第十七話
それから雨はやむことなく降り続けたが、ウンディーネはそれ以降姿を現さなくなってしまった。
「酔っ払うことによる幻覚症状……相当重症……かわいそう……」
マーはリットがウンディーネと会ったという話を最初から信じていなかった。
「じゃあ、これはどう説明すんだよ」
リットは袖をまくって、腕に残されたウンディーネのお茶会に招待された証拠の滴状の渦巻印を見せた。
「腕にうんこ入れたの? 酔っ払うから、そーゆー失敗が起こる……」
マーがやれやれと大げさに肩をすくめると胸が盛大に揺れた。その横にいるシーナは嫌悪に顔を歪めて、睨むようにしてリットの顔を見ていた。
「うんこを漏らしたなんて最低ですわ……」
「いいか……よく聞け、乳魔女にデカ魔女。糞は入れてもねぇし、出してもねぇ。これがウンディーネからの招待状みたいなものってことだ」
「その渦巻うんこが?」
マーはまだ信じられないと首を傾げた。
「いい加減うんこから離れろよ……。まぁ、この際あれが幻覚なのか、夢なのかは一旦置いておく。問題なのは魔女の酒に関係してくるのかどうかだ。この長雨中やることもなくて暇だっただろう。考えを出せ」
リットが急かすように言うと、シーナが手を上げた。
「『コウモリ便』で聞いてみたところ――」
「ちょっと待て……」
「もう……なんですの? 自分から急かしておいて」
「知らない単語を出すなら、説明も付け加えろよ」
「そうですわね……。リットさんはもう若くないんですし、知らなくて当然ですわね」
シーナは哀れみの視線を送ってから説明を始めた。
『コウモリ便』というのは魔女の若者文化で手紙を運ぶ連絡手段の一つだ。実際にはコウモリではないのだが、いつのまにかそう呼ばれるようになった。
見習い魔女の元を自由気ままに飛び回っている生物で、とてもすばしっこく実際に姿を見たものはいない。コウモリの羽の形をした影を見たという話が多発したので、コウモリと呼ばれるようになった。
最初はただの怪談話のように語られる存在だったのだが、一人の見習い魔女が、このコウモリはある匂いに引き寄せられる習性を持つということを発見した。
それからはこのコウモリを呼ぶのがブームになった。食べ物と一緒に香草を置いておくと、翌朝になるとなくなっている。運が良ければ、ロウソクの火によって壁に描かれた羽の影を見ることが出来た。
そして、たまたま食べ物と一緒に置いてあった手紙がなくなるという事件と、まったく知らない魔女からまったく知らない内容の手紙が届けられたという事件が何度か起きると、見習い魔女はこぞって真似をしだした。修行の愚痴や将来の夢など、見習い同士にだけ届く情報の伝達手段が誕生したのだった。
返事はすぐには届かないが、見習い魔女は何万といるわけではないので、コウモリが何周か回ってるうちに返事は届く。日数にすれば三日くらいだろう。
見習い魔女はこれを利用して情報交換をし、課題の手助けをしてもらったり、次の修行先を決めたりする
「見習いってことは、知識も技術も乏しい魔女からの情報ってことだろ。……役に立つのか」
「それは失礼な物言いですわ。私達をご覧なさい。同じ見習いですわよ」
シーナは誇らしげに胸を張ると、両手を広げてヤッカとマーを指し示した。
「そうだったな……オマエらを基準にするなら、単純にバカって言えばよかったよ。で、各地に散らばってる他の無数のバカ共はなんて言ってたんだ?」
「バカバカ言う人には教えたくありませんわ。けど……無駄になるのも癪ですので教えてあげます」シーナは束ねられた手紙を取り出すと、一枚適当に開いた。「そうですわね……まず……コルツォ・ドグヴァズの元へ修行に出ている魔女からですわね。コルツォ様といえば魔女薬の権威です。魔女のお酒は作ったことはないみたいですわ。でも、有益な情報が書いてあります。魔女薬を釜で煮て作る場合は、一度水を魔法陣を使って濾過するようです。『水』を限りなく『四大元素の水』。つまり純な状態に近づけることが、どの土地へ行ってそこで取れた材料を使っても、まったく同じ効果が出る魔女薬を作るコツらしいです。……へーですわ。私の次の修行先はここが良さそうです」
「同じ水を使うもんだし、参考になるかもな。肝心の材料のことはねぇのか? ハーブにも色々種類があんだろ? 成分がアルコールに溶けやすかったり、水に溶けやすかったり、煮沸しないとダメだったりな。魔女薬の権威なら、もっと詳細に区分したりしてねぇのか? 本題と関係のない自慢話の中に書いてあったりするだろ。自分の意志とは関係なくな」
リットに言われると、シーナは他の魔女からの手紙も読み直し始めた。自慢話や日々の愚痴の中に修行の内容や、師匠となる魔女の癖などが書かれていることがあるからだ。
次はマーが手を上げた。
「ヘルシナ様のところの見習い魔女の話だと、虫から出る分泌液を組み合わせることでアルコールを作るみたい。でも、飲むようじゃなくて怪我を治すようだって。毒薬にもなるから扱いには注意。うわぁ……ここの修行は虫の飼育ばっかりだって。クモの子一匹に一匹に名前をつけるんだってさ。もう……変態じゃん。この中だとヤッカしか修行に行けないね」
「僕も嫌だよ……。クモが何個タマゴを産むか知ってるの? ……絶対覚えらんないもん」
「考えがそこに行き着く時点で、ヤッカは十分変態だよ。魔女修行でクモの面倒なんか見てらんないよー」
「でも、クモって凄いんだよ。クモの巣から新しい魔法陣の基礎を考えた魔女もいるし、大昔の魔女の中には、クモの巣に触れただけで魔法陣になって発動したって話もあるくらいなんだから」
「その話は信憑性が低い。一本線を間違うだけでも暴発するのが魔法陣なのに、クモの巣で発動なんかムリ。破れても切れてもない完璧なクモの巣なんて見たことある?」
「ないけど……。その方が夢があっていいと思うんだけどなぁ」
「魔法陣は現実を見るのが大事」
マーが得意げに鼻息を漏らしながら言うと、リットはその頭を掴んで自分の方を向かせた。
「なら現実に戻ってこい。誰が世間話をしろって言ったんだよ。そのアルコールを分泌する虫ってのはこの森にいるのか?」
「……飲むの? 毒薬だよ」
「飲むか。その虫を観察すりゃ、なんかわかるかもしれねぇだろ」
マーは自分で見てもわからないので、虫のことに詳しいヤッカに手紙を渡した。
「あ……これは砂漠の虫ですね。それもアルコールじゃなくてエタノールです。口に入れないほうが良いと思いますよ」
「おい……」
リットが睨むと、マーはうっかりしたと手を打ってケケケと笑った。
その横で、ヤッカが自信ありという顔で「はい」と、手を高く上げていた。
「なんでオマエらは揃いも揃っていちいち手を上げんだよ……。で、なんだ?」
「僕が得た情報は……なんと! アルコール発酵する植物です! この植物の実は熟すとアルコール成分が高まってお酒のようになるんです。実際に存在する実なのですが、問題が一つ……」
「浮遊大陸にあるってんだろ。そのアルールの実は」
「なんだ……知ってたんですか……」
ヤッカは誰も知らない重要情報だと思っていたので、生育分布どころか名前まで出されたことにがっかりした。
「知ってるどころか、浮遊大陸で飲んできた。あんな甘い酒なら二度と飲みたくねぇ……」
「またまたぁ~」とマーが茶化した。浮遊大陸まで行くのに苦労することは知っているので、まさかリットが浮遊大陸に行っているとは思っていないからだ。
「腹違いの弟が天使なんだよ。天使の階段とやらで、労せず里帰りだ」詳細は違うが、いちいち説明していられないと、リットは適当に端折って説明をした。「――とにかくだ。アルールの実の酒ならもっと甘い味がするはずだ」
「そうですか……大昔に作られていたお酒なら、浮遊大陸の植物ってこともありえると思ったんですが」
浮遊大陸の土地のほとんどは、魔女が大地ごと浮かび上がらせて移動していた時のもので、大昔は魔女の力も大きかったので出来たことだ。
戦争が終わると、魔女は魔力の大きさよりも制御する術を学び広げるようになった。それによって、より多くの魔女見習いが魔女として生計を立てられるようになったが、魔力は衰えていくばかりだ。それは現代でも同じで、グリザベルも魔力として考えるとほとんど持っていない。普通の人間よりわずかに多いくらいだ。
だが、その代わり魔女は『知』と『理』を深く学ぶようになった。これにより、四大元素をより効率よく扱えるようになり、結果的に魔女全体の魔力の底上げに成功したことになる。
魔力の器は己の身ではなくてもよいと知り、その仕組みを理解したからだ。
その新たな魔女歴史の始まりから『魔女三大発明』というものが、大きく影響するようになった。
『使い魔』の時代は、まだ魔女が己の中に魔力を溜めておいた時代だ。ウィッチーズカーズの影響を別の生命に移すということを成功させた。これによって魔女の寿命は何倍にも伸びた。
『杖』の時代になると、魔女自身の魔力はかなり少なくなってきた。そして、魔女という戦争後に一度閉じられていた、独自の閉鎖的コミュニティーから抜け出す者も多くなってきた時代だ。
使い魔というのは動物であり、行動を共にするには餌や面倒を見なければならないので、移動するには苦労した。旅先で死なれては、ウィッチーズカーズを受け流す相手がいなくなってしまう。なので杖という餌も世話もいらないものは、魔女の行動範囲を広げた。
『魔宝石』時代というのは現代だ。魔力の器を最初から宝石とすることで、魔力を留めておけるようになり、ウィッチーズカーズも影響しなくなった。魔女以外も魔宝石を使って魔力を使えるようになった。
そして、一般人も魔力が使えるようになったということは、魔女は新しい時代に馴染んだということだ。その代わりに、馴染まないような魔法は消えてしまったということ。
その一つが、大地を浮かび上がらせ浮遊大陸へと向かう魔法だった。
魔女の酒にアルールの実が使われている可能性もゼロではないが、今は魔女の力がなくても天望の木で浮遊大陸に行ける時代だ。そんな時代に廃れることはないだろう。
「どっちにしろ、浮遊大陸の植物は持ち運び不可だ。今のところ有用そうな情報は……水を純に近付けるって話だな」
リットに視線を送られたマーは腕を組んで胸を潰すと、苦しげにうーんと唸った。
「魔力は足すのは簡単だけど、引いたり消すって言うのは制御が難しい」
「グリザベルの課題が『他者が描いた魔法陣に自ら手を加えて、魔力制御を出来るようになれ』だろ。保存してある魔法陣から、似たような効果のを探して手を加えりゃいいだろ。つまりこれも課題だ。難しいんじゃなくてやれ」
リットは頼んだぞとマーの肩を叩くと、さっそく取りかかれと背中を押して小屋から追い出した。
「次にヤッカ」と声をかけると、ヤッカはビクッと体を震わせた。
「もしかして僕もですか……」
「当然だ。『植物魔女薬にはない効果を、動物生薬を使って出す』ってのが課題だろう。この湖近くに生息してる虫の情報をまとめろ、今すぐな。そして、この長雨が終わった後にフィールドワークに出て、相違点があったら知らせろ」
リットはヤッカも小屋から追い出すと、最後に手紙を読んでニヤニヤしてるシーナに声をかけた。
「オマエはいつまで手紙を読んでるんだ」
「だって、おもしろいんですもの。最初弟子入りに行った時。魔女に話しかけていたと思ったら、ローブを盗んだ山の猿に話しかけていたって。あっ、ちなみにリットさんが言ってたハーブの話はどこにも書いていなかったですわ」
シーナは興味があるなら自分で調べろとリットに手紙の束を押し付けて、小屋を出ていこうとした。
「ちょっと待て」
「言われなくても、植物のことは調べますわよ。どうせアルコール発酵する植物を調べておけでしょう?」
「それもあるけど、このコウモリ便の出し方を教えろ」
「リットさん……ドン引きですわ。男の魔女の分際で、年頃の乙女と文通をしようだなんて……。言っておきますけど、男が少ない世界だからってリットさんになびく魔女なんていませんわよ。それにリットさんみたいな粗暴な男はお断りですわ。魔女の均衡が崩れますもの」
「『浮遊大陸の落し種を地上で育てる』っていう課題をクリアしてぇなら、ピーチクパーチクわめくな。金に執着してる魔女を探す為だ。金が欲しいなら、ウィッチーズ・マーケットに出るために弟子を抱えてるだろうしな」
「お金で女を買う気ですの?」
「情報を知ってそうな魔女を探すんだ。保護ケースがあるなら、別の方法で持ち帰ったり育てた魔女もいるかも知れないからな。アルールの実じゃなくても、酒を作るのに別の浮遊大陸の植物を使う可能性はある。一応育てておくための準備は必要だ。協力したら情報元の物はオマエにやる」
「随分気前の良いこと言っていますけど、魔女が作る道具ってのはお高いですわよ。国と高額な取引して、後は一生だらけて人生を腐らせる魔女もいるくらいですから」
「心配すんな。向上心がある魔女なら誰もが欲しがるものをオレは持ってる。どうだ、探すのを手伝うか? 答えはイエスか? ノーか?」
リットは手を差し出すと、シーナは了解したと握手をした。