第三話 “欠落”
「……っ……!!」
絶望。
彼らは。不撓の戦士、聖十二騎士は倒れない。
幾度となく強大な敵に立ち向かい、幾度となく傷を負い、しかし決して打ち倒されず、悪の芽を潰してきた。
それこそが聖十二騎士の使命であり、誇りであり、当たり前のことであった。
ましてや彼は雨宮玲音。原初の時代から活躍していた嵐の戦士。総員は、たとえ彼が心臓を銃で撃ち抜かれようと、死ぬなんて思わない。その勝利を。最期には彼一人が立っているであろうことを、信じて疑わない。
だが、それでも。
ゆっくりと、ただ一本の指を貫かれただけの雨宮玲音が、
明らかに死亡していること。
それを、その場の全員が確実に感じ取った。
もうその勇ましい声が聞こえることはない。
もうその疾風怒濤の連撃を見れることはない。
もう彼は……
―――今は亡き同胞に思いを馳せるのもつかの間。
絶望が塗り替えられる。目の前の圧倒的な重圧に。
「さて、次は……ハナかわにしようか」
「……ッ!!」
その双眸が、ゆっくりと、ハナかわの方を向くと、
そこでようやく、ハナかわは魔法行使に入った。
他の者は動けない。指を1ミリでも動かしたが最後、次は自分がああなっているだろうと、脳が感じ取っているからだ。
……ハナかわの魔法行使も、死を前にした反射的な防衛行動だろう。だが、それでも、死を目前にした最期のその力は、魂を全て振り絞ったその術は、神話級の大魔法に匹敵する力を呼び起こす。
「……ずっと思ってたけどさ。失われた魔法が、新たな魔法がとか色々言ってるけど、魂を起点とし、陣を描いて、属性を付与し、放出する……ただそれだけ。光の力をそのまま放出するのと何が違う?何も変わらない。何も。そんな丸太を角材に加工して撃ち出すような攻撃、技とは言えないね。せめて剣や槍にでも加工しなよ。……こんな風に」
言い終わるのとほぼ同時。となかわの滅びの稲妻が、ハナかわの魂を灼き尽くした。外傷もなく、一滴の血も流さず、一言の声も発せず、人形のようにその場に崩れ落ちる。展開していた多重魔法陣は、そのいずれも、魔核を滅ぼされている。
同時に、となかわを起点として、グアォと、周囲から魔の乱流が巻き起こる。
「おっと、潰したはずなのにね」
ハナかわの死をトリガーとした魔法か。魔核を潰されてもなお、覇帝龍すら打ち倒せるであろう、凄まじい密度の楼撃が襲い掛かり、彼を包み込む。
だがとなかわは、まるで砂を振り払うかのようにその魔法を撥ね退けると、数千の同時発動する魔法の中から一つを徐につかみ取った。
「“新生”……かな?はは、周到だな。もう少しばれないように工夫すればいいのに。そこまで魔法に詳しくない自分にも、バレバレだったよ」
砂場に稀にある、すぐには崩れない砂の塊、それを手で崩すように、その魔核を滅ぼした。
光が名残惜しく霧散するのもつかの間。
「……虹かわ」
次。 と、聞こえた気がした。
ハナかわの御霊が消失したその刹那、虹かわの背後から、禍々しき、聞きなれた声がする。
「く……狂ったか、貴様っっ……!」
「いや?僕はまったくもって正常だよ。……虹かわ。僕と同じ、“白い魂”を持つ男。数か月の充填で、瀕死のしぃけーちきを焼き尽くす一歩手前までの威力を叩き出せた。成程。他の聖十二騎士とは一味違うわけだ」
「……」
虹かわは答えない。他の者と違い、攻撃も、防御行動もとらず、ただとなかわを睨み続ける。その姿には、ある種の諦観すら見られる。
「どうする?僕だって、アレじゃあるまいし、虐殺は趣味じゃない。……もし君が、『しぃけーちきを倒すために用意していたあの力が残っていれば、この状況をどうにかできただろうに』とか思っているのなら、それを解決してあげてもいいけど」
「……いや、思わん。あれしきで貴様は倒れないだろう。疾くとどめを刺せ」
「そうか。たしかに、あんなものが僕に聞かないのは正解だ。けれどさっき言った通り、僕の目的は虐殺じゃあない。君らを生かしておく理由もないけど、殺す理由もない。ただアイツらが復活するまでの暇つぶしをしているだけさ。だから与えよう」
となかわの前に、ポウ、と淡い光の球が現れる。まるで吸い込まれるように、虹かわの魂はその球を取り込んだ。
「同じ“白い魂”を持つ者同士なら、光の力の譲渡・吸収が行える。実際に試したのは初めてだけれど、原理を考えればこれができるのが当たり前だ。……とりあえず、ざっくりだけど、君の約1年分ほどの光の力を籠めてみたよ」
「……ぐっっっ……!!!!が……!!!!!!!はっ、はっ、はーーー!!!」
虹かわの魂が荒ぶる。破裂寸前の風船。力が逃げ場を求めて暴れ出す。その奔流、虹かわにとっては、内側からの刺激でありながら、自身の首を絞められていると錯覚するほどであった。
「なんだ、これでも耐えられるじゃないか。しぃけーちきに放っていた力があの程度だったから、器が耐えられる総量がこのくらいかと考えていたよ。あの時、このくらい溜めていればよかったのに。……じゃあ、次。君の30年分くらいに相当する光だ。僕に届くほどの力には程遠いけど、少しずつ、段階を踏んでやっていかないとね」
「……!!!!!!!……っ、ぅぅ……っ……!!」
先程の譲渡ですでに、声も発せぬ状態の虹かわは目で訴えかける。だがそんなこと関係ない。となかわは虹かわの眼など見ていない。魂のみを注視し、再び光を送り込む。
―――となかわ以外の誰もが予想できたように、
その魂は、その光を注入した瞬間に2、3回蠕動し、
パン、とあっけのない音を立てて破裂した。
……魂の傷つく痛みは想像を絶する。
根源からの痛みだ。ひとつの引っ掻き傷でも気の狂いそうになるのに、破裂となれば。
いや、そもそも、存在を構成する魂が破れたのなら、生存なんてありえない。
それでも動く。
辛うじてまだ動く。
ぐしゃぐしゃになった魂。それに呼応し崩壊を始める体。それでも、虹かわは立っている。拳を振り上げて、まだ戦うつもりでいる。
それは白い魂をもつ故か。
それともその怪物じみた克己心によるものか。
痛い。
痛い。痛い。痛い。
砕け散った魂が、無数の針の塊となり、全身を突き刺していく。
ざく、ざくと音が響く。
気骨のみで成り立っている虹かわの体は、そんなくだらない情報を、妄想か真実かわからぬ情報を幾度となく反芻していた。
これが痛みであるのなら、私が今まで味わってきた痛みとは何なのか。
そう耽るのも一瞬。
虹かわは、本意ではないが、破裂して溢れ出る光の力を頼りに向き直る。
とうに言葉はない。
目の前の男に一矢報いる。そのために不必要なものはすべて切り捨てよう。
「魂が壊れてしまったか。虹かわ。君は“ごちかわ”の戦闘技術をコピーしているのだろう?ならばアイツのように、魂を再生してくれよ」
とうに傾ける耳はない。
崩壊は今も広がっている。
心臓から噴水のように血が噴き出ている。骨が焼けただれている。
危険信号が止まない。
くだらないところに満足に機能するこの脳が恨めしい。
止めどなく流れる血よりも、
今も崩壊している体よりも、
遥かに“命の危険”が目の前にいるのに、
壊れ果てた脳は愚直に分かりきった信号を送り続ける。
危険信号が止まない。
危険信号が止まない。
脳裏には細胞が崩れていく景色。
危険信号に、その景色に踵を返し、
その男を殴りつける。ありったけの力を籠めて。
……だがそう上手くいかないのが現実だ。
何と滑稽なことか。殴りつけたはずの自分は、
まるで赤ん坊が親に駄々をこねるような動きに見えただろう。
眼が、視界が完全にその機能を無くす刹那。
となかわの呆れたような表情が目に映っていた。
「……ダメだったか。同じ白い魂を持つ者。ごちかわの技術をコピーした聖騎士。もう少し、期待していたんだけどね」
とうに視界はない。
だから目の前には、見たくもないあの顔がこびりついている。
飄々とした顔。本当に“呆れた”表情か?
色々な感情が入り混じったーーーイや、もウ、どうでもイイーー
とうに痛みはない。
それなのにとなかわは俺の顔を覗き込み、やはり飄々とした顔で語りかけてくる。
「虹かわ。僕はね。生まれてからずっと、光の力を溜め続けているんだ」
「…………………………………………は…………………………………………………………………………………………………………?」
とうに意識はナい。もう私 はナニもな 。
たダ。最期のその 葉に は、
心 底、 …………………………………………
…………………………………………
……………………。
………………となかわの目的は虐殺ではない。
聖十二騎士を瞬く間に三人始末した。こんなものは趣味ではない。
飄々と、聖騎士たちの前に立つとなかわ。
その表情とは裏腹に、去来する感情は“苛立ち”。
―――こんなものか。本当にこんなものなのか。
ともに世界を救うと誓った聖騎士。しぃけーちきを打倒すると言っていた聖騎士。
古豪にして、その戦闘経験に並ぶ者無しと言われる雨宮玲音。
こと神秘的な力に圧倒的に長け、“魔法”とは彼を指す、と呼ばれるハナかわ。
ごちかわととなかわと除けば、最強格と呼ばれる虹かわ。
こんな、ものかーーー。
彼は知る由もない。
彼以外の誰も、与り知らぬこと。
力をつけ、体が育ち、光がめきめきと輝くその過程で、
彼は、その心の方が、壊れていったのだ。
すでにしてその心は欠落していた。
それだけのこと。
でなければ目的と一切関係ない仲間達を、
こんな風に、
虫を潰すかのように、
蹂躙することなどないだろうに。




