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第十六話

 降り出した雨が葉という葉に当たると、森は一斉に雨滴の音を奏で始めた。

 騒がしくも心地良いリズムが森中に広がるが、虫や動物などの生命の音は身を潜めているので、奇妙な静けさも混ざっている。

 雨に閉じ込められた家の中では、グリザベルが忙しさに追われ、一人慌ただしく埃を立てていた。

 ヤッカが「手伝います」と言うが、自分でしまわないと出す時にわからなくなると、グリザベルは本と羊皮紙の山を移動させている。

 だがソワソワしているのは皆同じで、マーも描きかけの魔法陣が湿気て滲んだりカビたりしないように何度も確かめ、シーナも畑の様子が気になり何度も様子を見に行き、その度髪と服を濡らして帰ってきていた。

 ヤッカがグリザベルを手伝おうとしたもの、森をうろつく事が出来ずに暇だからだ。

 魔女組と比べて、リット達はのんびり過ごしていた。まるで二つ同時に別の時間が流れているかのようだ。

 ノーラは食べたくなれば食べるし眠くなれば寝る。自由気ままに自分の時間を過ごし、チルカは森の雨など慣れているので勝手に消えたり現れたり、ノーラと同じく気ままに過ごしている。

 リットもリットで自分の時間を楽しんでいる。グリザベルから貰ったDグイットをちびちびと飲みながら、なにもない長い時間をただ黙って過ごしていた。

 グリザベルは「ええい! 気が散る!」と、唐突にリットに向かって怒鳴った。

「そりゃこっちのセリフだ。ピーチクパーチクドタバタと、おとなしくしてろよ。酒に埃が入るだろう」

「湿気というのは魔女の大敵なのだ。紙魚が発生するからな。それに……埃が立つのはお主が掃除をサボったからだろう。埃も虫が湧く原因なのだぞ……虫というのは、魔女の歴史が始まってからずっと戦ってきた相手だ。そもそもは――」

「いいのか? 口ばかり動いて、足も手も止まってるぞ」

「よくないわ! 我が言いたいのは、家の真ん中でごろごろされたら邪魔だということだ」

「テーブルを片したのはグリザベルじゃねぇか。椅子もねぇ、壁も本棚に占拠されてねぇんだ。家の真ん中でごろごろするしかねぇだろう」

「少しは手伝おうという気はないのか……」

「手伝ったら、あーでもこーでもないとうるせえじゃねぇか」

「とにかく、家の真ん中でごろごろされてはかなわん。本の移動が終わるまでは、邪魔にならないよう……せめて隅におってくれ」

「思考までジメジメしてんなぁ……」

 リットは酒を持って立ち上がると、部屋の隅ではなく家の外へと出た。

 まだ雨に打たれていたほうが静かだと思ったからだ。ザーザー降りの雨ではないし、少し酔っていせいもあり、濡れることは気にならなかった。

 ぬかるむ足跡は湖へと伸び、リットは濡れて光る岩の上へと腰を下ろした。

 雨の冷たさを吸った岩がお尻を冷やしてくるのが一瞬気になったものの、一口酒を飲むとどうでもよくなった。考えたいことは他にあるからだ。

 雨が降ると湖に出来る泣き虫ジョンの滝。ウンディーネのお茶会が開かれるというが、それがどう魔女の酒と関係してくるかということだ。

 チルカの話ではウンディーネは既に湖にいるらしいが、リットには姿がみえないし、まだ滝も出来ていない。思い出せる話といえば、ウィッチーズ・マーケットで聞いた泣き虫ジョンの滝にしか生えない水草のことくらいだ。その水草は魔力を吸って、魔宝石と同じような効果を持つ結晶をつくるとのことだが、それなら魔宝石で代替が利く。

 魔宝石はグリザベルが得意とするジャンルなので、もし作るのに必要ならば頭を悩ませていないはず。闇に呑まれた事件の時のように、複雑なことをするのならばそもそも望み薄だ。

 他に気になるワードといえば『ウンディーネ』と『お茶会』の二つだった。

 ウンディーネというのは四精質の水を司る精霊なので、魔女との関わりは深い。ディアドレも精霊と交流したことを『精魔録』という本にして記録に残している。酒というのは水なので、ウンディーネと関係がありそうだが、問題はお茶会だ。

 お茶とお酒では種類が違う。お茶会というの隠語なのか、それとも言葉そのものの意味なのか、リットには見当もつかなかった。

 頭を悩ませているところに、都合よくチルカが通り掛かった。

 サトイモのハート型の若葉を傘にして、鼻歌交じりで上機嫌に羽を光らせている。

「おい、ちょうどよかった」とリットが声をかけると、チルカは訝しげに眉をひそめた。

「アンタ……雨に打ちひしがれるのが似合うほど繊細でもないし、雨に歌うほど爽やかさもないのにないやってるのよ。もしかして、肺炎になって死のうとしてるわけ? そんな先の長い自殺方法を取るより、そこの湖に飛び込んだほうが手っ取り早いわよ」

「ウンディーネってのはなんだ?」

「ちょっと……喧嘩売ってるんだから無視しないでくれる?」

 チルカはつまらなさそうに言うと、持っていた茎を回して、雨滴をリットの顔に飛ばしたが、もともと雨に打たれてずぶ濡れなのでリットは気にかけることはなかったが、コップに入っていた残り少ない酒が雨水で薄まって増えていたので、それを投げるように中身を捨てると、新たに酒を注ぎなおした。

「この間、シルフは複数いるみたいなこと言ってただろう。ウンディーネもいるのか?」

 チルカは「アンタねぇ……」と一度呆れてから、リットが手に持っている酒のツマミのナッツを抱きかかえた。「四精霊なんて何人もいるわよ。だから地域によって、妖精だって暮らしも特性も違ってくるんでしょ。環境に合わせて生活するのは、人間や獣人だけだとでも思った?」

「そのへんがよくわかんねぇって言ってんだよ。その地域にいる四精霊によって違いが出るなら、魔女が使う魔力にも違いが出てくるはずだろう?」

「変化が出るほど力を借りられないからでしょう。人間は魔力が入る器が小さいんだから。だから、グリザベルみたいにバカみたいに手間を掛けて絵を描いて魔法を使うんでしょうが」

「そんな小さな力で、闇に呑まれるような『ウィッチーズ・カーズ』が起こるのか?」

「私じゃなくて魔女に聞きなさいよ」チルカはナッツを一口かじると、食べかすの付いた手で意味ありげにリットを指した。「まぁ……こねくり回して収拾がつかなくなった結果だと思うけど。アンタには前にも見せたけど、私みたいなフェアリーは飛ぶ時に風の魔法を使うくらいなのよ。人間ほど魔法という力をあれこれと利用してないのよ。アンタの妹みたいに、精霊体の場合は別だけど。精霊体って厄介なのよねー、命イコール魔力みたいなものだから、私達とはまた魔法の認識が違うのよ」

「余計わからなくなってきた」

 リットはナッツを一つ口に放り込むと、数回咀嚼して少量の酒で流し込んだ。

「アンタが人間社会を私に説くみたいなものよ。妖精社会のことを説明したって理解できるわけないでしょ。理解する必要もないわ。それにしても、急になんなのよ。アンタ……もしかして魔女にでもなるつもりでいるわけ? 若い女に囲まれて、のぼせ上がってるんじゃないでしょうね」

「魔女なぁ……」とリットは真面目な顔で少し考え込んだ。「お手軽に、知識と技術を手に入れる方法ねぇか? 妖精お得意のこそ泥魔法とかで」

「出来たとしても興味ないもの、魔女ごっこなんかに。気になるなら、そこのウンディーネにでも直接聞きなさいよ」

 チルカはリットの手から二粒ナッツを抱えると、重そうに低空飛行しながら家へと戻っていた。

 リットはチルカのことは目で追わず、チルカの小さな手が指した自分の横を見ていた。

 そこには殆ど透明に近い薄琥珀色している、よく形もわからないものが「ほんげぇー……」とマヌケな声を出して、よだれを自分の体に落としていた。

 よだれは水で出来た体を循環し、延々とぼとぼと垂れ続けている。

 リットが「オマエがウンディーネか?」と声をかけるが、しばらくはよだれを垂らすことしかしていなかった。自分がそう思っただけで、もしかしたらよだれではないのかもしれない。見た目は九割は水で出来ているような体なので区別はつかない。ただ、どこかで見たことのある光景だと感じていた。

 リットは一口酒を飲んで落ち着こうとコップに口をつけるが、中身がほとんどなくなっていた。傾けると、ウンディーネと同じような色をした液体が一滴だけ、転がるように下に落ちた。

 それ見てリットは酒場での光景を思い出した、初めて無理やり酒を飲んだ青年の反応と似ているからだ。

「オマエ……もしかして酔ってるのか?」

「……酔うわけない。ぱぱーんと、じゃじゃーんと、ぱふぱふと登場した水の精霊ですよ? なーめて貰っちゃ困りますます。すべての水は私の体の一部なわけ。あのお酒も、このお酒も、そのお酒も、どのお酒も……つまりお兄さんな私の体の一部を飲んでるってわけ。それっていったいどういうこと?」

「オレが聞きてえよ……。でも、ちょうどいい。いいか、古今東西精霊ってのは人間に姿を見られると、願いを聞かなくちゃいけねぇって決まりがあるんだ」

「ほんげぇー……凄い決まりがあるんだねー。それなら仕方ないね……よし! なんでも聞いてあげよう!!」

 ウンディーネは周囲の雨粒を集めると、水で人の形を作って、それで得意げに胸を叩いた。。

「随分気前よく言ったけどよ。話を聞くだけってのはなしだぞ」

 リットが睨むと、ウンディーネは本物の水のように流れて地面の水たまりに消えた。しかし、すぐにリットの背後の水たまりから現れた。

「先に言った!? つまんないー! つーまーんーなーい! あっ! そうだ逆に私の話を聞いてよ」

「嫌だ」

「せっかく長雨で遠くの土地の匂いが染み込んだ水が流れてきて、その時にしか味わえない特別な水になるのに、他の精霊は呼んでも誰も来てくれないの。しょぼーん、がっかり、がーんってなってるの。ほら、私が水を操作すると『純な水』になっちゃうでしょ?」

「そうなのか? なんだ純な水ってのは」

「そんなの飲んだら、体の中の魔力が暴れちゃうってさ。うーんと、ほとほと、やれやれと困ったもんだね」

「本当に困った……。なんて面倒くせえ酔っ払いだ」

 せっかく向こうから姿を現したというのに、リットの話など耳に入らないほどウンディーネは酔っていた。

 元々リットには良い印象を持っていないので、湖を出ていくまで姿を現すつもりはなかったのだが、あまりに妖精と仲良く話しているので、物珍しさから近付いた。その時に、リットが捨てた酒を浴びてしまい、酔っぱらい、調子よく姿を現してしまったのだ。

「酔っ払ってるのはそっちでしょー。前から言おうと思ってたんだけど、じゃーじゃー、じょぼじょぼ、ぷるぷると湖におしっこするのはどうかと思うよ。とんだド変態だぁね」

「しっかり最後の振るところまで見ておいてなに言ってんだよ。よし……わかった言い方を変えよう。これ以上湖に小便をされたくなけりゃ願いを叶えろ。オレは魔女の酒が飲みてぇんだ。手伝え」

「なんだ、飲みたいのか。どうしようかな、しょうがないなー。でも、どうしよう……人間だし。うるさいし、姿形も好みじゃないし、でもしょうがない! 特別サービスだ!」

 ウンディーネはリットの左腕に巻き付くとうねうねと動き出した。リット腕にはたぷたぷに太ったナメクジが這うような感触が走っていた。

 やがてウンディーネが離れると、腕には雫のように尖った渦巻の紋章が印されていた。

「おい……このだせぇタトゥーはなんだよ。ガキの落書きみてぇなのが一生残るなら、オレは一生この湖に小便をし続けるぞ……」

「ダサいとはなんだ! ウンディーネのお茶会に正式にお誘いした証拠だぞ。なんと――人間では初めて! ぱぱーんと、じゃじゃーんと、ぱふぱふだよ。まぁ、今まで誰も来てないんだけど。つまり、今ならお茶会に参加する最初の生命体にもなれまーす! 開催日は雨が止んで湖が透明になった日。出来た滝からリヴァイアサンの鱗二枚分先。つまりだいたい湖の真ん中。風邪を引いたなんて言い訳はなしなしだからね!」

 ウンディーネはヘビがとぐろを巻くように、リットの全身を這った。するとリットの服も体も髪も乾き、雨は体を避けるように降り出した。

 代わりにリットの体を縁取ったような水の塊がウンディーネの隣に立っていた。

「おい、湖の真ん中って言ってもな――」

 リットが人間はそこまで行けないと言おうとするが、ウンディーネは先程までのテンションが嘘のように静かになると、急に嘔吐をするように薄琥珀色の液体を体から流した。

 すると、ウンディーネに色はなくなり雨と同化して見えなくなってしまった。

 雨音の隙間から「気持ち悪い……帰る……ばいばい、さよなら、また会う日まで」というウンディーネの別れの挨拶が聞こえると、それっきり声は聞こえなくなってしまった。

 すっかり酔いも冷めたリットは雨が避ける不思議な体のうちに、小屋に戻って飲み直すことにした。






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