女騎士とリンゴ飴
アンネリーゼたちが村長宅の家路についたのは、太陽が西に傾き食事をだす露店が賑わい始めてからだった。
アンネリーゼの手には、屋台で買った包み紙に入ったままのリンゴ飴が握られている。
店主は中年のヒト族男性だった。
一方の手には大きな布にくるまれたいろんな野菜。
シャンテは様々な肉の入った包みを抱えており、トマスはそば粉や小麦粉の入った布袋を幾つか背負っていた。
「いつもすまんな、トマス」
「いいえ、このぐらい。どうせ駐屯司令部付中尉ってだけの暇人ですから。それに今日の午後は休みを頂いています」
にこやかに答えるトマスに、シャンテは歩調を合わせた。
そんな二人の様子を横目に、単純に羨ましいなぁとアンネリーゼは思った。
思いながら、気になったことを訊ねてみる。
「そういえばトマス殿は、軍でどんなお仕事を?」
「ああ、雑用ですよ、雑用。いちおう、駐屯地周辺地域との関係を円滑なからしめるべく諸所の連絡業務を行うべし、とは言われてますがねぇ」
のんびりとトマスは答えた。
「生まれも育ちもこの村なんで、まぁ都合がいいといえばいいですね。だれにとっても」
「へぇ。失礼ですが、ご家系は、その」
アンネリーゼはちらりと通りを見た。
視線の先には足場を組むコボルドの若者がいる。
先方も彼女に気が付いたようだが、よそ見をするなとドワーフの上司に尻を蹴り上げられてしまった。
「ああ。生まれついてのヒト族ですよ。祖先もこのあたりの出です。もっとも、農耕ではなく羊の遊牧と毛織物の生産を生業にしていたようですが。あなた方のいうところの北方蛮族ですねぇ」
気になさるのも無理はありませんよ。逆に私がヒトしかいない国に行ったらかえって不安に思うでしょうねぇ、とトマスはカラカラと笑った。
その表情に屈託はなく、アンネリーゼは内心ほっとした。
「で、シャンテとはどういった」
そう言ったアンネリーゼの口元のゆがみ方は、少々下卑たものである。
「あまり劇的なことを期待されても困りますけどね」
トマスはシャンテをちらりと見ながらアンネリーゼに答える。
シャンテは澄まし顔をしただけだった。
「物心ついたころに、うちの親父の商売で村長宅に伺った折に初めて出会って、それからの付き合いですねぇ。かっこよくて優しいお姉さんがいたもんですから、入り浸ってるうちに」
「ああ、それはまた、ごちそうさま」
どこにでもあるような話に、アンネリーゼは微笑んだ。
「あの頃は優しかったのに、近頃はめっきり厳しくなって」
とトマスがため息交じりに言うと、
「うぬが生意気になっただけのことよ」
シャンテが涼しい顔で茶々を入れる。
「競争が激しかったのでは?」
アンネリーゼがそう尋ねると、シャンテは自慢げな顔つきになったが、
「そうでもないですよ。姐さんはこの通りのご気性ですから」
トマスの言葉にずっこけそうになる。
「簡単に言うでないわ。某がこの村に来たときは、まっこと多くのおのこが言い寄ってきたものよ」
「この通りのご気性ですから」
「なんで2度繰り返した?!」
シャンテの余裕ぶった態度はいつの間にか吹き飛んでおり、アンネリーゼはなんだか楽しくなってきた。
「なるほどね」
「何を納得するか!!」
「ね、かわいいでしょう」
「で、こういうとこを独り占めしたくなったと」
「おっしゃる通りで」
「おい!聞け!」
「いつご結婚なさるんです?」
「まだ付き合ってもないぞ!?」
「それがまぁ、お父上が猛反対されていて。僕が近づくのもお気に召さないらしく、正直途方に暮れています。ほかにもまぁ、いろいろと」
「種族のこととかですか?」
「種族というより、姐さんのご実家の伝統にそぐわないとか」
シャンテは角を隠しているところを除けばヒトにしか見えない。
が、実際の年齢はヒトとしての見た目を遥かに超えている。
近所に住む、年を取らない、素敵な年上。
そんな相手に恋をするというのは、どんな感じなのだろうか。
あるいは、自分よりずっと早く成長していく相手に想われるというのは。
そう思ったアンネリーゼは、くるりとシャンテに振り返る。
「シャンテはトマス殿のことをどう思ってるの?」
「あいや、そりゃまぁ、見ての通りだが」
急に話を振られたシャンテは口ごもった。
そのらしくない様子は意外なほどに愛らしい。
「はいごちそうさま」
「それだけか?!」
そんなシャンテをちょっと憎たらしく思ったアンネリーゼは、さっさと話を打ち切り、トマスに向き直る。
「そんなわけでまぁ、こんなような感じですねぇ」
「いずこも同じというわけですか」
「おっしゃる通りで」
そう言って天を仰いだトマスに変わって、シャンテがずいと身を乗り出してくる。
「おいアンネ、お主まで某で遊ぶつもりか」
「えーだってお互い好きなんだったら、さっさと駆け落ちでもなんでもすりゃいいじゃーん」
「簡単に言うなぁ」
「それはいいから早く帰って晩ごはん作ろ―よ―。美味しい晩ごはん作ってよ―。今日疲れちゃったよ―」
「シャキッとしろ!!」
「やだ」
「おま……もうちょっとこうなんかこう、ないのか、騎士としての矜持とかさぁ!だいたいお主、ちょっと和みすぎであろ?!たった半日でここまで我らの流儀になじまずともよかろ?」
「言葉は通じるし食べ物は旨いし、敵意は持たれてないってなったら誰でもこうなります」
いやにきっぱりと断言するアンネリーゼ。
食べ物は旨い、に強くアクセントがかかっていたのは、なにもシャンテの聞き間違いというわけではない。
「そういえばトマス殿、こっちの言葉がわたしたちと同じなのはどういうことなんです?」
トマスはほんの一瞬、ごく僅かに表情を変えた。
その変化に気づけるものは稀であろう。
そしてアンネリーゼは、それを見逃さなかった。
「ああ、それについては、僕より詳しい方に聞いたほうがよろしいでしょう」
「例えば?」
「村長とか、ザボス公とか」
村長宅での夕食は、田舎らしい素朴さと暖かさにあふれたものとなった。
天井には火を用いない明かりが幾つか灯され、オレンジ色の光が応接間に満ち溢れた。
本格的な宴会は明日から、ということで料理の種類は少なかったものの、味も量も大変満足の行くものだった。
こんがり焼きあがった平たい丸パン、幾つかの葉物野菜と果物に、酸味が効いたあたたかいカブのスープ、平たい麺を肉と野菜と一緒に炒めた焼きうどん。料理の中央には小豚の丸焼きが置かれ、いかにも野趣たっぷりだ。
腕をふるったのはメル自身だった。
それを村長の家中のもの、ザボス一行、駐屯地に戻ったトマスに替わり、遅れてやってきたボグロゥとでいただく。
シャンテとモニカはメルを手伝おうとしたが、メルは頑として彼女たちに手伝わせず、自身でサービス役に回る。
自然と食事はゆっくりと進み、ザボスの持参した酒瓶がいくつも空くこととなった。
「いやそれにしても女騎士殿よ、汝には恐れいった!」
透明で強烈な火酒を二本平らげ、上機嫌になったザボスがアンネリーゼの背中をバンバンと叩きながら喚いた。これでもう5回目だ。
「恐悦至極にて。この度は大変不調法を」
「よいよい、堅苦しゅう申すでないわ!」
かしこまるアンネリーゼを尻目に、ザボスは小ぶりなグラスをあおった。
中身を一口で腹に収める。
「腕前は荒削りなれど、見上げたるはあの気迫よ。あれほどのものは160年ぶりよってな、我も思わず血がたぎりよったわ!まま、グッと」
ガッハッハ、とザボスは豪快に笑うと、火酒の瓶をぐいと突き出してきたが、アンネリーゼは苦笑しながら固辞した。
「あいや申し訳ない。わたくし、酒は少々苦手でして、あまり強いのは」
ザボスの持参した酒はどれも飲みやすく、それでいて味わいぶかいものばかりだった。
あまり酒を好まないアンネリーゼは、普段はワインをグラスに二杯ほどでやめてしまう。
ところが今日は、もうその倍は飲んでしまっていた。
火酒ほどは強くない、かぐわしい香りの透明な酒が気に入ってしまったのだ。
これ以上飲むのは様々な意味で危険だということが自分でもよく分かる。
どうもこの酒は、ワインよりも少しだけ強いらしい。
「何をいう。一人で峠を超えてきた勇者に一献したいワシの気持ちがわからんか」
「そんなことを言って、酒に酔わせて悪さをするのではありますまいな?」
アンネリーゼの反論を受けて、ザボスはニヤリとした。
「絵物語のように?」
「絵物語のように」
二人は顔を見合わせクスクスと笑った。
「アンネちゃんは誰とでも仲良くなれるのね」
あぐらをかいた村長にしなだれかかっていたメルが言った。
大きな胸が村長の太ももで潰れている。
村長の顔が赤らんでいるのは何も酒の力だけではあるまい。
メルの言葉を聞いて、アンネリーゼはにっこりとした。
仲良くなった、というわけではない。
単に敵意がないこと、この場で抜きあうつもりはないことを確認しあっているだけだ。
しかし、それでもこの場が和やかでいられるのは。
「それはメル様のお料理が美味しいからです」
「然り。されど我の持ってきた酒もなかなかであろ」
「モニカとシャンテが半分ほど空けておりますが」
背後を見やると、ザボスの供回りの3人はモニカとシャンテに今まさに潰されようとしているところだった。
ふたりのメイドはザルのように酒瓶を次々と空けていく。
「やれやれ、若ぇ衆の呑み方にゃついていけねぇぜ」
と、ボグロゥがシャンテたちのところから逃げてきた。
手には琥珀色の液体が入った瓶。まだ7割がた残っている。
「ボグロゥちゃんだって十分若いじゃないの」
メルが茶々を入れ、村長がうんうんとうなずいた。
「そりゃあ村長やメル様、ザボスのおっさんに比べりゃおむつも取れてねぇんだろうが、俺ァオークだぞ。ヒトと寿命は大して変わんねぇよ」
「それを言ったらシャンテは鬼族で61歳、モニカは半魔で59歳。どちらもボグロゥくんより年上だよ」
ザボスはあいも変わらず相手によってころころと態度を変える。
「ヒトの年齢に換算したらハタチそこそこじゃねぇか。俺なんかもうすぐ40だぞ40」
一方でボグロゥの態度は変わるところがない。
おそらくどんな相手にもこうであろうというボグロゥは、アンネリーゼには不思議に思えた。
そんなことを考えていると、
「そういえば嬢ちゃん、昼間はすまなかったな。バイクや鍛冶の話になると、俺はいつもああなんだ」
と、ボグロゥが不意にアンネリーゼに向き直り、頭を下げた。
「あいえ、お気になさらず。大変興味深く、勉強になりました」
と、アンネリーゼも見よう見まねで頭を下げる。
頭をあげると、思いがけない近さでボグロゥと目が合った。
昼間ザボスと顔を突き合わせた時よりもよほど近い。
ボグロゥの瞳は深い緑色をしていて、それに天井の照明がチラチラと反射している。
何秒間か思わず見入っていたアンネリーゼは、はっとすると慌てて姿勢を正した。
「あ、あの」
「アンタは不思議なヒトだなぁ、お嬢ちゃん」
のっそりと姿勢を戻したボグロゥが、アンネリーゼの目を見つめながら言った。
「普通、峠の向こうからくる連中は俺を見ると腰を抜かすもんだ。村長を見たら気を失うし、メル様を見たら悪魔祓いをしようとする。こちらに害意がないことを伝えるのも一苦労だ。アンタはちがう。なんでだ?」
見回すと、一同が興味津々といった目でアンネリーゼを見ていた。
もっとも、ザボスの供回りは全員酔い潰れてしまったし、ザボス本人は「ワシいきなり斬りかかられたんだけど」と言いたげな目でボグロゥを見ていたが。
アンネリーゼは酒をひとなめして、思った。
くそっ。
今朝の話で納得してもらえたわけではないのか。
「私は教会騎士ですからね。あっちこっちに派遣されているうちに、土地ごとの流儀に合わせる方法に気が付きまして。もちろん、教会の教えが第一という立場でしたが、それだけではうまくいかないこともありましたし、それは自分の好みではありません。誰とでも今のような接し方をするほうが、自分の性にはあっていたのです。それになにより、食べ物が旨い。シャンテにも言っていますが、こんなところなら大抵の人間がこうなります」
そう言ってアンネリーゼはグラスを煽った。
一同を見やれば、自分の好みではありません、という言葉を聞いて、メルと村長は嬉しげに目を細めている。
ザボスとシャンテは興味深気な顔をした。
ボグロゥは関心した顔つきになった。
モニカはというと、どうとでも取れる顔つきで
「それだけ~?」
といった。
それを聞いてボグロゥが眉をしかめる。
アンネリーゼはモニカの表情を見て、にっこりとした。
にっこりとしながら、ああ、お酒がまずくなる方向に話が転がるなぁ、とも思っている。
こんなに美味しいお酒があるなんて知らなかったのに、なんともいやはや勿体無い。
「モニカは戦争に行ったこと、ある?」
モニカの表情がほんの少し引きつった。
構わずに続ける。
「この中で戦争に行ったことがあるのは、まぁ『虐殺王』のザボス公爵殿下は当然として」
「なんだ、知っておったのか」
「透明で強烈な火酒がお好みだということを、今しがた思い出しまして。160年前の戦争の時のご活躍は、まぁその、語り草です。ともかく。私は4年戦場にいたわ。騎士見習いとして1年、騎士として3年。戦争が終わったのは2年前。戦争、というか戦場で大事なことを知っている?もちろん運や水や食料は一番大事。それに加えて度胸も必要ね」
「クソ度胸」
ザボスが訂正した。
笑っているが、その目は真剣そのものだ。
初陣の頃を思い出しているのかもしれない。
「そうね。マジのクソ度胸」
先程までの陽気な気持ちが吹き飛んでしまったアンネリーゼは、ザボスの小さなグラスをもぎ取り、突き出した。
ザボスは何も言わずに火酒をアンネのグラスにたっぷりと注いでやる。
アンネリーゼはグラスをちょっと掲げ、感謝の意を表した。
酒を注いでくれたことに対してでは、ない。
「それともう一つ」
そう言ってからグラスを一息で空ける。
強烈な酒精が喉を焼きながら胃の腑へと駆け下る。
顔をしかめ、たっぷり一呼吸うめいてから、続きを口にする。
「目の前のすべてをそっくりそのまま受け入れることよ。どんなことでも、すべて」
「どんなことでも」
シャンテがオウム返しに言った。
「どんなことでも。そうすれば冷静になれる。冷静になりさえすれば、次に何をすべきかがはっきりと分かる」
アンネリーゼは小声でそっと付け加えた。
たとえ腹を切り裂かれ、死ぬと分かっていても。
脳裏には戦場での光景がまざまざと蘇っている。
西から馬に乗ってきてやってきた蛮族ども。
あっという間に蹂躙される国土。
年端もいかない子どもたちがかき集められ、騎士見習いという名目で戦場に投げ込まれ、右も左も分からないうちにバタバタと死んでいく。
畜生。
もう一杯、ザボスに注いでもらい、一息で飲み干した。
皆に断りを入れ、アンネリーゼは夜風に当たろうと外に出た。
手にはリンゴ飴が握られている。
思い出しているのは、彼女の親友だったもののこと。
この世にはもういない。
彼女は星空を見上げながらリンゴ飴を食べるのが好きだった。
特にこんなお祭りの夜には。
たとえどんなことが待ち受けていようとも。
しばらくして宴会に戻ったアンネリーゼは、村長の前に跪き、騎士の礼を行った。
リンゴ飴は、もうない。
「ご無礼を承知でお願い仕りたく候」
アンネリーゼの態度にただならぬものを感じたメルと二人のメイドは、直ちに臨戦態勢を整えた。
メルは村長の前に、二人のメイドはそれぞれアンネリーゼの死角に音もなく移動する。
ザボスは素知らぬ顔でグラスを煽っているが、その実、傍らの愛剣の鯉口は切られている。
きょとんとしているのはボグロゥのみだった。
彼らの様子を見て、アンネリーゼは密かにため息を付いた。
ああ、やはりそうなのか、と。
村長はゆっくりと背筋を伸ばし、厳かに伝える。
「申せ」
アンネリーゼは深く息を吸い込み、言った。
「この世の成り立ちをどうかこの身に御教授賜りたくお願い申し上げます、魔王陛下」