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長い沈黙がどれ程続いただろうか。
しばらく黙っていた隊長が「とにかく頭を上げるんだ」と言うので、しぶしぶ顔を上げた。
「ライゼン、お前の意思が硬いのはよく分かる。
だが隊を抜けたお前がどうやってあの子を食わして行くんだ?
その後の生活の目処は立っているのか?」
「俺が今まで働いて来て稼いだ金、ほとんど手を付けてない分がある」
「そうか、だがそれは数年で備蓄が尽きるだろう。
お前がウチに来て8年と考えても、数十年が限界だ。
国に住むならその国に支払う滞在費、国民になるならその届け出と後見人を探して身分を保証してもらう必要があるな。
それから住む場所を考えると家を買うにも借りるにも、まとまった金が必要になる」
「……それは」
「それに、今お前はファストの名を背負う者。
隊を抜けたとしてその名から逃げられるわけではないぞ」
「…………」
言われて気付く自分の甘さに反吐が出る。
ファスト、それは俺をあの村から遠ざけた元凶であるアルゼア公国貴族の名だった。
剣を極めた家と称される程優れた剣士を輩出する名家で、大陸にその名を轟かせている。
ファスト家は現在三人の娘が居て、内二人は国の騎士として職についているのだが当主であるあの男は男を欲しがっていた。
長男を、技術のある者を、自分の名を絶やさぬ為に。
そんな男の前に不安にも現れたのが俺だった。
親に金を握らせ、建前的には「留学」としていたが親権の一切を取り上げ、今ではファスト家長男として俺の名前が広がっている。
行く先々で勝手に父親面する当主や、めでたい頭で俺を褒め称える勘違い野郎ども。
そしてその名家の生まれだと勝手に勘違いをして影でこそこそと鬱陶しい雑魚ども。
その全てに苛立つが、否定して回るのも諦めていた。
そんな俺が今の中途半端な状態で、フィアラを守れるか否か?
もちろん答えは決まっている、ノーだ。
「気持ちが焦るのも、心がざわつくのも分かる。
だが、彼女を本当に守りたいと言うのならきちんと考えた方がいい」
「……チッ」
忌々しい現当主は現在国3つ分離れた場所にいて、次の監査までは2ヶ月半ある。
その間になんとか決別出来る方法があるのか?
「……それに関しては私も知恵を貸そう」
「……いいんすか」
「意外か?私はこれでもそれなりに部下思いの隊長なつもりなのだが」
おどけたようにそう言う隊長は「だがまず」と俺の顔を見て笑った。
「良かったな、会えて」
「……はい」
肩の力を抜いて、俺は隊長の言葉に頷くのだった。
残酷な事に、明日は変わる事なくやって来る。
日が昇って朝の開店時から、今日はとても賑やかだ。
昨日の今日で迷惑を掛ける訳には行かないので、私は先輩より早起きしてフロアの清掃を終わらせた。
それに苦笑した先輩に「迷惑になんて思ってないから!」とちょっと怒られたけれど、私は自分の中で溜まっていた事を整理出来て少しだけホッとする。
お昼時の一番忙しい時間帯に、またベルがなって案内しようと駆け出すと、昨日と同じ三人の男の人が居て私はぎゅっと伝票を掴んだ。
「いらっしゃいませ!三名様ですね、お席にご案内します!」
昨日と同じテーブルに案内すると、一人の男の人が「こんにちは」と笑顔だ。
「オレ、レアン!ライゼンと同じ隊!」
「あ、フィアラです、こんにちは」
いきなりの自己紹介に思わず返していると、隣に座っていた男の人もが頭を下げた。
「ライゼンの居る隊の隊長をしている、ガーゼインと言う。
ライゼンから話しは聞いているよ」
「初めまして」
「厳密には昨日ぶり?って言ってもあの後ライゼン帰って来なかったし、オレは隊長と先帰ったから自己紹介してる暇無かったからさ!
フィアラちゃんはライゼンの幼馴染なんだよな、こいつ昔からこんな口悪いの?」
「おいレアン、先メシ頼めや」
「あ、そーだった。隊長なんにしますー?」
ライくんの言葉に頷いたレアンさんは、メニューを見ながら首を傾げた。
さすがライくんだなと思いながらも、そんなに口が悪いかな?と私は注文を聞きながら不思議に思った。
「……もしかしてさあ、ライゼンってば。
本命には優しいタイプ?」
「何がだよ」
「だあって、いつも近付いてくる女の子達には「来んな!」とか「失せろ!」とか言ってんじゃん?
でもフィアラちゃんには優しいってか、もう目線からさイテテテテテ」
「学習するんだな、レアン」
そう言って笑う隊長は、さすがにからかったりなんて大人気ない事はしない。
出された水を飲みながら「だが確かに」と続けるので聞く姿勢を示す。
「騎士、……いや、いち剣士として、いつもの暴言は私も気になっていたところだ。
日頃のお前は誰にでも口調が荒く、自分に対しても厳しいと感じている。
そんなお前が彼女に対してだけは違う」
「へぇ、やっぱりそうなんだ」
「けどまあ、それをからかう程子供ではないがな」
「隊長ひでえ」
「てめえがガキなんだろうが」
「私からすれば二人ともガキだな」
そう言われると返せる言葉も無く、俺は押し黙った。
「昼からの合同訓練だが、ライゼンとレアンには20人を連れて近隣の森へ遠征に出てもらおうと思っている」
「え、普通に明日まで掛かりますよね」
「そうだな」
「昨日の今日でそりゃちょっと……誰か他の奴に頼めないんすか?」
「レアン、良いから最後まで聞け」
「う…、おう」
俺の言葉に頷いて、隊長はなおも続けた。
「遠征って言ってもこの付近の警護隊と合流するだけだよ、夜の内に終わる。
それにこの国の領土は広く、今回俺達が担当するのは市街地に近い場所ばかり。
俺やリュートはたまに城の方へ行く事もあるが、お前達はまだそれは無いだろう」
「お!だってよ、良かったなライゼン!」
「……おぉ」
あからさまに気を遣われたかと思ったが、付け足しの様に言われたその言葉に「元々当初の予定通りだ」とでも言いたげな表情。
それに少しだけ素直に「あざす」と声に出して礼を言うと「明日嵐来るんじゃねえ!?」とレアンが短い悲鳴をあげるので思いっきり足先を踏んづけた。
「お待たせしましたァ」
「あれ、フィアラちゃんじゃない」
「すみませんねぇ、ウチの看板娘なら他のお客様に接客中でして。
私でご勘弁下さいな」
昨日の店員だと気付いき目線が合うとあからさまに表情を苦いものに変えた。
「ウチの看板娘泣かせたらタダじゃ済まないからね、覚えておきなさいよ」
「うわこわっ」
「……っす」
「はあ?聞こえないんですが、小鳥ちゃんですか?」
「わ、分かった」
圧がすごいので思わず答えると「分かってるなら良いわよ」とフィアラの方を向いて「あ!」と短く叫んだ。
「あのお客様また来やがったのね」
「いや店員としてその発言大丈夫なの?」
レアンの言葉に「セクハラ野郎に人権は無いわよ」と返して歩き出そうとするので俺も立ち上がりその席へと向かった。
「ねえねえフィアラちゃ〜ん、彼氏居ないんでしょ?
それなら今日こそ俺とお茶しようよ〜」
「大丈夫です、お気になさらず。
私お仕事がありますので」
「そんなのあっちの店員さんに任せておけば良いじゃ〜ん」
視線や言葉だけなら断れるけれど、あまりにもしつこくて困った。
フロアには人が溢れているし、何よりお客様に「帰って下さい」なんて言えるわけもなく、私はただ断りながら離れようとするが「これも追加〜」と注文を繰り返す。
「ちょっとこっち座って、お話しだけでもさあ」
「……お客様」
「あん?」
私の手を取ろうとしたその手を、誰かが掴んで止めた。
そのまま声の主を見ると、私の視線に気付いたのか睨まれた。
「すみませんが、コイツは俺のなので」
「は?」
「おいフィアラ、惚けてんじゃねえよ。
仕事あるんだろ」
「え……あ、うん!ありがとう、ライくん!」
背を押されて駆け出すと、後ろでは何やら言い合いになっている。
「いやいやフィアラちゃん彼氏居ないって言ってたじゃん!
なにこれ裏切られた!?店員さんに嘘つかれたわー、信じられない!」
「昨日までは確かに居なかったよ、今日から変わったんだ、男なら潔く諦めろや」
「んなわけ行くかよ!こっちはずっと通いまくってやっと名前覚えてもらったんだからな!?」
「残念だったな、俺は10年ぶりだったが覚えられてたぞ」
「なっんだその自慢は!」
「とにかくフィアラは俺の女だ、二度と近付くなよ」
俺のその言葉に気圧された男は、そのまま店を走って出て行った。
「ちょっ、お勘定ー!!」
「いい、俺が出す。すまん、少し暴れた」
「え!?」
「隊長、俺先帰ってるんで、じゃ」
「は!?おいライゼン!?」
声が聞こえたがスルーして外に向かった。
隊長がなんとかするだろうと勝手に決め付けると、俺はさっきの男が向かったであろう方向へと歩き出した。