第二十二話
グリザベルの姿を見なくなってから数日経った。
家に帰らないわけではなく、朝食を済ませるとノーラとチルカを連れて、もしくはどちらか一人だけを連れて、グリフォンに乗って街へ消えていく。
理由を聞こうにも、グリザベルは相変わらず逃げ回るし、ノーラは意味ありげに笑うだけで言葉を濁す。チルカに至っては、リットになにか教えてやろうという気持ちはなかった。
そんな怪しい行動も今回は好都合で、リットは留守のすきに見習い三人組を使って大々的に準備を進めていた。
「そっち飛んだよ!」
「もう! また逃げましたわ!」
「ぐるぐるぐるぐる……目が回る」
見習い三人組は天井を飛び回るフクロウを指差しながら、ドタバタと家の中を走り回っていた。
「ぐるぐるぐる……きゅう……」
目を回してふらつき倒れそうに鳴るマーをシーナが支えた。
「敵も疲れているはず……もう少しですわよ!」
「そうだよ、もう少し頑張ろう。僕が箒で道を塞ぐから、シーナは上から、逃げたらマーは下から捕まえて」
「わかった……息を合わせて、せーのでいこう」
三人が「せーの!」と声を合わせてフクロウに飛びかかった瞬間と、リットが家のドアを開けるのはまったく同じだった。
「……なにやってんだ」
リットは呆れ果てたというように天を仰いだ。
「今更天井を見ても、もう遅いですわよ」
シーナは両手で捕まえたフクロウを高く掲げて見せた。
そのフクロウは誰がどう見ても不機嫌な様子で、シーナの手からなんとか逃れようと体をくねらせて暴れていた。その度に、ロウソクの炎が反射して、爪や首に付けられた宝石のアクセサリーが光っていた。
「もう一度聞くぞ……なにやってんだ。フクロウでお人形遊びか」
「使い魔が帰ってきたんですよ。なぜか宝石まみれで……取ろうとしたら怒るんです」
ヤッカはフクロウが持ち帰ってきた手紙をリットに渡した。
「返事が届いたか」と受け取り、黙々と手紙を読んでいたリットは、ヤッカがチラチラと視線を送っているのに気付いた。「なんだよ」
「あの……なにが書いてあるのかと思いまして。目の動きは早かったので、ものすごい情報が書いてあるなら僕も読んでみたいなと」
ヤッカは手紙を別の男の魔女からのものだと思ったので、そのコミュニティーに加わりたいと興味を持っていた。
「私も私も……」とマーは手を目一杯伸ばしてジャンプすると、リットから手紙を奪い取って、許可も取らずにも読み始めた。
既に読み終わっていたリットには、手紙はもう用済みなので奪い返すことなく読ませていた。
「えっと……なになに……愛しのシーナ。わーお……直接的。恋文?」
「そうだ。読み飛ばすのも疲れるほど、無駄なことばっかり書いてある」
リットはローレンからの手紙に書かれていてた通り、宝石に紛れてフクロウに持たされたディープキストーンを取り上げた。
フクロウは宝石を取られたかと思い、リットに向かって鳴いたが、持っているのがただの石だと確認すると、またシーナの手の中で暴れ始めた。
「そうでもないよ。ほら見て」とマーは文章を指差してヤッカに見せた。
「どれどれ……――君のことを思うと数多の言葉が思い浮かぶのに、伝わる言葉を探そうとすると片手で事足りてしまう。だから、あえて愛してるという平凡な言葉を送っておこうと思う。もし、『愛してる』という言葉の意味が同じなら、僕の言葉と君の言葉が合わさると特別になることを知っているから。早く君に会えることを心より願っているよ。――マーはこういうのが好きなの?」
「数多の数から、一つの正解を導くなんて魔法陣に通ずるところがあるよ」
「感じるところは、そこじゃないと思うんだけどなぁ……」
ヤッカが首を傾げると、リットは「そのとおりだ」とシーナからフクロウを取り上げると、爪に付けられた指輪一つだけ残してやって、家の外に放り出した。
最初は壁や扉を叩いて不服をぶつけていたフクロウだが、一つ残ったのでよしと思ったのか、森の中へと消えていった。
「ほらよ」とリットは宝石の類をシーナに投げ渡した。
「ちょっと……高価ものを乱暴に扱わないでくださいまし。もう……これをどうしろと言うんですの……」
「ローレンからの贈り物だとよ」
「こんな高いもの……受け取れませんわ……」
「それも込みだとよ。それを見る度に、少しでも自分のことを思い出してほしくて、あえて高いのを送ったんだとよ。手紙に書いてあったぞ」
リットはマーから手紙を取り上げると、シーナに押し付けるようにして渡した。
「もう……会ったこともないのに、こんなに卑怯な手を使うだなんて……」と、シーナはその場で手紙を読み始めた。最初は険しい表情だったのが、読み進めていくうちに口元がほころび出し、終いには「もう、もうもう……」と照れた口調で呟いていた。
「うーん……チョロい……」と呟かれたマーの言葉など聞こえていなかった。
「確かに小娘らしいチョロさだな」
リットが頷くと、ヤッカが「でも、いきなり宝石を送られたら、誰でも少しはくらっとするんじゃないでしょうか?」とシーナを庇うように言った。
「だから小娘だって言ってんだ。あと、二、三回手紙のやり取りをして、両手から溢れるくらい物をもらってからくらっとすりゃいい。そんなんじゃいつか男に騙されるぞ。女なら覚えおけ」
リットはヤッカの頭を撫でながら言った。
「わざと言ってますね……」
睨むように言うヤッカに意地悪な笑みで返したリットは、シーナから手紙を取り上げて、それで軽く頭を叩いた。
「ブツが届いたぞ。いつまでも惚けてねぇで、どう植物を育てるか考えるぞ」
「べ、別に惚けてはいませんわ……こんな手紙の一枚くらいで……」
シーナは丁寧に手紙を折りたたむと封筒にしまい直して、大事そうにポケットに入れた。
「オマエには……ローレンの性格は教えたはずなんだけどよ……。その反応を見ると不安になるな……」
「私のことよりも、リットさんのことですわ。お酒を飲みたいのでしょう? そのためにもテキパキ動いて、しっかり考えますわよ」
シーナはリットの背中を押して家を出ていった。
「さぁ、ヤッカ。私達もやろうか!」
珍しくマーがやる気に満ちた声を、二人がいなくなった部屋に響かせた。
「そうだね! ……でも、なにを? リットさんは行っちゃったよ」
「私達も騙されるために手紙を書くんだよ。台座から外せば、しばらくは魔宝石の材料には困らないよ」
「それは騙されるためじゃなくて、騙すために手紙を書くんじゃ……」
「騙し騙され……まさしくこの感情は恋だね。偶然を装った手紙を書かなくちゃ」
「それはもう故意の手紙だよ……」
その頃、リットはシーナを連れて湖の畔まで来ていた。ウンディーネと一緒に、ディープキストーンの使い方を考えるためだ。
「こんな小せえので育つか?」
リットに渡された石を観察したシーナは首を傾げた。
石のサイズは手で握ると隠れてしまうほどで、楕円の形をしていた。驚くほど軽く、鳥の羽根でも手に乗せているようだった。
「わかりませんわ……育てたことがないんですもの。でも――」とシーナが何か言いかけて、リットに石を返したところで、ウンディーネが現れた。
「待った?」
「少しな。これは手に入れたぞ」と、リットは石をウンディーネに投げ渡した。
石が体に触れると、「あ……あ……あばばばっばばっばばばば」と、ウンディーネが溺れるような奇妙な声を出したかと思うと姿を消した。
代わりに重量を持った石が、ボスンと重たい音を立てて地面めり込んだ。
石の中から、「ちょっと!? なにしてるのさ! 出してよー!」とウンディーネの声が聞こえている。
「オマエとチルカが立てた計画ってのは、ウンディーネを封じ込めるってことなのか? ……やるじゃねぇか」
「違いますわよ! 水を吸い込む石がウンディーネに触れたら、どうなるかわかるでしょう! とにかく……許容範囲を超えたら出てくるはずですわ。水を吸わせましょう」
だが、水を吸った石は根が生えたかのように重くなってしまい、二人の力では持ち上げることは出来なかった。仕方なく土を掘って湖から水を流して、石に存分に水を吸わせるとウンディーネが出てきた。
「あーびっくりした。驚愕だよ。驚きの一言だね」
「私のほうがびっくりしましたわ……危うく、四精霊に喧嘩を売るところでしたもの」
「オレは、石が本物だとわかって満足してる」
「リットさんは、もっと四精霊に敬意を持ってくださいな!」
「まぁまぁ、もう大丈夫だよ。こういうものだってわかれば、対処方法はわかるから」
ウンディーネは水流で石を持ち上げて宙に投げ捨てると、石から水分を抜き取った。速度を持って落ちた石は、地面スレスレで重量をなくして止まるようにして、音もなくスッと地面に落ちた。
リットはそれを拾うと、シーナの手に渡した。
「で、なんだって? なにか言いかけてたろ」
「育つかどうかはわかりませんが、条件さえ合えばすぐに芽を出しますわ。浮遊大陸は特別な地ですから、種子休眠の期間が長く、適した条件下になるまで発芽しないんですの。だから浮遊大陸の種は固い種皮をしているんですのよ」
シーナはローブのポケットから袋を出し、その中から一つ種を取り出すとリットに渡した。
シーナの言う通り、石どころか鉄のように固い種はハンマーを振り下ろそうが割れそうになかった。
「こんなかてえのが本当に発芽するのか?」
「これは本来の姿じゃありませんのよ。鳥に食べられ、その体内で固くなるんです。大量の水でふやかしてあげれば柔らかくなるはずです。その水が浮遊大陸の水じゃないとダメだというのが私の考えですわ。問題は太陽の光ですわね……、この森では日差しが入る時間が限られてしまいますから」
「浮遊大陸じゃ、朝と夜はあっても、陰るってことはねぇからな」と、リットは浮遊大陸で過ごしたことを思い出していた。
「そんなの簡単じゃん」と、ウンディーネは水柱を上げた。「石ごと水柱で岩壁の更に木の上まで押し上げてあげればいいんだよ。そうすれば、石も水を吸って水やりの心配もなし」
「問題はグリザベルに見つかって、茶々を入れられないかだが……。幸い朝早く出ていって、夕方までこそこそ街でなにかやってるしな。よし……シーナ、明日からは忙しいぞ」
「芽吹くのを待つだけですわよ」
「だから忙しいんだよ」
翌日から、リットの言う通り忙しくなった。
見習い三人組はグリザベルより早く起きなければならないからだ。起こさないように朝食の支度を始め、出来たらグリザベルを起こす。
朝に弱いグリザベルがボーッとしている間に食事を済まさせて、グリフォンに乗せて街に向かわせる。ボーッとしているので、水の柱に気付かないまま森を出ていくことになる。帰ってくる夕方にはグリザベルの頭もしゃきっとしているのだが、水柱を上げている必要がないのでバレることはない。
グリザベルは怪しむことなく、弟子達が言うことを聞くようになったと、むしろ有頂天になっていた。なので、多少の変化も気付くことはなかった。
その作戦を初めてから、三日目。浮遊大陸の植物は発芽を始めた。そこからは更に早く、肉厚な双葉が開いたかと思うと、石を包み込むように細い根が伸びた。
長雨も終わり、しばらくは雨が降る予定もないので、雲が太陽を隠す心配もない。順調に育っていきそうだった。
課題でもある浮遊大陸の植物なので、言われなくてもシーナが世話をする。リットは目を離しても大丈夫だと、マーとヤッカに付きっきりになった。
「そろそろ魔法陣を完成させる気にならねぇか?」
「リット……気だけで完成できるなら、私はとっくに立派な魔女なって、リットの口を黙らせてるよ」
マーはテーブルに突っ伏して口を尖らせた。
「魔法陣でミジミを呼び寄せねぇと、ただシーナの手伝いをしただけになるだろう」
「なら、シーナの時みたいに、私の時も手伝うべき」
「だから、その羊皮紙をやっただろう」
リットはマーが頭に敷いている羊皮紙を指先で叩いた。
「こんな汚いのをどうしろっていうの? 魔方陣が描かれてるわけでもないし、読む気もないよ。……シーナの時みたいにさ、ぼかーんとウンディーネを呼び出したりさ、恋の相手をばこーんっと見つけたりしてくれないの?」
「別に呼び出したわけじゃねぇよ。勝手に向こうから出てきたんだ。それにしても……必死こいて浮遊大陸まで探しに行ったってのに、『天魔録』ってのも役に立たねぇんだな。グリザベルに高値で売りつけるか」
リットはマーの頭を持ち上げると、羊皮紙を抜き取った。
マーは驚いて力が抜けてしまい、ゴンッと勢いよく頭をテーブルにぶつけた。
「ちょっと! 聞いてない!」
「そりゃ勿体ねえ。見事な音だったぞ」
「違う! 天魔録!? 本当に存在してるの!?」
マーはリットに詰め寄った。
「存在はしてねぇよ。書きかけで死んだみてぇだからな。これは、その書きかけの一部ってだけだ。浮遊大陸で掘り起こしてきたんだ。珍しみてぇだから手元に置いておいたんだけどな……」
リットがため息をつくと、マーの手がため息をつくなんて勿体ないと、リットの口を手で押さえ込んだ。
「珍しいどころじゃない……本になってないから。読んだことある魔女なんて多分いないよ。本物だったらの話だけど……というか、本物だったら、浮遊大陸の魔力のニオイが染み込んでるから、これを使えばミジミはやってくるはず……でも勿体ない……でもミジミが来ればこれが本物だって証明できる。思わず私の口数が多くなるほど凄いことだもん。リットがなにも言えなくなるのは無理もない……」
「オマエが口を押さえてるから喋れなかったんだっつ―の。つーか、それでミジミを呼べるなら解決じゃねぇか」
「聞いてなかったの? 世界に一つだけのものだよ。勿体ないってことばじゃ表せないほど勿体ない」
「どうせ古すぎて殆ど読めねぇよ。中身が大事なら書き写しときゃいいだろ。言っとくけどな、それでミジミを呼び寄せなかったら、ケツを拭く紙に使うぞ」
リットはやっておけと言い残すと、ヤッカに虫の面倒をみる準備を出来てるか聞きに家を出た。
マーは「あー……勿体ない……勿体ない」と言いつつも、このまたとない機会を逃すまいと、集中力が増していた。