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第十九話

 数日後。雨は止んだが、空はまだ燻りを見せていて、曇天の隙間から重い光を漏らしている。湖は濁り煙るような泥が揺れていた。

 雨で出来た汚れた川は湖を囲む岩壁にたどり着き、流れ落ち、泣き虫ジョンの滝は既に出来ていた。

 濁った川と濁った湖のつなげるその多滝は、驚くことに流れ落ちる瞬間に透明になっている。白い飛沫を飛ばし、ささくれる様子はまるで霜柱のようだ。

 滝壺まで透明で、上空から見ると湖の底まで見えるので、大きな穴があいているように見える。

 濁った湖を浄化するように、滝壺から透明な部分を広げていた。

 お目当ての滝が出来上がったというのに、グリザベルは焦燥に駆られていた。

「困ったぞ……困った……」と口に出して、言葉と一緒に焦りが体から消えていかないかと、ダメ元で試して見るほど追い込まれていた。

 焦っている理由は。滝の出現に調べ物が間に合わなかったわけではない。その逆で、魔女の酒『デルージ』の作り方がわかってしまったからだ。

 その材料が判明した時。グリザベルはどんな自慢を混ぜながら、リットに教えてやろうと思っていた。

 というのも、必要なものはちょうどよく揃いそうだったからだ。それも、自分で育てて手に入れたようなものだ。


 一つ目は浮遊大陸の果実だ。浮遊大陸の果実ならなんでもいいというわけではなく、適度な甘さと酸味を持つものだ。

 一種類しかないというわけでもない。要はここで、どの種類の果実を使うかによって味が変わるということだ。それを飲みやすいように地上のハーブを使って味を整える。


 二つ目は虫だ。『ミジミ』という浮遊大陸の果実を食べる虫。だが、浮遊大陸には虫は存在していない。この虫は天望の木の中腹程に生息している。ある一種のニオイにだけ反応する鋭い嗅覚を持っていて、それは別の天望の木から発した匂いでも探知できる。そのニオイとは同種が発するフェロモンだ。

 天望の木に浮遊大陸が近づくと、フェロモンを出して仲間に知らせる。そうして浮遊大陸から果実が落ちてくるのを待つのだ。

 そうして虫が栄養を摂った時に出る分泌液が、『泣き虫ジョンの滝の水』というただの水をアルコール発酵させる為に必要になる。


 三つ目は魔法陣だ。ミジミのフェロモンというのは、浮遊大陸に流れている魔力に似たもので、浮遊大陸と似た魔力が流れる魔法陣を作動させると、ミジミが勘違いしてやってくる。

 フェロモンは魔女薬やお香で作ることが出来ないので、魔力で呼び寄せる必要があるのだ。


 この三つはちょうど良く、弟子に入った三人がそれぞれ得意とし、なお、磨きをかけるために勉強をしている分野だ。

 そして、それを魔女の酒にするには『蒸留』という技術が必要となる。

 今でこそ錬金術師の技術として確立したものだが、元は魔女の技術。というのも、液体に魔力を混ぜるという過程で生まれた技術だからだ。

 魔法陣には『重層魔法陣』という平面ではなく立体的に捉えるものがある。これは奥行きまでを使う二重構造になっている魔法陣だ。ディナにあった大鏡や、浮遊大陸の植物を持ち帰るための保護ケースに使われている。

 魔女の酒デルージを作るには更に複雑で、蒸留機器を管で繋ぐという視覚的三次元構造で作られる。これは一種の魔法陣だった。

 蒸留で不純物を取り除くのと同時に、魔力を流し、その魔力で長い年月熟成されるたものが魔女の酒デルージと呼ばれるものだ。

 この魔力は『闇に呑まれる』という現象を引き起こした『エーテル』という四大元素には存在しないものだ。

 とても微量なもので、『幸』の効果も、そのウィッチーズカーズである『不幸』の効果もなくなる。だが、アルコールで開放された人の心に作用し、幸も不幸も織り交ぜた人の人生のような酒の味になる。

 これが人によって味が変わる。“思い出の味”というものだ。

 だが、液体に魔力を込めるというのは失われた知識だ。技術が失われても知識があれば再び蘇らせることができるが、知識が失われると復活させようがない。

 なので、グリザベルは頭を抱えていた。泣き虫ジョンの滝が出来たということはリットが催促しに決まっていると思っていたからだ。

 だが、リットはリットで酒を作ることに躍起になっていたので、グリザベルの元へ訪れることはなかった。

 それがかえってグリザベルを不安にさせていたのだ。いつ来るか、いつ来るかと思いながらでは、集中力も保たなかった。

 見かねて「大丈夫ですか?」と、ヤッカが声をかけた。

 落ち着けるようにと紅茶まで用意してグリザベルに勧めた。

「うむ……大丈夫だ」

 グリザベルは弟子に心配をかけまいと、気取って優雅に紅茶を口に含んだが、舌に流れる熱さに紅茶を吹き出した。

「なにか悩んでいるのなら……散歩をするのもいいかも知れませんよ。僕も森を散歩して考えをまとめることもありますし、グリフォンで森を見下ろして気分転換するのも悪くないかと」

 お茶まで吹き出して、取り繕っても仕方ないとグリザベルは「そうだな……少し、留守にする」と立ち上がった。家を出ていく前に振り返り、「リットが私を探していたら、忙しくてしばらくは相手をすることが出来ないと伝えておいてくれ」と言い残して出ていった。

 ヤッカは床にこぼれた紅茶を拭くためにしゃがむと、ついでにテーブルの下を全部拭こうと潜り込んだ。

 雨が続き、拭いても拭いても新しい泥汚れが出来る状況だったので、今までは軽い拭き掃除しかしていなかった。なので、床の隙間にはびっちりと泥が入り込んで固まっていた。

 掃除に熱中していたのと、床が綺麗になった爽快感から、頭への注意が疎かになってしまい、出る時にテーブルに後頭部をぶつけてしまった。

 それに追い打ちをかけるようにドサドサと、テーブルに置かれたままになった本がヤッカを襲った。最後にダメ押しのようにツボに入ったインクをかぶると、床は掃除する前よりも汚れてしまった。

 まぁ、誰にも見られなくてよかったとほっとため息をつくと、また片付け直しだと肩を落として先程よりも長いため息をついた。

 本や資料がこぼれたインクで汚れないように、慎重に端に寄せる。その動作がゆっくりなので、書いている内容がどんなものかはっきり読み取れてしまった。ヤッカはそれを小脇に抱えてリットの元へと走っていった。



 その頃リットは、関節が壊れた人形のように奇妙に腰をくねらせるシーナに詰め寄られていた。

「ア、アハーン……ですわ」

 シーナは頬を赤く染めながらポーズを取っている。

「なにしてんだ……バカーン」

「だから……う、うふーん……ですわ」

「だから、なにしてんだよ。ぶすーん」

「見てわかりませんこと? 悩殺です」

「呪殺だろ……奇妙な踊りに、珍妙な言葉、生贄まで用意してるじゃねぇか」

 リットがシーナに抱えられたマーに向かって言うと、マーは無表情のまま呑気に手をひらひらと振った。

「これも悩殺ですわ」

 シーナはマーのよく育った胸を指して言った。

「いかにも小娘の浅知恵だな。女の武器ってのは、手始めに使うもんじゃなくて、とどめを刺すのに使うもんだ。だから男殺しっつーんだ」

「もう……それなら、どうしろというんですの?」

「鼻の穴にタニシでも詰めて、顔を泥で塗りたっくて、グリフォンの抜け羽を両手に持って、木の上から飛んでみるってのはどうだ?」

「……リットさんはそんな女性が好みですの? 正直ドン引きですわ……」

 シーナの言葉に、抱えられたままのマーも頷いて同意した。

「じゃあ、オレを悩殺するのは諦めろ」

 リットが背を向けると、シーナは「待ってください……」と止めた。

 振り返ると、シーナが地面をじっと見つめて、乾きかけの泥をどうするか葛藤していた。

 シーナがリットを悩殺しようと言っているのは、どう考えてもチルカの差し金だ。リットはそれに気付いているので、この状況をじっくり楽しんでいた。

 シーナが意を決して泥をすくい上げようとすると、「リットさーん!!」とヤッカが走って向かってきた。

 その姿を見たシーナは、天の助けが来たかのように顔を明るくさせると、マーをその場に捨ててヤッカを両肩を掴んで、リットに差し出した。

「さぁ、リットさん好みの女性ですわ! 鼻の穴に泥を詰め込んで、顔をインクで塗りたくって、羽根ペンを服にくっつけた女。詳細は違いますが……だいたい同じようなものでしょう。どうぞ好きにしてくださいまし」

 シーナはヤッカの背中を押して、リットの胸に飛び込ませた。

 リットが顔をうずめたヤッカを引き離すと、シャツには顔型でしっかりインクがうつっていた。

「……オマエはなにをやってたんだ?」

 リットはあんまりなヤッカの格好を見て顔をしかめたが、ヤッカはお構いなしにと持ってきた資料を見せた。そこにはグリザベルが調べ上げた内容が書かれていた。

 リットは「よくやった」と、書いているわからないことを三人に聞きながら読んだ。

「このミジミってのは本当にいるのか?」

 リットが聞くと、ヤッカは頷いた。

「いますよ。希少ですが、とても長寿の虫です。天望の木への移動以外はほとんど動かないせいだと言われていますが、浮遊大陸の果実の栄養価の高さのおかげとも言われています。繁殖はむりですけど、数日面倒を見るくらいなら大丈夫だと思いますよ」

「魔法陣はどうだ?」

 リットは地面に落とされて泥だらけのマーに聞いた。

「もうちょっと資料がないとなんとも……ヤッカに詳しい話を聞いてから判断ってことで」

「なら、さっさと着替えて取りかかれ」

 リットは汚れた二人を追い出すと、シーナに向き直った。

「リットさん……お願いがあるんですの……言われることはわかっているので、それを効率的に行うのに……どうしても必要なもの」

 シーナは大きな体を縮こまらせてモジモジしながら言った。

「ディープキストーンって石がほしいって話だろ」

「あら……知っていたんですの?」

「今度から内緒話をする時はな、本人が寝泊まりしてない場所でしろ」

「なら――」とシーナは今日一番の笑顔で両手を差し出した。

「なにやってんだ?」

「チルカが言っていましたわ。リットさんなら手に入れられるから、男心をくすぐって奪い取れ。バカだから簡単にくれるって。だからくださいまし」

 もう力を借りる必要がなくなったので、シーナはあっさりチルカを裏切った。

「なかなかいい性格してるな……。まぁ、当てがないわけじゃない」

 リットはついてこいと指で招くと、家へと向かった。

「なんですの?」

「あの三人の中でオマエが一番。女の子をしてるからな、手紙も書き慣れてそうだしちょうどいい」

「ヤッカのほうが、か弱く女の子らしいですわよ」

 リットは「あぁ――まぁ……」と言葉を濁しなながら考えると、「オマエが欲しい物なんだから、自分で動け」とそれっぽいことを言って誤魔化した。

 不穏な空気を感じたシーナは「先に言っておきますわ……。体に触れたら大声を出しますわよ」とリットを睨んだ。

「オレも先に言っておく、今度出し抜こうとしたら、杭の代わりに畑に打ち込むぞ」

 家に入ったリットは、インクで汚れたままの床など微塵も気にしないでインク壺を拾い上げると、新しい羊皮紙を勝手に引っ張り出してテーブルに置いた。そして、椅子を引き、シーナに座れと催促した。

「説明してくださいませんか?」

「いいか? 今から、オマエは頭にいく栄養も、尻にいく栄養も全て乳に吸い取られた哀れな魔物になれ。乳だけ牛のキメラになるんだ。わかったか?」

「それでわかると思っているのなら、リットさんは救いようのないおバカさんですわよ……」

「いいから書けよ。宛先はオレの家だから、グリザベルの懐いてねぇフクロウでも届けられる。そこにいる妖精にローレンの家まで届けてもらうってことだ」

「誰ですの? ローレンって」

「宝石屋だ。石のことならアイツに聞くのが早え。聞くのが巨乳の女なもっと早え。次の手紙には答えが付いてくるからな」

「それならマーでいいじゃないですの」

「アイツだと、いまいち手紙から女って感じがしてこねぇだろ。いいか? まず乳の大きさをかけ、とりあえずデカイってな」

「リットさん……手紙の書き方を知らないんですの?」

「それでいいんだよ。不審だと思っても、それで絶対最後まで読む。で、次に欲しい物を書く。今回はディープキストーンだな」

「今回は――ってことは、前回もありましたの?」

「余計な詮索をしないで早く書け。で、途中途中で乳のデカさをアピールしろ。机に乗った乳が邪魔で字がうまく書けないとか、擦れてインクが滲んだとか。内容の八割はそれでいい。で、最後にもう一度欲しい物を書く。それでしまいだ」

 シーナは書き終わった手紙を見てがっくり項垂れた。

「こんな内容のない文章を初めて書きましたわ……」

「なに言ってんだ、女の世間話も似たようなもんだろう」

「これが女の世間話なら、私は女をやめています」

「やめるのは、ローレンに会ってからにしてくれ」

 リットは最後に一文勝手に書き足すと外に出た。

 勝手に話が進んでいることに驚いたシーナは慌ててその後を追いかけた。

「それって……私を売ったってことじゃありませんの?」

「売ったんじゃねぇよ。紹介しただけだ。よくあるだろ? 男女の仲の橋渡しってのが」

 リットはフクロウに手紙を渡した。

 フクロウは相手がグリザベルじゃないということをまったく気にせずに、ホーと一回鳴くと、手紙を咥えて飛び立っていった。

「私はそんな気ありませんわ」

「安心しろ。実物を見たら、向こうからがっかりして肩を落とす。乳が小さいと、女だと思われないからな」

「女の敵ですわね」

「そうでもねぇよ。どっちかというと、女は皆あっちに味方する。まぁ、せっかく紹介してやったんだ。存分に利用しろよ。そっちのがメリット多いんだからよ」

「どこがですの……」

「宝石屋って情報も教えたし、巨乳好きのアホってのも教えただろ」

「リットさんて……つくづく人に誇れない性格をしていますわね」

「今の二つで、答えにすぐ結びついたオマエも相当なもんだ」






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