第二十一話
翌日になると、魔女弟子三人組は慌ただしくウンディーネと会う支度を始めていた。
「もう……こういうことは早く伝えてほしい……」
いつもはだらだらとしているマーも、今日ばかりはきびきびと行動していた。それだけ、四精霊と顔を合わせるのは魔女にとって重要なことなのだ。
「オレはちゃんと昨日のうちに伝えたぞ」
リットは満腹になった満足感から、大きなあくびをして言った。昨日ウンディーネに飲まされたお茶が体に良かったのかどうかはわからなかったが、すこぶる体の調子が良かった。今なら出来もしもないバク転が出来るかもと思えるほど体が軽い。
「私だって伝えましたわ」
ドタバタ準備をしながらも自分は悪くないと主張するシーナに、同じく準備の手を休めることなくヤッカが反論した。
「しっかりは伝えてないね。寝る前にベッドでちょろっと話題に出しただけだよ」
「なら、私が真剣な顔であなた達を集めて『リットさんがウンディーネとの会談の場を整えてくれました』そう言っても、信じましたの?」
「それは無理」とマーが言い切った。「リットじゃなくても信じられないのに。ウンディーネのお茶会に呼ばれただなんて」
「僕はまだちょっと信じられていないんですけど……」
ヤッカはリットに疑いの視線を向けた。
三人がウンディーネの存在を信じたのは、その魔法を実際に目で見たからだ。
リットは早朝から起こされていた。
約束を忘れてはいないかと、心配になったウンディーネが水玉を飛ばして、強制的にリットの顔を洗わせた。
最初は急に起こされて怒っていたリットだが、どうせなら利用して朝の準備を済ませてしまおうと、ウンディーネをおだてた。水を汲みに湖に行くのが面倒くさいので、ウンディーネに水を用意させ。焚き火も面倒くさいので、ウンディーネに沸騰させた。
畑の水やりのために早起きをシーナが、その現場を見てようやくリットの言っていることを信じたというのが今朝の出来事だ。
リットはグリザベルにも声をかけようと思っていたのだが、グリザベルは朝食を食べると逃げるように姿を消した。弟子達のソワソワした様子にもまったく気付いていなかった。
魔女の酒を作ることが出来ないかもしれない。そして、その言い訳をまだ考えられていないのでリットに声をかけられないうちにそっと出掛けたのだった。
「現代の魔女で、魔法陣も使わず水を操れるような人はいませんわ」
「寝ぼけてたんじゃないの」
一通り支度を済ませたマーは、ようやく落ち着けたとため息とあくびを同時にして言った。
「あなたと一緒にしないでくれます。私は朝はしっかり起きられますのよ。二度寝するから、ベッドから出られないだけですの」
「リットさんが実は凄い魔女だったというの可能性は?」
ヤッカは期待する目をリットに向けた。
「だとしたら、見習いなんぞに頭を下げて手伝わせるか」
「頭を下げられた覚えはありませんけど?」と、シーナが不服そうに言った。
「背が高すぎて気付かなかったんだろう」
「私も頭を下げられてない」
マーもシーナに便乗して言った。
「背が低すぎて気付かなかったんだろう。――重要なことはそこじゃねぇんだから、オマエは何も言わなくていい」
リットは混ざろうとするヤッカに向かって先に言った。
「それなら、別の質問があるんですけど」ヤッカは手を挙げてから「グリフォンは、グリザベル様が乗っていっちゃいましたよ。どうするんですか?」と聞いた。
「岸から道を作るって言ってたけどな――」
「――言ってたけど。オレの間違いかもしれねぇ……」
三人の支度が終わって、湖に出向いたリットは驚愕した。
太い水の柱が何本も打ち上がると、上空で水は霧に変わり、虹のトンネルを作っていたからだ。
その光景を見た見習い三人組は、ウンディーネと交流があったのは本当だと確証した。
「間違いじゃないですよ! こんなことは水の精霊しか出来ないですよ」
ヤッカは疑うことなく柱の間の道へと踏み出すと、すぐにその後をシーナとマーが続いた。
すると、太い水柱から歓迎するファンファーレのように細く何本も水が吹き出した。
三人組はそれ楽しみながら歩いていた。水の綺麗な光景という話ではなく、どう魔力制御したら今のようなものになるのかという魔女的知識の話だ。
なにか起こる度にいちいち足を止めるので、その度に後ろを歩くリットに怒鳴られていた。
リットは怒鳴り疲れたので、諦めて水の上に座り込んだ。足元の水が湖の中心へ引き寄せるように動いているので、歩かなくてもいいことに気付いたからだ。その速度はウンディーネの待ちきれなさと呼応するように徐々に早くなってきた。
それにも見習い三人組はそれぞれの反応を見せた。
だが、あまりに道中で色々見せすぎたせいで、ウンディーネが満を持して登場した時には、三人は驚き疲れてしまっていたので、リアクションがとても薄くなってしまった。
ぎこちのない自己紹介が終わり、いざウンディーネがお茶を淹れるとなると、また三人は驚きと感嘆の声を漏らしだした。
魔法陣という成約の中で動くのが魔女の魔法で、その成約がなくなった魔法の世界はあまりにも美しく、それでいて不気味で、空を歩き、地を見上げているような気分だった。
「『水』の魔力っていうのは、一番変化が起きやすい四大元素だからね。実は扱いが難しいんだよ。えいや、とう、やぁって、強くこねくり回せば回すほど水は逃げていく。だから、しゅわっと、さらさらっと、しゅっと、優しく扱わなないとダメ」
ウンディーネの擬音を使った説明に、見習い三人組は頷いてみせた。
「あんなマヌケな説明を聞いて、よく頭を縦に振れるな」
リットはお茶を飲みながら、急に純粋になった三人に呆れていた。
「わからなくても、四精霊の思考に触れられるっていうだけで重要なことですわ」
「ほれ、見ろ。わかってねぇんじゃねぇか。聞くだけ無駄だろ」
「私達だって、リットのわけわからないお酒作りに協力してるんだけど?」
マーが黙っててとリットを睨むと、ウンディーネが「そうだ!」と声を大きくした。
「お酒作りに協力って、具体的になにをすればいいの? この男の人の説明じゃ、ちっとも、さっぱり、からっきりわからなくて」
「リットさん!?」とシーナがリットの胸ぐらを掴んで揺らした。「もしかして四精霊に、お酒作りをさせるおつもりですか?」
「つもりもなにも、今本人が言っただろ。今日の晩飯はなににするとでも聞こえたか? なら、オレはカモの煮込みが食いてぇ」
「……水の精霊がどういう存在かわかっていますの?」
「火の精霊じゃないことは確かだな。とりあえず説明してやってくれよ。細かいところはさっぱりだからな。オマエらの方が説明出来るだろ」
リットはお茶のおかわりを貰うために、水のコップを指で弾いてチャポチャポ鳴らした。
「すみません……」と、シーナは今まで見せたことない角度で腰を曲げてリットの非礼を詫びると、ヤッカとマーと協力して魔女の観点から作成の説明をした。
「なるほどねぇ……それで水に魔法陣を描けるか聞いてきたんだ。ようし、結論から言っちゃおう! ずばり、その魔女のお酒とやらは出来る! でも――私が出来ることは、限られてくるけどね」
「あまり人間世界に干渉出来ないということですか」
ヤッカが関わってしまったことを申し訳無さそうに言うが、ウンディーネはリットにお茶を入れながら気にした様子もなかった。
「私ができるのは、水を純にする。つまり浮遊大陸の水に近づけたり。用意された通りの魔法陣を水に描く。主にこの二つ。虫汁の配合とかわかんないし、植物の育て方もわかんない。魔法陣に至っては、ちんぷんかん、理解不能で、意味不明……勝手に人間が考えたものだしね」
「あの……質問をよろしいでしょうか?」
いつもよりもしおらしく手を挙げるシーナの声を聞いて、リットは思わず吹き出して笑った。
シーナは一度リットは睨んだが、敬意を持ったヒトミでウンディーネに向き直った。
「水に魔法陣を描くっていうのは、私達人間にも出来るようなことなのでしょうか?」
「水を純に近付けるってことは、君達の言う羊皮紙みたいなものに変えるってことなんだよ。このお茶会の水もそう。水が純だからこそ、どんな植物もマッチするんだ。これに土の味が混ざってたりすると、一気にバランスを崩しちゃう。だから、水に魔法陣を描くって言う前に、この水を作れるようにならないとダメなんじゃない?」
「純な『水』というものを作れるようになれば、魔女学に大きな発展が見込めそうですね」
ヤッカはウンディーネが淹れる特別なお茶を飲んで、顔をほころばせながら言った。
「まぁ、無理だと思うけどね。人間が使う道具って、沸騰させたり、凍らせたり、アワアワさせたり、シュワシュワさせたり、ぽとぽとさせたり、なにをするにも他の精霊の力を使うからね。水の魔力で水を作れれば、それはもう人間じゃなくてウンディーネだよ」
ウンディーネは浮かび上がらせた一つ水玉を使って、自分で言った通りに、沸騰させたり凍らせたり泡を発生させたりしながら言った。
一見ただ遊んでいるように見えるが、魔女が同じことをするには水玉を変化させる数以上の魔法陣が必要になるし、これだけあちこちで強い魔力が発生している場だと、他の魔力に干渉されないように魔法陣を描くことさえも難しい。
見習い三人組は、四精霊と人間との格の違いをまざまざと見せつけられていた。
越えられない壁に少し気落ちする三人だったが、ウンディーネに「だからこそ、君達の努力が必要なんだよ。頑張ってねー。えいと、えいと、おー! だよ!」と鼓舞されると、やる気に満ち溢れ、魔女としてのレベルアップの為にも、魔女の酒を作ってみようと思うようになった。
まるで決起集会のように、お茶を高々と掲げて乾杯する三人を横目に、リットは「なかなか……人を乗せるのがうまいな」とウンディーネに訝しい視線を送った。
「そんな怪しまなくても大丈夫だよ。昨日言ったでしょ。魔女をお茶会に誘おうか見極めるって。利用されるのはいいけど、利用のされ方が問題なの。度が過ぎた私利私欲なんて関わりたくないしね。その点魔女見習いなら、まだ世界が狭いから欲なんて可愛いもんでしょ」
「よう知ってるこって」
「勘違いしないでね。別に人間を乏してるわけじゃないから。どの種族も年齢とともに欲は生まれてくるものだからね。さっきも言ったけど、欲がないってのは世界の狭さだよ。手を伸ばせば届くなら掴む、そうして世界は広がっていく。欲は発展の一部なんだよ。だから使い方を間違えると衰退していくんだ。歴史も文化も人も何もかもが無になる。やがて忘却の彼方へ追いやられる。それが人の衰退というもの」
「急に言葉遣いが変わったな」
「最後のは受け売りだからね。『それがウイッチーズ・カーズ。私の罪であり、消えない黒点。何色でも誤魔化すことの出来ない色。光さえも吸い込まれる闇。いつか白い光が内から焼き払ってくれることを願う』っていうのは、人間の言葉。私が直接聞いたわけじないけど……名前は……確か……そうだ! 『ディアドレ・マー・サーカス』!」
ディアドレは『魔録シリーズ』と呼ばれる四冊の本を書いている。それは多種族との交流の記録が書かれているものだ。その中の一つに『精魔録』という、精霊と魔女の交流が書かれた本がある。これはその時に、『メグリメグルの古代遺跡』の精霊達に、ディアドレが残した言葉だった。
思い当たる名前と歴史にリットが黙っていると、それを思うところがあった重い影を背負っていると勘違いしたウンディーネは。リットの頭を優しく水の塊で撫でた。
「大丈夫だよ。おたくの場合は私利私欲って言葉よりも、子供わがままって言葉のほうがピッタリ来るから」
「なに言ってんだ。オレは私利私欲大歓迎だぞ。一度関わった女は、いつまでもしつこく付き纏ってくると思っただけだ」
「そんなぁ……モテる男のような言葉を言っちゃって……。そんなでもないでしょ? どっちかというと、おたくがしつこく絡んで、頬を赤く腫らしてそうだよ。秋の紅葉みたいに」
「四精霊のウンディーネってのもそんなもんか。読みが外れたな。オレがしつこく絡んだのは男で、逆上した男に胸ぐらをつかまれた結果、オンボロのシャツが破けて尻もちを付いて猿みてぇに赤くなったんだ」
「それって……そんなに偉そうに自慢して言う話なの?」
「ご希望なら、泣きながら怒鳴りつけて話してみようか?」
「それはそれは情緒不安定を極めてるねー」
「とにかくだ。今日で顔わせも済んだなら、後は思う存分協力してやってくれ」
リットは立ち上がると残りのお茶を一気に飲み干し、見習い三人組の背中を叩いて帰るよう急かした。湖の上だと寒いのと、興奮しっぱなしで三人組の話が全然進んでいないからだ。
リットの背中に「うんうん、そういう気付かいは大事だよ」と、ウンディーネが声をかけた。
「早く返ってほしかったなら、言葉にしろよ」
「そうじゃないよ。出されたものは全部飲んでくれてるし、種族の壁を気にしないくだらない会話もよさげ。今のところ、お茶会の相手としてはなかなかグーだよ」
「オレは不満だ。今度は酒でも出してくれ」
「それじゃあ、お茶会じゃなくて飲み会だよ……」