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第六話

 開けられたドアの隙間から差してくる白々した陽光は、わずかな時間だけリットの頬を照らすと、頭二つ分の影によって隠されてしまった。

 頬を温める光が消えたことにより、リットは一度身じろいだが、またすぐに寝息を立て始めた。

「起きませんわね」一人がドアの隙間に顔を挟ませるように覗かせる。

 もう一人がその頭の上から顔を出すと「情けない姿。けけけ」と笑った。

 その笑い声が大きかったせいで、リットはビクンと体を揺らしたが、体の向きをゴロンと変えただけで起きることはなかった。

「もうお昼なのにね……」

「あーはなりたくないですわ」

「幻滅ー」

「期待をしてたことに、驚きを隠せないのですけど」

 二人がコソコソではなく普通の声で話していると、リットは急にのそっと起き上がった。

「あっ……起きたよ。飲むかな? うわぁ………飲んじゃうのかな……」

「飲むでしょう。なにも考えずに、ぐっと飲み干すはずです」

 リットはゆっくり立ち上がると、テーブルに不自然に置かれているコップに手をやった。中には藻のような緑の液体と、灰を溶いたような薄黒い液体が渦巻いていた。

 迷うことなくコップを手に取ると、手を傾けて、迷うことなくドアの隙間に向かって中身をぶっかけた。

 一つの悲鳴と、逃げる足音が一つ響いた。

「一人なのにやかましい奴だな……起きちまったじゃねぇかよ」

 ローブドレスのフードを深くかぶった女の子が「一人?」と首を傾げてから、キョロキョロ周りを見渡すと「おおう……裏切られた」と抑揚なく言った。

「誰だか知らねぇけど。二日酔いで死んでるってのに起こしたのは、それ相応の用があってなんだろうな」

 リットは凄んでみせるが、女の子はシダ植物の新芽のようにクルクル渦巻いた前髪の隙間から、無表情の瞳でリットの目を見返した。

「マーですよ、マー。お兄さん」

「なにがまぁまぁだ。ごまかそうとすんじゃねぇ」

「だからマーなんだってば。誰だって聞いたでしょう」

「あん? 名前がマーってのか?」

「そうそう。もう早とちりなんだから」マーはけけけと笑うが、表情は一切変わっていない。「ふぅ……ではでは、誤解が解けたところで」

 マーが背を向けると、リットはマーの腰を抱えて持ち上げた。小さい体は軽々と持ち上がった。

「おい、グリザベル!!」

 リットはマーを抱えたまま家を出ると、何度も名前を呼んだ。

 少ししてから、うんざりした様子のグリザベルが、しょうがないといったようにため息をつきながら箒を持って歩いてきた。

「まったく……こうなると思っていた。どうせお主のことだ。昨夜のことなどなにも覚えていないのだろう……身の丈に合わない酒を飲みすぎるから記憶をなくすのだ……しっかりせんか」

 いつになくグリザベルが強気に出てきたので、リットはなにか言う前に昨夜のことを思い出そうとした。

 グリザベルを待っている間に、高級ウイスキーのD・グイットを一杯飲んだことはしっかり覚えている。二杯目に口をつけたところで、ノーラがチーズを焼いて香ばしい匂いを立てたことも覚えている。それを口に入れたあたりから記憶がなかった。

 だが、起きた時にはウイスキーは半分以上が瓶に残っているのが見えた。

「記憶をなくすほど飲んでねぇはずだがな……」

「お主も若くないということだ。そんなことでは、兄弟子として示しが付かんぞ」

 グリザベルは叱咤激励するようにリットの肩を叩きながら言った。

「兄弟子だぁ? ……誰かこの説明できる奴いるか?」

 リットが困惑の声を上げると、ノーラが「あいさァ!」と高く手を掲げた。

「よし、言ってみろ。短くな」

「旦那酔う。安請け合い。そして今に至る。これ以上短くは出来ませんぜェ」

「……間にグリザベルがオレを騙したってのが抜けてねぇか?」

「いいえ」とノーラ首を横に振る。

「安請け合いしたのは、オレじゃなくてノーラだってことは?」

「まさかまさか。美味しいものがあるならともかく、森のど真ん中ですよ。名シェフもいないのに、私がここに積極的に残りたがる理由があると思います?」

「どうにかチルカのせいに出来ねぇか?」

「どうっスかねェ……。チャレンジしてみます? 今話しかけるのは危険だと思いますけど、旦那がどうしてもって言うなら、私は止めません」

 ノーラは湖の方角を指した。

 湖の水面は白波立っており、逃げ回るチルカと追いかけるグリフォンが端から端まで行ったり来たりしていた。

「なにしてんだありゃ……。あれの説明は?」

 リットが聞くと、先程と同じ用にノーラが勢いよく手を上げた。

「森薄暗い。チルカの羽光る。グリフォンのオモチャ。それもこれも旦那がここに残留を決めたせいってことっスねェ」

「じゃあ……これは」

 リットは腕に抱えているマーを揺らしながら言った。

 すっかり寝ていたマーは、驚いて「おおう……」と声を漏らした。

「もう……旦那ってばァ。さっきグリザベルが言ってたじゃないっスかァ。旦那は兄弟子なんだから、マーは妹弟子でしょ。つまりマーが妹弟子なら、旦那は兄弟子ってことっスよ」

「それがまったく意味不明だってんだ。グリザベルを手伝うとは言ったけどよ。なんだってオレが魔女なんかの弟子に――」

 リットが言い終える前に、グリザベルは持っていた箒を目の前に振り下ろして言葉を遮った。

「リット……ちょっと来い。大事な話がある……」

 グリザベルはリットの腕を引っ張ると、マーは地面に落ちてカエルが潰れたような声を上げた。

 だが、グリザベルはそんなのことには目もくれず、リットを家に引っ張り入れると、ドアに鍵をかけた。

 そして「リット……失言は困るぞ」とため息まじりに言った。

「失言ってのは、オレがオマエの弟子じゃねぇってことか? 手伝うとは言ったけどよ、弟子になるとは聞いてねぇよ。……今度はなんの尻拭いをさせる気だよ。ご先祖さんの尻拭いだけじゃ、飽き足らねぇってのかよ」

「まだなにも状況を把握していないうちから、我のせいにするのはやめぬか。早計だぞ。これは止むに止まれぬ事情があったから仕方がないのだ。そもそもお主が酔って忘れなければ、二度も説明する手間はなかったのだ。つまりお主の落ち度だ」

 グリザベルは強気の姿勢を崩さずに言った。弱みを見せれば、あっという間に崩れるのは自分でもわかっていたからだ。

 だがリットはあっさりと、その弱みをつついた。

「なるほど……わざと酔わせて、その間に交渉したんだな……」リット言葉にグリザベルはビクッと体を震わせた。「大方、使い魔もいねぇ弟子もいねぇでかっこつかねぇから、オレがオマエの小間使いだって弟子に言ったんだろ。尊敬されたいっていうちっぽけなプライドのためにな。泣いて頼んでもオレが首を立てに振らないがわかってるから、強硬策に出たってわけだ」

「覚えておるではないか!」

「覚えてるんじゃねぇよ。浅はかな考えを見透かしたんだ。シラフで頷かねぇことがわかるなら、翌朝になりゃ、反故されることくらいわかんだろ」

 リットが凄んだ顔と声で言うと、グリザベルはうつむいたかと思うと、すぐにそっぽを向いた。

「――もん……。昨日は任せとけって言ったもん。リットの嘘つき……アホめ……足が臭くなる呪いをかけてやる……」

 グリザベルが涙声でたらたらと不満を垂れ流し始めたので、リットは面倒くさくなったとため息を付いた。意地になると、頑固に長引くことは知っていたからだ。

「だいたいな……魔女のことなんかわからねぇのに、弟子なんか務まるわけねぇだろが。いいだろ、三人にいれば。オレに虫を食わせた奴に、ケケケと笑う不気味な奴に、さっさと逃げた奴。三バカに加わるつもりはねぇよ」

「私にも威厳というものがある」とグリザベルは顔を上げた。「今更、弟子などいなかったでは済まないのだ!」

「ねぇよ……威厳なんか。そこらかしこに落っことしてる」

 リットは床に落ちた涙の跡を指した。

「お主が叩き落としただけだ! よいか? もう一度、一から話してやるから、しっかり聞いておくのだ」

 魔女と名乗り商売をすることが出来るようになるには、いくつかの条件がある。

 まず、主幹となる魔女以外の元へも出向き、預かり弟子となって指示を受けることだ。

 様々な魔女から知識を預かることによって、魔女の道は大きく広がりを見せる。師匠から弟子へ、弟子が成長し、更にその弟子へと、より濃い知恵を伝承していく。

 遥か昔。大戦があった頃の魔女は捨て石にされていた。二度と繰り返されないために、魔女が子孫を守るために作り出した制度だ。

 それによって生まれたのが『魔女三大発明』だ。

 ウイッチーズカーズの影響を自分ではない生命に移す『使い魔』。

 影響を生命から木へと移す『杖』。

 宝石に魔力をこめる『魔宝石』。

 どれもが、魔女が激動の時代を生き抜くために使われた技術だ。一人だけのものの見方では生まれなかった技術。歴代の魔女の知識の集大成とも言える技術なのだ。

 そして、新しい時代には新しい技術が必要になる。これからも続いていく習わしの一つだ。

 次に、預かり弟子となると師匠から課題が出される。

 課題の内容は様々であり、師匠によって異なる。自分が得意な分野で出されることもあるし、不得意分野の課題を出されることもある。だが、交渉次第で課題内容の変更も可能である。師匠の裁量次第ということだ。

 師匠となる魔女側も、弟子とコミュニケーションを取りながら、長所を伸ばすか短所を伸ばすかを考える。中には頑固に自分の得意分野しか教えない魔女もいる。

 師匠側にとっても弟子というのは重要になってくる。訪ねてきた見習い魔女の数によって、次回のウィッチーズマーケットの場所取りの順番が決まるからだ。

 次に、最低でも四人の魔女から合格通知を貰わなければならない。四という数字は、四大元素や四性質にちなんだものだが、最低四人に師事を受ければ、なんとか魔女としてやっていける。

 ほとんどの魔女は貪欲に知識を得るためや、コネを広げるために、四人以上の魔女の元へと弟子入りする。

 最後に、主幹となる魔女の元へと戻り、最終試験を受け、晴れて一人前に魔女を名乗ることが出来る。

「当然ながら、我も通ってきた道だ」

「友達もいねぇのにか?」

「……友達と師匠は別物だ。それにだ、我は引く手あまただったのだぞ!! あっちからこっちからそっちどっちと来てくれと」

「どうせ魔女だった婆さんを訪ねてきた友達の魔女が、気を使って弟子に取ったんだろ。大人に気を使わせるガキそうだもんな。いや……今でも気を使わせてるな」

「ええい! うるさい! とにかくだ! 我には見習い魔女を導く義務がある。弟子を不安にさせてはいかんのだ。よって、リットは我の一番弟子として過ごしてもらう。これは決まり事だ。決して覆ることのないこと。聞かぬならこちらにも考えがある」

 グリザベルは鼻息荒く言い切ると、リットを睨みつけた。

「なにが考えだ、オレより上手を行けると思ってるのか。威厳を失くして。面目まで失っちゃ、目も当てられねぇぞ」

「そう余裕ぶっていられるのも今のうちだぞ」

 グリザベルは年季の入った空の瓶を取り出すと、テーブルに音を立てるようにして置いた。

「おい……酒は昨日使った手だろ。それに、中は空ときたもんだ。信用まで失ったぞ」

 リットが文句を言うが、グリザベルはそれを無視して口を開いた。

「ウンディーネが浄化した水でした作ることが出来ない。魔女の酒がある。魔女の知識とは娯楽にも使われるからな。だが、今は失われつつある。我はその製法を知っておる。お主がバカにした魔女から受け継いだ知識だ」

「……バカにしたのは、お師匠さんじゃなくてグリザベルだ」

「言うことはそれだけでよいのか? お主の言ういけ好かない魔女が、ひと目見て黙るほどの代物だぞ。当然飲んでも美味だ。奇しくもここは泣き虫ジョンの滝ができる湖。雨もそう遠くないうちに降るはずだ。お主が首を縦に振る以外の条件は全て揃っておる」

 リットはなにも答えずに黙って瓶を掴むと、グリザベルの方へ寄せた。

「答えとして受け取ってやろう。妹弟子達を一人ひとり紹介してやりたいところだが、こう仕事が遅くなっては示しが付かん。まずは畑仕事からだ。魔女薬となる植物を育てるのだ。手抜きは許されん」

「言っとくけど。弟子にはならねぇぞ。ただ弟子じゃねぇとも言わねぇ」

「相変わらず最後までゴネる男だ……。まぁ、よい……くれぐれも内密に頼むぞ。あとは我を立てるように。この部屋で起こったように、我は責めて立てるのは禁止だ。……よいな?」

「わーったよ」

 リットが家のドアを開けると、半笑いでノーラが顔を見上げてきていた。

「なんだよ……」

「状況を説明しましょうか? お酒の誘惑に負ける。グリザベルにいいように利用される。昨日とまったく同じですぜェ」

「聞き耳を立ててやがったな」

「なに言ってるんスかァ、立てるのは顔で、グリザベルでしょ。旦那が立てるものと言えば……腹ですかねェ」

 ノーラは魔女薬の本をリットに渡すと、早く行こうと畑へ向かうようにと、リットのお尻を押した。






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