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三分噺

作者: 林すくも


三分噺       林すくも


さて、今日は三分噺という出し物ですが、これは時は江戸、長屋の隠居を熊さんが訪ねるところから始まります。


熊  ご隠居さん、ご隠居さん。

隠居 何の用だい、熊さん。また、お醤油を借りにきたのかね。それともお馬の稽古が嫌になったのかい。

熊  ご隠居さんその言い方はないですよ、せっかく一緒に食べようと買ってきたのに。


そういって、熊さんが袋から出したのは今年40周年のチキンラーメン。


隠居 チキンラーメンだね、珍しい。私も若い時分はお世話になったものだよ。浪人時代も、独身時代も、自分が一人であることを痛いほどに思い起こさせてくれるこれを。

熊  40周年だそうですよ。ご隠居が学生の時はもっと前でしょうに。

隠居 時代考証の事はいいっこなしだよ、熊さん。NHKのドラマじゃ無いんだから。

熊  悪事を働いているのがなぜかいつも越後屋というのが腑に落ちませんね。新潟出身としては。

隠居 新潟出身とは知らなかったよ、熊さん。でも脱藩は重罪だよ。

熊  変なことだけ細かいんだから、まあ、食べましょう。ご馳走しますよ。


そういいながら、お湯を沸かしてどんぶりを持ってきます。


熊  すいませんご隠居さん、卵を一つ頂けませんか。

隠居 おや、熊さんはチキンラーメンに卵を入れるのかい。

熊  チキンラーメンといえば卵。卵といえばチキンラーメンですよ。本当は冷凍のコーンを入れたいところですが、お湯が冷えてしまいます。では、鍋で煮ればいいという人もいますが、チキンラーメンは鍋で煮ず、丼にお湯を注いで、雑誌をのせる、これです。あの少し硬いところがいいんですよ。あれに人生のほろ苦さを感じますね、チキンラーメンのことを語らせたら止まりませんよ、僕は。

隠居 いやいやそんな事よりももっと大切な事がある。チキンラーメンをおいしくたべる方法が。

熊  蓋にのせた雑誌がふやけるのもまたいいですね。なぜか読みたくなるんですよ。あれが。

隠居 熊さんもどこかでそれを分かっているから、ここにきたんじゃろうて。

熊  チキンラーメンをおいしくたべる方法ですか、ほっとけませんね。

隠居 ではラーメンができるまで、一つ昔話でもしてやろうかねえ。


そして丼に蓋をして、ご隠居はゆっくりと話しだします。


隠居 昔、椿屋という呉服屋があった。椿屋は男の子に恵まれず、ただ一人お妙という賢く、器量の良い娘がいるばかりだった。お妙には将来を誓った若者がいたが、彼はしがない風呂屋の三男坊。両親が許すはずもなかった。

熊  何なんですかそれは。この会場に風呂屋の三男坊がいたら怒りますよ。どうして風呂屋がしがないんですか。そんな事をいうから銭湯の数が減るんです。私にとって風呂屋は必要不可欠です。そして、私は壁の富士山と帰り道の湯上がりに夜風の涼しさが大好きなのです。

隠居 まあまあ、私も人から聞いた話だし、昔の話だし。「内容に関しては現在の人権思想とは相いれない表現もございますが、作者の表現しているテーマの普遍性を尊重して」というやつだよ。

熊  大体、男の子に恵まれずってのはどういう事ですか。賢く、器量がよい。これ以上のことはないですよ。あっしは男で、しかも就職浪人だ。こっちが泣きたいよ。

隠居 そう泣かないで、熊さん。事後立法の禁止といってだね、その時に合法であった事を現在の法律で裁いてはいけないんだよ。熊さん、人間は社会的に拘束された行動をとらざるを得ないんだよ。

熊  分かりました、ご隠居。ラーメンが伸びるといけませんから、手短にお願いします。

隠居 そんな事はつゆ知らないご両親。お妙のために相応の縁談をまとめてくる。かつての勢いはなくなったとはいえ、腐っても旗本範之信。婿入りの了解もきちんと取った。とそこへ思わぬ横やりが入る。通学途中のお妙の姿を一目見た越後屋本舗の道楽息子、それがもう外車は乗り回すわ、インターネットもバリバリ…

熊  ご隠居、お妙は学生だったんですか。

隠居 7時53分品川行きの2両目にあの人はいつも乗っていた。青い表紙の外国の詩集を静かに読んで。ああ、あれはきっと新潮文庫だ。しおりが紐になっているから。そしてあの人が田中雅人を読んでいるのを見たとき、僕はあの人に話しかける決心をした。

「田中雅人がお好きなんですか。気があいそうですね。『海に降る雨』はお読みになりましたか。宜しかったら今度お貸ししましょう」

あの人は頬を赤らめ静かにほほ笑んだ。そして、(これが不思議なことだが)次の日も、その次の日もあの人は電車に乗ってこないのだ。

熊  何ですか、これは。「オリンポスの果実」ですか。それともご隠居の実体験ですか。

隠居 いや、いや、わしも学生のときは、片想いの人にたまたま二日続けて会うと、わざとそうしているのではと思われるのが嫌で、次の日は大学を休んだものじゃ。

熊  そこまで自意識過剰にならなくても。

隠居 相手が自意識過剰である以上、こちらも自意識過剰で対応する、これが恋の基本。他人が自分と同じ感情を持っていると思うこと、あるいはそれを期待することが恋なのだから。

熊  …椿屋のお妙の結婚話はどうなったんですか。ラーメンが伸びます。

隠居 まあ、その三人を前にしてお妙はいったさ、三人のうちで一番おいしいチキンラーメンを作った人と私は一緒になりますと。

 そして次の日、お妙の前に三人の若者が丼を持って現れた。


隠居 越後屋の道楽息子が蓋を取って言った。

(道楽)お妙さん。御覧下さい、この歯応えシコシコのノンフライ麺。そしてかやくは素材の新鮮さを保ったまま長期保存を可能とする、フリーズドライ製法。そして自慢の生醤油スープ。おいしさアップで値段は下げる。インスタントラーメン、ここに極まれりです。

隠居 お妙はいったさ。

(お妙)越後屋さん、これはチキンラーメンではございませんね。

(道楽)お目が高い。これこそが南蛮より取れ寄せし、ラ王。

(お妙)私はおいしいチキンラーメンと申したはずです。チキンラーメンをお作りできないのならば、お帰り願います。

(道楽)しかしながら、チキンラーメンよりラ王の方がおいしゅうございます。

(お妙)私はそうは思いませぬ。そして今の言葉は貴公がここにいる二人よりもおいしいチキンラーメンを作る自信のない証。

(道楽)なるほど、さすが私が見初めただけのことはあります。

   そして越後屋は席を立つ。


熊  越後屋にしては上出来です。そして越後屋はいつも変わらず相手を立てる。野球で例えるならば春先に強い横浜。星に例えるならば北極星。初めに蓋を取った時点で、そうではないかと思いました。けれどもこの人たちがあってこそ、お話が盛り上がるというものです。


隠居 ご両親推薦の若者は蓋を取り言った。

(推薦)この範之信、余計なことは申しますまい。ただ食して下さいというばかり。

隠居 さすがはご両親がこの人と選んだ若者。硬すぎず柔らかすぎずの麺の上にはあの、誰もが成し得ないといわれていた目玉焼きの形をした卵。味はといえば、チキンスープに縮れ麺。雑念や作為の全く入らない、チキンラーメンのお手本のようなチキンラーメン卵入り。椎名誠もびっくり。

熊  でも、おいしいかどうかを決めるのはお妙なのですから、おいしくない、とさえ言えば、お妙は望む若者と結婚できるのでしょう。見掛けによらず策士ですね、この人は。

隠居 そこがチキンラーメン食いの誇り。チキンラーメンに嘘はつかない。お妙はいったさ。目に涙、丼は空。

(お妙)今まで食べた、どんなチキンラーメンよりもおいしゅうございます、

   と。鳴呼、三男坊の運命やいかに。


隠居 しかし、風呂屋の三男坊にはとっておきの秘密があった。それは人の想い、人の温もり。

熊  もしや…風呂屋だけに、「だし」ですか。

隠居 いやいや、違う。それは「愛」じゃ。まあ聞きなさい。


   風呂屋の三男坊の作ったチキンラーメンは決して、出来の悪いものではなかった。只、先程の範之信のものと比べるとどうしても見劣りがする。そしてそれこそがまさに、勝負の眼目。勝敗は決まったかに見えた。

(風呂)お妙様。このチキンラーメンはまだ、完成しておりませぬ。


   そして、懐からもう一つ丼を出して、チキンラーメンを半分に分ける。

(風呂)お妙様は既に一杯のチキンラーメンを食された故に、おなかがいっぱいかと思いました。それに一緒に食べることこそが、おいしさの秘密。

隠居 その人のためを考える。大好きな人と一緒に美味しいものを食べたいと思う。それが愛。人のつくってくれたラーメンはおいしい、そして人と一緒に食べるラーメンはもっとおいしい。

   これがチキンラーメンのおいしさの秘密。範之信は静かに席を立ち。両親もこの人ならばと膝を打ち。

   熊さんや、そなたの気持ちしかと受け取ったぞよ。

熊  いや、あっしはただ、ご隠居に卵をもらおうかと。…あっラーメンが出来上がりますよ。


と、二人が蓋を取ると、そこには少々麺の伸びたチキンラーメン。


隠居 すっかり話し込んでしまって、ラーメンが伸びてしまったねえ。

熊  ご隠居、落ちは私に任せて下さい。大学時代の落語研究会は伊達ではありません。

隠居 どれどれ、いってごらん。

熊  お話もラーメンも伸びては頂けませんね。

隠居 いやいや、少し伸びるとホントの味が出る。



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