僕
いつも降りる駅のホームの片隅に、いくつもの空き缶が積み重なっている。僕は飲み残してしまったジュースを処分する為にも、その場所にそっと缶を積み重ねた。ぽつんと取り残されて存在している寂しげな感じが、まるで僕自身に思えた。
空気だ。
僕の存在感は全くと言っていいほど無いに等しい。教室内が賑やかでも僕の周りだけはそれとは程遠く、秘境の地の静謐な空間に迷い込んだみたいに違った空気が漂っている。
そのせいなのか、それとも元から誰一人として近寄ってこないからそうなったのかは定かじゃないけどさ。そのおかげで僕はいつも孤立していた。
まぁでも、相手を気遣う必要のない体育、くちゃくちゃ咀嚼音を垂れ流して相手に唾を飛ばしてご飯を食べなくてもいいし、先生の質問に答える必要もないし、休み時間は誰にも邪魔されずに一人の時間を思いっきり楽しんで羽を伸ばせる。
何にも気負う必要がなくて楽でいいんだ……うん。
そして今日もいつもと変わらない退屈で平穏な休み時間を持て余していたら、後ろから念仏みたいなものを唱える声が聞こえてきた。ふと後ろを振り返ると、ショートカットの女子が目を瞑り、両手を合わせて手を少しだけ上下に動かしながら、ぶつぶつと馴染みのない言葉を言い続けている。
今までは空気の様に扱われていた筈なのに、いつの間にかに死んでしまった事にされたみたいだ。ならなんだ?
僕は教室内に居座り続ける地縛霊かなんかなのか? に、してもだ。僕が何をしたっていうのか? ここまで不当な扱いを受けなきゃいけいほどの事を、クラスメイトの人にしたというのか?
いいやしてない。なにもしてない。あまりにも理不尽すぎて頭にきてしまった。
気が付いた時には、教室内の人たちが初めて僕の存在を認めるかの様に、大声を出した僕の方を凝視していた。異物を見るかのような不審な眼差しを、四方八方から投げつけられているが構わない。むしろ、少し嬉しかった。
僕という人間の存在を認知してくれている事に、恍惚感を覚え始めていた。気付いた時には、女子の姿は消えていたけど。
帰り道の駅で、反対のホームで見覚えのあるショートカットの女子の姿を見つけた。電車が来ると言うアナウンスが流れ始めてきているというのに、僕はむくむくと湧き上がってきた復讐の念を堪えることができなくて、抑える事の出来ない思いの侭に突っ走って、勢いで反対のホームまで駆けつけた。
そして同じように彼女の後ろに立って、念仏の様な物を耳元で唱えてやった。そしたら、驚きのあまり体制を崩してしまったのか膝下から崩れ落ちていく。
そして、甲高い音を響かせながらやってきてしまった電車。全てがスロー再生の様にゆっくりとした動きで流れて、僕の網膜に焼き付けられていく。目を見開き驚愕に満ちた表情が窓硝子に映り、それと目が合い脳裏に焼きつき離れない。
お構いなしに突っ切って行く、肉の塊を粉砕する為に存在したかの様な鉄の塊。全てが、全てが。あっという間に過ぎていった。
一瞬の事なのに、膨大な情報が一度に流れ込んできてしまって僕の許容量を軽く超えてしまった。何事もなかったかの様にホームに佇んでいる鉄の塊。それに吸い寄せられるように流れ込んでいく人混み。僕一人だけが、今体験していた出来事のせいで身動きが取れなくて佇んでいた。
そんな事も御構い無しに、アナウンスは電車が出発する事を告げている。その場から離れていく電車を見送った後、線路を覗き込んだけど、何一つ異状のない変哲も無い線路が見えるだけだった。僕は何を見せられていたと言うのだろうか。
ホーム周辺にも異状がないか隈なく探していたら、朝見つけた空き缶の一帯にいくつもの花が供えられていた。誰かを弔う為にあしらえたかのように。この状況から考察して見えて来た、それらしい一つの解答。彼女は何かに追い詰められて、電車に身を投げたという事だ。もしかしたら、僕にも起こり得る未来なのかも知れない。それを追体験するかのように、目撃してしまった人の死に様。
言葉は悪いけど、ああはなりたくはない。
一夜しか明けてないのに、昨日の出来事はいつか遠い昔の事に思えたけど、電車から降りて見えてきた缶の山と少し萎れてしまった花束が、記憶の蓋を開ける切っ掛けとなり現実感を伴ってやってきた。
僕はそこに向かい、用意してきた花束を名前も知らない誰かを弔うために供える。手を合わせて祈りを捧げながら、僕は小さな誓いを立てた。
慣れない事をしようとしているから、緊張で汗は大量に吹き出てくるし、まともに声を出してないから出そうとすると上擦ってしまう。けど、やると決めたんだ。
僕は意を決して、震える手で教室の扉を開き、少し上がってしまった声で大きく挨拶をした。
『お、おはよう!』
今まで僕の事を亡き者にしていたクラスメイトが、意表をつかれたように見つめてくる。返事はなかったけど、僕にしては頑張ったんだからよしとしよう。
十分すぎる位に前進したんだ僕にとってはね。