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第十三話

 ディナイン湖の畔の家に戻ってから四日。

 リットは魔女の酒場で飲んだ酒の味を忘れられずにいた。あの酒がもう一度飲めるのならば、魔女弟子の面倒を見るのも吝かではないと思っていた。

 なのでここ最近は文句も少なく、畑の雑草取りに手を貸したり、野外採集を手伝ったり、魔法陣の効果を見届ける実験台になったりと精力的に働いている。

 その様子にグリザベルはいたく感動していた。

「ようやく一番弟子らしくなったものだ……。あの悪童には本当に手を焼いた……」と、弟子達の面倒を見るリットを自愛を込めた瞳で見ていた。

「そういうこと言ってるのがバレると、旦那にどやされますよォ」

 ノーラの一言にグリザベルは思わずビクッと体を震わせた。

「少しくらい偉ぶってもばちは当たらぬ……。当たらぬよな?」

「どうでしょうかねぇ……旦那ってば人に当たるのは得意ですから。それより、いいすんスかァ? 旦那に任せちゃって、お弟子さんが取られちゃいますよ?」

「うむ、よいのだ。この間のことでわかったことがある。リットがいくら答えを教えようが、理屈までは教えられぬ。理屈を理解せねば、発展は出来ぬからな。本当に困った時は我の元に聞きに来る。師匠というのは、余計なことをせず座して待つものだ」

 グリザベルは師匠の一人だった魔女からの助言の手紙の内容の一部を、そのまま自分の言葉のようにして言った。

 リットが酒場の魔女から手紙をもらってきたことは知っているので、ノーラも受け売りだということは感じていたが、だったとしても自分にはなにも問題がないので黙っていた。

「グリザベルも日々師匠として成長してるんスねェ」

「当然だ。それに、弟子の面倒を見るだけが我のやることではない。我も我とてやることは山積みなのだ」

 グリザベルはリットと弟子達を見て問題がないと判断すると、その自分のやることというのをやりに部屋に戻ったので、ノーラも頼まれていた虫かごを持ってリットの元へと向かった。

「旦那ってば、子供みたいっスよ」

 頭に葉っぱを付けて、泥だらけの服になったリットの姿を見たノーラの素直な感想だ。

「そう思うなら、オマエが手伝えよ」

 リットは受け取ったかごに虫を入れながら言った。

 虫は抵抗を見せてカゴの中をぶつかりながら飛び回ったが、やがて諦めたのか疲れたのか、壁の格子に張り付いてじっとした。

「いやっスよ。汚れたら洗濯しないといけないじゃないですかァ。掃除洗濯。チンケな男の嫉妬に誰に向けてるかわからない女の見栄。なるべく面倒くさいものに関わらないのが、人生の正しい過ごし方ってもんですぜェ」

 ノーラはこれ以上なにかを頼まれる前に、短い足を走らせて森から出ていった。

 その後ろ姿を見ながらリットは休憩と木に寄りかかると、木の上から「リットさーん」と呼ぶヤッカの声が聞こえた。

「なんだよ」

「なんだよ。じゃなくて虫かごをお願いします。絶対投げないでくださいよ、中の虫を弱らせたら大変なんですから」

 リットはため息をつくと、近くの枝に手をかけて木を登り、ヤッカに虫かごを渡した。

「どうせ殺して魔女薬の材料になるんだろ。そこまで気にすることかよ」

「この虫は殺しませんよ。マーに頼まれたものですから」

「乳魔女の専門は魔法陣じゃねぇのか?」

 リットが先に地面に降りると、ヤッカは降りるのを手伝ってほしいと木の上から手を伸ばした。

「先に捕まえた虫が天敵で、敵対するとお尻から分泌液を出して威嚇するんですよ。その分泌液を魔法陣を書くのに使うんです」

 ヤッカはリットの手を掴んで下ろしてもらっている最中も、ずっと虫の説明を続けていた。

 だが、リットは耳を貸さずにかごの中の虫を見ていた。

 ヤッカの言う通り、もう既にお尻から分泌液を出していた。分泌液には膜が張っているらしく、体の何杯も大きく膨らんでいる。そこに反射して映る周りの景色を自分の一部として、体を大きく見せるのが、この虫の威嚇の仕方だ。

 だがその威嚇も虚しく、マーの元に届けられると、ペン先で膜に穴を開けられてしまった。

 出てきた分泌液とインクを混ぜ合わせると、マーは「完璧」と呟いた。

「おい……葉っぱまみれになって取ってきたのに、それだけしか使わねぇのか?」

 マーは「うん」と言い切った。「この虫の分泌液を混ぜるとインクの伸びが良くなるの。なくなったらまた捕まえてきて」と、カゴに戻した虫にはもう用はないと、ヤッカに押し付けた。

「よし……わかった。今日の晩飯はオレが作ってやる。オマエはそれに熱中してろ」と唐突に言い出したリットに、ヤッカは驚いたが、マーは「あっ……」と気付いて手を止めた。

「虫を捕まえて来てくれて、どうもうありがとう」とゆっくり頭を下げた。

「それでいい。虫が食いたくなったら、また今みたいな態度をとってくれ」

「リットは本当にやりそうで怖い……それで、本当に晩御飯の支度は変わってくれるの?」

「そう思うか?」

「そう思いたい」

「木の葉に土……自然の味ってやつになるけどいいのか?」

 リットは土と葉で汚れた手のひらと、服を見せて言った。

「わかった……やるよ……。もう……いいところだったのに」とマーは不満たらたらなのを一切隠さずに机を片付け始めた。「リットは水浴びてきたほうがいいよ、臭いから。ヤッカもだよ」



 湖まで来たリットはまず焚き火を作った。そろそろ日が暮れて暗くなるのと、湖で汲んだ水を暖めるためだ。ここの水でそのまま水浴びをしたら、あまりの冷たさに心臓麻痺で死んでしまうからだ。

 リットは手早く服を脱ぐと、服は適当に湖に浸して汚れを洗い流して、手頃な岩の上に置いた。全裸のままで、体拭くためのタオルを鍋のお湯につけて絞っていると、ヤッカが視線を逸らしてソワソワしだした。

「あの……僕もいるんですが……」

「別に男同士だろ。気にするんだったら、服に手をかけた時に言え」

 リットは気にせずに体についた泥を吹き始めた。

「気付いていたんですか……」

「そりゃな。朝になって布団で下半身を隠してるってのは、男じゃなけりゃ、漏らしたくらいのもんだ。まぁ、オレにとっちゃ男でも女でもどうでもいいこった」

「僕も男でいられるなら男でいたいのですが、魔女への道は女でしか開かれないんですよ。リットさんのように男の魔女弟子で、ウィッチーズ・マーケットに参加できるのは本当に凄いことなんですよ。ほとんどは参加しても雑用にさせられるので」

「いいか? どうでもいいってのは、どうして魔女になろうと思ったとか、男の魔女がどんだけ苦労してるとか、自分はこれだけ頑張っているとか、全部ひっくるめて興味がねぇから話すなって意味だ」

 リットはタオルを投げ渡すが、ヤッカは受け取ったままでもじもじと顔を少し赤らめた。

「ずっと女の人と生活していたせいか……男の人の前で服を脱ぐほうが抵抗が……」

「まさか脱がせろなんて、すっとぼけたことを言うんじゃねぇだろな……」

「いえ、違います! 後ろを向いていただけると……」

 ヤッカは女性そのものの仕草で恥じる仕草をしたので、リットは背を向けて体を拭き始めた。

「ささっと着替えて、オマエも晩飯づくりに参加しろよ。あの乳魔女は絶対にサボってるぞ」

 リットは肩から腕を吹き終えると手を止めて振り返った。後ろで服を脱ぐ音も、体を拭く音も聞こえてこなかったらだ。

 目が合ったヤッカは「あの……あんまり動かれると、影が揺れるので……その……」とまごまごした。

「……目をつむって着替えるとか、後ろを向いて着替えるってことが出来ねぇのか?」

「あぁ! そうですよね。……すいません。なんか男の人の裸って久々に見たので。リットさんと違って見慣れていないんですよ」

「あのなぁ……オレが普段から男の裸を見てるような言い方すんな。男も女も裸を見慣れるなんてことは一生ねぇよ」

「誤解するような言い方をしてしまってすいません。そういうことじゃなくてですね。魔女というのはその名の通り女の人ばかりで――」

「わかったわかった。オレはもう行くから、あとは勝手に湖に映る自分にでも話しかけてくれ」リットは下着だけ履くと、濡れたままの服を持って歩き出した。「ったく……なんで魔女ってのは長話が好きなんだ……」



 それからまた数日の間。何事もなく過ごしていたリットだが、あることに気が付いた。

 魔女弟子達が調べ物をするのと同様に、グリザベルも同じように調べ物をしているということだ。それも弟子達よりも切羽詰まった様子で、あーでもないこーでもないと古い本や羊皮紙を引っ張り出していた。

 しかし、自分のことにかまけて弟子を放置するようなことはなく、聞かれたことにはしっかり説明し、答えを出すためにはどうするかというヒントを与えた。

 傍目には少しだけ師匠らしく見え出してきていた。

 リットが気付いたのはそこのところだ。グリザベルが師匠らしく見えるということは、素を見せる暇がないということ。忙しさのせいで、余計なことを喋っている時間がない。

 魔女の試験を受けるわけでもないグリザベルが、今焦ってなにかをする必要はないはずだ。

 リットは頼まれた水を汲んでくると、そこからコップに一杯すくってテーブルに置いた。

 その音に気付いたグリザベルは「すまぬな」とお礼を言った。

「……そのすまぬって言葉は、そのうち謝罪に使うつもりだろ」

 リットが淡々と言うと、グリザベルの手の動きが止まった。

「な……なんのことやら……。ただのお礼ではないか……深読みするでない」

「じゃあ単刀直入に聞いてやるけどよ。魔女の酒ってのはどうなったんだ?」

「ウンディーネが浄化した水でないと作ることが出来んと言うたはずだ。つまり、大雨が降り泣き虫ジョンの滝が出来るまでは作ることは出来んのだ」

「じゃあ、急にハーブのことばかり調べだしたのはなんでだ? ここでは育ててねぇだろ」

 リットは捲りかけの本ページをしっかり開いた。飲食用のハーブのページだ。お茶や食事、それにお酒に入れるハーブなどが書かれている。

「先に言っておこう……」

 グリザベルはコホンと咳払いをして気を入れ直した。

「もう後手に回ってるぞ」

「ならば正直に言おう……。すっかり記憶が抜け落ちてしまった」

「オレも正直に言おう。すげえぶん殴ってやりてぇ」

「待て待て! 忘れたのなら、きっかけがあれば思い出せるということ。だから、こうしてきっかけになるものがないかと、情報収集しておるのだ」

「本当に思い出せるのか?」

「我を誰だと思っているのだ」

「ポンコツ魔女」

「そんな異名は持っておらぬ……。いいから我に任せておくのだ。お主が泣こうが喚こうが、作り方を知ってるのは我だけだ。わかったら邪魔するでない」

 リットはグリザベルに家の外に押し出されたしまった。

「泣くのも喚くのもそっちじゃねぇか……」という声はドアに遮られて、グリザベルには届かなかった。

  グリザベルのことは信用しているものの、一度あのお酒の味を覚えたリットはどうにか確実に飲める方法ないかと考えた。

 そして考えれば考えるほど、不安が募るばかりだった。というのも、思いつくだけ酒造方法を上げてみても、グリザベルには作れそうにないからだ。

 酒造知識も魔女知識もリットは詳しいわけではないが、特に苦手としている魔女薬のほうに近いものだと考えたので、魔法陣を得意としているグリザベルからは程遠いような気がしていた。

 一番手っ取り早いのは酒場の魔女に頼み込むことだが、グリザベルに花を持たせるためにどんな些細な情報も漏らさないはずだ。教えるとしたらリットにではなく、グリザベルに教えるだろうし、それもまた直接的な答えではなく、遠回りのヒントになるのが目に見えていた。

 現時点でわかっていることは二つ。『デルージ』と呼ばれる魔女の酒の材料となるハーブ類。それと、作り方は一つではないということだ。

 酒場の魔女は材料だけ知っていた、なのにその加工の仕方を覚えていない。普通こういった知識と技術はセットになっているはずなので、覚える気がなかったからだろうとリットは考えていた。覚える気がないのは、それが家庭レシピのようなものだからだろうと。あまりに色々作り方があるので、いちいち覚えている暇もなく、たまたま材料だけなにかで覚えていた。きっかけはなんでもある。酒場を開こうと思った時に調べ直した。師匠が亡くなった時に思い出の中にあった。

 リットがそう思ったのは、魔法陣も魔女薬も作る魔女によって変わるからだ。同じ効果の魔女薬を作るのにも、ヤッカとシーナでは材料が違う。同じ効果の魔法陣を描くのにも、グリザベルとマーでは同じ模様にならないはずだ。

 魔女と錬金術師の関係もわかったので、蒸留技術が大きく関わっているのかもしれない。だが、古くから伝わる魔女の酒場ならば、蒸留技術がなかった頃から存在しているかもしれない。

 リットは考えながらぼーっと歩いていたので、何度も名前を呼ばれているのに気付いていなかった。

「このバカ! 踏むなって言ってるでしょ!!」

 チルカはリットの眼前まで飛んでいくと、人差し指でまぶたを殴った。

 痛さと驚きにうずくまるリットに「まったく……」とため息をつくと、「ほら、これよ。蜜を採取しなさい」と虫に命令した。

「なにすんだよ……」

「なにって、虫に蜜を集めさせてるのよ」

「そうじゃねぇよ……」

「私は何回もアンタを呼んだのよ。なのにブツブツ根暗に考えごとをして聞いてないから、実力行使に出たの。まったく忙しいんだから邪魔しないでよね」チルカは一度リットに背を向けたが、「うろこ状の葉の黄色い花を見なかった?」と振り返った。

「知るか」

「シーナったら適当なこと言ったんじゃないでしょうね」

「適当なことをさせてるはオマエだろ」

「私は利用してるのよ。ヤッカに蜜を吸う虫を捕まえさせて、シーナにこの森の植物の話を聞いたの。それをマーの魔法陣を使って、花蜜の甘さを最大限まで引き出すの」

 チルカは忙しいから構っていられないと、説明だけ済ませると虫を引き連れて森の中へと消えていった。

 リットは遠くに消えていくチルカの羽明かりを眺めながら、ここには都合良く動かせる魔女が三人いることに気が付いた。






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