第六話 ”修練”
『御前んは……自らの弱さに嫌気がさして、ここまで逃げてきたんかえ』
『…それがなんだってんだよ』
『まことか。儂の眼にゃ、燃えるものが見えるで』
『……え?』
『ざんじ来とせ、眼ば見せてみい』
『……な、何だよ』
至近距離で、まじまじと目を見られる。何なんだ、この人は。
『本当にまっこと。御前あ、弱いわけ否。逃げて、心が弱いわけでも否あ。優しすぎるきじゃ。儂の青い頃を思い出すで』
『……何を……』
『儂が修行つける。御前ん、強くなれ。』
『…あんたが?』
……………そうして、となかわの修行が始まった。
……修行は地獄の連続だった。…いや、地獄と呼ぶにも生ぬるい。
この世に地獄があるのなら、今よりもっとマシだろうから、いっそ飛び込んでみたいとも思ったほどだ。
手足が震える。幾度も限界を超え、歯軋りにより口からの流血で呼吸困難になる。それでも絶え間なく送られる肉体への、精神への苦痛。涙をぼろぼろと流しながら一心に苦行を繰り返す。地獄を生き抜く。
そしてしばらくのち、汗の水たまりが地面に張ったころ、手が、足が、ぷらんと力なく、自分の意思とは関係なくずり落ちる。ここまでが1セットだ。
『まだや。腕の震えを止めろ。もう一つじゃ』
『……う…!』
心の弱い若者を強くする最も効果的で単純なことは体を鍛えること。
鍛えれば強くなる。強くなれば心に自信がつく。自信がつけばさらに強くなる。
その無限の循環は途方もない努力の果てについに顕になる。
そしてそれこそが怪物を産むのだ。
当時まだ少年だった彼にとってはあり得ない運動量だったかもしれない。
だが、彼は戦闘のセンスにおいては散々だ。人の百倍磨き上げねば。
……そして、そのまま、3年の月日が流れる。
今日も、地獄の修行。鍛錬内容は何度か変わったが、この並外れた厳しさは変わらない。
『限界か』
『……!見くびる…なっ……!』
『違う。延びが、限界か』
『え……?』
憔悴しきった顔をわずかに上げると、一抹の違和感。こんな苦痛は、普段に比べればまだまだ序の口だ。それなのに翠は、修行はいったん止めとばかりの顔でこちらを覗きこみ、何かを話そうとしている。こんなことは今までで初めてだ。
『お前んは零から始めた。ゆえにその努力に応じで実力は延びる』
『……』
『じゃが、ある一定以上を越えるとだ』
『超えると……?』
『延びの勢いが衰える。御前ん自身の限界の実力が視え始める』
『…』
『ここからじゃ。この点から、そ奴が闘士として生き残れるがかが決まる。
霜枯れもあるだろう。じゃどそこで生き残れば見合った成果がついてくる。やがて成果はなだらかな曲線を描く。これが人に与えられた限界点』
宙に線のようなものを描き始めた。恐らく、普通の人々の成長の伸び方の暗喩だろう。
『貴方は……』
驚愕だった。これまで、人を人と思わないような追い込み方をしてきた彼が、ひとつの考え方を持っていたなんて。
『で……お前んは、ここじゃった』
『え……』
指を指されたのは、先程の線の、遥か下。
しばらくぼうとしていたとなかわも、すぐにその意味に気づき、その絶望と、哀しみに表情が曇る。
『な……ぼ、僕は……』
『うむ。御前ゃにゃ、壊滅的に才能が無かった』
『そ……そんなっ!僕は……強くならなきゃいけないのに……!!なんで…なんでだ……!!!』
『……?』
地面に拳を叩きつけ、絶望するとなかわ。地面が震え、そばの木々がメキメキと音を立てて崩れる。
対称的に、翠は怪訝な表情をしている。
『何じゃ、御前ゃ、気づいちょらんのか』
『え…?』
『御前んは既に人の域ば超えちょる。並の天才など、相手にならんわ』
『で、でもさっき……』
『“爆発”した。この修練を経て御前んには、鬼神が宿った。もう、誰にも敗けん』
どれだけ厳しい修行を経ても、伸びないと言われていたとなかわの才覚。
それは、この人知を超えた修行により、1年半と経たずに覚醒していたのだ。
修行と成長のグラフは、異次元に曲がり、電離平衡曲線を描いた…。
『そんな…自分では全く気付かなかった』
『佳く、ここまで耐えた。ここからは、この修練のしめくくりじゃ』
『締めくくり?免許皆伝の儀式でもするのか、ずいぶんといきなりだね』
明らかに雰囲気が変わる。翠はこちらを向いてわずかに腰をかがめた。いつのまにか、その手には古びた剣が握られている。
『最後の修行じゃ。儂を倒せ』
『な……!?』
『どういた。限界を超えたその力を儂に見せろ』
『きゅ、急だって!いきなり貴方を倒せと言われたって……』
『戦は常にだしぬけ。誰も待ってはくれん。教えたはずや』
『そんなこと言ったって……』
『征くぞ』
『……!!』
修行の中、翠ととなかわは幾度となく戦闘訓練を行ってきた。
だが今回は訳が違う。翠の剣戟に込められた、覇気が桁違いなのである。
自分を殺すつもりで来ている。老獪ながら、その剣は鋭く、天才と呼ばれるような若き剣士すら、遥かに凌ぐだろう。
剣を受けながら、ひしひしと痛感する。この男は本気だと。同時に、必死ながら受けきれる自分の技量にも驚愕する。自分は、本当に強くなったんだ。
『なんや、反撃を忘れちゅうで。来んがか』
『…できない……!!』
反撃に、踏み込めない。何はともあれ、3年、共に暮らした人だ。となかわに覚悟ができていないのも、当然のことだ。
『命を奪られかねん場において、まだそんなことを抜かすがか。生半端は要らん。消えや』
翠がパチンと指を鳴らす。すると指の先端から、黒い稲妻が迸り、となかわを襲った。面食らいながらも、高い瞬発力でそれを回避する。その瞬間、背後の木々が崩れ落ちた。
魔法によって破壊されたわけでもない、高エネルギーにより壊されたわけではない。
その稲妻を浴びた木々は、静かにただ滅びたのだ。
『……っ!これは……!!』
『……』
そのまま、無言で黒い稲妻を連発する、となかわは器用にすべてを避けるものの、稲妻はとても速く、またおそらく掠りでもすれば命が危ういゆえ、かなり追い詰められている。たまらず、瞬時に間合いを詰めて反撃にかかる。
『何がしたいのさ、本当に僕を殺す気かよ!』
『……』
問いかけには答えず、無言でとなかわの反撃をさばき、容赦なく斬りかかる。剣戟のどれもが、食らえばひとたまりもないものだ。稲妻を撃つ準備もしている。
…本当は分かっている。殺す気で、本気で向かってきているのは、自分の修行のためだと。覚醒した自分の本気を引き出したいからだと。
『く…!!』
……だから。
『……』
それなら、こちらも全力で応えるのが礼儀だ。
『…いいよ、望むところだ。そっちがその気なら……!!』
『……佳し』
覚悟を決め、となかわも、全力で向き合う。時折見せる隙にも、容赦なく差し込む。翠はそれをギリギリのところで受け流し、躱すが、気にも留めず攻撃を続ける。
……そして。
たまらず、翠が後ろに素早く退き、稲妻を両手に構え、二つ同時に打ち出す。両稲妻はそれぞれ時計回りと反時計回りの螺旋を描きとなかわを襲う。
『……視えた!!』
となかわは剣を口で咥えると、稲妻の螺旋の中心に飛び込んだ。信じられない正確さで螺旋の真中心を通り抜けると、その剣を翠に突き立てる。
……そして。
『何故止める。止めをさしいや』
『……』
……剣を前にした翠は、魂を開けている。となかわにその魂を晒すように。
『やはり、死ぬつもりだったんだな』
『うむ。儂も演技が下手や。あわよくば、全力の御前んに殺されて終いにしたかったが』
『……なぜ』
『答えは御前んの中ばある』
『僕の、中…?』
剣を置き、魂を開いたままの翠に呼応し、となかわもゆっくりと魂を開けた。うっすらとひかる魂。弱々しい、小さな魂。
『儂あ、そん魂、矮小さく脆弱いものだと思うちょった。じゃど……』
『そうだ、僕の魂。こうして見比べてみると、一目瞭然だ…小さくて、光もとても弱い。……こんなんじゃ、才能が無いと言われるのも、当然のことか』
『何を言いいゆうがか。そん魂、天賦のかたまりじゃ』
『え?…なんで』
『伝承でしか見たことも無か。御前ん魂は、他の魂を吸収できる』
『僕の魂が…!?』
となかわも、当然聞いたことがある。ごく稀に、別の生物の魂を吸収できる魂があるのだと、だがそれは元々適性のある魂に、並々ならぬ修行と精神の統一が必須ゆえ、縁のない話だと思っていたのだ。
『そん魂は一言で言うと“零”。真っ白の魂。ゆえに、最初の取り込んだ魂によりそれは大きく揺らぐ』
『…まさか』
『奪っていけ。儂の魂』
『…そういう、ことか』
『…話が速くて助かるで』
ずっと、そのつもりだったのだ。精神と肉体の修行は、単純な戦闘能力の基盤となる基礎能力の上昇に加え、魂を練り上げることを目的としていたのだ。
肉体を酷使する修行に精神が耐えかねて、精神の基盤を支える魂を強くする。これにより、少しずつ精神と魂の統一がなされていくのだ。
『…』
手を伸ばしかけて、すぐに、手が止まる。当然だ。軽い気持ちで奪えるようなものではない。
『遠慮はいらんで。そも、寿命もあるがやき』
『…っ、でも……!!』
『早うせえ。時間がないで。死闘で魂が煌めいちょるうちにやらんと』
『…う……!』
『そうじゃ、最後に一つ。儂の魂は“滅び”。ゆえにうまく力を制御せねば、自らをも滅ぼすで。…御前んなら心配は無いがな。そしてやがて魂の制御が成らば、あの小娘の居城に赴け。いいな』
最後にそう言うと、眼を閉じ、口をつぐんでしまう。最期の言葉だったのだ。
『……………わかった。翠さん、貴方と暮らした時間、とてもいいものだったよ』
翠は、こくりと頷く。わずかに、微笑んでいる。寡黙なその男の笑顔を見たのは、となかわにとって最初で最後だった。
……………そして、それから、さらに1年後。
森の、森の、奥深く。一人の男が、木のそばで座禅をしている。しばらく経つと、深呼吸の後にその場から立ち上がる。
男に絡んでいた蔓は、その男の立ち上がる動きを避けるようにシュルシュルと巻き戻り、動きに呼応して木々がざわめき、辺りの古い木々が崩れ落ちる。
男はもう一度深く息を吸い、後ろのひときわ大きな木に触れる。木には何の変化も見られない。
『……よし』
小さく呟くと、ゆっくりと歩き出した。
『それにしても、こんな力を持ちながら毎日を生きていたのか。僕に触れても、辺りを歩いても、何も滅ぼすことはなかった。いったい、どういう精神の持ち主だったんだ』
背の高い草を掻き分けて進む。木の枝を踏んでしまうが、枝は折れない。
『そうだ。城への道は遠いけど、距離、空間という概念を滅ぼせば………』
瞬間、周囲の景色がガラリと変わる、森林から一変、そこは大きな城の城門前。
『ちょっと思っていた場所と違うけど、ちょうどいいかな』
『な、なんだ貴様はっ!一体、どこから………!!』
『ごめんね。門番さん、騒ぎを起こす気はないんだ。敵意はないから、安心してね』
『な、な……!!』
するとそこに、ちょうど庭園を散歩していた、彼女が通りかかる。
『あ…』
身が固まる。
偶然にもすぐに成った、数年来の再会。こちらの騒ぎに気が付いて事らを向いた彼女と、目が合う。
『…あなたは』
『…久しぶりだね。また、会いに来たよ』
『貴様、無礼だぞ!』
『…いいのよ、京。久しぶりね。どうやってここに来たの?王国外の人の来訪は、逐一チェックしているはずなのに』
『秘密だよ。すぐに会えてよかった、実は、ひとつお願いがあるんだ』
『お願い?』
周囲がざわざわとしている。辺りの兵も集まってきた。早めに要件を言わないと、つまみ出されるな。
『僕を、この王国を、君を護る近衛兵にして欲しいんだ。君と別れてから、修行を続けてきた。君の眼鏡にかなう実力はあると思う』
『なっ、何を言っているんだ貴様は!?』
たまらず、後ろで聞いていた門番が大声で詰め寄る。当然だ。異例も異例、いいはずがない。いつの間にやら現れた得体の知れない人物を、近衛兵に就任させるなどと、あまりにも言語道断。
『あら、なるほど、そういうことだったのね。いいんじゃない?お強いのでしょう』
『な、、、お、お嬢様!?!?』
『お嬢様、何を言っているのですか。思いつきでなんでもかんでもしないで欲しいと、普段から言っておりますのに。つまみ出しますよ。こんな奴』
門番の後ろから、黒いスーツを着た男が鋭い眼光で出てくる。…間違いない。あの日、あの時、となかわを蹴り上げた男だ。側近になっていたのか。
『そうね。そうよね。つまみ出しなさい』
言葉とは裏腹に、こちらを見て小さく微笑んだ。初恋の人の仕草だ。となかわはすぐにその意図を察したのだが、周囲にもわかるように、彼女は言葉を続ける。
『つまみ出してみなさい。貴方なら、余裕でしょう?』
その言葉には、実力を試す意図があったのだ。先述の通り、これは異例も異例。だが、プライドの高いその側近は、そのように言われると、きっと申し出ると思っていた。
…側近は、少し顔をしかめたが、すぐに元の貼り付けたような笑顔で、
『なるほど、意図は分かりました。そういうことなら…。なあ、謎の侵入者よ。俺に勝てば、この国の護衛兵にでも何でもしてやるよ。後悔はするんじゃねえぞ…』
明確な敵意と殺意が膨れ上がり、こちらを睨む。その殺意は周囲も強く感じるほどで、辺りの人々はみんな、身構えた。…たった二人を除いて。
『やれやれ、穏便に済ませたかったけれど、君の頼みならしょうがないな』
『修行をしたのでしょう?私に見せてごらんなさい。その子は、聖十二騎士への抜擢も検討されている猛者よ。貴方に抗えるかしら』
『場所を変えるぞ、逃げるんじゃねえぞ』
『逃げないって。こうなったら仕方ない、すぐに済ませよう』
『……』
『おお、こんなところに闘技場が、ここでやるんだね』
となかわの言葉には答えず、となかわと距離を取ると、手で他の兵士を外に追いやり、
『ああ、すぐに済むさ……お前の死によってな!!』
王国の闘技場に移動したばかり。始めの合図もないのに、側近は詠唱を始めた。宙にいくつもの魔方陣を描き、魔力がその男に集まり始める。兵が抗議するも、その男は聞く耳をもたない。
『な……!?』
男の詠唱のさなか、となかわが驚愕の表情を見せる。
な、なんだ、あの信じられない量の魔力は……!?
『今更ビビっても遅いぜ、降参は聞かねえからな!』
『<“聖火”>!!』
男が手を高く掲げると、そこに魔力を糧とした焔が集まり始める。
ば、馬鹿な……!!!
『そ、そんな…………!!』
そ、そんな……
あ、あれだけ時間をかけて、いくつも魔方陣を描いて出した、そんな魔法が……………
…その程度の威力の魔法だって……!!?
『はは、覚悟はいいかァ?固まっちまって、怯えて言葉も出ねえかァ?』
い、いや、そんなはずはない。仮にもこの国を担う兵士の一人だ。こう見えて、威力はすさまじく高いのかもしれない。よく見ると、手がプルプルと震えている。この威力の魔法を制御できないなんてことはまずありえないだろうから、見た目とは裏腹にとんでもない魔法なのだろう。きっとそうだ。そうじゃなきゃ説明がつかない。
『行くぜェ!!』
ついに、男の手から魔法が打ち出される。
……遅い、何だこの遅さは。この魔法がここに届くまでに、軽く4億回は君を倒せるぞ。もしかして、この遅さも試練のひとつなのかな?なるほど、兵士には我慢強さも大切だな。それに、撃った反動で奴は後ろに少しだけ吹き飛んでいる。あの魔法で吹き飛ぶなんて考え難いし、きっと弱い魔法の皮をかぶった途轍もない魔法なのだろう。周囲の兵士や彼女も固唾をのんでこちらを見守っている。
大きな欠伸をしながら、魔法がこちらに着弾するのを待つ。
『う~~~ん、お、待っていれば意外とすぐだったな』
少し居眠りをしてたかな。その間に、いつの間にか至近距離に来ていたようだ。でも、至近距離で見てみると、…さすがに気付く。もしかして、これ……
「……はぁ」
小さく、ため息をつく。それにより、彼の撃ち出した聖火は消え去った。
起き上がりながら、にやにやと笑っていた側近も、これには……
『な、なんだ!?お、俺の“聖火”が、消えっ……!?お、お前、何をした……!?!?』
『……………何って……ため息をついただけだけど?』
ついに修行を終えたとなかわ。その強さは、想像よりもはるかに増していて—————




