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第二十四話

「さぁ、あとは実をつけさせるだけですわね」

 シーナは正念場と言わんばかりに、濡れたローブの袖を捲くった。

 初めて浮遊大陸の植物を自分の目で見て、自分の手で触れたというのと、なによりも自分の目の前で育ったということによりテンションが上っていたので、冷静になろうと何度も深呼吸を繰り返した。

 シーナが冷静になったのを見届けてから、リットは「浮遊大陸の植物ってのは鳥媒花だって聞いてるぞ。どうやって受粉させるつもりだ?」と聞いた。

 シーナはウンディーネに淹れてもらったばかりの良い香りのするお茶を一口含むと、言葉が出ない代わりに、表情を歪めて呆れてみせた。

 そして、口の中のお茶を飲み干すと、おもむろに口を開いた。

「この新品の筆があれば出来ますわ。人工授粉をさせたことがありませんの?」

「植物の筆おろしの世話をする趣味なんてないもんでな」

「ちゃんと、魔女学の本にも書いてあることですわ。まだ新品の硬い筆を使い、花の奥にある蜜腺を刺激するんです。これを鳥のクチバシだと勘違いして、花は栄養のある蜜を出す。この栄養も含まれた蜜に花粉を付けて受粉させる。過去に浮遊大陸の植物を結実させた魔女が書いた本ですわよ」

「その魔女がこの場にいれば安心するけどな……」

 リットは値踏みするような視線でシーナを見た。当然魔女見習いということを懸念してだ。

「リットさんが私達に頼んだんですわよ……邪魔をするつもりなら、せめて端っこで水滴を飛ばすくらいにしてください」

「いいや、やる気があるなら十分だ。オレはゆっくりさせてもらう。最近は魔女だ、魔力だって、魔法陣だって、ずっと関わってるからな」

 リットはウンディーネに、自分を地上まで下ろすように合図を送った。

「もう帰っちゃうの? 実になるとこ見てかないの?」

「そんなのずっとここで見てられるか。冷たい風に、冷たい水、背筋も凍る高さだ。ここにいたら風邪引いて酒飲むどころじゃねぇよ」

「まぁ……いいか。私達はまだここでお茶会してるから、混ざりたくなったらいつでも呼んでね」

 ウンディーネは見習い三人組の方へ戻ってお喋りを続けながら、リットの立っている水柱の高度だけを下げていった。

 湖と同じ高さまで下がると、水柱だったものは道に変わって岸まで伸びた。

 リットはもう慣れたと水の道をゆっくり歩いていくと、岸でノーラがパンに齧りつきながらこっちに手を振っているのが見えた。

「お帰りは旦那一人っスかァ?」

 ノーラはリットを迎えながら、手の甲まで垂れている、ハチミツたっぷりのパンを一口二口と食べた。

「こんなところで、そんなものを食ってたら。虫に襲われるぞ。……それも、ものすげえ気持ち悪い類の虫に」

 リットはミジミの姿を思い出して顔を歪めた。

「今度は昆虫採集でもしてるんスかァ? いや……言わなくて結構。せっかくの豪遊期間中に、旦那のいざこざに巻き込まれるのはゴメンっスからねェ」

 ノーラは高く伸びた水柱を見上げた。

 リット達が隠しているのはグリザベルにだけなので、ノーラもチルカも水柱の存在を知っているし、もう見慣れている。ノーラは言葉通り、巻き込まれるくらいなら黙っていようという考えで、チルカはこの説明をするにはウンディーネと関わらないといけないので、それは面倒くさいということでグリザベルには黙っていた。

 今日はいつも以上に頂上が騒がしいのが気になったのか、ノーラは背を反らして見ている。

 視界に映る景色が水柱より空が多くなったのに気付いた時には体の重心が変わっていた。

 危うく後ろから転びそうになったのを、短い手足をバタバタさせてなんとか体制を保つと、腕まで垂れたハチミツをベロンと舐め取った。

「今回は巻き込むつもりはねぇけどよ。……なんだ? そのハチミツは」

 ハチミツを買う金を渡したつもりもないし、チルカ作らせたり持ってきたのなら、ここまで大胆に盗み食いはしない。安くもないハチミツを際限なく使えるほど、魔女の仮住まいにストックしてあるはずもない。

「正当な報酬ってやつですよォ。旦那だって、臨時収入があったらお酒を飲みに行くでしょう?」

「金でハチミツを買おうが、将来の旦那を買おうが、一時の羨望を買おうが勝手だけどよ。その金を渡した奴がなにをやってるかは気になる。最近全然姿を見せねぇからな」

 ノーラに報酬を渡しているのは十中八九グリザベルだ。影でこそこそ何をしているかは気にならないが、目と鼻の先まで来ている酒造りの邪魔をされるのだけはごめんだった。

「旦那ってば……そんなにグリザベルのことが気になるんスか? 旦那ってば隅に置けないっスねェ」

 ノーラはからかうようにして、人差し指でリットの脇腹をつついた。

「気になるのは露骨に話題を変えたってことだな」

「話題ってのは変わるものですよ。例えば……今私は旦那の泥で汚れたシャツについてしまったハチミツを、舐めようかどうか……真剣に考えてるんスから……。まァ……あえて話題を戻すとしたら、旦那が私に何でも好きなもの食べこいってお金を渡すようなもんスよ。さて、旦那の次の行動は何でしょう?」

「奢ってやったんだから、黙って協力しろ」

「ツポポルーン! 大正解。そりゃあ、私も言えませんってなもんで」

「こっちの邪魔にならなけりゃいいんだけどな……。朝から晩まで弟子の面倒もみねぇで、オレに押し付けてるのは気になる。おかげで好き勝手やってるけどな」

「私達だって旦那が何をやってるのか知りませんし、知ったらややこしいことになりそうですし、現状維持ってのが一番だと思いますぜェ」

 ノーラはにっこり微笑むと、ハチミツだらけの手のひらをリットに向かって手を差し出した。

「なんだその手は……オレをカブトムシだとでも思ってんのか?」

「いえいえ、グリザベルからは口止め料もらいましたけど、旦那からはまだだなァと思いましてね」

「まだ、その口の中に食い物を詰め込むつもりか? せめて全部食い切ってからねだれよ」

 リットが口止め料くれそうだと思ったノーラは、一気にパンを口に押し込んで、手についたハチミツも唇で拭った。

 そこでノーラは初めて気が付いた。冷たい湖の風がハチミツを固めてしまっていたことに。

 手についたハチミツはパリパリになっていて、それは口に入れたハチミツにも同じことが言えた。だが、体温で口の中にいれたハチミツは溶けてくる。それがパンとの隙間を埋め、空気の通り道をなくしてしまっていた。

 ノーラが焦りだすのと同時に、リットは「ほらよ」と水筒を渡した。

 常温の水でパンをふやかし、ハチミツを柔らかくして、一気に飲み干したノーラは、深呼吸を繰り返して「いやー……助かりましたよ旦那ァ……」と胸をなでおろした。

「口止め料が命値段とは割に合わねぇけどよ。まけといてやるよ」

 リットは何なら水筒もやると言い残すと、家へと向かっていった。




 それからしばらく変わらない日が続いたが、変化の起こる日というのは唐突に訪れるものだ。

 昼寝中のリットを、二つの音が起こした。

 一つはヤッカの声、もう一つは手に持ったミジミの羽音だ。空気を聞くように鋭い音を立てていた。

「リットさん起きてください!! 驚くこと間違いなしですよ」

「……鼻から卵を飲んで、口から鶏でも出しゃ驚いてやるよ。……なんだってんだ」

 リットは不機嫌に起き上がると、まだ眠たい目で睨むようにヤッカを見た。

「果実が出来たんですよ。それで、この子がニオイを嗅ぎつけて興奮してるんです」

 ヤッカはリットの顔にミジミの入ったカゴを押しつけた。

 寝起きのミジミの姿はインパクトが強すぎて、リットの目は一気に覚めた。

「こんなに早く実をつけたのか? 花が咲いてから、十日も経ってねぇんだぞ」

「それはウンディーネに聞いてくださいよ」

 ヤッカはリットの腕を引っ張って小屋を出ると、湖の岸で待機してるウンディーネの元まで走った。

「もー遅いよ」とウンディーネは、リットとヤッカの姿を見つけるとヘビのように水を絡みつかせて、一気に上空まで伸びる水の柱の頂上まで運んだ。

 到着するなり、シーナが植えた石を持ってリットの近づけた。

 そこには、何枚もの赤い鱗のような薄皮に包まれていて、その皮の先はささくれており、まるで燃えているような見た目の果実が実をつけていた。

「こんな果実は見たことないですわ!!」

 シーナの興奮はリットの「よし、虫に食わせろ」という言葉で一気に落ち着いてしまった。

「……リットさんには、余韻を楽しむという感性はないんですの?」

「これが完成じゃねぇからな。虫の分泌液から酒を作る過程が残ってんだ」

「僕もリットさんに賛成。ミジミも弱っているので、早く栄養を上げないと」

「もう……わかりましたわ……」と、シーナはカゴの前に生ったままの果実を置いた。

 種さえ取れれば、もう一度育てるチャンスが出来るし、見た目が嫌いな虫だとしても、いたぶるような趣味はない。ゴネる必要はないと判断したからだ。

 カゴの扉が開くと、ミジミは周囲を警戒するようにゆっくり顔を出した。

 一度羽音強く響かせて飛び立つと、旋回してから戻ってきて、果実に張り付いて食事を始めた。

 ミジミは離れることなく一心不乱に果実にかじりついているので、育ったものが浮遊大陸の植物だと確定した。

 リットが「よくこんなに早く実ったな」と聞くと、マーは胸を張ると「えへん」と口に出して言った。

「……乳のことは言ってねぇぞ」

「心外……その他二名と違って、私の乳は実ってる」

「マーさん……違いますでしょう」

 シーナに低い声で呼びかけられたマーは「そうだった」と手を打った。「私が魔法陣のことをウンディーネに教えたから、こんなに早く育ったんだよ。つまり……私の手柄」

「私が魔法陣を使った保護ケースのことを教えたんですわ。利用すれば、生育日数を早めることが出来るかも知れないと」

「でも、魔法陣の仕組みを教えたのは私。シーナだと説明出来なかったでしょ? つまり胸を張る権利は私にある……ぼよよん」

 シーナとマーはじゃれ合いを始めたので、リットは説明をしろとウンディーネを見た。

「私もよくはわかってないよ。水に魔法陣を描く練習にと思ってやったのが、たまたま上手くいったみたいだね。説明しろって言ったって無理だよ。私は模写をしただけで、意味なんてわからないんだから。なんで人間って、わざわざ複雑にしちゃうんだろうねー」

 ウンディーネはリットの前で同じことをやってみせた。

 水で壁を作って囲い、風の流れを作り出し、簡易保護ケースのようなものを作り出す。

 水の反射で太陽の光の調整もでき、より適切な環境に近付けることが出来た。更に、浮遊大陸の植物は水分を多く含むので、ウンディーネの魔力に影響されやく、植物の成長が急激に早まったのだった。

 リットは「さあな」と肩をすくめた。「オレはシンプルだ。ただ酒が飲みたい。その為に努力させてきたんだ」

「すごいね。他力本願極まれりだね。いっそ清々しいね」

 ウンディーネは水同士をぶつけ合って、パチャパチャと拍手を響かせた。

「まだ本願は叶ってねぇんだよ。どうだ? ヤッカ」

「もう少しだと思いますよ。ほら、イボが膨らんできました」

 ヤッカはミジミのお尻を指した。

 小さかったイボが、薄い被膜を伸ばして、鼻提灯のように膨らんでいる。これが体よりも大きく膨らむらしく、今はミジミの食事の終わりを待つしかなかった。

「そういえば……リットの課題ってなんなの?」と、唐突にマーが聞いた。

 師匠に付いている魔女見習いには課題が出ているハズだ。だが、リットには課題をクリアしようとする努力の跡が見えない。マーはそれを不思議に思っていた。

「どうだろうな……」とリットは眉を寄せて少し考えた。「小娘を一人前に近付けるってのはどうだ?」

「それは師匠の役目ですわ」

 思いつきで適当に喋るリットに、シーナは呆れて言った。

「じゃあオレが師匠ってこったな。酒が完成したら、三人まとめて合格通知をやるよ」

「男魔女で、師事出来る能力を持つ人はまだ存在してないはずですが……」

 ヤッカは一度ミジミから目を逸らして、リットの顔を見た。

「なら、オレが先駆者だな。誇っていいぞ、弟子共」リットは笑い声を響かせると「そんじゃそこらの魔女に頭を下げても、簡単には教えてもらえねぇような情報を与えたつもりだが」と、今度は意味ありげな笑みを浮かべた。

 基礎知識はないのに、人並み以上の知識を持つこの男は何者なんだろうという疑問が、三人の中で今更強く浮かび上がった。

 だがその質問をしても、リットは曖昧に肩をすくめてかわすだけだった。

 首をかしげる三人を見て、リットの心中には、教える立場の者としての何かが少し芽生えていた。

「借りは返すタイプだ。もし将来行き詰まって目の前が暗くなったら、改めてグリザベルにオレのことを聞くこったな。一度くらいは、行く道を照らしてやるよ」リットは「さあ」と手を打って話を終わらせると、その手をヤッカの頭に置いた。「頼むぞ」

 話している間に、ミジミ分泌液は破裂しそうなくらい膨らんでいた。

 ヤッカは慌てて器を取り出すと、膨らんだイボに針で穴を開けた。粘着質な分泌液は小さな穴から溶け出すようにゆっくり器に落ちていくと、ミジミは別のイボに分泌液を溜め始めた。

「さあさあ、いよいよ、ささっと始めるよ」

 白濁した分泌液と空き瓶をウンディーネの前に置くと、四人は少し離れたところから様子を窺った。

 ウンディーネは岩ほどの大きな水の塊を左右から持ってくると、手元で合わせた。すると、大きかった水の塊は手のひらサイズまで小さくなり、左半分は凍り、右半分は沸騰し始めた。二つは中心に向けて徐々に混じり合っていくと、急に音を立てて弾けた。

 霧ではなく、まるでガラスの欠片のような水滴が周囲を漂い始めた。

 今度はそれを糸のように細く長くした分泌液で、一つ一つ縫うようにつなぎ合わせていく。

 いくつかの欠片が合わさり形造ると、分泌液は色を変えて赤く水を染める。次の欠片が合わさると青、また次の欠片が合わさると緑と、様々に色を変えて扇形の虹を四つ作った。

 その四つが合わさり、虹の円になろうとする手前で、ウンディーネが「危ないから、なにがあっても動かないでね。私が消えても」と注意をした。

 そして、返事をする間もなく虹は合わさり、ウンディーネの姿は消えた。

 すると虹は色なくし、白と黒に別れた。

 まるで日食のように、黒い液体を白い光が円形に支えている。

 白い光は最後の灯火のように強い閃光を放つと、足元の水柱は砕け消え、四人は真っ逆さまに湖へと落ちていった。

 だが、ギリギリのところで、ウンディーネが再び現れて、水の床を作ったので溺死することはなかった。

 そのまま岸まで移動させてくれたが、空からは雨のように、水柱の残骸が降り注ぎ、ミジミは空高く飛んで逃げていってしまった。最後にディープキストーンに生えた浮遊大陸の植物が落ちてきて、地面を盛大に揺らした。

 呆然とする四人に「どう? バッチリでしょ?」とウンディーネは呑気に言った。

「説明が足りねぇよ……」とリットは文句を言う。

「説明はまたいつかね。面倒くさそうなのが来たから……。ほいじゃ、私は消えるね。腰を抜かしても、こぼしちゃダメだよ。せっかく作ったんだから」

 そう言って姿を消したウンディーネの代わりに、リットの手元には真っ黒な液体が入った瓶があった。

 そして、すぐにグリフォンに乗ったグリザベルが一目散に飛んで向かってきた。

「なにがあった? なんだ!? 今の魔力喪失と、暴走は!!」

 グリザベル必死の形相を見た魔女三人組は、何か凄いことをしたという達成感と満足感から、お互いに顔を見合わせあって笑った。






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