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第五話

 グリザベルが弟子をとったことや、偉大なる魔女と呼ばれていることや、ヤッカと名乗った音の子がやたらと付きまとってくることなど、色々頭に浮かびぐるぐる渦巻いていたが、リットは一度考えを全て投げ捨てた。

 そして一番重要な情報だけを、頭から口へと押し出しすようにして言葉にした。

「つまり……グリザベルの居場所はわかるってことだな?」

「もちろんですよ。ですが、今日は重要な用事があるので、面会は難しいと思いますよ。弟子も今日は自学自習です」

「それでもいいから、案内してくれ。いいか? 弟子ってのはな。師匠の客人を案内するのも仕事だ」

「客人はグリフォンに乗ってくると言っていましたが?」

「乗ってたら、振り落とされたんだよ。好き好んでこんなカビ臭い森に一人でいると思うか?」

「あぁ……」と、ヤッカは物知り顔で頷いた。「あの子って着陸が下手なんですよね。でも、良かったですね。もし湖に落ちていたら、死んでいましたよ。あっという間に体温を奪うほどの低水温ですから。知らずに飲んだ旅人が、内側から凍ってしまったという伝説もあるくらいですよ。どうやって溶かすか知っていますか?」

「それより、いつになったら案内を始めるかを知りてぇな」

 リットが睨んで言うと、ようやくヤッカは歩いて道案内を始めた。しかし、口の方も止まる気配はなかった。

「溶かす方法というのは、お酒を飲むんですよ。この『ディナイン湖』の水は、グイットという街の蒸留所でウイスキーの製造に使われているんですよ。とても美味しいらしいですよ」

「知ってる。ディナイン・シテン・マンネ・グイット蒸留所で作られる。『D・グイット』ってのは、高級ウイスキーだからな。でも、それが魔女となんの関係があんだ?」

 ヤッカは「結構物知りなんですね……」と素直に驚いた。「実はですね。この湖は地下水の流れる洞窟と繋がっていて、遠くの湖まで流れていってるんですよ。そこの湖の名前がシテン。蒸留所のある街の名前がグイット。マンネという人が作っているので、ディナイン・シテン・マンネ・グイット蒸留所というのです」

 自慢気に語るヤッカを見て、リットはため息を付いた。

「どっちかというと、オレ好みの話ではあるけどよ。聞いてるのは魔女との関係だ。魔女が作ったウイスキーってわけでもねぇんだろ?」

「そうですね。ディナインというのは、ウンディーネが訛った言葉だと言われています。というのも、この湖には『泣き虫ジョン』と呼ばれる滝が出来るんですよ。あの四精霊のウンディーネが、お茶会を開くという滝です。大雨が降った時にしか開かれないんらしいんですけど。まぁ、というわけで、ここは魔女にはうってつけの場所なんですよ。今の話も魔女だけの秘密の話です」

「そういや、ウィッチーズ・マーケットでそんな話を小耳に挟んだな……。魔力の結晶を作るとかいう水草が生える滝だろ」

 ヤッカは「うわー」と尊敬の瞳をリットに向けると「本当にウィッチーズ・マーケットに行ったんですね……」と、今度は羨望の眼差しへと変えた。

「別にいいところじゃねぇよ。いけ好かねぇ女共が、ただ立ってるだけで小馬鹿にしてくるようなところだぞ。よっぽど特殊な性的趣向でも持ってなきゃ、やってらんねぇよ」

「それでも、ウィッチーズ・マーケットの中に入って魔女とお喋りをしたのなら、それはもう開拓者じゃないですか!」

「どんだけ男の地位が低いんだよ……魔女の世界ってのは。つーかよ、その魔女が秘密をペラペラ喋っていいのか?」

 リットはやたらとリップサービスがいいヤッカを不安に思っていた。普段ならなにも思わないのだが、あまりに秘密というものが口からこぼれ落ちるので、珍しく心配するという気持ちが湧いていた。

「秘密もなにも、同じ魔女仲間じゃないですか。それもこんなに深いところで繋がれるなんて……きっと僕達は出会う運命だったんですよ!」

 ヤッカはリットの手を包み込むように握ると、なにかを期待した瞳で顔を見上げた。

「あのなぁ……男を口説くなら、もっと焦らすことを覚えろ」

「あっ! いえ……違います!」とヤッカは顔を真赤にすると、慌てて手を離した。

「だいたいな……オレはガキの恋愛ごっこに付き合う暇もなけりゃ、魔女ごっこにも付き合う暇もねぇんだよ」

「どういうことですか?」

「魔女じゃねぇってことだ」

「でも、ウィッチーズ・マーケットに行ったんですよね?」

「グリザベルの招待状でな。男で魔女になりたい奴なんているわけねぇだろ」

「そういうものですかね……」

 ヤッカはまるで叱られた犬のようにしゅんとうなだれた。だが、まだ何かを期待するような瞳で、リットを横目でチラチラ覗いていた。

「魔女の話は忘れてやる。オレにとっちゃ酒の話のほうが重要だからな」

「ありがとうございます……」ヤッカはもうなにかも面倒くさくなったような顔をすると、木漏れ日が強く差している一角を指した。「このまま真っ直ぐ行けば、グリザベル様に会えるはずです。僕は自学自習の続きをするので……これで失礼します」

 とぼとぼと歩いていくヤッカを、リットは黙って見送った。

 木が生い茂る森で光が強く差すということは、開けた場所があるということだ。森の中でそういうスペースがあるというのは、水場か住居だ。そして、グリフォンの背中からは湖が見えていたので、グリザベルがいる場所というのは間違ってなさそうだった。



 光が差す方へ歩いていくと、徐々に木の数が減り、足元の土が固く踏みしめられて道のようになってきた。

 森を抜けると、湖と家と三人の姿がいっぺんにリットの瞳に映った。

「旦那ァ! こっちスよォ!」

 ノーラは小さい体をめいっぱい使って手を振った。

 ノーラの後ろには年季の入った木造の家がある。家自体は大きなものではないが、家の三倍はありそうな畑が湖に面して広がっており、チルカはその上を品定めするようにフラフラと飛んでいた。

「こんな遠いところへ……よう来た、リット」

 グリザベルは感無量の表情で、久しぶりの再開に鼻をすすって出迎えた。

「遠いところへ呼んだんだろうが。グリフォンの糞で脅して」

「我はしっかりお願いをしたぞ。お主が手紙を無視するから、強制的に連れてくるしかなくなったのだ。もしや……忘れたわけではあるまいな。魔女への手紙の返信の仕方を。まぁ、忘れたのならしょうがない……また一から教えてやろう。よいか? 魔女の手紙には香草が――」

「いいからさっさと要件を話せ」

「そうだな……まぁ、まずは家に入るがよい。外で話すようなこともあるまい」

 グリザベルは家のドアを開けリット達に入るように促すと、チルカにも声を掛けたが、もう少し畑を見ているとのことなのでドアを閉めた。

 家の中は至って普通。といっても、魔女にとっての普通であり、本や用途のわからない道具。それに乾燥植物などが乱雑に置かれていた。

 リット達の荷物も既に部屋に運び込まれていた。

 グリザベルは椅子に座るように勧めると、お茶でもどうだと聞いた。リットが断るより早く、ノーラが飲むと返事をして茶菓子までせがんだので、グリザベルが席につくのにはしばらく時間が掛かった。

 グリザベルは椅子に腰掛け、紅茶に蜂蜜を入れ一口すすると。ふーっと甘い香りの息を細く吐いた。

「さて……どこから話したのものか……。語るべきことはあまりに多い。まるで湖の奥底に沈む砂利のようだ。元は大地であり、岩になり、石になり、砂となり、消えていく……。だが、目に見えぬ欠片になろうと、歴史が消えるわけではない。その一つ一つに耳を傾ければ、岩には残らなかった歴史の足跡が見えてくる。つまり……いくつもの事柄が混じり合ってこそ、真実が浮き彫りになるということだ。目的は一つだが、辿り着くための道のりというのは無限にある。我はそのうちの――」

 グリザベルの冗長な話は熱を帯びてきたが、火がつく前にリットが冷たい瞳で制した。

「この家の横にある湖の歴史の話をするなら知ってるからいいぞ。泣き虫ジョンの滝の話もな。ウンディーネが云々もどうでもいい。道のりなんてものは、グリフォンでひとっ飛びだからな。さっさと目的だけを話せ」

 リットはついさっきヤッカから聞いたことを内容を話すと、グリザベルはテーブルを叩いて立ち上がった。

「なぜお主がそのことを知っておる! 魔女だけが知っている情報だぞ!!」

「さぁな」とリットは肩をすくめた。「きっと、どっかの本に書いてあったんだろうな」

「いいや、まだ本にした魔女はいないはずだ。なぜならこの湖が荒らされたら困るからだ」

「じゃあ、ウィッチーズ・マーケットに行った時に誰かがポロッと口にしたんじゃねぇのか?」

「むむう……口の軽い魔女め……困ったものだ……」

「オマエだって、オレにあれこれ魔女の知識をべらべら話してるだろうが」

「我はよいのだ。調べればわかる情報と、我の知恵を授けているだけだからな。我の思慮は異端であるゆえ、リットに話しても問題はない。むしろ他の魔女共には理解できぬことだ。お主は、我の一番の理解者だとも言える」

「そんなことねぇよ」

「そう謙遜するでない」

「迷惑だって言ってんだ」

 リットはカバンから本を取り出すと、わざと音を立てて乱暴にテーブルに置いた。

 カップが揺れ、紅茶が零れそうになると、グリザベルは慌てて本を抱きかかえて避難させた。

「なにをやっておる! この本は貴重な本なのだぞ!!」

「オレの本だろうが」

 リットが持ってきた本は、『カレナリエルの薬草学』というエルフが書いた本と、『私は光』という発光生物について書かれた本。それにウィッチーズ・マーケットで買った『アルテーヌ』という魔女が書いた魔女薬の基礎が書かれた本。それに適当な図鑑が数冊だ。

「物の価値がわからぬ男め。カレナリエルの薬草学本など、本来は一般でなど持ってる者はいないほどの本なんだぞ」

「知り合いの冒険者に手に入れてもらったんだ。だいたいその本をどうすんだよ。エルフの本なんて、魔女は使わねぇだろ。魔女薬の本だってそうだ。前に自分は魔法陣専門だって言ってたじゃねぇか」

「我にだって色々あるんだもん……」

 グリザベルは不満げに口を尖らせると、そっぽを向いた。

「色々ってのは弟子のことか?」

「なぜ知っておる! どうせ手紙を読んでおらんと思って、存分に焦らしてから自慢しようとしていたのにぃ!」

「ここまで案内してもらったんだ。虫を捕まえてた小娘にな」

「虫……ふむ、ヤッカか」とグリザベルはあからさまにほっと胸をなでおろした。「魔女薬を専門に学んでおってな、アヤツの方は薬草よりも虫の効果に重きをおいている珍しい魔女だ。素直で、筋もよい。少々頑張りすぎてしまい、視点が凝り固まるのがいただけないところだがな」

「へぇー……ちゃんと立派にお師匠さんしてるんスね」

 ノーラの素直な賛辞に、グリザベルは気を良くしてフハハと高笑いを響かせた。

「うむ、当然だ。力なき者を導くのは、力ある者の成すべきことだからな」

「それで、苦手な魔女薬をこっそり勉強をしようと、旦那に本を持ってこさせたんですねェ」

「なるほど……」とリットは頷いた。「カレナリエルの薬草学本は、魔女にない知識をひけらかして偉ぶるためか」

「そんなわけ! ――ないもん……」グリザベルはバツが悪そうに視線を逸らしたが、リットとノーラの視線が自分から離れないのを悟ると、子供の駄々のようにテーブルを何度も叩いた。「そうだ! なんか文句あるかぁ! 尊敬されようと思うことがそんなに悪いことか? 悪いと思うなら言ってみろ……リットのアホぉ……ボケぇ……」

 グリザベルが鼻をグズグズと鳴らしてテーブルに突っ伏すと、ノーラが「もう……旦那が余計なことを言うからっスよ」と、グリザベルの頭をよしよしと撫でた。

「果たして余計なことを言ってるのはどっちか」

 リットの低い声にグリザベルの背中がビクッと震えた。

「どいうことっスか?」

「本が欲しいなら、本だけ寄越せって言えばいいだけの話だ。それをオレごと届けさせたってのは、さっき言ってた――弟子に尊敬されてぇってことなんだろ」

「なんで旦那がいることが自慢になるんスか? むしろ、変な知り合いがいるってなって、距離を置かれると思うんスけどねェー」

「思い出したんだよ。魔女の世界は女尊男卑。オレみてぇな男の弟子がいると泊がつくんだろ」

「でも、それだと私とチルカも一緒に呼んだ意味がわかりませんぜェ」

「さっき森で小娘に会ったって言ったら、グリザベルが少し考えただろ。弟子が一人しかいねぇなら、考えるまでもねぇ。複数いるから誰か考えたんだ。それに『アヤツの方は』って言ってたから、少なくとも一人は虫を使わない薬草学を学んでる。だから畑もあるんだろうな、育てるのに妖精のチルカは丁度いい。火が扱えるようになったノーラも呼んだってことは、魔力制御の練習中の奴もいるってことだ。そうなんだろ?」

 リットが言い終わる頃には、グリザベルはスースーと寝息を立てていたが、嘘寝だということは誰の目から見ても明らかだった。

 突き刺さる視線に耐えられなくなったグリザベルは、自分から起き上がると開き直ってリットに指を向けた。

「流石だ! 我の何よりの理解者よ! そなたには一番弟子の称号を与えようではないか!! 今日から 漆黒の魔女の従者と名乗るがよい! ふははは!! ふはは! ふは……は……はは……」

「ノーラ、帰るぞ」

 リットが背中を向けると、先ほどがまでの醜態が嘘のように、グリザベルが低く冷静な声を出した。

「帰れぬ……お主は自ら魔女の家に足を踏み入れたのだ……それがどういうことかわかるか? お主はこれから、喉を焼かれ、思考を制限され、のたうち回る苦しみを味わうことになるのだ」

 グリザベルはすぐ後ろの棚からあるものを取り出すと、反射するそれをリットに向けた。

「なるほど……D・グイットね」

「そうだ、このウイスキーは――」

「知ってる。そこのディナイン湖と地下で繋がってるシテンって湖の水作られるウイスキーだろ」

「だから、なんで知っておるのだ!」

「弟子に感謝しろよ。その話を聞いてなけりゃ、今ほど興味はなかったかも知れねぇからな」

 リットはウイスキーを受け取った。つまり、グリザベルの手伝いをするということだ。

「おぉ! 助かるぞ!」

「オレは手伝ってやるけどよ。ノーラとチルカには自分で頼め」

「私は全然いいっスよ。グリザベルにはお世話になってますし、魔女のご飯ってのも興味ありますから」

「おぉそうか! ありがたいぞ、ノーラ! では、詳しいことは後で話す。しばらくは、ここで楽にして寛いでいてくれ。自分の家だと思ってくれも構わぬぞ」

 グリザベルは下手くそなスキップで家を出ていくと、チルカの説得をしにいった。

 さっそくリットはウイスキーの栓を開けると、勝手にコップを出して注いだ。一口飲むと、わかり顔で頷き、なにかツマミはないかと家探しを始めた。

「いいんスかァ? 勝手なことして」

「自分の家だと思えって言ってだろ。おっ、チーズがあるな」

 リットが後で食べようとテーブルに置くと、すかさずノーラが手を伸ばした。

「そういうことなら寛ぎましょうかねェ」






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