Should die but never die
【警告】本編に登場する武器等に関しては誇張表現が含まれます。実際に使用した場合、使用者及び他者の生命、健康、財産等に著しい損害をもたらす恐れがあります。
また、これらを製造、所有及び使用した場合、刑法犯として処罰される可能性があります。絶対に真似しないでください。
以上の警告を無視した場合に発生するあらゆる損害については、その責任を負いかねますのでご了承ください。
コーポムラヤマ。ボロボロに劣化したブロック塀に、無数にひびの入ったアスファルトの床と錆だらけの外階段という、少なくともファッション性やら居住性やらを住居に求める人間は最初からターゲットにしていない事が一目でわかるこのアパートの二階の一番奥、201号室が俺の家だ。
表札には北面と書かれているが、会う度に違う男といる母親はほとんど帰らず、実際に住んでいるのは俺一人だ。ただ、貴重な生活費であった俺のバイトの給料が知らないうちに消えることが何度かあったため、ここを自分の家だとは思ってはいるようだが。
正直な所、昔はともかく、俺が中学生の時に離婚して以降、あの母親から母親らしいことをされた記憶がない。何で離婚するときに俺を連れてきたのかすらよく分からない。
実際、高校卒業までの学費はそれまで家庭を顧みなかったのが嘘のように離婚した父親が真面目にも払ってくれていたし、去年の今頃から途絶えがちになったもともと大した額ではない慰謝料で食いつないできたが、その時も今も母親が何か定職についている様子も、特に収入がある様子もない。
錆びた階段をカンカンと鳴らしながら駆け上がり、一番奥のドアに手をかけると、朝出て行った時のまま鍵はかかっている。
中へ滑り込むと大きなため息とともに、その場に座り込みそうになった。
「ふう。これでまずは一安心だな」
戒が俺の心を代弁するように呟く。
元々狭いこの玄関に二人立っていれば、それこそ片方は土足で家に上がりこまなければならない。
「よし、すぐ準備してくる。ちょっと待ってくれ」
その場に座り込んだらもう動きたくなくなるような気がして戒に告げ、俺は奥の和室の一角を占拠している衣装ケースを開き、中に入っている『相棒たち』を引っ張り出す。
もう二度と使う事は無いと思っていたそれらと再会した時、俺は自分の口元が醜く歪むのに気付いた。
そこには凧糸、キーホルダー、インクの無い万年筆、何粒かのパチンコ玉とそれを入れている軍足、安全靴、古いスポーツ新聞、板状のバックルが付いたベルト、その他諸々が入っている。
久しぶりに開けた俺の武器庫。そんなに昔でもないのに妙に懐かしさを覚える。俺の数少ない平凡ではない点。
簡単に言うと、俺はグレていた。
もう少し正確に言うと、ちょっと一般的に言うグレている奴とは違う方向にグレていた。
中学二年生の夏ぐらいからグレ出したが、その頃は本当に不良の典型だった。襟足を伸ばして下手糞な金髪に染め、教師に反抗しては理由もなく学校をさぼり、「だりい」と「うぜえ」が口癖で、挨拶の様に「ぶっ殺す」と喚き、たまに気晴らしに喧嘩とも呼べないような小競り合いをしては大げさに騒ぐ。
転機が訪れたのは、中学三年生の秋頃だった。
夏休みが終わり登校してきた俺が校則通りの髪型に戻し、その後の授業もサボることなくきちんと受け、教師に対しても反抗的な態度を取らなくなった事に、担任は喜びながらも驚いていた。
「先生。やっぱ俺、このままじゃ駄目だなって思ったんです」
担任にはそう言ったが、これは嘘ではない。
このままでは駄目だ。喧嘩をするなら、もっと狡猾にやらなくては。
事件があったのは夏休みの終わり頃、ある別の不良が大人しそうな高校生をカツアゲしようとした時だった。
相手は二歳年上の高校生だったが、真面目で大人しそうな外見からそいつは居丈高になって絡んでいた。
相手は何とか事を荒立てまいとしていたが、それがそいつを増長させた。相手の超えてはならぬ一線を越えてしまったのだ。
そいつは、高校生の顔に手を出した。値踏みするようにパチンとはたいた。
次の瞬間、大人しい高校生が目にもとまらぬ速さでそいつを投げ飛ばした。
投げられたそいつは何が起きたのか分からないまま地面に叩きつけられ、そのままぐったり動かなくなった。
相手が推薦入学した柔道部のエースで、県大会連覇を成し遂げた人物であることをそいつは知らなかった。
その時の俺は喧嘩が好きだった。正確に言えば勝つ喧嘩が。
そしてこの時理解した。この世にはまっとうに喧嘩を売ってはいけない相手がそこらじゅうにいると。
だからこの経験から、自分のやり方を変えた。つまり、いかにも喧嘩しますな風貌ではなく、大人しく真面目そうな姿で、カモにしようと寄ってきた相手に不意打ちを食らわす方法に。
これは成功した。
やり方は簡単だ。ただ校則通りの格好をして、落ち着かない様子でたまり場に行けばいい。それだけで面白いように釣れた。
自分の方が圧倒的に強いと思っている同類が余裕綽々で絡んできては、先程の持ち歩くだけでは何の罪にも問われない武器に打ちのめされていく。
その快感を知って以降、回数を重ねるごとに俺はこのやり方、大げさに言えば暗器術にのめり込んでいった。
格闘技経験を自慢する者、喧嘩最強を名乗る者、暴走族のナントカ先輩やらナントカ組のナントカさんやらの怪しいコネを披露する者、ナイフや警棒をこれ見よがしに見せびらかす者、その殆どが見事なまでの嘘つきにして見かけ倒しだったが、俺にとってはそれで良かった。偉そうな言い方をすれば、俺は対等な勝負を楽しんでいるんじゃない。一方的な狩りを楽しんでいた。
獲物を騙し、引っかける瞬間はとんでもない快感だった。そしてその快感の為に、学校では役作りの一環として真面目な生徒を演じ続けた。
非常に幸運なことに生徒の前で過激な実験をする化学教師など個性の強い担任の影響もあり、授業はそこまで退屈でもなかった。
そのおかげで、中学の時は学年で下から十位以内だった成績も、中盤ぐらいになった。思わぬ副産物(?)だ。
役に没入すればするほど、その後の狩りが面白く、また簡単になった。
なんでそれを止めたのか、足元に転がっている昨夜放り出した『又右衛門始末帖』に目が行く。
高校時代、俺には河合君という唯一の友達がいた。俺を北面君と呼んだ数少ない例外だ。
河合君は一言で言えば金持ちのボンボンだったが、それを感じさせず大人しく控えめで、いつも物静かだった。もっとはっきり言うと根暗だった。
学校では真面目な生徒のふりをしていた俺は、いつの間にかファッション根暗だったのだが、本物の根暗だった河合君と親しくなった。
意外だったのは、根暗な河合君が実は想像していた以上に付き合いやすい奴だったという事だ。俺は彼との親交をそれまでの日課と同じぐらい楽しんでいた。
三年生の秋頃、俺は日課のために出かけ、そこで不良共にカツアゲされている河合君を見つけた。
相手は見たところ中学生二人組。高校生の河合君を完全に舐めている。
助けようかと思った時、心の声が聞こえた。
(面が割れるぞ)
もし今彼を助けにいけば、俺は生徒手帳を取られてからかわれている河合君と同じ学校の生徒であるとばれる。多分河合君は俺の名を呼ぶだろうから。
そうするとその後かなりやりにくくなる。何がと言えば勿論日課が。
正体を明かさず、報復やそのための身元特定を避けてきたのが水の泡だ。
見て見ぬ振りすれば、これまで通り続けられる。
だがそれでいいのか?河合君はそんな事で見捨てられる相手か?
暫しの葛藤の末、出した答えはイエスだった。
河合君は良い奴だった。いや、その後も変わらずいい奴だ。
でも俺の日課は、もう止められない。
河合君との付き合いが楽しいのと同じかそれよりも、日課は楽しかった。
罪の意識なんて押し潰されるほどあった。だが罪の意識が欲求より常に強ければ、覚せい剤なんて取り締まる必要がない。
結局俺はその日河合君を見捨て、そんな事が無かったかのように翌日からも彼の友達を演じ続けた。
その後、河合君はその中学生の先輩達にとって『魔法の財布』になっていた。
それが続いた卒業前、彼は手首を切った。
幸い命に別状はなかったし、彼は深く後悔して全てを両親に話し、二度としないと誓った。
一番後悔したのは、そしてそうしなければいけなかったのは、そしてそれが全然し足りないのは俺だった。我が身かわいさで俺を信じてくれた友人を見捨てていた俺だった。
卒業と同時に遠くの大学に進学した彼に、俺はもう何も言う機会を失った。
それがきっと俺の罰だ。
その事件がきっかけで、俺はこの馬鹿げた日課を止めた――筈だった。
「いや、まだだ」
戒にも聞こえないような小声で俺は呟く。
俺は反省していない。
そうでなければこんな風に武器を保存していない。そうでなければこいつらを見つけた時に笑ったりなんてしない。
そうでなければ、こんなに嬉しい気持ちにならない。
またやれる。またやれるんだ。平凡な日常は昨日までで終わり、もう一度あの興奮を得られる。
考えてみれば、今の状況というのは、相手に優位に立たせてから反撃というのは、まさに俺が得意とした状況じゃないか。
中二病が奮い立つ。もうただの高卒フリーターじゃない。俺は狩人だ。獲物は罠にかかった。奴らを狩る。
「どうした兵衛?気味悪い顔をして」
にやけている俺を見て怪訝そうに戒が尋ねる。
「いや、何でもない。ただの思い出し笑いだ」
嘘だ。
本当は自嘲の笑い。どうしようもない屑野郎を見た時の蔑みの笑い。そして喜びの笑い。
「まあいいが、それで?これが武器なのか?」
「まあな」
理解できないという風に戒は首をかしげる。まあ、これを武器だと言って納得されてしまっては暗器として不合格だ。
記憶を頼りにそれぞれの暗器をそれぞれの場所に装備していく。
それと合わせてベルトを外し、奥で丸まっていた安い革ベルトに付け替える。当然、このベルトが特に気に入っているとかそういう訳ではない。板状のバックルがみそだ。
「これで最後か」
「新聞紙なんて何に使うんだ?」
古いスポーツ新聞を取り出した俺に、戒はいよいよ分からないといった様子だ。
俺は少し得意になって何も答えずに新聞を広げ、端の方からくるくると丸める。
「おい、真面目にやれ。子供のチャンバラじゃないんだぞ!」
「まあ見てな」
丸めた新聞紙を幾重にも折り、手の中からその折り目が半分ぐらいはみ出る大きさにまとめる。これで完成だ。
「おい兵衛!遊んでる場合か!」
「ちょっとつまんで潰してみろ」
いい加減にしろとばかりに肩を怒らせる戒に先っぽを突きつけてみる。
戒は言われるままにその先端をつまみ、そのまま指先で潰そうとするが、その反応からして想像していたのと違う感触だったようだ。
「……硬いな」
「だろう。こいつはミルウォール・ブリックと言って、イギリスの喧嘩道具だ。新聞紙で簡単に作れる上に殴られるとものすごく痛い。興奮状態の暴徒ですら、これで殴られると怯んで逃げ出すぐらいだ」
勿論、超人的身体能力を持った付喪憑きならば、その打撃の威力も馬鹿にならないだろう。
手で持つ方はこれで完成だ。
最後に安全靴を玄関まで持っていく。『又右衛門始末帖』を踏み越えて。
義兄弟の壮絶な敵討ちに一肌脱いで強敵に立ち向かう荒木又右衛門。俺のヒーロー。
友人を自身の楽しみのために見捨ててリストカットまで追い詰めた俺。屑野郎。
(ごめんな。河合君)
心の中で彼に詫びる。何に詫びたのか?俺自身よく分からない。
彼を裏切った事?その反省として封印した武器を使う事?友人を裏切っておいて人外と自分自身のためには必死になる勝手さ?武器を取った事に感じた喜び?
多分、その全てに。
(本当に、ごめんな)
もう一度謝る。
俺は屑野郎。ヒーローにはなれない。良い友人にもなれない。そんな屑野郎が君の友達だなんて思って生きてきて、ごめんな。
君のせいにして忘れたふりをして、それすらも半端な屑でごめんな。
あの日ヒーローを諦めた。
あの日良い奴も諦めた。
そして今日、人間でいる事すらやめた。
過去には戻れない。落ちたら這い上がれない。罪滅ぼしなんか永遠にできない。
出来ることは一つ、同じ失敗は繰り返さない。
もう二度と仲間を見捨てない。
そのために例えどんな手段を使っても、たとえその手段で自分の最悪な一面を見ても、そんな手段がたまらなく好きで、そんな自分が嫌いになっても。
ここは、ここだけは、譲らない。
鏡に映った俺は、ぎらついた笑顔を浮かべていた。
「待たせたな」
「よく分からんが、それが武器なのか?その靴も?」
頷きながら安全靴に足を通す。工事現場等で使用することを想定したこの靴は落下物や重量物の下敷きになっても怪我をしないようにつま先に金属が入っていて、当然ながら非常に硬い。
足の力は腕の三倍はあると聞くが、これで思い切り蹴られればただでは済まない。
詳しくない者が見てもその正体と目的を悟られないため、あえて普通の運動靴の様なデザインのものを選んでいる。暗くなっているこの時間なら、まずわからない筈だ。
「荒覇吐には負けるが、これが俺の用意できる武器だ」
「まあいい。兵衛を信じよう。それじゃそろそろ――」
言いかけて戒は口を閉じた。
どうかしたのかと尋ねかけて俺も黙る。
ついでに二人とも動きを止め、外に耳を澄ませる。
「どこに行ったあいつら!」
「街中に逃げ込むとはな、小癪な真似を」
何とも好都合だが、声が聞こえてきた。
「……よし、私があの大男。兵衛が付喪憑きでいいか?」
「任せとけ」
動きを止めたまま小声でそれだけ交わす。作戦は決まりだ。
「本当に大丈夫か?危なくなったらすぐに――」
「この装備で負けたことは無いんだ。安心してくれ」
心配は有難いが、負ける気はしない。毎日これでほっつき歩いていた頃、ああいう脳筋タイプは一番得意とした相手だった。
扉を少しだけあけて、駐車場越しに前の道路の様子を窺う。
「来たぞ」
振り返らず戒に告げる。
「よし、行こう」
背中で立ち上がる音がする。
俺達は飛び出し、今まさに駐車場に差し掛かろうとする二人組に突進した。
「来たか!」
「へっ!手前らから出てくるとは都合が良いぜ!」
啖呵で俺達を迎えつつ、脳筋が俺の方へ突進してくる。急停止。
「そっちは任せたぜ春海!」
脳筋も止まると相方の方を振り返らずに叫ぶ。
「戒、頼むぞ」
「「応!」」
お互いの相方が同時に答え、それぞれ抜刀し、棒を構える。どうやら相手も付喪は付喪同士と考えていたようだ。
そしてその瞬間から、ピクリとも動かなくなった。
戒は中段、大男はそれが棒術の下段なのだろうか、棒の先端を自身の膝ぐらいの高さまで降ろしている。
当然ではあるが、俺は真剣の斬りあいなど初めて目にするし、そもそも刀をどう扱うかなど分からない。精々、高校の授業でほんの少しだけ剣道をやった程度でしかない。
だがその俺でも、二人が何故動かないのかは分かった。お互いに隙がないのだ。
昔読んだ爺さんの蔵書を記憶から引っ張り出す。それによれば、確か下段は防御の構えであり、攻撃に転じるには不向きだったはずだ。という事は、大男は防御に徹しているという事になる。
ごくり、と喉が音を立てる。それ以外の音がこの世から消滅したかのように俺の中に響き渡る。
次の瞬間、あくまでそんなものを感じ取る能力が俺にあるという前提でだが、空気が変わった。それまでじりじりと保たれていた緊張が、突然破裂した。とでも言えばいいのだろうか。
「いやっ!」
大男が低く気勢を上げ、大きく踏み込むと上がっていた右腕を下げ、梃子の原理で跳ね上がった棒の先端が、戒の喉がさっきまであった場所を貫いた。
戒は一歩下がるだけ。
躱されるや否や、大男が元の位置まで跳び下がる。
大男が跳び下がる時、荒覇吐がピクリと震えた気がしたが、それを確かめるよりもはるかに速く二人の動きは展開している。
跳び下がった大男が今度は中段に取ると、それに合わせて戒も半歩程前に出つつ中段に構える。
そして、また睨みあい。再び緊張が満ちていく。
「おおぉ……」
俺は思わず声を出していた。内容は血なまぐさい筈なのに、どこか目を離せない美しさがある。これが真剣勝負というものなのか。
「よそ見してんじゃねえ!」
苛立った声で我に返った。
目の前の奴を相手にしなければいけないのだが、それは分かっていたのだが、どうしてもあちらに見入ってしまった。
その間隙だらけだった筈だがこいつはそこまで律儀に待っていたのか、或いは俺と同じく……、試すか。
「何だ。律儀に待っていてくれたのか?襲ってくれても良かったんだぞ?」
嘘だ。助かった。
「ひょっとしてお前、相方の戦いに見とれてたのか?見るのは初めてか」
「うるせえ!手前に話す必要はねえ!」
図星だ。こいつ恐らく付喪憑きになってから日が浅い。
こいつは俺の質問に答えなかった。だがこういう脳筋タイプの示す特に何でもない問いに対しての激昂は、質問の内容に怒っているのでは勿論なく、ただ図星を突かれたという事の焦りを反射的に隠そうとしているという事だ。
つまり、付喪憑きになってから日が浅いという申告に等しい。
なら、勝てる。
付喪憑きになったばかりの俺としては、この体がどんなものなのかよく知る必要があるが、その前にそれを知り尽くした相手と当った場合、どうしたって不利だ。
だが相手も似たような経歴であれば、残っているのは人間時代の経験だけ。それなら、俺だって初めてではない。
ズボンの右ポケットに手を入れる。目当ての物を掴んでこちらも構える。
(つづく)
ようやく逃げ回りが終わりました。
次話は8/6(土)までには投稿する予定です。