聖の手持ちの中で、最強の聖剣である。
……別銘、"神殺しの剣"。
名前に、その軌跡に似合わぬ綽名だが、
その実、まろつわぬ邪神に対して最も効果を発揮する。
"しぃけーちき"を打ち倒すために、肌身離さず携えていた剣である。
『……その剣───』
再び、虚の表情が変わった……気がした。
───遠い、遥か昔の、異世界の出来事。
人々は祈っていた。
神に供物を捧げた。祈祷を、礼拝を捧げた。
すべてはその世界の繁栄のため。
だが、民が救われることはなかった。
その世界に確かに神は居た。
しかし、神は居なかった。
礼拝の対象になった神はあやふやだ。
思い浮かべる像は誰1人として合致せず、
その力も、そのすべてが未知だ。
そこに存在する神の権能は『存在しないこと』。
無を司る神。存在しないことが、その神の存在証明となる。成程、神族の中で最も自由であり、それでいて常にその無の狭間に閉じ込められていた。
その神は空っぽだ。
ゆえに民に与えられるべきものも空っぽで、
民を救うべきその神は、まるで我が責務など存在しないとでも言うように他の世界を転々とし、
我が存在を、我が虚在を、証明し続けた。
居ないのだから関係ない。
たとえ隣の世界を滅ぼしても、滅ぼした犯人は存在しないのだから、罪も無く、責任など存在しないのだ。
──そんな神が。
「は──はは、こ、これは」
──今、本当の"無"になろうとしている。
「連ねられた全ての恨みと夢を、その身に刻め。愚神、"異空の虚"よ」
マッシブロウズで神の権能を引き剥がす。
間も置かず、ドルボロスでその依代を引き裂く。
無限にそれを繰り返す。虚は依代となれるものを周囲から掻き集めるが、集めたそばから悉く粉砕されてゆく。
「…………ッ」
虚に、あの時の光景がフラッシュバックする。
己が万能感が、無敵感が、足元から瓦解するあの感覚。
「そ……そんな、バカな。こ、こんな、このボクが。あのとなかわをして、魂に封じ込めるしかなかったこのボクを、大幅に力で劣る、キミなんかが……!!」
虚の魂が輝く。存在を否定され、依代を滅ぼされ、その存在が無に近づくと、その輝きは一層大きくなり、また無と言う名の存在を作る。
「今や邪道に堕ちた我が同胞の肩を持つつもりではないが、貴様は滅ぼせなかったのではない。滅ぼすまでもなかったとのこと。いつか貴様が言っていたことだ。矮小な貴様は、ただ滅びるだけだ」
それでも。現れる無を、無限に裂き、剥がし、滅ぼす。力技だ。だが効いている。誰の目にも明らかだ。
終焉が近い。
「な、なぜ、なぜだ………!!こ、こんなところで、こんな……ところで………!!!!」
最期に、勇頼剣を一刺し。
神性を完全に剥がされ、完全に露わとなったその虚無の魂が、小さく震える。
「消滅を以って、この現世に詫びよ、そして恒久に顕れてくれるな」
「そ、そんな、そんな───!!!!!」
それで終わった。無から這いずる無の、本当の終焉だった。
「この愚神の前に散り去った全ての生命に哀悼を。其方らの存在なくしては、此の鎧袖一触は罷り通らなかっただろう」
瘴気が晴れる。
四本の聖剣を丁寧に仕舞う。
輝く甲冑から、白い煙が吹き出している。
「……む、時間──か。存外に短いのだな。事足りて幸いだ」
「ち、千聖……」
「そう哀しい顔をするでない、こいかわ。私の役目は終わった。そも、私はもう此処に居るはずの無い身だ」
「千聖……っ!!」
「最期に役立てて好かった。私を保存してくれた虹かわに、そして開放してくれた其方に今一度感謝の意を。───別れには慣れた頃だろう。さらばだ、こいかわ、皆の衆。来世でまた巡り会うことを祈って」
「………!!」
……別れには慣れた頃だろう、と千聖は言った。
浮かぶ想いは、『そんなわけがない』。
理不尽に、唐突に奪われる仲間達の命。
覚悟がなかったわけではない。だが、それでも………。
<"開放">を解除し、今一度となかわに向き直る。
となかわはこちらを見てすらいない。
魔法の不得手なこいかわだが、さすがに"開放"の魔力を維持できないレベルではない。ブラフだった。"開放"の隙を狙う者がいるならそこに反撃を合わせようとしたのだが。
特に、先刻メロネを屠った古屋薙と言う男は、嬉々として襲いかかってくると思っていたが。
古屋薙は、どうやら獣の方に夢中のようだ。
「おぉい、難苦ァ、なぜおまえがここにいるんだあー?」
威圧感を感じる声とは裏腹に、表情は少し嬉しそうだ。顔見知りなのか。となかわの魂に封じ込められていた古屋薙と、虹かわの魂に封じ込められていた、難苦と呼ばれたこの獣が。
「────ヒヒッ」
紫色の体毛を持つ獣が、小さく笑みを浮かべた。
次話、お待ちかねの、古屋薙vs難苦です。名勝負の予感……!!
本当はこの戦いまでやる気だったんですが、前哨戦が思ったより長くなっちゃったので、ここで一区切り。
次の更新は9月末〜10月上旬を予定しています。




