第一話
「旦那ァ。見てくださいな。立派なお髭ですぜ」
ドワーフのノーラはフクロウを抱き、ツバサをくちばしまで持っていって髭のように見せていた。
「離してやれよ。羽を毟って鍋にぶち込むってなら別だがよ」
リットが言うとフクロウは人語を理解したかのように慌てふためき、ノーラの手の甲をつついて逃げていった。
「ほらー……旦那がいじめるから逃げていっちゃいましたよ……」
「そりゃ悪かったな。てっきりオマエが羽交い締めにして、フクロウをいじめてるのかと思ってた」
「私は可愛がっていたんスよ。ところで――フクロウって美味しいんスかね?」
「さぁな。今度試しに食ってみろよ。そうすりゃ余計な手紙を読まなくて済む」
リットはフクロウが落としていった手紙を拾うと、しっかり封蝋された口を雑に開けた。
手紙の主は内容を読まなくてもわかった。フクロウで手紙を出してくる人物など、周りには一人しかいないからだ。
冗長な挨拶から始まり、近状報告。持って回った言い回しばかりの文は、目を通すだけでため息が出るほどだ。
リットはさほど目を通さないまま近くのロウソクの火に近付けた。手紙はジリジリと焼かれ、急に炎が上がり灰が舞った。
粉雪のように舞う灰を払いながら、ランプの隙間から妖精のチルカが咳き込みながら顔を出した。
「アンタ……ブサイクを苦にした焼身自殺なら一人で死になさいよ。私はまだまだ可愛いまま生きていくつもりなんだから」
「そりゃ悪かったな。煙を炊いて虫以外が燻し出されるとは思ってなかったから……。重ねて悪かったな。素直に謝るぞ。虫に――」
リットが半笑いで言うと、チルカは鼻の穴をめがけて固めて丸めた埃を投げつけた。
「次に私と虫を関連付けたら、夜中に鼻の穴に埃を詰めに詰めてアレルギーで殺してやるわよ」
「そんな手間暇をかけなくても、オマエがいるだけでアレルギー反応が出る」
「アンタって美人アレルギーなのね。モテないのをこじらせるからそうなるのよ。せいぜい私を見て免疫をつけるのね」
チルカは火のついたランプの屋根の上に立つと、踊りでも踊るようにくるくる回ってみせた。
「確かにアレルギーらしいな。吐き気がしてくる……気持ち悪いし、涙も出そうだ……こんなに具合が悪いのは初めてだ……」
「ムカつくわね……気分悪いこと言ってんじゃないわよ」
「文句言うなよ。美人って認めてやるから吐かせろよ、顔を見るだけで吐き気をもよおすって噂立ててやるから」
「吐き気がするのは二日酔いだからよ。チルカちゃんスマイルを見れば、普通は寿命が百年は伸びるんだから」
チルカはわざとらしい笑みをリットの前で浮かべた。二日酔いで店のカウンターに突っ伏してるリットから攻撃はないとわかっているからだ。
「変わらないっスねー……二人共。私達はもっと変わるべきだと思うんスよ。なんて言ったって世界を闇から救ったんスから。今、世界が太陽に照らされているのは、私達。いや――私のおかげってなもんスよ」
ノーラはマッチを一本擦った。炎は急激に大きく上がり、火の鳥の姿になったかと思うと、煙を残してすぐに消えた。
「だから変わっただろ。あちこち周るのをやめて、のんびりランプを売ってんだ」
「旦那はリゼーネから貰った報酬で飲んだくれてるだけじゃないっすか。マックスも心配してましたよ。せっかく自慢できるお兄ちゃんになったっていうのに」
「毎日飲んだくれてるわけじゃねぇよ。前よりも仕事はしてるしな……なんならランプ屋の仕事をあれこれ教えてやるけどよ。やる気がねぇのはノーラじゃねぇか。せっかく火の扱いがまともになったと思えば、火で遊んでばっかりじゃねぇか。そのうち漏らすぞ」
「旦那ってばわかってないんスから……私が火の扱いに慣れたってことは一人前のドワーフってことですぜェ。つまりあちこち世界を周って美味しいものを食べさせろってことっスよ」
「料理を覚える気はねぇのかよ……」
「覚えたっスよ。目玉焼きを。だから旦那は毎朝、片面焼き半熟様々に好きな目玉焼きを食べられるんスよ」
「おかげで毎朝卵料理だ。蛇にでもなった気がしてくる……。平和でいいじゃねぇか。だいたいな、前までが特別で、今のこれがオレの暮らしってもんだ」
「アンタって、相当ダメ人間だったのね。今もだけど」
チルカは心底見下す瞳でリットを見た。
「オマエもいつまでここにいるんだよ。毎日人の本をいじくり回してなにしてやがんだ」
「アンタには関係ないでしょ。どうせ興味もないんだから」
「庭にいる妖精も早く追い出せよ……うるさくてしょうがねぇ……」
リットは中庭へと向かって指を差した。店と中庭の間には生活スペースがあるので、ここまで声は聞こえてこないが、中庭ではリゼーネの迷いの森に済む妖精達が宿屋代わりに使っており、昼夜問わずお喋りにに花を咲かせていた。
「仕方ないでしょ。私がうわさ話を流したら、皆見てみたいって言うんだから。アンタみたいなブサイクな顔が注目を浴びるなんて、一生に一度なんだから甘んじて受け入れなさいな」
「こっちはそのせいで寝不足だっつーの」
「それを出しに飲みに行くからでしょ。でも……」とチルカはリットの顔を見てため息をついた。「アンタもつまんない奴になったわよね。ありきたりな毎日で……息が詰まりそうよ」
「そりゃ悪かったな。なんなら手っ取り早く首を絞めてやろうか?」
「暇でしょうがないって言ってるの!! あーもう! 世界の滅亡とか迫ってこないかしら!」
チルカはヤケクソとばかりに叫んだがなんの問題もなかった。店に客は一人もいないからだ。
『闇に呑まれる』という現象を解決してから、リットの生活は落ち着きを見せていた。元より噂話のような事件なので、解決したとして一部の者以外にはたいして響かない物語だ。あの時のことが、大きな事件として扱われるには、もう少し年月が必要になる。
だが、リットとしては満足していた。自分の手に収めるには大きすぎる事件を解決したのだ。しばらく――いや、もう一生余計なことはしなくていいと思っていた。
「ノーラ、店番は任せたぞ」
リットは急に立ち上がると、カウンターから出ていった。
「あらら……またお酒ですか」
「そうだ。適当に店は閉めて、生意気な妖精共は適当にしめておけ」
そう言って出ていくリットの背中に散るかはイーっと歯をむき出しにした。
「本っっっ当! 素直じゃない奴ね」
イライラするチルカを「まぁまぁ」とノーラがなだめた。「旦那もまだ戸惑ってるんですよ。根は子供ですから、きっかけが出来ればアラホラサッサーってなもんで」
「いっそ、もう一回闇にでも呑まれれば、アイツもしっかりした顔になるんじゃないの?」
「旦那だってランプ屋っすよ。いつまでもくすぶってはいませんて、火がつくのはあっという間っすよ」
「本当……陰気な顔を見たくないわ」
チルカはうんざりとした顔でため息をついた。
そのころ酒場では、チルカと同じ顔でため息をつく者がいた。
「なぁ……いったいどうしたいんだよ」と、店主のカーターが呆れ顔で言った。
「なにがだよ」
「飲むのか、飲まねぇのか、飲んだくれねぇのかって聞いてるんだ」
「人が健康を気にして飲まねぇのがそんなに気に食わねぇってのか?」
「いいや、女房に捨てられて、やることが見付からなくなったような男の顔をやめろって言ってるんだ。酒ってのはもっと楽しくの飲むもんだぜ」
カーターはリットの酒の減らないコップを持って揺らした。
「なに言ってんだ。オレは十分楽しんでる。おい、オレが飲む酒ってのは『アクラカン』だ『D・グイット』なんて高い酒を注ぐんじゃねぇ」
リットが怒鳴るように言うと、少年が「すいません! すぐに取り替えます!」とこたえた。
他の客の相手をし、リットの酒を取り替えると、またすぐに別の客に呼ばれていた。
「どうだ。いい子だろ。前途ある若者を育てるってのもいいもんだぜ」
カーターは自慢げ顔で言うと、ツマミをリットに出した。
「前途あるやつは、馴染みの客の一杯目なんて間違えねぇよ」
「でも、酔っ払えばリットが勘定を間違えるかもしれないだろう?」
「カーターの差し金か……。酒ってのは気持ちよく飲ませるのも教えてやれよ」
「そりゃもう教えてやったさ。生きる道を悩んでる男には辛く当たれってのもな。オレが思うにゃ、リット。オマエさんはもっと世界に打って出るべきだ。親父さんのようにな。それだけの力がある。飲んだくれるとか、皮肉をやめるとか、女に優しくするとか、もっと真面目に生きるとか直すとこは色々あるけどよ。全部直せば、きっと世界の二割はオマエさんの味方だぜ」
「過大評価をありがとよ。世界の二割もオレの味方なら、世界を牛耳ったようなもんだ。……よし! 世界の王からの命令だ。この店の酒は全部タダだ!」
リットが大声で言うと、店の酔っぱらい達が大声で歓声を上げた。
カーターは慌てて訂正をすると、ため息を落とした。
「いいのか? 自分の偉大さを伝えるってのも、立派な人生の一部なんだぞ。過大でも過小でもない。友達としての意見だ。リットはもうちっと自己肯定を高めていいと思うぞ。他は信じなくっても、ウチの酒場には肴の材料が戻ってきた。リットのおかげだってわかってる。弟子の一人でも育てたらどうだ? ノーラはランプ屋として育てるとしても、闇を晴らした知識ってのも誰かに伝える義務があると思うぞオレは」
「何百年も前の魔女が勝手に起こした事故だ。後は魔女が勝手に尻拭いをすりゃいい。なんにせよ……オレには……もう…………預かり……知らねぇ……ことだ……」
リットは最後の力を振り絞ったように言うと、すーすーと寝息を立て始めた。
「退屈してる男がよく言うよ」
カーターはリットの寝顔を見て、近いうちに町から離れていくのがわかっているように、どこか寂しそうに言った。
翌日リットが起こされたのは、カーターでもなく、ノーラでもチルカでもなく、酔っぱらいでもなく、見慣れたフクロウだった。
フクロウはリットの耳たぶを千切れんばかりにくちばして引っ張り、起きるのを確認するとツバでも吐くような鳴き声を残して酒場の窓から出ていった。
リットは寝ぼけ眼で手紙を開くと、余計な部分をすっ飛ばして本題の部分だけを読んだ。
閃光のように、綺羅びやかで眩い日々は終わりを告げ、我の日常に静けさというのものが戻ってきた。一と一は足されることなく、ただただ揺蕩っていたが、急に合わさり我に意味というものもたらした。
言うなれば、生命の誕生を見届けたかのような気分だ。いや――生命を創る術を見付けたと言ってもよい。意味は意味として成し、幾つもが複雑に繋がりを見せる。
きっと偉大なる魔女の一人であるルークルド・マフィアナイドが蜘蛛の巣から魔法陣を見言い出した時も、こんな気持ちだったのだろう。
つまりだ、私は新しいことを始めている。魔女が魔女たる魔女になるために教育者として、若輩者を育てている。我の闇を晴らしたという経歴に畏怖すると思ったが、若すぎるのかディアドレの偉大さもわかっていないようだ。
端的に言うと……助けくれ!! 生意気で、言うことを聞かなくて、手一杯なのだ!!
使い魔もおらず、召使いの男もいない我は魔女として見下されておる。
なので――リット! お主は我の助手として手助けしてほしい。
というか、いい加減返事をよこさないと我は泣くぞ! これが二十四通目の文だぞ! いい加減返事をよこさぬかー!!!! テスカガンドの闇を晴らして以来、お主のこともノーラもチルカも、皆どうしているか知らぬ! 寂しいぞー……泣くぞ……いいのか!? リットのアホぉ……。
というグリザベルからの手紙に目を通したリットは、最後の一文を読まずにフクロウに投げ返した。
「もう来んなよ……適当にねずみでも捕まえて食ったら帰ってくれ。返事は同じだからよ」
そう言うリットの言葉を理解したのかしていないのか、フクロウはもう一通手紙を落とすと、リットが投げ返した方の手紙を加えて飛び去っていった。
リットは落としていった手紙の封を開けた。
リットのアホめ。大方文の内容など読んでいないだろう。
なので、最後の一文には返事が来なければ迎えをよこすように言っておいた。
どうだ? 悔しいか? アホめ。してやったぞ。アホーアホー! やーい大マヌケ。
悔しかったら我を助けてみろ。
と書かれていった手紙を見てリットは思わず笑みを浮かべた。
カウンターで目覚めたカータに「なに笑ってんだ?」と言われるまで、リットは自分が笑みを浮かべていることに気付いていなかった。
「さぁな……オレも親父に似てきたのかな」
リットが自虐気味に言うと、カーターは祝い事もあったかのような気持ちの良い笑みを浮かべた。
「ならいいことだ。少なくとも、やることもなく酒場でくだまいてるだけのリットよりは、やることがあって酒場でくだまいてるリットのほうが好きだぜ。オレはな」
「こっちの心中はお見通しってか?」
「いいや、オレはただ逃げ道をなくしてるだけだ。酒場に来るおっさんに、かみさんの元へ帰れって言うようなもんだ。だから、リットには自由に生きろって言うようなもんだな」
「自由に生きろってことは、飲んだくれて死ぬってことかも知れないぞ」
「そうなら、わざわざオレは口に出して言わねぇよ」
カーターは送り出すように、半分酒が残っていたリットのコップに酒を注いだ。