第十五話 "世界"
……最終決戦前。“ストガギスタ王国”
「おお、嬢ちゃん。どうしたんだ、こんなしけた国に」
「……しけた国、ねえ。どうせすぐにどこも同じようなものになるわ。…それと、嬢ちゃんはやめて欲しいわ、そんな年齢じゃないもの」
「ガハハ、悪い悪い」
ストガギスタ王国中枢。大砂漠の中心。岩は隆起し、強い日差しが周囲を焼く。建物らしきものは見つかるが、いずれも崩れ落ちている。そんな崩壊都市に、二人は歩いている。
珍しく、風が静かだ。普段よりいっそう暑く感じる。二人は汗を滲ませ、ずんずんと歩く。
「なあ嬢ちゃん、一国の人を、人を虐殺したことってあるか?」
「あるわ。……沢山、ね」
「だろうな。古くから大敵と戦い、国を築き上げ、魔を欺いたお前えさんのことだ。……じゃあ、国の人間を全滅させたことは?」
「全滅は…無理でしょう」
「まあそうだよな。無理なんだよなあ。どれだけの兵力を恃んでも、どれだけの力を行使しても人は隠れるし逃げ惑うし面倒なことに最後まで抗ってきたり、その間にどんどんと逃げてな」
「……」
「それを追って囲んでしらみつぶしに殺す。一人も残さず掃討する……そんなもの見合ってねえ。後ろに備えている補給員や司令塔、一たび逃げ惑われれば追いかけるのは困難だ、そこが敵の領地ならなおさらな」
「とはいってもね、全滅なんて、させる必要なかった……っていうのが正しいかしら。魔物相手ならともかく、人間相手の利権争いなんて、相手の戦力の一部を削いで力を見せつければ、それで十分……追いかけて潰すのも、利点がまるでない」
「そうだ。その通り。じゃあ、我らが大敵“しぃけーちき”は?」
「……」
「奴なら可能だ。逃げ惑う民も、巧妙に隠れ紛れる民も、この世界にいるのなら容易にすべて始末できる。そうするだけの力がある。それでいて、そうするだけの理由がある、というのがまた恐ろしいのだ。
奴の目的は殺害だ。殺すため、殺す喜びのために奴は闊歩している。通常、殺すなんてのは手段だ。どうしても成し遂げなければならない目的、人々を守るため、自分たちの更なる繁栄のため。いずれも目的がほかにあり、“殺す”以外で目的をかなえられるのならばその手段を実行する意味なんてない。だが、だがだ、アレにとってその因果はないに等しい。奴の手段も殺害だ。殺すために殺す。殺すために殺す。まったくもって馬鹿げてやがる。人々の死以外にヤツを止められる折衷案がない。そんなモノ、いったいどうやって止めればいいんだろうなぁ」
二人してのしのしと、隆起した土の上を歩く。アムからは、眼帯のある方の横顔しか見えないため表情が分かりづらい。
「……それをなんとかするのが、聖十二騎士の力……ってのも、厳しい話よね」
儚げに俯くアム。対照的に、絶望的な状況をまさに説明した大王が、まるで遊園地に来た子供のような希望に満ちた表情でアムの前に出でて、両手を広げた。
「そうだ、そこでだ。ここにヤツを嵌める仮世界を作らねえか、嬢ちゃん」
この暑さには慣れているのか、汗一つかいていない。
「仮世界?へぇ?面白いじゃない」
「ここは過去のあの戦争の跡地。今我輩たちが踏みしめているこの土に、数えきれないほどの命が眠り、血が染み込んでいる。付け合わせの生贄には十分に事足りる」
「そうね。でも、アレを嵌められるほどのもの、私たちで作れるかしら」
「なあに。世界を作るなんて存外容易なもんさ。魂が世界を形作る核となる。肝心要は、その世界をどう組み上げていくか、だ。きっかけなどいくらでも作れる」
「きっかけ、ね」
「作るのはあくまで世界の種。立ち上げるのはごちかわ含む聖十二騎士の力だ。奴らがあの第二世界でこれを広げてくれればそれでいい」
「成程。人の魂で作る不完全でできたての世界だからこそ、嵌めるのに都合がいいのね。人間の体じゃ世界の核は作れても世界を広げることはできない。それを無理やりに、私たち12人の力で拡張する。…あのステージ“2”のまるっきり逆の理論ね」
ポンと手を叩く。不意に、強い風が吹き木の葉と砂塵が舞うが、二人は微塵も気にせず、話に没頭している。
「ガハハ、さすがは嬢ちゃん、話が早い。そうだ、その通り。矮小な核に莫大な力をそなえ、そこにあやふやな世界が生まれる。……問題はその世界を創るまでだが」
「それなら、心配いらないわ。もう肚は決まってる。私と、となかわと、伯爵の三人で時間を稼ぐ。異点に誰も近寄らせないために」
「すまねぇな嬢ちゃん。貧乏クジ引かせちまって。面目ねえことに、我輩じゃ奴らを一秒引き留めることもできんだろう。ラプランカの居た15年前ならば戦力にもなっただろうが…贅沢言ってられないな」
幾重にも重なった、悲しみに満ちた眼。眼帯の上からでもわかるほどの…
「……じゃあ、征くわね」
「応よ、征ってこい。この混沌と悪意に満ちた世界に、新たな風を吹かせてくれ」
それっきり、二人は、背を向けて歩き出した。涼しい風が吹いている。不吉な風だ。二人は嫌な予感をひしひしと感じつつも、振り返りもせず、それぞれの路へ。
遅れて、大王の魂の中心から強い光が漏れ出し、神秘的な音が響き渡った。
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「待っ、待って下さいっ……!“脳魔”がここに表れたということは、あの三人はもう……!」
「……」
「……彼らがそう簡単にやられるなんてあり得ません、今はただそれを信じましょう、それと、モザちゃんも……!」
「ふふ。あなた方が探しているのは、ひょっとしてこのボロ切れですか?」
「……!!」
無造作に投げつけられる、アムとツーナ=シャーケ伯爵。彼らは脳魔のこの世界への侵入を食い止めるため、大導星での創造の儀の後、あの場に残っていた。
無論、闘うのは分が悪い。そこで二人はこの世界を創り上げたエネルギーの残滓と、一時的に歪んだ時空を再利用し数十年間研究してきた、時空と世界の解れのコントロール。これを用いて時を場所を滅茶苦茶に動かし時間稼ぎをしていたのだが……
「くく、ふっふっふふ……人間どもが、浅知恵を……、時を操りその存在をも時空の闇の彼方へと翔けるあの御方の傍にいる私にあんな手段が通用すると、本気で思っていたのですか、この世界を創り上げた手腕には感服するばかりですが、所詮は……う!?」
「…………黙れっっっ…!!」
早くもステージ“2”を引き出しかけているモザちゃんの重い一撃が脳魔を襲う。圧倒的な光の力にまかせた無造作な一撃。魔の者には、工夫も何もないその力にまかせただけの一撃でも、いやそれだからこそ、最高に有効なのだ。
試合開始の合図もなく、光と闇がぶつかり合う。
―――――そのなんと合理的なことか。
二人の戦いは、総員からは、完成された…いや、秩序を見るようであった。
すべての攻撃が、防御が、回避が、これ以上なく完璧で正確無比。その一挙一動、数百年議論しても、これ以上の最適解は出ないだろう。
京が目を見張る。たとえ“異空因果顕現”を使ったとて、あの二人の剣戟からは逃れられないだろう。
あらゆる時空の可能性の次元上に、自分があれを捌ききれる世界線が存在しないのだ。
千回目の衝突ののち、二人は離れる。
びりびりと、ぶつけ合った剣の手元に衝撃が奔る。
ーーーこれが原初の悪魔と打ち合った代償。
その痛みは凍てつくように熱く、
その余戟は灼けつくように寒かった。
不敵な笑みを受かべ、脳魔は翼を広げる。
「フフ……素晴らしい、とても…これほどの力、数百年…いや、あの御方を除いては観測したことないといっても過言ではありません」
「そうなんですね。私はあなたをこれ以上観測したくないけど」
「それは気丈なことで」
広げた翼の中から、無数の黒いナイフが飛び出してくる。
常軌を逸した速さだが、先ほどのぶつかり合いに比べれば少し鈍い。
「こんなの…避けるまでもない」
真正面から突撃する。嵐のような、光の力に任せた瞬撃。先ほど離れたばかりの距離を瞬く間に詰める、突き刺さるそのナイフには構わずに。
「フフ…“黑魔毒”。魔竜をも数秒で死に至らせる劇毒、これを喰らっては貴方もただでは………」
「それが、どうした?」
即座に体中に回る毒を意に介さず詰め寄り、脳魔の全身を斬り刻む。
「……ッ!!無理矢理突っ切るなど………いや、違う!!…そもそも効いていませんね。黑魔毒を無効化する人間など完全に私たちの予想の範疇を超えていますが…………ならばッッ!!」
ほほう、これまで不敵な笑みを崩さなかった脳魔が、頬に汗を滲ませている。焦っているのか?いいや違う。不敵でない笑みを浮かべている。おもしろいものに立ち会った顔をしている。奴もまた戦いを楽しんでいるのか?いいや、どうだ、アレはまた別の……?
翼をさらに広げた脳魔。翼の先の爪がめきめきと変形し、稲妻のような鋭さを見せる。
直後、黑い景色が一面に広がる。
そこへーーー
「させるか……よっ!!」
「な……!?私の黑魔領域形成を、素手で、力づくで……!?」
くくく、と雨宮達から緩い笑みがこぼれてる。この状況でなお。
あの恐ろしき原初の悪魔の力も、我らの希望の光の前ではこんなものか。
脳魔の形成した怪しげな球を、周囲から迫りくる無数の刃を全て叩き落し、モザちゃんは突き迫るーーー
心臓に向かい一直線の剣戟。……それを、脳魔が片手で掴んでいた。
力を加え押し切ろうとするモザちゃん。だが、脳魔はもう片手で、“待て”の意思表示をしていた。
「く、ここまでです、少し待ちなさい、私は別にあなた方を殺すために来たわけではありませんよ」
「な、に……?何を……??」
周囲がざわめく。何を言っているのか、脳魔は。数刹那沈黙が続いた後、それでもモザちゃんはとどめを刺そうとする。
「今更何を。負け惜しみは地獄でしてーーー」
「……いいや、モザちゃん、止めるんだ」
戦いの後半から、苦い顔をしていたごちかわが、後ろからモザちゃんの肩をつかみ制止する。
「ごちかわ……さん?なぜ……」
あまりの不可思議さに、疑問に、ステージ“2”が解除されかけている。
……しぃけーちきはなおも楽しげに笑っている。
「フ……橙よ。原初の橙ごちかわよ。私のこの姿が、負け惜しみに見えますか?」
「……見えんさ。だが、だが……」
「私はあの御方に仕える身。あの御大の望みをかなえるためにここに居る身。なれば、この絶好の好機、逃す手はないでしょう」
しぃけーちきの望みが自らの死である以上、脳魔の出した答えは、むしろこの世界を利用してその望みをかなえようとすることであった。本来ならば、脳魔ですら力不足なのだろう。よく確認すると、二人にもまだ息がある。こうなることを予見しての賭けであったのか。それとも……
「なんだと…!?お前、俺たちに協力するとでもいうのか……!?」
沈黙を守り、しぃけーちきの動向を警戒しながら静止していた虹かわが、身を乗り出す。驚きの嵐は広がっている。長年にわたり被害を被ってきた聖十二騎士にとって、脳魔のこの発言はとても信じがたいものだったのだ。
「何を馬鹿な………明確に、殺害を目的とした攻撃をしていたとしか思えんが」
京がずいと出てくる。目の前で剣戟を、その力を見た者にとっては当然の感想か。
「フフ、私程度に傷をつけられるようでは、到底あの御方の願いは叶えられません。私など簡単に葬り去るほどの者でないと」
「……どこまでも、“しぃけーちき”優先なんだね」
「まあ、一時的にですが。あの御方の望みをかなえることは私にとってすべてに優先されることで。益にもあの御方を脅かす害にもならぬただの厄介な虫たちだと思っていましたが……こうも最高の場を作り上げてくれるとは・・・ぐおッ!?」
「うるせえよ……!!誰がてめえなんかと手を組むかよ」
脳魔が話し終わるより先に、ふたたびステージ“2”に移行したモザちゃんが光の剣をあてる。
その顔の左半分が吹き飛び、黒い煙が上がる。
「く……ッくくッ……なんとも純粋で……恐ろしい。ひとしきり戦ってわかりましたが、やはり予想以上に想定外でした。このすさまじい力、人間が出していい限界をはるかに超えている」
顔の半分がないまま口を叩く脳魔は、普段より少し興奮しているように見えて、
その興奮に呼応するように、抉られた胸から猛く炎が上がっている。
「脳魔……!!」
皆、その悪魔をなお強くにらみつける。繰り返すが、総員、脳魔には苦い思い出のある者ばかりなのだ。
「ステージ“2”、破壊的精神の解放とともに壊滅的な力を引き出す第二の人格形成。人間はそう呼んでいるのですね。どれ、貴方はあの御方の願いをかなえるための切り札。更なるステージを引き出して見せましょう」
「…………更なるステージ……もしや、もしかしなくてもステージ“3”のことではないだろうな」
「おや、さすがは“橙”、話が早い」
「やはりそうか。それならばさせんぞ、絶対に。モザちゃんをそれに、そんなものにさせてたまるか」
「理解できませんね。あの御方と40年間敵対しているあなただ、何度も私と剣を交えているあなたなら、ステージ“3”の顕現に反対などしないはずなのですが……いったい何が?その小娘に、情が?ありえない、あの御方の殺害こそがあなたの行動原理でありそのためには何も厭わない。それだけが私とあなたが共有する唯一の理念だったはず」
「……それでも」
いつになく、言いよどむごちかわ。しぃけーちきへの次の一手を練っていた周囲もざわめき、二人の様子を見守っている。殺意をむき出しにしたモザちゃんも、今は踏みとどまっている。
「知っているのでしょう?ステージ“3”を引き出せねば、あなたの願いはかなわない。それどころか目障りな私も殺せない。そしてそれは私にしかできない」
「……」
「きっと殺したくて殺したくて仕方がなかった私を全く殺そうとしなかったのも。彼女の力がそこらの魔族を凌駕しても、かたくなに格下の魔族としか戦わせなかったのも。すべてはこのためでしょう?……なんとも恐ろしい。“橙”、あなたはまさか三大幹部の全員を利用しようとするとは」
「さっきから、なんの、話をっ……」
なおも突っかかるモザちゃんの口を脳魔が塞ぐ。ごちかわは止めようともしない。
「まんまと利用されて見せましょう。あなたの願いがそれである限り、私に不利益はない」
「……わかった。……すまない、モザちゃん……」
「よろしい」
「……みんな、すぐにここから離れろ!!今すぐに!!」
「え、そんなことっ言われてもっ……」
「ぐっ……」
他の聖十二騎士はほとんどが満身創痍。特にメロネは、ごちかわの金喪斬刀を<“恋の荒縄”>で固定しているため、動けそうにない。冷や汗を垂らしながら、先ほどから全く動く素振りのない怨敵をちらりと見る。
「なにさ、行ってくるといいよ。私はもはや今は君たちに興味がない。心底、全くだ。君たちを殺してもいいが、目の前に何億倍もおもしろいものが顕れようとしている以上、絶対に楽しめない。絶対に。君は一流のシェフが今まさに最高のディナーを提供しようとする時に、床に落ちた駄菓子をつまみ食うのかね?」
「くっ……」
「てっ……てめ……」
「悔しいが、今は下がろう、……ごちかわのあの表情を見てはな……」
臍を噛み、一同は引き下がる。
「まずはおさらいしましょう」
「……」
「ステージ“2”。抑圧された本能の解放。人が魔と戦うために引き出した“光の力”の暴走。そして引き出した者の性格は反転する。元がお淑やかなら凶暴に。……とはいえ、元が凶暴な例を見たことがないので、性格の反転はあくまで予想ですが。我々にとってさほど重要なことでもない」
脳魔は続ける。
「圧倒的な力で光の力自体を支配することも可能なようですが……現実的ではありませんね。光の力そのものを支配することなど、世の神を全て支配することに等しい。……あの御方ほどの力があれば可能でしょうが、あの御方は深淵の力そのもの、光の対極、通路が閉ざされている」
「そうだ、この世界でもステージ“3”を引き出せたものなどいない。あんなのは机上の空論だ。いるはずがない、世の理を根っこの部分から超えることに等しいのだからな。試したことはないが、俺とて不可能だろう、居たとすればすぐに分かる」
「本気で言っているのですか?この世界にはすでに誕生しています。一人、ステージ“3”が。なぜ他でもないあなたが、この世界の知見が狭いのですか?」
「な、に……??」
「世界とは魂。魂は世界。存在を彩る根源である魂には、その一つ一つに小さな世界が存在する。その存在が強大で、その根源が旧くあれば、その世界に存在が生まれ新たな常識を作る。魂が莫大になると世界すら捻じ曲げるほどの常識を形成する。貴方の馬鹿げた再生能力もそれに依るものでしょう?」
「いや、楽しみだねえ。おそらくはかの“モザ次郎”も、人の身でステージ“3”にたどり着いた者なのだろう。もう一度アレと、無限と相まみえるなど願ってもないことだ」
「しぃけーちき……っ!!」
「何だね?私のための演劇なのだろう?であれば最前列で見せてくれたまえよ」
「くはは、そうか、お前がたどりついた深淵の力。ステージ“3”の到来となれば、ひかれあうのは必然というわけか」
モザちゃんの魂を、脳魔が掴んでいる。はじめは抵抗していたモザちゃんだが、しぃけーちきの威圧により徐々に力が弱まっている。
「あまりにも出来すぎて、罠を疑ってしまいますね。すでに命を失い光の力の身で形成された体。靈煌魔剣の存在。われわれの手元にある古代兵器“キリノン”。そして彼女自身の常識を逸脱した力」
「……そうだ。貴様の言うとおりだ脳魔。俺はこのために。あの日あの薄暗い洞窟でモザちゃんを見つけた時から。その類稀なる才能にひかれた時から、こうする予定だった。それしかないと。……だが、想像をはるかに超えたモザちゃんの力を見てから、もしやこうせずとも勝てるのではないかと、淡い希望を抱いてしまっていただけだ……」
瞳を閉じ、唇を嚙む。そして悲しみをこらえるように、覇剣を地面に乱暴に打ち付けた。覇剣は空気中に霧散する。
「彼女の荒れ狂う魂。ステージ“2”にもがき苦しむ魂。苦しいでしょう。世界が捩じり曲がっているから。魂に形成された内世界を引き出そうとするとき人格は反転し、破壊衝動に駆られる。自らの外側に触れている外世界に拒否反応を起こすから。外世界と内世界の常識の鬩ぎ合いによって引き起こされるエネルギーはあらゆる存在の持つエネルギーを凌駕する。強い魂を持つものならなおさらですね。ならばこそそれを利用する。世界の仕様を。魂に形成されたただ一つの世界を増幅させる、そしてその一つ一つに意味を持たせる。世界一つ一つに無数に存在が生まれ、存在が無数に世界を形成する。そしてその一つ一つに外世界と内世界の鬩ぎ合いが起きる。……そうして果て無き常識と乖謬の諍いの果てに、無限が君臨するのです」
呆然と、言葉も発せず立ち尽くす聖十二騎士一同に説明するように、長々と脳魔は説明する。ごちかわは俯き、しぃけーちきは静かに見守っている。
「……最期の古代兵器キリノン。なぜ貴様らが」
「そんなこと、どうでもいいでしょう。貴方が躍起になってあの御方を倒そうと作戦を練っていたように、私も様々な可能性を錯誤していたのです。……キリノンによって彼女の魂に形成される魂……実に三百万!!十分です。今も増え続けている……クク、すでに三百三万まで増幅している。見せてもらいますよ。その力」
「う…………ぁ…………」
「じきに言葉も聞けなくなります。無限に増幅する世界が魂を支配するから。けれども…………」
めきめきと、変貌してゆく。
世界が魂が死んで増えて壊れて廻って捻れて。
ーーー施術は驚くほど早く進んだ。
「――――――」
言葉も意思も、ただ奴を討つだけの武具には不必要なものだ。
一切の無駄なく、しぃけーちきを倒すための、ただそれだけの存在に、今―――。
………世界が割れる。
ステージ“3”の誕生。気にあてられ、しぃけーちきの持つ深淵の闘気が、一瞬にして剝がれてゆく。
その度にしぃけーちきの存在はあやふやなものから確固たるものに変貌してゆく。しぃけーちきは抵抗するどころか、むしろその変化を楽しむようにその体を形成してゆく。
光が、猛っている。
その衝撃に、突風に飛ばされ、脳魔は壁に叩きつけられる。なおも不敵な笑みのまま。
「……懐かしいな、その姿」
ステージ"3"に移行したモザちゃんに目もくれず、ごちかわは憐れむような目でしぃけーちきを睨む。
「懐かしいねえ。ごちかわ。あの日々を思い出す。君を殺したくても殺せなかった日々を。私を殺したくても殺せなかった君を」
「……その迷妄も今日で終わりだ。永かったな。死ねしぃけーちき。あやふやなお前は、あやふやな世界で潰えるのが望ましい」
「――――――――――――」
次第にその真の姿を顕したしぃけーちきに、モザちゃんの剣が迫る。
その顔はもうヒトではない。
その攻撃はもうヒトではない。
その姿はもう……
幻想のような攻撃。誰にも視えぬ、衝撃だけがわが身を貫く。
しぃけーちきはそのすべてを捌いている。
「お、おい…しぃけーちきのあの姿……」
「まるで、勇者のような…………」
「……っっ!!」
「あれが真の姿だとでもいうのか、我らの怨敵が、あのような煌びやかな」
「ふふん。驚いたかね?はるか昔、ごちかわを殺すためにこしらえた力。真円の力さ。」
……もっとも狼狽したのはウリアムだった。自身の勇者としての運命を最悪な形で捻じ曲げた悪鬼。それが、まさか、勇者だっただって?
「勇者のようだと?こいつはかつての世界ではまさに勇者だったのだ、先ほど人間側に立っていたことがあると言っただろう」
そうだ。私は勇者だった。
私は目的もわからないままあの世界に舞い降りた。
突としてあの世界に生まれ、そしてあたりまえのように戦いの場に赴いた。
この世界では勇者と呼ばれるような存在だったのだろう。だがわたしは神として顕現し、神に能う権能を持っていた。
肝心の強さは…平凡だった。いいや、平凡以下だった。世の戦士が瞬殺していく獣にかなり苦戦した。神なのにね。だがわたしには異能があった。
勝てなかったのなら、時を巻き戻せばいい。
私は任意のタイミングで、たとえ死ぬ直前でも、時間を巻き戻すことができた。そして永遠に試行を繰り返すことができる。他条件が変わらなければ獣など同じ行動をとるものだ。幾度となく戦闘を繰り返し、対策を積み、倒してきた。
私はすぐに話題になったよ。
私の能力はひどいものだったからだ。だが実力より圧倒的に格上の怪物を倒して帰還する。
不気味に見えたのだろう。私の異能が異能たる所以。私が殺したモンスターは、時を戻しても復活しない。その世界に元から存在しなかったことになる。私以外が殺したモンスターは時を戻せば復活する。ゆえに、勇者として登録されて以来、酷い実力で獣ですらも倒した記録がない私が、突然大魔獣を、龍を倒しているのだ。
そんな私にも気づいたら仲間ができていた。こんな不気味な私とよくぞパーティを組もうと考えたものだ。
私は積極的に彼らの盾となったし、一人でも倒れるとすぐに戦闘をやり直したさ。
私は死んでもやり直せるし、彼らのほかに仲間を集めるのも面倒だしね。
効率がいい。
仲間たちはなぜか敵の攻撃パターンを、最初の行動を、その個体のみが持つような子細な弱点まで把握している私をそこまで怪しむことなく受け入れてくれた。敵情報を詳しく把握できる能力を持っているとでも思われたのか知らないが。
過程は省くが、順当に魔の者を倒していったよ。幾たびの経験から私の力はめきめきと膨れ上がった。
この頃になると私も私の能力に慣れてきてね。たとえ敵を倒しても、あえてやり直し、無傷で倒せるようになるまでとことん、敵を観察し様々な攻撃方法を施策し、もっともよい攻撃方法と自身の行動を突き詰めたりもしたよ。
とてつもなく時間はかかったが、その世界の魔王とされる存在もなんとか打倒したよ。
幾たびやり直したことか。
無論、倒した後も何万回か、巻き戻して再戦もしたね。
…そんなこんなで、動いては時を戻し、止まっては時を戻しと繰り返していると、徐々に世界が希薄になっていってね。
最初はほんの思い付きだった。興味本位?とも少し違うかな、当時はこうするとまた展開が変わるだろう、その展開を見てみようと考えたのかもしれないが、残念ながらどう考えていたのかは詳しくは覚えていない。
ただ…ただ、普段の魔物相手のもっといい立ち回りを思いついたとき・新たな技を習得した時とは違い、なにか、心の底からわくわくしていたことは鮮明に覚えているよ。
…………仲間を、長い長い期間を共に過ごしてきた大切な仲間を殺してみたらどうなるんだろう…………ってね。
その時のことは今でも大事な大事な思い出だよ。片時も忘れたことはない。
誤解しないでもらいたいが、私にとってその仲間たちは本当に本当に大切な存在だったさ。きっと彼らが私に思っている以上にね。
なぜならば、私だけは幾度となく時を戻し幾度となく様々な展開を過ごしてきた。少なくとも人の一生の数万倍の時間を共に過ごしてきたのだ。愛着も沸くさ。
今思えば本当にひどい。神だというのに人間の殺し方の一つも知らなかった私はとてもとても悪戦苦闘したよ。
……いやあ、まあ、磨いた魔法を術を使えばいいのに、わざわざ素手で殺そうとしたのは本当に今思い出しても笑えるよ。
順当に経験を上げてきた仲間たちは思ったより頑丈でね。全然急所でも何でもないところを殴りつけたり、適当に首を絞めまくってみたり……
何度も言うが、本当にひどかった。だが、だが、その時の私の表情はもっとひどかっただろうね。
こんなに楽しいことがあるのかと。どんな強敵に打ち勝った時より、どんな難術を習得した時よりも私の顔は活き活きと嗤っていたに違いない。涎を垂らし、涙を流し、たった一人に恐ろしい時間をかけて殺した。殺しつくした。もはや彼の原型が分からなくなっても、ただ一人の殺戮を続けたよ。
ほかの仲間はどこに行ったとか、周囲の反応はとか、そんな些末なこと全く気にならなかった。
ただ楽しくて。楽しくて。楽しくて……。
ふと見上げると、私の体は血まみれだった。返り血ではない。
既にして私は制圧隊に囲まれ、攻撃を受けている最中だった。
あまりにも楽しくて、一切気が付かなかった。夢中で夢中で。
穴だらけの自分の体を眺めた後、私はもう一度微笑み、時間を戻した。
初めは仲間を殺した世界線が見たいという興味……だったのかもしれない、今となってはそれは建前なのかもしれない……、だが、私の脳内は“もう一度殺したい”といった穢欲にまみれていた。
戻ってきたのは前夜止まった旅館。
部屋の形状が少し異なっていたようなのが気になるが、
ついさっきのように、近くの店に夜食を買いに行き帰ってくる途中だった彼を待ち伏せしてーーー
居ない。居ないぞ。何故?
……私は甚く狼狽したな。なんとも馬鹿らしい。
私が殺した者は回帰しない。
時を戻しても、そもそも世界に居なかったという扱いになる……
まさか、人間にも適用されるとはね。
私の脳は急速に巡り廻った。
もう彼を殺せないという哀しみ。
ならばまた別の仲間を、仲間に限らず人間を殺して回ればいいという気づき。
いつかは人間達も絶滅してしまうという絶望。
一瞬にして様々な思いが交錯した。
それでも、たまらず、殺したい欲求に抗えず、一歩踏み出し、
我慢できぬと、街に繰り出し、適当な民衆に手をかけようとしたその時ーーー
“アレ”に出会ってしまった。
私は数万、数億の戦いを経て、あらゆる属性の、あらゆる術を、戦い方を極めた気でいた。
すべての技を究極まで極め、至った境地。武芸百般を修め、その完全なる完成を称えこの力を“真円の力”と名付け、この世界に私の境地に比肩するものなしと驕っていた。
なにせその世界の魔王を片手間に倒せるほどに強くなったのだ。
そこらの剣士など、軽くのせるだろうと。
……はは。惨敗した。
私の修めたすべての技術は彼に歯が立たず、すべてが撃ち返された。
あろうことか、時を戻そうとしても、時空の転移門を物理的に壊してきたのだ。
完全なる死が私の脳裏によぎる。
だが彼は私を見逃した。私がその時空ではまだ人を殺していなかったからか?
金 モザ次郎。私は暫く時空へ時空へ逃げ惑い、またしばらくして怖いもの見たさに元の時空に戻ったが、彼が私の前に現れることは終ぞなかった。
ーーーその日?に、
私の性癖は決まったのだ。
誰かを殺すこと。そして、誰かに殺されること。
前者はいくらでも叶えられた。だが後者は、なかなかに叶わない。
もどかしい気持ちのまま殺しに興じていたとある日。私は“異世界”の存在を知った。
長くなるので中略するが、どうやら今いるこの世界とは別の世界が、別の理を持った世界がいくつも存在するらしい。
希望が、また満ち溢れた。
私はすぐさま異世界へと行こうとした。
私の癖を、どちらかを、どちらもを満たしてくれる世界があると信じて。
……だが、ごちかわ。君は毎回私を邪魔してきたね。
時空を変えても、いくら前に戻しても、世界の移動の邪魔を。
私は君を殺せなかったし、君も私を殺せなかった。
私は真円の力を更に深化させ、摂理をも捻じ曲げるに至った“深淵の力”を用いて殺そうとしたが、殺すには至れなかった。苛々したな、あの時は。
「そして、今もな」
「そうだ、その通りだよ。君はほどなくして逆に私に世界を提供したが、酷いってもんじゃない。ここに来る前で殺戮を行っていた世界もそうだが、適当に作った捨て世界だというのが隠せていなかったよ」
「くはは、すまんな。殺せればなんでもいいのだろう?この世界での被害を少なくするためだ、たまにはカップヌードルでも喰らっていろ」
ステージ“3”に移行したモザちゃんの猛攻を凌ぎながら、しぃけーちきとごちかわは楽しげに話す。まるで久々に再会した古くからの友人のように。
※しぃけーちきの能力について追記。
しぃけーちきが殺した敵は復活しませんが、
殺さない限りは時間を戻せば無傷で復活します。
完全にとどめを刺してやっと消滅。
逆に事切れる寸前に時を戻せば元通り。
この性質によって、しぃけーちきは、どの怪物がどれくらいで死ぬか、どのくらいの攻撃でどのくらいの傷を負うかなどを研究し、
そして少しづつ、最も効率のいい攻撃方法、削り方を確立していきました。
そうしていくうちに大抵の相手は最高効率で倒せるようになり、
それが退屈だったのでしょう。
人を殺し始めたしぃけーちきには、以前までのような効率重視の立ち回りは見る影もなく、
非効率に、意味もなく攻撃したり、突いたり……、それを、楽しんでいました。
何が、彼を歪めてしまったのでしょうね。




