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第二話

 二日酔いの記憶などというものは実に曖昧なもので、数日経つとリットの頭の中からはグリザベルの手紙内容などすっかり抜け落ちていた。

「旦那ってば、珍しく真面目に働いちゃってまぁ……せっかくの雲ひとつない良い天気なんスから、雨なんか降らせないでくださいよ」

「雲がねぇのに、どうやって雨を降らすんだよ。屋根に登って小便でもまき散らせってのか? やることが終わったら、憂さ晴らしにご披露でもしてやるよ」

 リットはススで固まったランプの火屋を半ば無理やり開けると、舞い上がった灰とススに咳き込んでしまった。

 リットが自らやる気を出したわけではなく、いつも通りのイミル婆さんのおせっかいだ。酒場からの朝帰り、まだ酒が残っているのを見られてから、生活を見直すようにと言ういつのもの小言と、近所からランプのメンテナンスの仕事を持ってきた。

 購入でも修理でもないので、それほど儲けはでないので、リットにとってはありがた迷惑だったが、小さいことを積み重ねていくというのが信条のイルミ婆さんにはなにを言っても無駄だった。

 しつこいというのもあったが、リットが引き受けた大きな理由は話が飛躍してきたからだ。この機会に嫁を貰えや、私がリットくらいの歳の頃には、と言葉に熱がこもってきたのを感じたので、これ以上話を聞いていると厄介なことになると、ランプを受け取って逃げるようにして帰ってきたのだった。

 そのせいでこの数日、お金にならないメンテナンスを延々とするはめになっていた。

 ノーラは「まぁまぁ落ち着いて」とリットをなだめた。「そんなに急いでやらなくてもいいんじゃないっスかァ? 期限付きってわけじゃないんでしょ? のんびりやりましょうよ。カリカリしても良いことないっスってなもんでさァ」

「いいや、さっさと終わらせる。季節が変わるまでに終わればいいと言ってきやがったからな。今日中にさっさと終わらせて、堂々と酒を飲む姿を見せびらかしてやる」

 リットは乱暴な言葉とは裏腹に、丁寧にランプを分解し、汚れをとり、芯を交換し、元通りに組み立て、新品のオイルを注ぎ、しっかり動作することを確認すると、メンテナンス済みとわかるように天井に吊るした。

「本当イミルの婆ちゃんって――」

「陰険なババアだろ」

「旦那の扱い方をわかってますねェ。って言いたかったんスよ。勝手に人の言葉を使って、悪口にしないでくださいなァ……」

「いいえ、このバカの言う通りよ」と急にチルカが、カウンターの後ろにあるドアの隙間から店内に入ってきた。

「あらら? 出掛けてたんじゃないんスかァ?」

「出掛けてたわよ。せっかくの良い天気で、こんな陰険な男のそばにいる意味がないもの。存分に外で可愛さを振り向いて戻ってきたらこれよ! どうしてくれんのよ!!」

「どうもこうも、そのブサイクな顔を直せってのか? まぁ……ダメ元でハンマーでぶっ叩いてみてやってもいいぞ。厚い面の皮は無傷だとしても、鼻っ柱くらいは折れるだろう」

 リットが工具箱からハンマーを取り出して構えると、チルカはべーっと舌を出した。

「まぁまぁ」と、いつものようにノーラが二人間に入った。「いったいどうしたんスか? そんな不機嫌になって戻ってきて」

「不機嫌にもなるわよ。こいつが真面目に仕事をするせいで、雨が降ってきたんだから」

 チルカは眉をしかめて言うが、リットとノーラは顔を見合わせて首を傾げた。雨どころか、空は雲ひとつさえない晴天だからだ。

 その疑うような空気が伝わったのか、チルカはカウンターに広げられていたランプの部品を一つ取って窓に投げつけた。

「疑うんなら、自分達の目で確かめなさいよ」

 チルカに怒鳴るように言われ、リットとノーラは同時に店の窓から外を見た。空からの光はなくなり、陰った草木の色が濃くなっていた。

「ノーラ……ちゃんと布団が飛ばないように干したか? 飛んできて木に引っかかったんじゃねぇだろうな……」

 リットの疑う視線に、ノーラは得意げに腰に手をついた。

「旦那ァ……なんでもかんでも私を疑わないでくださいなァ。布団が飛ぶわけないでしょ――干してもないんだから。いやー……すーっかり忘れてましたよォ。これもそれも、旦那が真面目に仕事をするからっスよ。皆の生活のテンポがおかしくなっちゃたんス」

 ノーラがここぞとばかりに責任転嫁をすると、チルカも「そうよ! アンタのせいなんだからなんとかしなさいよ。仮にも闇を晴らしたんだから、雲の一つや二つぱぱーっと払ってみなさいよ」と無理難題を押し付けた。

「無茶言うなよ。だいたいな、曇ってるから雨なんか降っちゃいねぇよ。地面が濡れてねぇ」

 リットは窓越しに外の地面を見たが、朝露程にも濡れていない。むしろ土は乾燥していて、雑草が元気なく頭を垂れて、いじけるように風に揺られていた。

「じゃあ、これはなんだって言うのよ」

 チルカはリットの眼前まで飛んでいくと、小さく細く短い腕をリットに見せつけた。

「近づいた瞬間に、肘でも食わせる気じゃねぇだろうな」

「アンタに一杯食わせるなら、もっとえげつない方法でやるわよ。ほら、見なさい」

 ずずいと近付けてきたチルカの腕を見ると、たしかに濡れた跡があったが、それよりリットには気になることがあった。

 リットは「くっせ……」とチルカから顔を背けた。

 するとチルカは「ア……アァァァ……ア……」と声にもならない声で唸り声を上げたかと思うと、爆発したかのように大声を張り上げた。「アンタ! 女の子に向かってなんて事言うのよ!」

「臭えって言ったんだ。魚の死臭がする……あと、乾燥した牛糞が雨で蘇ったような臭いもする……」

「誰が詳しく言えって言ったのよ! 取り消せって言ってんの!」

「オマエも確かに鼻つまみ者だけどな。その濡れた腕が臭えって言ったんだ。犬の口の中にでも入ってたのか?」

 リットのあまりにもシワが寄る顔を見て、チルカは恐る恐る自分の腕のにおいを嗅いだ。

 そして、次の瞬間。まるで飲みすぎたおっさんのような声で、長く大きくえづいて、床にフラフラと落ちていった。

「大丈夫……ではなさそうっスね。洗ったほうがいいっスよ」

 ノーラはリットのコップを床に置いた。

 普段なら、リットが口をつけたコップなど罵詈雑言浴びせて近付きもしないチルカだが、今回はそんなことおかまいなしに、素早くコップに手を突っ込んで自分の腕の皮でも剥ぐように必死に洗い始めた。

「よくわかんないっスけど……雨が降ってるのは本当みたいっスね。ほら、雷の音まで聞こえて来ましたよ」

 ノーラの言う通り、外ではゴロゴロと低い音が鳴っていた。

 普段なら気にせずにいたかも知れないが、酒が入っていないおかげで、リットは違和感に気付いた。空気がしける臭いがしていないのだ。それにゴロゴロという音だけではない、人のヒソヒソ声も混ざっているような気がした。

 リットはランプに火を付けると、手に持って店のドアから外に出ようとしたが、ドアを開けた瞬間雨粒と言うにはあまりに大きすぎるものが振ってきた。

 地面を見ると、バケツを引っくり返したかのような水溜り。そして、リットの家を見上げる近所の人達全員が、こっちに来いと手招いていた。

「なんだよ……集まって。オレを誕生パーティーで驚かそうしてるなら、とっくに過ぎてんぞ」

「なら、今日を誕生日ってことにしてくれ……アレ以上に驚かせることなんてオレには出来ない」

 酒飲み仲間の一人がリットの家というよりは、もっと上の屋根の部分を指して言った。

 リットは来た道を振り返るように踵を返すと、自分でも間抜けな顔だと思うほど口をあんぐりとあけた。

 木製だった両屋根は、東の国で見た茅葺き屋根のような見た目になっていたからだ。それよりひどいのは、三角の屋根の中心あたりに尖った岩が罠のように仕掛けられているからだ。落ちれば丁度、店から出た瞬間。頭から潰れ避けるだろう。

「誰がやった……」とリットは周りを見たが、全員が知らないと首を横に振った。

「あんなのどこの誰がやれるっていうんだ」と一人が言うと、全員がそうだと首を縦に振った。

「じゃあ、一人で勝手にやってきたっていうのか?」リットの言葉に、全員がさぁと首を斜めにして傾げた。

「でも、『グリフォン』がリットの家の屋根で羽を広げて寝てるのは確かよ」女が言うと、全員が大きさを確かめるように首を回して全体を見た。

 茅葺き屋根に見えていたのは羽毛で、リット家の窓に光が差し込まないほど大きな翼だった。岩に見えるのは大きなくちばしで、よだれを垂らしてゴロゴロと低い唸り声で寝息を立てていた。

 チルカの腕についた雨粒というのは、このグリフォンの飛沫だった。肉食であるグリフォンの唾液に、過剰に反応したのだった。今日の天気が良すぎたせいで、ハイになっていたチルカは間近で嗅ぐまで気付かけなかった。

「これを……どうしろってんだよ……」とリットがほとほと困って呟くと、関わってくるなと言わんばかりに、全員が首を動かさずリットの顔を見たまま、後ろ歩きで素早く離れていった。

 リットは「おい、ノーラ!」とその場から、家に向かって大声を出すと、トパーズのような黄色い目玉がギョロッと開き、リットを睨むように見つめた。

 グリフォンはひと打ちの羽ばたきで高くまで飛び上がると、上空でもうひと打ちしゆっくりとリットの前まで降りてきた。

 翼を広げると大きく見えるが、翼をたたむと思ったよりも体が小さく見えた。それでも、馬よりはかなり大きな体をしている。

 風圧で木の葉を揺らす中、グリフォンは羽の隙間にくちばしを突っ込んで手紙を取り出すと、それをリットに渡した。

 恐る恐る手紙を受け取ったリットは封蝋の印を見て、ガックリするのと同時にグリフォンへの恐怖心を失っていた。

「オマエさんは……グリザベルの新しい使い魔か?」

 リットが言うとグリフォンは首を横に振ってから、早く中身を読めとくちばしの先で器用に封を開けた。

 

 リットのアホめ。さて……この出だしから始まる手紙を何回書いたことか……。

 お主は覚えおらんだろうな。三十六回だ。お主からの返事は一度も来ていないがな。

 大方、返事がなければ使いを寄越すということも覚えておらんのだろう。我の手紙を無視するからこういうことになる。言うておくが、そのグリフォンの糞はでかくで臭いぞ。貸してくれた魔女がそう言っておった。

 お主達を乗せてくるまで、そこを離れぬように言っておいたぞ。

 つまり、お主は我に呼ばれるか、糞に塗れるかのどちらかの選択肢しかないということだ。

 そもそも、このグリフォンを使い魔にしてる魔女と知り合ったのは――


 冗長な部分は読み飛ばしたリットはため息をついた。肝心のなぜ読んだかの内容が書かれていないからだ。おそらく適当に読み流した過去の手紙の中に書かれていたのだろうが、何一つリットの頭の中には残っていなかった。

 今わかるのは、糞の始末をするよりも旅支度をするほうが賢明なことと、このグリフォンがやたらと人懐っこいことだ。

 手紙を届けたのを褒めてと言わんばかりに、リットのふところに頭を擦り付けていた。



 リットが店のドアを開けると、「アンタ! すごいじゃないの! 本当に雨雲を晴らすなんて!」とチルカが素直に称賛を浴びせたが、すぐに険しい顔付きになった。「アンタ……酷いじゃないの……それなんてハラスメントよ」と、入りきれずドアに顔だけ突っ込んでいるグリフォンを見て言った。

「いいから外で待ってろ……店を壊す気か……」リットが顔を押すと、グリフォンは素直に外に出ていった。

「で……なんなの?」

 チルカはここ最近で一番の不機嫌顔をリットに見せた。

 リットは「ノーラはここに書かれているものを用意しろ」とノーラに手紙を一枚渡すと、もう一枚をチルカに渡した。「文句なら、グリフォンを寄越したグリザベルに直接言え」

 チルカが読んだ手紙には、リット、ノーラ、チルカの三人で来るようにと書かれていた。

「なんで私が、あんな妖精を丸呑みにしそうなアホ顔してるグリフォンに乗らないといけないのよ」

「さぁな、それもグリザベルに直接聞け。こっちだってな、場所も内容もわからねぇまま呼び出されてるんだ」

「アンタらしくもないわね……いつも通り無視すればいいじゃない」

「無視してた結果がこれなんだよ。よく読め。森とやらになったウチの庭に、グリフォンの糞で作った蟻塚にでも、オマエのお友達の妖精を住まわせるってなら別だけどよ。いいかげん迷いの森に追い返せよ」

「我慢しなさいよ。皆私の噂話の元を見に来てるのよ。でも! 私は我慢ならない! なんで私の森がグリフォンの糞に汚染されないといけないのよ。あの魔女好き勝手やるにも程があるわよ」

「なら、直接会って一言言ってやるんだな。こっちだってうんざりしてんだ。これで……また言われる。『また店を閉めてるけど、冒険者にでもなったのか?』とか、『やっぱり親父さんの血を受け継いでんだな』とか」

「本当にひどい連中ね……アンタがヴィクターに似てるのは、女にフラフラ流されるところなのに」

 チルカは憂さ晴らしといった風に嫌味に言うと、旅支度をするために、寝床に使っている食器棚へと向かっていた。






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