第四話 “赩炎”
乾いた風が吹いている。
黒い河原。
樺茶色の沼地。
河には藍色の濁流。
そこを訪れた人々にはまず、大きな岩が目に映る。
大きな岩。青さびのような色をした大きな大きな岩が、河の水を堰き止めている。
よく見ると、それは時に移動し、時に静止し、決まった動作を繰り返す。
堰き止められていた水は岩が動けばあふれ出し、岩が戻ればまた堰き止められる。
そして溢れ出た水がその先で分岐し、様々な場所に行き渡る。
その様子を暫く観察すれば、人々はおのずと、それがこの国にこの水を循環させる仕組みだということが、直感的に分かるだろう。
藍色の水は、一見すると気味の悪い色だが、その奥底、その深淵に、命の芽吹きのようなきらめきが視える。聖水のような命の煌めき。
河川敷を歩いていた男。ふと足を止め、河の水を手で掬い、飲み干した。
「……まずい!とても飲めたもんじゃないな、俺には」
周囲を俯瞰する。
流れの分岐の先の、点々とした明かりが目に入る。
「だがこれも、奴らにとっては生命線。……言うなれば、“魔水”ってとこか?それにしても、これだけの体系。魔法で動く岩、陣が見当たらぬのが気になるな」
すたすたと歩きながら呟く。岩が再びずれ、
どうどうと流れる激流を背に、まっすぐに歩く。
ほどなくして明かりの方へ差し掛かる。すると前から、一人の少女が歩いてきた。赤い眼と茶色の長い髪、そしてどこぞの学校の制服のような服装が、この場ではなかなか異質に見える。
「人が来るのは久しぶりだな。主はなにゆえここに?」
静かな声。そして静かな殺気。返答によっては、生きては返さぬと言わんばかりの慳貪の視線。
矢のように突き刺さるその視線を浴びながらも、男は我が家の廊下でも歩くかのようにずんずんと進む。
「くく、こうして会うのは初めてだな。イヴァン。大童幼好国当主、イヴァン・イヴァスルタンよ」
「その声は……ごちかわか‼」
「いや、大変だった。必ず行くと約束したからには辿り着かないわけにはいかん。かなり迷ったがな。うまく秘匿されている」
「すまぬ、主以外の人間を入れるわけにはいかんからな。つい殺気立ってしまった」
「構わんさ。むしろ歓迎される方が性に合わん」
大童幼好国は鎖国国家だ。
魔法によって秘匿されたこの国は、存在すら一般には知られていない。
そもそも、存在を知ったところで行くことはほぼ不可能。
国の周囲は霧に覆われ、前述の魔法によって迷宮化し、怪しげな人間に作動する無数の罠も仕掛けられている。
「事前に言ってくれればよかったのにな。ここに来ると話したのは暫く前だ。そもそも主は如何にしてここに。いや、この程度来れぬ主だと侮っているわけではないが、それはそれとして気にはなるものでな」
「如何にしても何も、ただまっすぐに突き進んだだけだが」
「ほほう?」
「……なんてことが言えたら格好のついたことだがな、いや、そう簡単にはいかぬものよ。他の聖騎士の力を借りて、やっとここにたどり着いたさ」
「ふむ。件の聖十二騎士とやらか」
イヴァンの眼が碧く光る。殺気でも、親しげな気でもなく、ただこの場を統べる主としての、鋭く清らかな目。
「そうだ。この紋を結び、聖十二騎士となれ。イヴァン=イヴァスルタン。お前の力が欲しい」
「……以前にも言ったが、余は魔の者ぞよ、それも、とびきり純粋な」
「何の関係がある」
「聖と魔は元来交じり合わぬもの。一千年前からそれは変わらぬ」
「ならば今こそが変わる時かもしれんぞ」
「ふむ。簡単に言ってくれる。だがそうさな、一朝一夕で変わるものではないが、やらねば始まらぬ。始めなば完成ぬ。……しかしだ、余らの力をどう利用しようというのだ?見返りについては以前に聞いたが、肝心のそれを聞いていない」
場所は違うが、以前にもこんなことがあった。
“聖剣世界”にイヴァンが赴いたとき、待っていたかの如く目の前に立っていた男から、しつこく協力と聖十二騎士への参戦を望まれたのだ。
而して彼女はイヴァスルタンを統べる主。軽々しく返事などできようか。
だから言った。どうしても望むならばイヴァスルタンに来いと。そしてそこで正式に調印を結ぼうと。
場所も、時間も約束しなかった。
それこそがイヴァンの答え。
イヴァスルタンを統べる主である自分の征く道をふさぎ、不躾にも長話を勧誘を行った無礼者への、少しばかりの悪戯心を含んだ罰。
……その実、悪戯心の裏側で、彼の来訪を少しばかり望んでいたことには、彼女はまだ気づいていない。
―――――だがそれは不可能な話だ。
朧げな次元の狭間に揺蕩う世界。
深く深く秘匿された、闇の樹海。
存在を知っただけで辿り着くには、とても及び難く、法外だった。
それなのに彼はそこに立っている。
彼女は我が悪戯心を少しばかり呪い、我が世界を少しばかり懸念し、目の前が男を少しばかり認め、少しばかりの会話を弾ませる。
「ただ聖十二騎士として共に戦ってくれる、ただそれだけでいい。それ以上は干渉しないし、世界を揺るがすほどの重大な争いでない限り出撃は自由だ。だが、俺はそれよりもこの国の体系にかなり興味がわいた」
「ふむ、存外に自由なのだな。……この国の体系、か。何か琴線に触ったかの」
「この国を持続させるいくつもの仕掛け。どれも無数に編まれた魔力で動いていることはわかるが、いかんせん陣が視えぬ。絡繰り仕掛けかと考えたが、こうして再び会って確信した。これらは貴様のあまりにも卓越した魔法の力に他ならない」
「ふむ」
「おそらくはこの程度のものなど呼吸をするように駆動できるのだろう。“魔”とは途轍もないものだ。人間の最高位の魔法使いを軽々しく超えてみせる。魔の国を統べる王、“魔王”。その力、改めて思い知ったさ」
人は周囲を蠢く魔に陣を描くことによって語り掛ける。
それは魔法陣と呼ばれる、魔法を行使するために編み出された神秘の結晶。
行使までに掛かった時間が長いほど、詠唱が長いほどその陣は残留し、卓越した魔術師たちはその残留した陣からその魔法の性質を読み取れるという。
どんな高速な詠唱・行使であっても一瞬はかかる。その一瞬を読み取ることこそ魔術師にとって最も重要なのだ。
だが、イヴァンの魔法行使に至ってはそれを根本から、……いや、真正面から覆す。
ーーーーーーーーー玉響の詠唱。
須臾にしてその姿を顕す魔法には、何の陣も残留していない。
この世界に存在りえぬ速さを、日常的に、この世界の維持のために使い続けている。
桁外れというのも烏滸がましいほどの迅雷。
「ほほう。主こそ、なかなか考察に長けておるな。だが惜しいかな、余はたしかにここら一体を統べる主だが、“魔王”ではないぞよ」
「……なに?……そうか、早とちりだったか。ここになら今代の“魔王”がいると思っていたが、また探し直しか」
「いいや、魔王はこの国におる」
「!!本当か」
「じきに会いに行くがいい。おそらく魔王も主を待っておる」
「ああ。ぜひ今からでもーーー」
言いかけたごちかわの傍ら。何やら、自分たちを覗く人影が見える。
ここは明るい場所だ。思えば、これまで物影が見えなかったことの方が不自然か。
人影はおずおずとこちらに歩み寄りゆっくりと口を開く。
イヴァンはただ、その様子を見つめている。
「あ、あのぅ、その、人、人間っ……ですか?」
「ああそうだ。人間代表としてここに来た。お嬢さんは?」
「わ、私はっ、きんしゅき……って言います。私も、その、人間……です」
確かに。人型の魔物だと思っていたが、近くで見ると完全に人間の姿格好だ。少し深めの青い髪。垂れ下がった眼。緊張しているのか、引っ込み思案なのか、こちらと目を合わそうとしないが、反面、こちらと話をしたいという強い意志は伝わってくる。
「おお、人間がいるのか。意外だった」
「いや、ごちかわ。そ奴だけは例外よ。少し前にな、人間の少女がたまたま、いくつもの偶然が重なって、ここに迷い込んだのよ」
……どんな偶然だ。奇跡なんてもので表せるようなものではない、どれだけの時空の障壁を超えてきたのだ。
「くまなくその魂の気質を調べたが、本当に何も知らぬただの人間の少女だったのだ。いや、この世界を見られた以上は外に出すわけにはいかん、そして外に出すのも一苦労だ、だから例外的に、この国に住まわせてやることにしたのよ。たった一人の人間としてな。周囲との差異故色々と大変だっただろうが、何とか馴染めたようだの」
「ふ、くく。消してしまえば楽だろうに、それをしない。そんな貴様だから、俺はお前を気に入ったのだ」
きんしゅきがびくりと体を震わせる。おそらく人間同士仲良くなろうと勇気を振り絞って話しかけたのだろうか。それっきり、黙り込んでしまった。
「物騒なことを言うの。だが余が異質なのは理解しておる。この国もな。例えば、そうさな、あのあたりを見てみるがよい」
イヴァンが指示したのは遥か遠く。二つの物影がかすかに見える。
お前ならこの程度、視えるだろう?と、暗に言われている気がした。
「……ふむ」
二対の物影は、どちらも魔族だった。
片方は紫色の形をし、もう片方は闇夜に光る朱色の眼が際立っている。
さらに聖眼を凝らして視ると、何やら戦闘中のようだ。
いや、戦闘中というのは仰々しいか。二体の魔族は、少し離れた別の魔族から、執拗に攻撃を受けている。
それは攻撃というより嫌がらせか。子供の喧嘩を彷彿とさせる。
「魔物は、魔族は、他の仲間のことなど考えたりしない。むやみやたらに敵対するわけではないが、たとえ肉親であっても協力などしない。友情や絆などとは無縁で、それぞれが単一の者よ。この国の魔族たちも、ただ単に住める場所がここしかないから住んでいるにすぎず、毎日のように争いが絶えん」
「ああ。よく聞く話だ。要するに魔の者は自己中なのだ」
同じ視界を共有しながら、二人は歩く。先を行くイヴァンに、ごちかわが付き従う。その意図を察しているのだ。
「……うむ。ただそこの兄弟はどうだ。彼らは外側の世界からここを訪れた正真正銘の魔族。驚くべきことに、兄が弟を守っている。なんと不思議なことよ。……彼奴の願いが功を奏したか」
イヴァンの言う通り、そこでは、朱色の眼をした魔族が、紫色の魔族を守っている。よくよく見ると、攻撃を仕掛けてくる魔族を含め、魔族たちは、かなり幼い。
何やら話している様子も見えるが、ここからでは聞き取れない。
魔族たちの気質を知っているものからすれば、その光景はひどく異様に見えるだろう。
イヴァンの最後の言葉は、こちらにあてた言葉というより、ひとり言の呟きだった。耳をすませなければ聞こえない小声。それでも、ごちかわは反応した。
「彼奴というのは、アオのことか?」
「……知っているのか。ふむ。もはや驚くまい。気に食わぬ女よ。いつまでも、人間と魔物の共存とやらを目指しておる。そんな未来など、もはや如何なる時空にも存在せぬというのにな」
「く、だが、嫌いではないのだろう?」
「……はは、主には敵わぬな。そうさな。余は心の内では、そんな、誰もかれも一蹴するような夢見事も、あってはいいだろうと思っておる」
「同感だ。夢は夢であるから美しい。心地よいその夢を叶えようと躍起になるのもまた華だ」
「うむ。……さて」
イヴァンが足を止める。
「くく、存外に近いのだな。だがここまで近づいても、その存在が視えぬ。それでも何かが、凄まじい何かがいるということは分かる。何たる秘匿力よ」
ごちかわが笑みをこぼし見上げる。
巨大な建物。瘴気を孕んだ鉄扉。これほどに大きく、存在感を放つ建物が、至近距離に来るまで一切視えなかった。
「会ってゆくか、ごちかわ、“魔王”に。交渉をするなら、魔王にするのが最も良いだろう」
禍々しき扉が独りでに開く。
黒い稲光が迸る幻覚。
扉の奥の奥の奥。およそ建物というにはあまりにも何もなさすぎる、そして広すぎる空間。その中心に、それは立っていた。
「…惑い鎧う弑逆の泉“牙翼”」
ごちかわの周囲に牙翼が舞う。翼は周囲を取り囲み、幾重にも重なる盾を展開した。
扉が閉じると同時。牙翼に、無数の魔弾が着弾する。
「く、この俺に咄嗟に防御行動をとらせるとは。
……“不意打ち”はおとなしく受けなければならん。でなければ不意打ちはその意味を失ってしまう。だが、それでも、これだけは受けてはならんと肌が感じたのだ。すまぬな、魔王。興醒めか、それとも御醒めか」
「――――」
その存在は応えない。言葉を聞いた様子もなく、様子をうかがう様子もなく、
ただ機械のように、侵入者を迎撃する。
―――しぱ……。
空をも裂く斬撃。475万9428層の牙翼を一手で打ち破り、ごちかわの肩から上を切断する。
「はは、言葉を交わす間もない、考える間も与えないがちがちの攻め。怒涛の乱打。そこに手加減も憐れみもなく、ただ殺害を実行するその冷徹さ」
「――――」
展開されていた牙翼の残留線が、幾重にも重なる剣戟によって視えなくなるほどに……
幾重にも、幾度も、斬撃が重なる。
「みじん切りか。なますに刻まれるのは慣れているが、スープになるまで刻まれたのは久方振りか。それでいてまだ本気のさわりも出していない。手加減抜きでいながら全力でない。もはやその秘奥がどこであるか見当もつかん。成程、“魔王”を名乗るほどはある」
間髪入れずに、終焉の業火が巻き起こる。
ごちかわの周囲を、その存在ごと灼き尽くす煉獄の婀娜華焔。
「なつかしいな。この辺獄。総てを灰燼に帰す王の爓」
その声はどこから聞こえてくるのか。
その肉体は粉々に霧散し、煌めく薄橙の塵となり降り注いでいる。
「……はは。もういいころだろう。イヴァン=イヴァスルタン。いや、イヴァン=ジャルムカメト=ガルマ=ティリワルディ」
言葉とともに、霧散した体と魂がもう一度元の姿を形作る。
“魔王”は、ぴたりと動きを止めた。
「…………………いつから、気づいていた?」
「なに、最初からよ。“魔王”はもはや存在しない。今や古代兵器と化した過去の魔王の亡骸を、貴様が魔力で動かしているにすぎぬ。魔王の亡骸、常人ならば触れただけで狂おうが、貴様の卓越した魔法技術なら容易だろう」
できれば生きていてほしかったが、それならばあれほどの奴が大人しくしているとは思えん。
先代の魔王には巡り合えたが、今代の魔王には巡り合えそうにないな。
「ふむ。だが、信じてもらえるかはわからんが、少し、ほんの少し驚かすつもりだったのだが」
「そうだろうな。これは魔王自身の遺志だ。俺はかつてコレと敵対していた。幾星霜の時を経て、魂も業もすっかり変わってしまったがな」
魔王の眼に灯った光が消えてゆく。千年前に命を落とした魔王。その執念が、光陰の迷妄が、黑き嵐を呼んだのだ。
「ふむ。詳しくは聞かぬが、複雑な事情があるようだな。しかし参った。魔王を操って断らせる計画が台無しだの」
ほう。そういう魂胆か。なるほど、“魔王”に断らせれば引かざるを得ない。俺が強引な手に出れば、魔王を操りそれなりの闘いをした後、俺に魔王を破らせる。
なにせ魔王はすでに死に体だ。俺がどう手加減しようと関係ない。
俺は俺が頼りにしている戦力を自分で潰すこととなる。……聖十二騎士に誘う意義がなくなる……。
秘匿されたこの国だけにできる手法だ。賢しい。そんなにも、聖十二騎士を断りたかったのか。
「ワカった。貴様を聖十二騎士にすることは諦める。すっぱりと諦めよう。代わりに、この魔王を調べさせてくれ」
「……感謝する。色々と互いに面倒を被ったが、終わり良ければ総て良し、かの。魔王を調べるのは構わんが、この力を扱うのはいくら貴公といえど難しいとおもうぞよ。余も考えた。コレに自我を目覚めさせればと。コレの力を抽出できればと。だが余をして、遠隔で動かすのが精一杯だった。先ほどのような力は出せぬ。せいぜい、上級魔物をほんの少し凌げるくらいの戦力よ」
「魂の再利用は?」
「無論試した。だが誰にも適応しなかった。この余にも。神代の魔王の魂、この時代の魔物には定着するはずもなかったのだ」
「いいや。この魂は、御魂はその輝きを失っていない。この時を超えてさえ。……それに、それにだ、イヴァン。たった一人、唯一、この世界にソレを試していない人物がいるのではないのか」
「………………いる。いるが、奴は……」
「……く、はは……これは、俺しか知らぬことなんだがな」
「……ふむ」
「この魔王は、人間だ」
「………………な、に……?」
「もはやその面影はないがな。それでも、コイツの起源は間違いなく人間。魂も人間由来の者だ。無理もない。かつての魔王を知る俺にしか知りえぬことよ」
「な、魔王が……人間などと……」
「なんだ、魔王が元人間だったなんて、よくある話じゃないのか?」
「いや、いいや、余は初耳だ。そも、魔王の例をコレしか知らん。その魔王が元人間などと、いやはや、これまでの生涯一番の衝撃よ」
「繰り返すが、無理もないことだ。そもそもだ。魔王という言葉自体、この世界では耳慣れない言葉のようだ。コレ以降、千年前のあの日以降、新たな魔王が君臨することなど、なかったのだから」
「ふむ……だが、だが……」
「奴は劇的に強くなるぞ。何を躊躇っている?情がうつったか」
「……いや、そうではないが、本当に、きんしゅきを連れてゆくのか。奴は戦士ではないぞよ」
「些末なことだ。魔王の魂を有せば、人間が人生を賭けて習得する戦闘技術など軽く凌駕できる。寿命も魔法抵抗も人間のソレではなくなる。特にかの“赩炎の魔王”の遺志を受け継ぐゆえ、特に炎魔法相手には無敵だろうな。如何なる火炎も、奴を燃やすには至らぬ。この世界でも指折りの実力を身に着けることだろう」
「……ふむ……」
「なに、まだ迷うか。そうか、ならば、此度の徴兵の返礼を、今くれてやろう」
言葉と同時に、ごちかわの背後に黒い霞が渦巻く。霞はそのまま集まり、いくつもの球を形成した。それらはボトボトとイヴァンの周囲に落ち、積み重なってゆく。
「“闇球”……!聞いていた話より、ずいぶん多く見えるの」
「はは、あの時はこの国の10年分の闇球を約束したが、興が乗ったからな。サービスで、400年分にしておいた」
闇球は希少なものだ。そして、心の奥底で穏やかな魔族の暮らしを望むイヴァンには喉から手が出るほど欲しいもので、文字通り、破格だった。
「……分かった。この国を統べる主、イヴァン=ジャルムカメト=ガルマ=ティリワルディの名において、正式に調印を結ぼう」
「了解だ。感謝する」
………………………………………………………………
「なんて嬉しいんだ」
虹かわを屠った眼がこちらを向く。
「ひっ………‼‼」
固まっていた手足は更に凍え固まり、震えが止まらない。
もとよりきんしゅきは臆病なのだ。この重圧に耐えられるはずもない。
それでもーーーー
「本物の魔王の魂を有すものと戦えるなんて」
「……<“永劫燼焔焰爓”>っっ……!!!」
その眼の焔はまだ消えていない。
あの時の技だ。震える手を抑え、確実に、魔王の獄炎をとなかわに叩きこむ。
「ははは、スゴいや。相当劣化しているだろうに、この威力。危うく服が燃えるところだった。お気に入りなんだけど、素材的に燃えやすいんだよなあ、この服」
「……っっ…………!?」
「じゃあ、お返しだね。一度試してみたかったんだ。“炎嵐”を纏う聖騎士、きんしゅき。いかなる炎も効かないと呼ばれる戦士。本当に、どんな炎魔法も通用しないのか」
「ひう……待っ……‼」
咄嗟に構える。だが、すでに、きんしゅきの心臓付近に陣は描かれていてーー
「<“極炎”>」
赫しく熙る滅びの太陽が顕れる。
そしてその心臓を魂を焼き尽くさんと暴れまわる。
「う……っ!!!」
「へぇ、何ともないのか。まあこの程度で音を上げられると看板倒れだからね。じゃあ、出力を上げよう。こんな弱火じゃ、肉は焼けても内臓は焼けない」
滅びの太陽が蠢く。ぎち、ぎちと音を立てて震え、大きさをそのままに、巨きく燿る。
紅焔が周囲を灼き、歪んだ地面が融解てゆく。
蠢きは常に増している。その形は絶えず繁殖する蟲を思わせ、
その極炎は、常識を歪めるほどの威力を有すほどに……
「……………ッ!!」
それでも倒れない。その体が燃ゆることはない。
しかし問題は、身を灼く極炎が、自らの繰り出す攻撃魔法をそれが発生する前から焼き潰していることだ。
随ってきんしゅきに抵抗するすべはない。この炎の中では言葉も発せず、この炎を耐え忍ぶ以外にすることがなくーーー
そしてそれはきんしゅきにとって恐怖そのものだ。
身を焼く炎は常に激化している。
喩えるならば、閉ざされた部屋で、周囲の壁が少しずつ狭まり、我が身を押し潰そうと迫っている様に近い。今はまだ耐えれる。ちょっと痛いだけで耐えれる。だがその壁は刻一刻と狭まりーーー
「…………………………………!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「その身にそぐわぬ力だ。そりゃあこうなるさ。魔王の魂を移せる素質があろうと、現に魔王の魂を持っていようと、いつまでも精神の方がダメダメなんじゃ、三流以下さ。そんなだから、異例の経歴を持ちながら、聖十二騎士最弱、だと謗られるんだ」
恐怖に耐えられず、その魂が叫びをあげた。
身は焼けていない。その魂も心臓も健在だ。
だが、その心は折れてしまったのだ。
炎嵐を纏うと言われた聖騎士が、
たった一つの炎によって。




