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付喪憑く者  作者: 九木圭人
第一章
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追跡する者、させる者

 魂を食う。さっきみたいに。魂を抜かれた人間がどうなるのかはさっき聞かされたが、それを俺がやる。

 「今のお前は付喪憑き(仮)みたいなものだ。魂を食らって安定化しないと体が魂を受け付けなくなる。そうなれば待っているのは飢え死にだけだ。早いところ魂を狩らねばな」

 

 飢え死に。そう聞いて覚悟を決める。

 これまで貧しい生活をしてきた。腹の減る苦しみは人並み以上に知っているつもりだ。

 付喪憑きは最早人間ではない。それはつまり戒がやったように人を襲って魂を食らう必要があるという事だ。

 そうしなければ生きられないという事だ。

 死ぬか生きるか。ならば生きる。


 覚悟を決めながらも同時に、自分が案外常識的であることも知った。

 先程話を聞いた時には理解していたつもりだったし、その覚悟もしたつもりだった。

 成程、進歩派とやらが『悪い人間を襲う』と考えるのも今ならわかる。

 必ず死ぬ訳ではない、自殺については責任がないと頭で考えても、何か理由をつけなければ人の魂を食うなどという事は出来る筈もない。


 「なあ、今回だけ、今回だけでいい。一つ願いを聞いてくれないか」

 言いながら、聞いてもらえるかは難しいところだと思った。

 戒は人を襲うのに身勝手な理由をつける進歩派を嫌っていた。その理由はなんとなく分かるし、理屈の上ではそれが正しいとも思う。例えば食肉業者も正義の豚と悪い豚を分けて殺している訳ではない。それと同じだ。


 だが、それを躊躇なく実行に移せるかと言えばそれはまた別の話だ。何しろ相手は人間なのだから。


 「皆まで言うな。襲う目標は兵衛が好きに選んだらいいさ」

 だからそう言って戒が笑った時、俺は申し訳なさで一杯になった。

 そして同時にまた、その穏やかな目に心底救われた。


 「すまない」

 「気にするな。あんなことを言っておいてあれだが、私だって兵衛の立場なら同じ気持ちになるだろうしな。それに、どの道あいつらを迎え撃つつもりだったんだ。一度に済ませられれば手間が省ける」

 そこまでお見通しだったとは恐れ入る。

 この優しい相棒に俺は早速借りができてしまった。


 「そうと決まれば早速準備しないとな」

 俺は自分に勢いをつけるようにそう言った。

 「何かあるのか?」

 戒が小首をかしげる。

 「一度家に戻る。そんで、武器を用意するのさ」

 そう。俺には武器がある。こういう場合に一番頼れる武器が。本来ならもう使う事は無いはずだったが。

 

 ただ一つ問題があるとすれば、家に戻る途中であいつらに発見されることだろう。その可能性がかなり高い上に、仮にうまく撒いたとして今度はこちらが武器を揃えてから遭遇しなければならない。

 「それは頼もしいが、家までどれくらいある?」

 「電車で一駅なんだがな」

 流石に電車を使う訳にはいかない。

 駅で待っている間が危険すぎる上に車内で遭遇すれば逃げ場はない。

 「では行くとすれば徒歩か」

 「そうなるな」

 行きはそれでいいとして、問題はその後だ。

 「だが家に戻ったとして、その後あいつらを見つけられず時間切れでは困るんだよな」

 またまた沈黙。

 

 やがて戒が一つの考えにたどり着いたようだった。

 「いっそのことあいつらと一緒に戻るというのは?」

 「はあ?何だそりゃ」

 奇抜すぎる手を提案してきた。

 訳が分からないと聞き返す俺に、戒は少し得意げに説明を始める。きっと戦国時代の武将たちも奇抜な手を思いついたときはこんな表情になったのだろう。

 「あいつらは私達を人混みでは襲えない。連中の大義名分からして私達が人質を取って『こいつを食う』と言えばそれを無視できないし、何より人の集まる場所で騒ぎを起こせば厄介だからな」

 そういう事か。

 「つまり、人混みの中を通って家まで戻ると?」

 「そうだ。連中が手出しできないようにして行けるところまで行き、装備を揃えてすぐに戻れば探すのは容易だろ」

 

 俺は少しの間黙りこみ、考えた。

 この作戦は連中が戒の考え通りに動くことが前提となっている。正直上手くいく保証はない。

 だが、他に手があるかと言われれば運頼みの手しかないのが現状だ。

 「それしかない。か」

 「よし!そうと決まれば早速出発だ!」

 取りあえず行動方針は決まった。

 だがまずは、この山から脱出することからだ。ここで連中と鉢合わせてしまえば元も子もない。


 そこに一つの問題がある。

 「ところで戒、ここからどうやって下山するべきか分かるか?」

 「さ、坂を下に降りていけばそのうち下山できるんじゃない、かな~」

 この調子である。


 こうして、まずは慣れない山をどうやって進むかも分からぬまま、ただ斜面を下りていくというひどいスタートとなった。

 ただ歩いているだけなら、それで一心に歩き続ければよいだろうが、今はそうもいっていられない。

 もし草木をかき分けて進んだら目の前に連中がいたなんてことになればそこで一巻の終わりだ。

 静かに、慎重に動かなければならないがそれでスピードが出る訳もない。

 結局、見えない敵におびえながら藪を漕いで進み続け、見覚えのある林道が見えてきた頃には既に日は傾き、空の西半分は紫に染まり始めていた。


 「おい、あれって」

 そう声を掛けた時、戒は俺の頭を掴んで地面に押し付けた。

 その上で自分も地に伏せ、遠く林道の向こうを睨んでいる。

 嫌な予感がした俺も戒に倣って同じ方を見ると、やはり思っていた通りの光景があった。

 

 「くそ、こっちにはいないか。連中どこ行きやがった!」

 ツンツン頭が雑木林から道に飛び出してきたところだった。

 「ふん。逃げ足の速い奴らだ。ただそう遠くに行ってはおるまい」

 春海と呼ばれた大男が続いて現れる。

 もしこのまま進んでいたらあの二人と鉢合わせていただろう。二人は俺達に気付かず、林道を町の方へと進んでいく。


 「よし、連中の後をつけよう」

 「おい、仕掛ける気か?」

 それは御免だ。あんな大男と体力だけは有り余ってそうな脳筋野郎に丸腰で向かうのは。

 「違うよ。あいつら町の方に進んでいるからな。後についていけば何とかそのまま人混みに紛れられる筈だ」

 言いながら戒はむくりと体を起こすと俺にも起きるよう手で促し、十分に連中との距離が開いたことを確認してから動き出した。

「ああ成程」

 戒はひょっとしたらかくれんぼの才能があるのかもしれない。

 こうして俺と戒は、追っ手を追いながら町に下りて行った。

 町といってもちょっとした集落でしかないこの辺では、駅前以外は碌に人通りもなく、人混み作戦はまだ使えない。

 そしてその駅前ですら、帰宅ラッシュには少し早いこの時間では列車自体が廃線にでもなったかのように誰もいない。

 もっとも、帰宅ラッシュであっても大して人はいないのだが。


 「参ったな」

 「人混みか?」

 俺の問いかけに戒は黙って頷く。駅前は見えてきたが人がいないのだから当然だ。

 「これじゃあ流石にばれるな」

 かといってここでこのまま待っている訳にもいかない。前を行く連中が戻ってこない保証はないし、そうなった場合畑しかないこの辺では隠れることもできない。

 その上今俺達のいる林道は行きに通ったあの道につながっており、パチンコ屋の看板に差し掛かっている連中にばれないよう駅に向かうのは不可能だ。


 となれば発想の逆転が必要だ。

 (どういう方法がある?奴らに見つかってもいい方法は?)

 取りあえず状況を整理しよう。

 まず何故人混みを通るかと言えば、連中との距離を維持しつつ手を出されないためにその方法が一番確実と思われるからだ。

 という事は、連中に見つかっていても手を出されなければいいというとことで、必ずしもそれは人混みだけでなくても良い。

 それを踏まえて辺りを再度観察する。必ず何かあるはずだ。

 畑、看板、民家、柿の木、松の木、線路、その他……。

 遠くから汽笛が聞こえてくる。あれは何だ?

 目を凝らしてよく見ると、線路侵入防止用のフェンスの隙間から駅に貨物列車が滑り込んでくるのが見える。

 

 一つ、ベタな考えが思いつく。

 「なあ戒」

 「うん?何だ?」

 「さっき俺を運んだ時みたいな動きってまた出来るか?」

 「出来るが」

 ベタな考えは実行できそうだが、これはいくら何でも博打だ。


 「お前の考えていることがなんとなく分かる」

 戒は察しが良い。

 「私も同じことを考えた」

 訂正する。頭の出来が近いだけらしい。


 「出来ると思うか?」

 「連中のタイミング次第だな」

 そんな風に話しながら少しずつ線路へ近づいていく。連中はまだ感付いてはいないようだが、それでも盗塁を狙うランナーの様に油断なく注意しながら歩を進める。

 「やるか?」

 「他にあるか?」

 戒の問いに俺は自分に聞くように答える。その間も目は連中とフェンス越しの貨物列車を行き来しているが、戒が小さく横に首を振ったのは視界の隅で見えていた。

 

 「レディ……」

 駅から発車ベルが響いてくる。まだ早い。

 貨物列車の起動音がかすかに聞こえる。まだ早い。

 動き出した先頭車両が視界の中央から隅に消える。ここだ。

 

 「ゴー!」

 叫ぶと同時に線路に向かって走り出す。

 線路と道路を隔てているフェンスまでは30m程。人間離れした今であれば一瞬で詰められる。

 フェンスまで20m。貨物列車はまだ中ごろの車両が通り過ぎている所だ。

 フェンスまで10m。柿の木の民家に差し掛かった時、連中が振り返って走り始めた。

 フェンスまで3m。カーブミラーに殺到する連中が映し出される。

 フェンス到着。一瞬先に戒がフェンスに飛び移る。奴はそのまま頂上に達し、その勢いを利用してフェンスを蹴りだすと、見事貨物列車の最後尾から三番目の車両に降り立った。

 一瞬遅れた俺は、ツンツン頭の方の手をすぐ足元に感じながらフェンスの頂上から飛び出すとぎりぎりで同じ車両に飛び乗った。


 「やったな!」

 轟音に紛れて戒の声がそう言った気がした。

 「危なか……」

 「え、何?」

 隣にいるのにほとんど聞こえない。この轟音は予想外だった。

 耳を抑えている俺の肩をたたき、戒が斜め後ろを指さす。

 目をやったそこには細い路地をスクーターに乗って追っかけてくるツンツン頭と、その後ろに乗る大男の姿。

 家の前までスクーターで来ていなかったところから見ると、どうやらそこらへんに停めてあったものを盗んだのだろう。

 「とんでもねえ正義の味方だな」

 ともあれ結果として一定の距離をとって追いかけられるという事には成功した。

 

 本来なら連中が追いかけて飛び乗ってくることを想定し、運転手を人質にとるように仄めかし、あるいは実際に人質にとって移動する予定だった。

 もし飛び乗ってこない場合は国道に近づいたところで急カーブにより大きく減速する瞬間を狙い、飛び降りて連中の到着を待ち、人混み作戦をする予定だったが、今の状況からするとそれをしていたら危なかったかもしれない。

 列車は更にスピードを上げるが、スクーターもそれに振り切られまいと食いついてくる。

 線路は緩やかな左カーブに差し掛かりわずかにスピードが落ちるが、飛び降りてフェンスをよじ登るにはまだ十分速過ぎる。

 (確かこのカーブの先にある川からなら……)

 俺は自宅周辺の地図を頭の中に広げていく。

 急カーブはまだ先だがこの先の川の対岸に着地すれば、自宅までは大きな近道となる上に商店街を通るルートが使える。

 問題は並走しているスクーターだ。連中がこのまま並走する気なら、この手を使うチャンスは一度しかない。

 

 カーブは終わりに差し掛かり、後ろに消えていく雑木林の代わりにこちら側の堤防が土の壁のようにそそり立っている。

 「川で飛ぶぞ!」

 「え、何……?」

 「川で飛び降りる!」

 「なん……言っ……?」

 俺の声が聞こえないらしいが、戒の声も同様に俺には聞こえない。

 反応から考えてなんて言った的な事を言っているようだが、それを確認する手段がない。

 か、わ、で、と、ぶ。と口を大きく動かし、ジェスチャーを交えて説明するが、その間にも目的の川はぐんぐんと迫り、ついさっきまで堤防しか見えなかったのに、今は既に20m近い川幅全てと土が盛られた対岸の護岸まで見えている。

 と、ぶ、ぞ。口をさらに動かし指で川を示してようやく戒が首を縦に振った時、既に列車の先頭は橋に差し掛かっていた。

 このまま行けばスクーターは道沿いに走り、線路脇の橋を渡る必要があるが、この橋は線路と密着している訳ではなくわずかに隙間がある。

正直走っている列車からこの隙間に飛び込むのはかなり勇気がいるが、連中と丁度いい距離を保つにはそれしかない。もし駅に近づいて減速するのを待っていたらそれこそ追いつかれてしまう。


 俺は左側にいる戒に見えるように右手の指を三本立てる。

 俺達の乗る車両が線路に差し掛かる。三。

 連中のスクーターが遠ざかりはじめる。二。

 日の沈んだ暗い水面が見える。一。

 「今だっ!」

 俺は左手で咄嗟に戒の手を握り道路側に飛び降りた。

 慣性で体が前に持っていかれ、斜め下から急速に道路が迫ってくる。

 もうこの先の人生、一生絶叫マシンに乗る必要がない程のスリルだ。

 もしまともな人間の体のままだったら、ただの複雑な飛び降り自殺になっていただろう。

 何とか俺達は土手の土の上に飛び降りたが流石に体操選手の様な着地などできず、二人ともその場に全身を打ち付ける。

 「兵……衛。無事か?」

 「何とかな。そっちは?」

 「全身が痛い以外は」

 俺も戒も数か所すり傷や切り傷こそあるが、とりあえずそれで済んだようだ。付喪憑きの体サマサマだ。


 「やっぱり、電車は切符買って乗る方が良いな」

 「俺もそう思う」

 体中の汚れを払いながら立ち上がり、顔を見合わせて笑った。

 「さて急ごう。飛び降りるとき連中と目があった。どっちに行ったらいい?」

 すぐ近くから聞こえたスクーターの音に思い出したかのように戒がせかす。

 自身も無傷ではなく、あれほどの飛び降りをやっておきながらほとんどとり乱している様子もない。

飛び降りると言った時も別段躊躇する様子は見えなかったが、やはり付喪というのはあの程度では恐怖を感じないのだろうか。

 考えてみればいきなり襲いかかってくる大男と斬りあうような奴だし、あの程度屁でもないってことかもしれない。

 寿命が三年以上縮んだ気がする俺にとっては何とも惨めになるような話だ。全く、男のくせに情けない。

 「ここを登って道路沿いに進めば商店街がある。そこを抜ければすぐ俺の家だ」

 とは言え、そんな俺でも――他に手がなかったからという条件付きではあるが相棒に選んでくれた以上は惨めでもなんでもやれるだけはやらねばならない。


 そんな風に自分を奮い立たせ、急な土手の斜面を駆けあがりながらそう説明した時、俺の左手のひらが強く握られていたように白くなっているのに気が付いた。


 「待ちやがれ手前ら!」

 斜面を登り切った時、背後からスクーターの耳障りなエンジン音と共にそんな絶叫が聞こえたが、振り返っている余裕などない。

 「走れ!」

 俺は叫ぶと同時に駆け出した。

 近いとはいえ商店街まではまだ距離がある。一気に駆け込んで人混みに紛れるしかない。

 問題は今の土手で得られたリードをどこまで守れるかだ。


 「待て!待ちやがれ!」

 後ろからツンツン頭の方と思われる声が徐々に近づいてくる。俺達も全速力で走っている筈だが、声が遠ざかることはない。

 叫びながら走れば相当体力を消耗するはずだが、どうやらイメージ通りの体力らしい。

 (くそっ、脳筋が)

 心の中で毒づきながら遠くに見える商店街に突進する。こんなに遠かったかと疑いたくなるほどその光は小さく見える。

 「止まれってんだよ!」

 そしてそれとは反対に、こんなに俺は遅かったかと思うほどツンツン脳筋の声は聞こえる度に近くなってきている。

 息が苦しくなってきてはいるが、かといって呼吸をすればまず追いつかれるだろうという気がしてそのまま走り続ける。

 

 永遠に続くかと思われたほんの数秒は、ギリギリのところで俺が逃げ切った。

 といってもこれでお終いではない。人混みを縫うように走り続け、迂闊に手を出せなくなった相手から一定距離に引き離すのが目的だ。

 一度は背中のすぐ後ろにいると思っていた声が、人混みにまかれて少しずつ遠ざかっていく。

 意を決して商店街の中頃で一度振り返ると、同じく商店街の中に入りながら人ごみに引っかかってペースを落とさざるを得ない二人の姿が見えた。

 ここで騒ぎを起こせば追撃どころではなくなるというのが分かっているからか、悔しげな表情が見える。


 もしかすると商店街ほど地元の人間が有利に逃げられる場所と言うのも少ないのではないだろうか。

 現に人をよけ人混みに上手く紛れていける俺達と、その人混みに阻まれて思うように進めないでいる連中とは、既に土手を駆けあがった直後ぐらいの差が出来始めていた。

 「次を右だ!」

 「次なんてないぞ!?」

 俺の声に戒が困惑して答えるが無理もない。

 ここを始めて通った時は絶対に見つからない八百屋脇の細い裏路地に逃げ込むつもりだ。

 「ついてこい!」

 「分かった!」

 道行く人が怪訝な顔で俺を見たのが分かった。

 考えてみれば戒は人には見えないのだから、俺は全速力で走りながら独り言を言っているという極めて怪しい奴という事になる。

 (もうここはしばらく通れないな)

 そんな事を考えながら、半分ぐらいがシャッター通りと化し、駅への通り道以外の用をなさなくなったこの商店街で、多分一番古いだろう八百屋に差し掛かる。

 道路にまでせり出した段ボールと、それをも覆わんとするテントに隠れてはいるが、ここには確実に狭い路地がある。


 丁度良く地元の主婦達が横に並んで大声で何か話しながら歩いている。普段なら邪魔くさいだけだが、今回ばかりは最高のタイミングだ。

 一瞬で主婦達を追い抜くと直角に近い角度で曲がり、一気に裏路地に突っ込む。

車はおろか、二台並んだら自転車でさえ厳しいであろうこの路地は、薄暗く逃亡にはうってつけの場所だ。

 その上、商店街の外に出てからUターンするように俺の家を目指すのに比べ、ほんの僅かだが近道となるとなれば利用しない手はない。

 迷路のような路地をしばらく進むも、連中が追ってくる気配はない。


 この路地を抜ける時に神経を使うのは最後の一瞬、路地から車道に飛び出して右折し、ゴールである突き当りのアパートに飛び込むまでの数メートルだけだ。

 この最後の関門だけは車道に出る上に、商店街を通り抜けて家に向かう場合はその道が一番近い。おまけにアパートの隣は鉄パイプで囲っただけの駐車場で、遠くからでも人が通ればよく見えるときている。

 その車道が見えてきた時には思わず身をかがめ、電柱の陰に隠れて道の様子をうかがった。

 幸い車道には誰もおらず、途中で連中が通りかかる危険性を除けばアパートまでの道は確保できたと言っていいだろう。


 「よし、着いたぞ」

 アパートを指さして背後の戒に伝える。

 完全に日が沈んだ今、車道脇の街灯以外にはめぼしい明りの無いこの辺りは不気味なまでの静寂と憂鬱な暗さで満たされている。

 その暗闇に溶け込むように静かに、俺と戒の二人の影が走っていく。

(つづく)


4話目です。

次話は8/3(水)までに投稿する予定です。

まだまだ長々と続きますが、どうかお付き合いください。

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