第十一話 “異次元”
「できれば、邪魔はしないでほしいな。」
マイルの周囲がうねる。そのうねりは空に魔方陣を描いた。
その刹那、世界が歪む。歪んだように見えた、というのが正しいか。
黒い炎が渦巻き、その渦中からとなかわに向かい刃が伸びる。朱殷色のその剣は、間違いなく鳳凰剣であった。赫く輝いていた刀身が、まるで人間の血のような色へと変貌していた。
「正直に申し上げよう。僕はその子が欲しいんだ。良ければ、譲ってくれるかな?」
ぐっ、と力を込める。
こんな馬鹿げた取引に、答える義理はない。
<“聖殲滅纏”>
剣先に纏われた聖と魔の力。それにより剣戟は弾かれ、互いに激しい衝撃が伝わる。周囲の地形が抉れ、その一切が消え去った。
総てが、だ。
……その剣戟は無音であった。この激しい衝撃のさなか、二人の間だけが、静寂に包まれていた。
「その子が欲しいなら、まず先に礼儀ってものがあるんじゃないの?」
となかわは目の前に巨大な魔方陣を展開する。そして、その中心に剣を突き立てーーー。
<“黒龍滅撃”>
刹那、魔法陣から5体の黒い龍が姿を顕した。長い尾を引き、マイルを襲う。
「なにも異空間から来なくてもさ。まずは挨拶を済ませて、たくさんお話しをして、仲良くなってからだ。不躾に女の子の首をいきなりかっさろうとするような輩にはやれないね」
龍はマイルに襲い掛かったと思えば、届いた直後、跡形もなく消え失せた。
「じゃあ、段階を踏んで、その子とたくさん仲良くなったら、素直に君はくれるのかい?ボクに」
となかわは魔法が効いてないことなど意に介さず、攻撃を続ける。
次々に剣をふるい、周囲に砂塵が舞う。
「いいや、やれないね。お前みたいな気色の悪い奴には絶対にやれない。」
ふたたび、マイルからうねりを帯びた剣が伸びる。
となかわは紙一重で避け、そのまま剣を鳳凰剣に滑らせるようにしてマイルを斬りつける。
「ほうれみろ。ならば、眠らせている間に奪うのがちょうどいいじゃないか」
なおもとなかわは刺突を続ける。
「ふざけるなよ」
マイルに効いているとは思えない。依然、面が張り付いたような表情のままだ。
「ふざけてなんかな……」
声が突然途絶える。
はじめて、剣が通る感触がした。
「……なるほど、律剣ドルボロス、滅びを司る剣か」
マイルはここに来るときに、“依り代”を用いた。
それは禍々しい色をした金属のようなものだが、おそらく彼の世界のものなのだろう。
小さな小さな、動き回る依り代である。となかわは、これまでその依り代を狙っていた。
すべてを滅ぼす魔剣。
その銘は、“律剣ドルボロス”――――。
「見た目によらず、物知りだね」
「……はは、ボクの世界にも似たようなのがあったからね」
半歩引き、剣を構え、となかわはなおも続ける。見かけによらず、依り代は硬い。かすり傷にすらなっていなかった。
「やはり、君は何か依り代がないと体を保てないのだろう?だったら、それをぶち壊してしまえばいい」
弱点を看破されたはずなのに、マイルには一片の焦りも感じられない。表情の変化はもとからないが。
「ふふ、よく見抜いたね。…いや、その様子だと、出会ったときからすでにばれてたみたいだ。そうとも、そうともさ。ボクの実態は“虚”。虚に攻撃は通じない。だけど、この世界では“無”は存在できない。だから実態が必要なんだ」
やはり、一切の焦りはみられない。
となかわは攻撃を止めない。おもむろに、禍々しいエネルギーを纏う大槌を創り出す。
「でもね、この依り代を壊してどうする気なの?」
マイルが問いただす。同時に、となかわの
<“破滅を謳う剛撃”>がマイルを襲う。
「依り代を喪ったお前はこの世界では存在できない。すぐに消え去るだろう」
ポイ、と鳳凰剣を捨てると、両手で“破滅を謳う剛撃”を受け止める。触れた瞬間に、となかわの作り出した大槌は消え去る。
「いいや。それは違うんだよ。やはり君は“異世界”について無知なようだ。世界にはそれぞれ常識がある。その常識の範疇を逸脱してしまうと、森羅万象存在できない。この世界の『無は存在できない』という常識に違反したとしても、ボクは元居た世界に戻されるだけなんだよ。」
マイルの傍、何もないところから急に青白く光る針が飛んでくる。
その気になれば、マイルはこんなもの魔方陣なしで創り出せるようだ。
「そうか。ならば、跡形もなく滅ぼしてやるよ」
無数の針を一瞬にしてすべて斬りおとす。そのまま、三度マイルに斬りかかる。
「できるかな?君に。無は存在できないという常識があるってことは、裏を返せば、この世界では無をどうこうすることはできない。無を消し去ることなんてできないんだよ」
剣はすべて儚く虚空を切った。
「なら、そんな常識も僕が滅ぼしてやるさ」
ゴォ、ととなかわの闘気がさらに増す。剣を横一文字に構えると、漆黒の狭間が顕れる。
<“暴鐵一閃”>
<“紆ガレ紆ガレ鬱紆ノ調ベ”>
“暴鐵一閃”と“紆ガレ紆ガレ鬱紆ノ調ベ”がぶつかり合い、ズズン、と大地が震える。幾度にも重なったうねりと暴風により、山が崩れ出す。となかわは、山を崩さないようにしながら戦っていたが、それももう限界のようだ。
「ここでは集中できないのかい?なら、場所を変えるよ」
そんなとなかわの意を察したように、マイルは問いただす。
となかわの答えを聞かないまま、一瞬のうちに、景色が混ざる。
次の瞬間、となかわの目の前には白い世界が広がっていた。
「優しいとでも、気遣ったとでも思ったかい?違うね、これは見せしめだよ。ボクはこのようにひとひねりで世界を変えることができる。当然、世界を“無”へと変えることも、容易なことだ。そんなボクと、君は闘おうとしてるんだよ」
完全な白。入り口も出口もなく、遠くを見据えても何も見えない。どこまでつながっているのか見当もつかない。
「それがどうした?」
景色の一変に一切動じることなく、マイルに斬りかかる。
「おお、怖い怖い。そんなに睨まないでおくれよ」
「彼女をあきらめ、元居た世界に帰るんだ」
マイルの身体の表面から、夥しい数の白い物体が溢れ出した。
「嫌だと言ったら?」
白い物体は液状になり波のようにうねる。挙動が予想できない。
その見た目、動き、色覚、すべてこの世には存在しないものだ。
周囲を取り囲む、悍ましき液体。段々と形を作り、となかわを襲う。
「無だろうが何だろうが、常識だろうが理だろうが関係ない。お前を毛先から足の付け根に至るまでぶっ潰してやる」
その言葉をマイルに刻み付けるように、荒れ狂う暴風雨のような剣戟で“それ”を切り刻む。
「そこまで嫌悪するとは。この世界を守りたい、あの子を護りたいという慈愛の心ゆえかな?」
となかわの動きと一瞬送れて、“それ”は一斉にその場に降り注ぐ。
「お前に慈愛を理解するほどの頭があったとはね」
となかわの斬った“それ”が落ちる音はしなかった。
マイルの権能ではない。
となかわはその一匹一匹を粉微塵レベルまで斬っていたのだ。その生物が多少の傷なら“再生”することを見抜いていたのだ。
「いやいや、ボクだって慈愛は大好きだよ。だって、ある意味“無”の対極にあるんだ。慈愛こそがすべてを生み出し、そして慈愛はとても崩壊れやすく、それでも“無”にはならず、“絶望”へと姿を変えるんだ。慈愛は簡単には亡くならない。絶望もまた、慈愛の一つの淵源であり嚆矢なのだからね。そんな慈愛を無に帰してあげる瞬間。これ以上の快感はないよ」
飄々と、話し続ける。となかわの剣戟も、自身の攻撃が届いているかどうかも、一切気にしていないようだ。
「ああ、良かった。やっぱり、お前の心は腐ってるようだね。滅ぼしがいがある」
となかわの剣に込められた殺気がさらに増幅する。
「ねえ、ボク達は一体何のために生まれたんだろうって考えたことはない?」
マイルの攻撃は段々と少なくなっていく。その代わりに、口数がどんどんと増え始める。
「この期に及んで哲学的思想を持ち始めてもね。付き合ってあげるわけにはいかないんだけど」
あっけらかんと返す。迸る殺意を抑え、あくまで、冷静に。
「いいや、違う。違うとも。哲学よりも、もっともっと……」
パチン、とマイルが指を鳴らすと、床から突然、赤く煌めく球体が現れた。それはかなり大きく、となかわも気を取られる。なにせ、突如何の前触れもなくマイルととなかわの間に現れたのだ。
攻撃ではない。これはあの“世界”を指し示すものだ。ごちかわやモザちゃんたちの居る世界を模したその球体は、ぐるぐると回り……マイルの合図で回転を止めた。
「となかわ。君はこの世界でも抜けた実力を持っているよね。隠してもボクにはわかるよ。キミがあの世界で最強だ。そのほかの人達とはあまりにも逸脱しすぎている。……それはまるでこの世界の常識の外にいるみたいだ。なんでなんだろう?考えたことはないかい?どうして、自分だけが特別なのか」
トン、トンとあの禍々しき指で、世界を模した球をつつく。
まるで実体があるかのような挙動だ。
その指を切りつけるも、やはり攻撃は通らない。
「くだらないね。それに、単純な実力だけが強さとは限らない。たとえ実力で負けていても、奇跡のような力で巻き返す者、桁外れの才能を持ち、いずれ僕を超えるであろう者、そして過去、僕たちの想像もつかないような圧倒的な実力を持った剣士を、僕は知ってる。僕がこの世界で最強?冗談はやめてくれ」
自らを最強とたたえるマイルの言葉を、となかわは一蹴した。
「謙虚だねえ。まあ聞いてよ。僕たちは世界の常識から外れて生まれてきたんだ。そうじゃないと説明できない。だったら、贈与された世界という玩具を、弄んで消し去りまくってもいいんじゃないか、と、そうは思わないかい?」
となかわは、何も答えない。口を噤み、攻撃を止める。
そんなとなかわに対し、飄々と、ニコニコとマイルは見つめる。
お互いに何も言葉を発さない、長い静寂ののち、となかわが口を開いた。
「…分かった。理解したよ」
「おお、やっと分かってくれたんだね」
「いいや。君とは絶対に理解りあえない。何がどうあろうと、絶対に。どうしても、分かり合えないようなモノは居るということがわかった。」
話は終わりだ、とばかりにとなかわは瞬時に間合いを詰め、滅びのオーラを纏った手でマイルの依り代を鷲掴みにする。
<“滅撃”>
「…!!」
となかわは黒く染まった手で依り代を掴んだ。手からは膨大な魔力が溢れ出ている。
そして、鷲掴みにした依り代に直接、<“聖殲滅纏”>を流し込んだ。
マイルの身体が、その依り代ごと震えだす。
圧倒的な滅びの魔力に晒された渦中、さらにとなかわは<“暴滅烤黑帝覇”>を撃ちこむ。依り代を包み込むように駆け巡り、淡く光る。
マイルの魔力で強化しているのか。依り代はしばらく滅びに抵抗したが、やがてとなかわの放った3つの滅びの魔法に包まれる。
しばらくのち、ゆっくりと、"炎"は消えていった。
マイルはぐったりとして、相も変わらず虚ろな目をして佇んでいる。
一切、何の魔力も感じなくなった。
なのに。
「ほおら、言ったでしょ。ボクを滅ぼすことなんてできないのさ」
“虚”が、そこに“有る”。
依り代を鷲掴みにしていたはずのとなかわの右手は、根元から消え失せていた。
「おっと、回復はさせないよ」
となかわが<“片端甦生”>の魔方陣を描くと、マイルはその魔方陣を無に帰した。
「く…っ!」
消え失せたとなかわの右手からは、一滴の血も垂れていない。痛みもない。しかし、剣をふるうにも魔法を使うにも、重要な起点である右手を喪ったのは大きな痛手だった。
「勘違いしていたようだね。ボクを滅ぼすのは君じゃない。ボクが滅ぼすのが君なんだよ。わかるかい?つまり、君じゃ無理なんだ。でも、良く抵抗したよ、君は。その勇気に免じて、あの子は見逃してあげてもいいかな」
となかわは無言のままだ。
「でも、ひとつだけ条件があるんだ」
そう言うとマイルは、ゆらりととなかわに迫った。
そして、ゆっくりとその手を伸ばす。
この男は一体…。
そして、マイルの提示した条件とは——————。




