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第三話

 リットが急な旅支度を始めていると、「ところで旦那」とノーラが大量の食べ物をカバンに押し込みながら声を掛けてきた。

「なんだよ。先に答えとくけど、オレのカバンには他に入れるものがあるから、そのこぼれたリンゴ入れるのは無理だぞ」

「いやっスよ旦那ァ、バカ言っちゃってもう。入り切らない分は、今食べるに決まってるじゃないっスか」とノーラは手に持った萎びたリンゴをかじると、咀嚼しながら「グリフォンって知ってます?」と聞いた。

「知ってるもなにも。今見たばかりだろ。見たけりゃもう一回玄関に行って見てこい。ついでにでかい糞でもしてたら中庭に埋めてくれ」

「それっスよ。話に聞いてるグリフォンと、だいぶ様子が違うんですけど」

「そりゃそうだ。百聞は一見に如かず。女が可愛い友達を酒場に連れてくるって言って、いざ出てきたのが動物に言う可愛いと同じ感じの女だった時のようなもんだろ」

「いやァー……そんなじゃないっスよ。もっと根本的に……こう……なんて言うんスかねェ……」

 ノーラは違和感をうまく口に出せずにいた。そもそも自分の頭の中でさえも、答えが見つかっていないで、言葉にするなど不可能だった。

「童貞じゃないって嘘をついたけどバレたみたいなもんか? まァ、思春期につまらない見栄を張ると、ちょっとしたことで股間を張るのは男の特徴みてぇなもんだ」

「旦那ァ……私の話聞いてました?」

「んなことは往々にしてあるこってこと。つまり気にすんなってことだ。そもそも過去に見たことねぇんだろ?」

 リットはグリザベルに持ってこいと言われた本をいくつかカバンに詰めると、地下の工房へと向かった。その後ろを、頭を悩ませ、首をひねりながらノーラはついていった。

「なんて言うんスかねェ……正解は知らないけど、これは違うって感じなんスよ」

「なんだ、違いがわかる自分をアピールしてんのか? リゼーネの博物館に行きゃお仲間がいっぱいいるぞ。皆訳知り顔で絵画を眺めてる」

「さては旦那。この話題に興味がありませんね」

「ノーラの頭の中のグリフォンがどんなものかって話だろ。鶏の翼と上半身と、下半身が牛だとでも想像してたんだろ」

「あんらァ……そりゃまた美味しそうな生物で」とノーラはよだれを垂らしてから、グイッと手の甲で服とリットの服の裾を掴んだ。「そうだ! それっスよ!」

「その話ってのは、オレの服でヨダレとリンゴの汁を拭いたのとなんか関係あるのか?」

「いいから来てくださいな」

 ノーラはリットの手を掴むと引っ張って地下の工房から出た。そして生活スペースを抜け、店の玄関のドアを開けると、グリフォンの顔を指差した。

「いいっスか、旦那ァ。グリフォンってのはワシの翼と上半身。それにライオンの下半身ってもんでさァ。でも、このグリフォンはどう見ても、スズメの顔と翼。ネコの下半身スよ」

 指を差されたグリフォンは目をまんまるに開くと、すぐに興味なさそうにまぶたを半分までおろして、ノーラが持ったままにしている芯だけになったリンゴにかじりついた。

「スズメだろうが、ネコだろうが乗れりゃいいだろ。なんか問題あるのか?」

「大ありっスよ。まずですね……私のリンゴが食べられました。次に少し手が痛いっス」

「普通は最初に手が痛いがくるはずだけどな。芯しか残ってなかっただろ。どんだけ食い意地が張ってんだよ。問題ってのはそれだけか?」

「そうっスよ。いやー頭のもやもやが晴れたってなもんスよ」

 グリフォンの小さなくちばしから手を引き抜いたノーラは、ポケットに入れたままになっていたナッツをグリフォンの口に投げ入れた。

「変なものをやるなら、ここを出てからにしろよ。腹を壊しでもしたら、うちはこいつ専用の便所になっちまうだろうが」

 リットが指を差すと、食べ物をもらえると思ったグリフォンが大きく口を開けた。

「食い意地が張ってるやつっスねェ……一大事ですよ。餌が足りません」

「どっちのがだ?」

 リットはノーラとグリフォンを両手でそれぞれ指した。

「そりゃもう両方でさァ」

「羽を休ませりゃ、勝手に魚でもなんでも取って食うって手紙に書いてあったぞ。問題が解決したなら、残りの旅支度をしろ。オレもさっさと済ませる。それが終わったら、メンテナンスを終えたランプの配達に行ってくれ。オレも残りのランプのメンテナンスを終わらせるからな」

「終わらせるって、今日もう出るんですか? 夜になりますよ」

「妖精の白ユリのオイルがあるから、夜でも関係なく飛べるだろ」

「あらまぁ……久々の冒険に胸が騒いじゃったんスかァ?」

 ノーラはからかうような笑みを浮かべ、肘の先でリットの脇腹をつついた。

「あのなぁ……今こいつは飯を食ったんだ。食ったってことは糞が出る。このままだと、糞を出す場所はここだ。朝一番。こいつの糞の処理をして、体に臭いを染み付かせながら出掛けたいのか?」

「そりゃ嫌っスね。それじゃあ、素早くのべっと終わらせるんで待っててくださいなァ」

 ノーラがグリフォンに向かって言うと、なにを言ったかわかったかのように「チュー」と鳴き声をあげた。

「ではでは」とノーラは家に入っていったが、リットは入らずにグリフォンをまじまじ見ていた。

「顔がスズメで、体はネコ。鳴き声はネズミか? 親の顔が見てみてぇ……」

「アンタ、グリフォンにまで喧嘩売ってるわけ? アンタがボケたら絶対無機物に話しかけてるわね。目を閉じればすぐに想像できるわ」

 チルカは目を閉じると、バカにした笑みを口元に浮かべた。リットがどんな反応をしてるか気になって薄目を開けてみると、そこにはグリフォンの顔が間近にあった。

 グリフォンが大口を開けると、その臭いに力なく地面へと落ちていった。

「オレは目を閉じなくても想像できた。オマエがどうなるかがな」

 リットは一応グリフォンに食べられないようにチルカを摘んで持ち上げると、家の中に入っていった。

 そして、中庭がある方の窓を開けると「ほらよ」っと、ゴミでも投げるようにチルカを放り出したが、地面に落ちるすんでのところで、チルカが高く飛び上がった。

「なにすんのよ!」

「こっちのセリフだ。なにしてくれたんだ」

 リットは中庭の一角。妖精の白ユリが植えられている花壇を指した。

「なに言ってるのよ……植えたのはアンタでしょう」

「あんなうざって実が生るなんて聞いてねぇぞ」

 リットの視線に気付いた妖精達は、照れて花弁の影に隠れたり、身を乗り出して手を振ったりと、それぞれの反応を見せていた。

「実が生るって……アンタまさか妖精に種を飛ばす気? さすがヴィクターの子供ねェ。花のように可憐な妖精は、アンタの為に咲いてるんじゃないのよ」

「そうだな……悪かった……」と謝ったリットは窓に背を向けると、テーブルに置いてあったマッチを手にとって向き直った。「害虫退治には、昔から火と煙って決まってたな。対話をしようとしてたオレが間違ってた」

 リットがためらいもなくマッチを擦ると、チルカは妊婦のようにお腹を膨らませて空気をためると、勢いよく息を吹き付けて火を消した。

「なんて恐ろしいことするつもりよ!」

「恐ろしいことを言うからだろ。なにが悲しくて、妖精に種を飛ばさなきゃならねぇんだよ。オレが言ってるのは、こいつらがいつまでここにいるって言ってんだ」

 リットが顔しかめて言うと、チルカはぶりっ子のようにわざとらしく可愛く首を傾げて「ずっと? 少なくとも、私達が帰ってくる間までは……いるような……いないような……というか、居てもいいって話はついてるわけで」と言うが、最後にはリットから目を逸らしていた。

「いつ話がついたってんだ? ああ?」

 リットが威嚇するように聞くと、チルカはべーっと舌を出した。

「ついさっきよ! なんか文句ある? 迷いの森の妖精様御一行、人間(汚らしい男)の家見学ツアー!! 妖精の好奇心を満たすには、色々揃ってる地下の工房。日当たりの良い二階の窓からは、毎朝妖精の白ユリの光の柱が見えまーす。さらになんと、妖精の白ユリのオイルのおかげで、普段は中々できない夜ふかしができるチャンス! 夜長にチルカちゃんが作ったあの伝説の噂話を口にしながら、人間手によって別地方でしか取れないナッツを食べればお口も幸せ。それが――なんと今なら――秘蔵のフラワーブーケの蜂蜜で体験できますってなもんよ。はい拍手!」

 チルカは勢いで言い切ると、妖精達に指示するように指を差した。

 すると、花壇からは人数分の拍手が聞こえてきた。

「いつから、この家は妖精の寄り合い所になったってんだよ」

「この家じゃなくてこの森よ」とチルカは手を広げて庭を指し示した。「妖精に森と判断されるまで放置してるから悪いんでしょ。それにアンタにだって悪い話じゃないわよ。害虫、害獣、泥棒から家を守ってくれるんだから」

「その害虫、害獣、泥棒ってのは、そいつらとはどう違うんだ?」

 妖精達は既にリットが棚に閉まっておいた、夜酒用のツマミのナッツを手に持って食べていた。

「うるさいわねぇ……細かいことばっかり言うとハゲるわよ」

「なら、イミルの婆さんはとっくにハゲてるな」

「物理的によ。引っこ抜いてやるって言ってんの。いいじゃないのよ、前に店番を頼んだマックスだって急には来れないんだし。アンタがいないってわかったら、『たまには場所を変えて』なんて言うような、色狂いの巨乳好きの男が女を連れ込むわよ。それでもいいわけ」

 リットは一瞬色考えたが、まだまだやることは残っているし、考えるだけ時間の無駄だと、番犬ならぬ妖精の番が居てもいいだろうと了承した。

「いいか酒瓶を一本でも割ったら、ランプに閉じ込めて変態オヤジに売りつけるからな」

 リットが花壇に向かって言うと、「そうそう、それでいいのよ」とチルカは偉そうに言った。

「……ここが、チルカがお気に入りの物を隠し場所に使ってる箱だ。好きに使え。色々溜め込んでるぞ」

 リットが言うと、妖精達は好奇心から家に入り、すぐさまリットが指した箱へと向かって飛んでいった。

「あっ! ちょっと! こら! それはダメなのよ。まだ私も食べてないのにー」

 とチルカが箱の中身と一緒に妖精達にもみくちゃにされる声をよそに、リットは残りのランプのメンテナンスをするために地下の工房へと向かった。



 夜になると妖精達は静かになり、かわりに木々が騒がしくざわめき始めていた。

 イミル婆さんにランプを届けに行ったノーラを待っているリットは、椅子に腰掛けテーブルに肘をついてぼーっとしていた。酒を飲むわけでもなく、ただランプの明かりに揺らめくチルカの座った姿の影を眺めていた。

 その影は蛇のように長く伸びていて、チルカがあくびをすると、光を飲み込むように影が大きく口を開けた。

「もう……出るのは明日の朝にしない?」

 チルカはランプの明かりを浴びて、何度も何度もあくびを繰り返していた。朝方のチルカにとって、月が煌々と輝る夜の時間はリット以上に眠気が襲ってくる。ランプの明かりは、妖精の白ユリのオイルの火なので起きてはいられるが、この明かりが消えるのと同時に意識まで途切れそうだった。

「明日の朝までアイツを放置か? この辺一帯が丸ハゲになっちまうよ」

 リットは耳をそばだてた。ガサガサ響く葉擦れの音は、天気が荒れたわけではなく、待たされ暇を持て余したグリフォンが、木にじゃれついていることによって鳴り響いていた。

「まぁ、そういうことにしておいてあげてもいいけど……少し明かりを弱めてよね」

 チルカは力なく立ち上がると、リットのカバンの小ポケットに入っているマッチを投げ捨てた。そして、空いたスペースに体を埋めるようにして入っていく」

「なにしてんだ」

「なにって寝るのよ。太陽神の加護にあずかっている妖精に、不要な夜ふかしをさせる気? アンタの冒険欲に付き合ってあげるんだから、馬車代わりくらいなんてことないでしょ。言っとくけど、今更アンタの言い訳になんて耳をかさないわよ。本当、いちいち理由をつけないと動けないなんて面倒くさい男ね」

 チルカは少し深くポケットに潜ると、早く明かりを落とせと手で合図を送った。

 ほんの少し調節ネジを回して火を小さくすると、すぐにスースーと寝息を立て始めた。

 それからもう少し時間が経ち「お待たせっス! イミルの婆ちゃんがパンを焼いてくれるって言うんで、遅くなっちゃいましたよー。旅の激励にってやつですって。熱々っスよ。地上の風景を見下ろしながら、出来たてのパンを食べる。きっと最高っスよ」とノーラがやかまかしく帰ってきても、チルカかが起きることはなかった。

「パンを焼かなけりゃ、地上の風景を見れたかもな。今なんて見下ろしゃ、地上は全部真っ黒だ」

 リットはノーラのカバンを投げて渡すと外に出た。

 グリフォンは待ってましたと言わんばかりに、翼を広げ、雄々しく胸を張ると「ちゅー」と拍子抜けに鳴いた。

「ようし、糞はしてなかったみてぇだな」

 リットは店先の汚染の安全を確認すると、ノーラの首根っこを掴んでグリフォンの背中に乗せた。次いでノーラのカバンを渡し、自分のカバンを渡した。

 背中と首の中間に付けられた鞍にしっかりとカバンを装着すると、ランプの火を大きくして光る範囲を広げた。

 リットが鞍に座り、ランプをどこに付けようかと悩んでいると、馬が嘶くようにグリフォンが両前足を高く上げた。

 翼ひとかきで屋根より高く、ふたかきで町のどの木よりも高くまで飛ぶと、景色を置き去りにして空を飛んだ。

 その光景は地上から星が空に昇るに見えていた。

 リットを知る者達は空を見上げるが、そこに驚きはなく、光が遠く消えるのと同時に、彼がまた旅立ったことを知った。






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