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第九話

 小屋に戻るなり、奇妙なものが目に入ったので、リットはドアを開けたままの格好で中には入れずにいた。

 天井には刃のように鋭い光の模様が映し出されているが、その元は消えかけのろうそくの火のようにほんわりと光だ。

 体重で床が軋む音が響くと、藁が蠢いて、中から虚ろな目のチルカが生まれるようにして出てきた。

 光の正体がわかったリットは、小屋の中に入り「なにやってんだ?」と訝しげな視線をチルカに一度浴びせてから、取りに来た本を探すのにカバンを漁り始めた。

 チルカはゆっくり振り返り「アンタこそなにやってんのよ……」と恨めしげに言った。

「本を取りに来たんだよ」リットはカバンから手を引き抜くのと同時に「あっ」と、朝のことを思い出して声を上げたが、「本を取りに来たんだ」と言い切った。

「私はずっと水を待ってたんだけど……ご飯も食べずに……」

「そりゃよかった。今日はパンだった。水も飲まずに食ってたら、喉に張り付いて窒息して死んでるところだぞ。運が良かったな」

「ここまで……カボチャの甘い匂いがしてたんだけど……」

「じゃあ違う。今日のカボチャのスープはしょっぱかったからな。弟子ってのも役に立たねぇもんだ。スープ一つまともに作れねぇんだからな」

 リットは目当ての本を見つけると、やってられないとその本で肩をトントンと叩いた。

「戯言はいいから……額をそこの汚い床に擦り付けて謝るか、水のあるところまで連れていくか、どっちかにしなさいよ」

 チルカは最後の力を振り絞って睨みつけると、再び藁に倒れ込んだ。

「しょうがねぇ……」リットはチルカを拾い上げると本に乗せて、フライパンでも振るうかのように揺らして遊びながら家へと戻った。



 家につくなり、リットは「ほらよ」と本ごとチルカをテーブルの上に投げた。本はすーっとテーブルの上を滑り、マーの目の前で止まった。

 その途中チルカは、ブドウが入っているバスケットの前で飛び降りていた。

 一口、二口、三口と一気にブドウに齧りつくと、口を果汁で潤して「ふう……」と一息をついた。

「コレ誰の本?」

 マーはチルカには目もくれず、乱暴に扱われた本の表紙を興味深く見ていた。

「知るか。うろついてたら、魔女が嫌味に押し付けてきたんだ。名前なんかいちいち覚えてられるか」

 リットは興味はないと椅子に座った。

「普通は名前が書いてある」

「じゃあ、どっかに書いてあるんだろ。気になりゃ勝手に探せ」

 マーは興味がないと首を横に振ると、中に挟まれた羊皮紙にだけ目を通した。

 書いてあるのは、異なる大きさの四性質の魔力の取り扱いについてだ。魔力同士をぶつけて、はみ出た分の魔力を制御するやり方や、大きい方の魔力の通り道を長くしてすり減らせるやり方など、内容の殆どは魔法陣学問の中では初歩も初歩だ。

 これは出来の悪い魔女見習いだと思われたリットに向けて、その場で書かれたものなので、マーにとっては知っている内容ばかりだったが、その中のいくつかにはまったく知らない技術や知識が書かれていた。

 これは男の見習い魔女には理解できないだろうという蔑みを兼ねたお遊びと、誰かに技術を自慢したいが自分以外に知識を渡したくないという自慢の二つが合わさって書かれたものだ。

 経緯はどうあれ、本来はその魔女に弟子入りして、直接聞かないと教えられないような内容が書かれていた。

「コレ本当にいいの?」

 いつもは無表情のマーも、流石に眉を寄せて心配そうにリットの顔色をうかがっていた。

「好きにしろ。どうせ二度と会うこともねぇし、会うつもりもねぇ」

「どうしたのよ。なんでアンタなんかが真面目に教えてるわけ?」

 ブドウで喉を潤し、すっかり回復したチルカはバカにして言うと、更にバカにしてブドウの種をリットの頬に投げつけた。

「そう見えるんだったら、そこらにいる虫と目玉を交換してもらえ。カマキリなんかいいぞ。その狭い了見も、少しは広がって見えるだろうよ」

「別に喧嘩を売ってるわけじゃないわよ。アンタは魔力のことなんて全然――まったく――これっぽちもわからないじゃないって言ってるの。それに比べて、私は生まれながらに魔法が使える妖精よ。アンタとは元から出来が違うのよ」

「つまり偉ぶりたいってわけだろ? そういえば……『妖魔録』は妖精の踊りをヒントにして魔法陣を作ったって書いてあったな。よし、ここは一発その腹踊りとやらを踊ってみろよ。先生らしく堂々とな。なんなら手拍子もつけてやるよ」

 チルカはマーの目の前まで飛んでいき「いい? バカは無視よ」と、こっちを見ろと指招いた。そしてテーブルに降り立つと、マーの視線の範囲をウロウロしながら「まずは魔法の基礎からね」と言った。

 しかし、それっきりチルカは無言になってしまった。足だけを動かし行った来たり。

「なに勿体ぶってんだよ」

 リットが指で叩いてテーブルを揺らすと、チルカリットの顔を見た。

「……そういえば、私」と立ち止まると、「魔法のことなんて全然わからないわ」と首を傾げながら言った。

 リットとマーの肩透かしのため息が聞こえると「しょうがないじゃない。考えなくても使えるんだから」と言い訳をすると、急にマーを見下した。「いちいち勉強しないといけないんだから、魔女ってのも大したものじゃないわね」

「もしかして、二人して邪魔しに来た?」

 マーはリットとチルカの両方を見た。

「そういうわけじゃねぇけど……」とリットは少し考え込むと、「そうだな……邪魔するって手もあったな」と椅子から立ち上がった。

「どこ行くのよ」とチルカはブドウの種をリットの後頭部目掛けて、風の魔法を使って飛ばした。

「邪魔しにいくんだよ。畑弄りをしてるデカ魔女のな」

「アンタねぇ……」とチルカはため息を落とすと「そういうことをするなら、私も連れてきなさいよ」と飛び上がった。

 羽の風圧でテーブルの上の本や羊皮紙がぐしゃぐしゃになったが、チルカは一度も振り返ることはなかった。

 マーは無言で拾い集めて整理をすると、ようやく静かになったと勉強の続きを始めたが、集中力はすっかり切れてしまっていた。



 畑へと向かったリットだが、そこにシーナの姿はなかった。

 道具が出しっぱなしになっているので、戻ってくると思い、リットは杭に寄りかかった。

 だが、ゆっくりする暇もなく「あーっ!!」とチルカが叫んだ。

「もう! 本当に最悪!!」とバケツの中を見て言った。

「最悪なのは知ってる」とリットは寄りかかったまま、何も確かめずに同意した。

「アンタ知ってたの? なんで私に一言言わないのよ」

「オレは言ったぞ。最低最悪だって。でも、しょうがねぇだろう。そういうものなんだから」

「しょうがなくないわよ。手入れをするなら、どうにでもなるものでしょう」

 チルカは羽明かりを強くして憤慨している。

「手入れなんかしても手遅れだろ。生まれつきなんだから、しっかり認めて生きろよ。今さら化粧なんかして誤魔化したところでたかが知れてる」

「アンタ……なんの話をしてんのよ」

「水面に映った自分の顔に絶望してたんじゃないのか?」

「違うわよ! 私の顔は問題なしよ。パーフェクト! つまり可愛いってこと」

「そりゃ良かったな。水面で歪んだ顔を見て、そう思えるなら立派なもんだ」

 リットが目を閉じてあくびをして、目を開けると目の前にはチルカがいた。

「アンタとの言い合いは後よ。問題はあのバケツに入った水のこと。あんな薬物使って、何考えてるのよ、あの木偶の坊は!!」

 チルカがあーだこーだと騒ぎ立てているが、リットにはなにがなんだかわからなかった。興味を持たずに聞き流していると、シーナが戻ってきた。

 チルカは放たれた弓矢のような勢いで、シーナの目の前に飛んでいくと「どういうつもりよ!」と怒声を浴びせた。

「なんですの? いきなり……怖いです。情緒不安定。正直引きます」

「なんで、こんな薬物を使ってるのか聞いてるのよ」

「殺虫薬のことですか? 効率的にハーブを収穫するためですよ。虫食いなんていちいち構っていられませんもの」

「それもよ!」とチルカはシーナが持ってきたバケツを指した。

 中には別の薬品が入っている。

「これは特定の雑草を間引くための薬です。完成したばかりで、今日ようやく効果を試せる日なんです」

「はーい、死刑。今すぐ飲み干しなさい。森を荒野に変えるつもりなの?」

「一部に使うです。畑にしたところだけ。雑草に栄養が取られず、品質の良いハーブを手間いらずで育てられるんですよ。使わないともったいないですよ」

 シーナは液体を撒こうと柄杓に手をかけるが、チルカが手の甲を蹴り上げて邪魔をした。

「ちょっと、リット! このわからず屋の魔女になんか言ってやりなさいよ」

「なにをだよ」

「なんでもいいから! わからせてやるのよ」

「しゃーねぇ……」とリットは背の高いシーナの前まで行くと、顔を見上げてため息を付いた。「いいか? 殺虫薬ってことは、虫を殺す薬ってことだろ?」

「いちいち聞き返さなくても、名前を聞けばわかるんじゃないですの?」

 これから説教をされるのだろうと、シーナはふてくされて言った。

「わかるなら、どうなるかくらいわかるだろう。植物ってのはな、虫も土も水も太陽も必要なものだ。魔法陣と一緒で、一つでも欠けて秩序が崩れるとしっぺ返しが来る」

 リットの言葉に、チルカはその通りだと頷いた。

「言ってることはわかります。でも、たった一部を変えたところで変化はありませんわ。もし、この殺虫薬で虫の生態系を崩していたならヤッカが気付きます」

「おい、デカ魔女。虫の代表の妖精が影響あるって言ってんだ」リットが向けた人差し指にチルカが噛み付いた。「ほら……見ろ。さっそくしっぺ返しを食らった」

 チルカは邪魔だとリットの頭を何度も叩いて下がらせると、シーナの目の前でふんぞり返って羽を光らせた。

「調和が大事だって言ってるのよ。ここは森で、アンタ達は一部を間借りして生きてるのに過ぎないのよ」

「でも、浮遊大陸に落とし種を育てるという課題をクリアするには、それに近い環境を作り出す必要があるんです。聞いたところによると、浮遊大陸は空高すぎて虫は存在しないはずですが」

「屁理屈言ってるんじゃないわよ。この男なんて、人間の手が入った土じゃ育たない植物を、自分の家の庭で育ててるのよ」

「それって……人の生活としてどうなんですか?」

「最悪よ……家も汚いし、臭いし、アホだし、品格はないし、知性なんて欠片もないんだから」

 チルカとシーナは「うわぁ……」という侮蔑の瞳をリットに向けた。

「次にその目で見てきたら、ここをオレ専用の便所として使うぞ」

「とにかく! その薬を使ったら、地獄まで追い詰めるわよ。覚えておきなさい」

 チルカは薬品の臭いに気分が悪くなったと、森深くへと消えていった。

「もう……もうもう……じゃあ、どうすればいいんですの」

 シーナはうんざりといった声で聞いた。

「なんでオレに聞くんだよ」

「お姉さまに言われているのでしょう? アドバイスをしろって。出来るなら、どうぞしてください。虫も殺さず、土も汚さず、浮遊大陸の植物を育てる方法を」

 シーナは腰をかがめてリットに詰め寄ったが、目が合うと前に顔を赤くしてすぐにそらした。

「簡単だ。空に行けよ。魔女の得意分野だろ」

「大地を空に浮かべるなんていう失われた技術を持っているなら、弟子入りなんてしていません」

「まぁ、殺虫薬じゃなくて虫除けくらいにしとくんだな。魔女ってのは、昔から虫との戦いなんだろ?」

「魔力に反応する虫ならともかく、普通の虫は全人類との戦いです……。こんなの魔女じゃなくて、植物学者の仕事ですわ」

 シーナがぶつぶつと文句を言っている間。リットはあることが引っかかっていたが、植物学者というのがキーワードとなり、思い出すことができた。

「そういや……魔宝石を利用して、浮遊大陸の気候を作り出す保護ケースってのがあったな」

「ください!」とシーナは、リットの胸ぐらを掴んだ。

「ちょっと待て! オレは持って――ないのか?」

 リットは『ヨルアカリグサ』を育てた保護ケースはどうなったか覚えていなかった。

 その曖昧な反応に、シーナは男がよく付く適当な嘘だと思っていたが、「確か重層魔法陣を利用したケースだったはずだ。どの角度から見ても、黒く細い木板が五芒星に繋がって見える変な形のやつ」という、専門的な構造が口から出ると、リットの頭をポカポカと叩き始めた。

「思い出してください! 今すぐ思い出してください! 叩いたら出てこい! 叩いたら出てこい!」

「……調子に乗ると手を出すぞ」

「じゃあ、すぐ思い出してください」

「無理言うなよ……本当に魔女ってのは面倒くせぇな」と言ったリットだが、自分で言った魔女というワードで思い出した。「そうだ置いてきたんだ。残念だったな。あそこにはグリザベルは一緒に行ってねぇから、使い魔を出すのは無理だな。ほしけりゃ、騙されてその保護ケースを作った魔女でも探すこったな」

 リットはどうせ無理だろうと笑ったが、シーナはリットの襟首を掴むと、顔を真っ赤に力いっぱい引きずった。

「知り合いの魔女全員に手紙を出すので、手伝ってください。しらみつぶしにすれば見付かるはずですから」

 シーナは体のどこから出したのかわからない力でリットを引きずると、餌を巣穴に運ぶ肉食獣のようにズリズリと家へと向かった。






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