卒業パーティー(1)
12月8日、正午。
魔王領首都ピオニール。
その北半分、オーテク河北岸の旧市街の西の端、ザボス家上屋敷の中庭は快晴ではあったものの、雪もちらつく寒さだというのに大いに人が集まっていた。
9月の頭からザボス公爵の食客、という名目で居候していたアンネリーゼ・エラが魔王領の役人として再就職するに当たり必要な資格を(何とか・辛うじて・ギリギリ・再試も含めつつ、ただしお情けは無しで)すべて取得し、正式に国家公務員人事院より国家公安委員会公安警察2課所属・民部省移民局嘱託職員として出向を命ずる旨が発令された、その祝いの宴席が開かれるためだ。
ようはアンネリーゼの国家公務員研修生からの卒業パーティーということになる。
加えてあまりに忙しくておざなりにされていたアンネリーゼはじめ、他の小僧や女中の成人の祝いも兼ねている。
今まさに中庭の本宅側にちょっとした作られた演壇の上で、ザボスの長ったらしくも緩急自在で飽きのこない挨拶に続き、アンネリーゼが代表して適切な量と表現の美辞麗句を並べた誕生日祝の謝辞を述べたところだ。
その締めくくりとして彼女はグラスを手に取る。
「乾杯!」
この日のためにわざわざ仕立ててもらったドレスじみた騎士服に身を包んだアンネリーゼがグラスを掲げると、皆がそれに唱和した。
あとは気のおけないパーティーだ。
ザボス家の宴席は中庭で行われるのであれば、たとえゲストを呼んでいても無礼講と変わりがない。
この日ばかりは解毒用の医療魔法を全開にしてでも飲みまくる腹づもりでいたアンネリーゼは、グラスの米酒を一気に飲み干し、またグラスを掲げた。
わっと沸き立つ中庭には、女中も小僧も年寄りも、将校も兵卒も、魔族もヒトも、ザボス家上屋敷のほとんどみんなが揃っていた。
中庭の端の方で楽団が調子の良い音楽を奏で始め、中庭に集った皆が踊り始めたり食事と会話を楽しみ始めだす。
諸族にいがみ合いも流血もなく、平和で楽しく、素晴らしい一日。
アンネリーゼにとって、この日は一生忘れられない思い出の一つとなった。
◇
ザボスに呼ばれてやってきた高級軍人や高級官僚、同じく成人を迎えた者の実家の貴族たち、そしてアンネリーゼがザボスの許可を得て招待した民部省難民保護局の者たちとの堅苦しい挨拶を1時間半ほどでどうにか終わらせ、アンネリーゼは顔に微笑みを張り付かせたまま中庭の隅の方に出されたベンチにへたりこんだ。
巡回査察士として聖法王国の各地を巡っていたこともあるため、貴族や高級軍人との付き合いはそれなりの回数をこなしてきたアンネリーゼだったが、流石に疲労の色が濃い。
腐っても教会騎士として扱われてきた聖法王国とは違い、こちらではただの難民上がりのザボスの食客、与力、詰まるところが居候だか書生だかの小娘である。
そういう立場であれば立場なりの立ち居振る舞いが求められるもので、彼女は彼女なりにそれはそれは頑張った。という事になっている。もちろん出典はいつもの通り、ゲオルグ・ステファン・テオドールの日記だ。
「はい、おつかれさま」「っぽい!」
「うぇ~~~い……ありがつお~~~~……」
と、ベンチにへたりこんだアンネリーゼを影のように付き添っていたベルキナが支え、普段よりも上等な生地の襟とエプロンドレスを身に着けたドゥーシュが温めたワインを差し出した。
アンネリーゼは遠慮なくベルキナに体を預け、ドゥーシュの手からありがたく飲み物を受け取る。
「ううう……レスタでのお祭りのときとはひどい違いだった……中央教会に呼ばれて出向いたときのほうがまだマシだった……」
「最初は良かったんだけどなぁ」
「明日あたりマダム・エリカに叱られるっぽい」
「やだもう言わないで……」
そう、最初の方、今後もあまり関わることはなかろうという高級軍人や高級官僚、上流貴族相手はまだ良かった。アンネリーゼの集中力もずいぶん余裕があったし、相手もザボスに呼ばれたから来ただけ、というものが多かった。
当たり障りのない挨拶と互いの自己紹介を行って、それで終了。
風向きが変わったのは高級軍人組であえて一番最後に回ったらしい、アンドレイ・ヨシヒサ・ロベルトヴィチ・シマヅ陸軍大将と話したときからだ。
陸軍参謀長で、レスタに住む前魔王ギュンター・グリュン・ドラコのもとで女中をしているシャンテの父、アンネリーゼにバイクを売ってくれたエレーナ・ロベルトヴナ・シマヅの弟。
彼は若い頃から好き勝手に動き回るエレーナに替わりシマヅ家を継ぎ、ザボスに軍部が牛耳られるのを防ぐため努力するうちに当のザボスとの友誼を勝ち得た、大変な苦労人だった。
当たり障りの無い話をしているうちは良かったが、話がシャンテのことに及ぶと彼は急に機嫌を悪くした。アンネリーゼはただ、とても良いご息女でいらっしゃいますね、彼女の友誼を得られた私は果報者ですと伝えただけだ。
たったそれだけで機嫌を悪くしたアンドレイは会話を早々に打ち切ると立ち去った。彼に同伴していた長男マクシミリアンが去り際に申し訳なさそうに頭を下げてくれたことが救いだった。
あっけにとられていると次に現れたのは、エラ修道会の使節団。
とは言ってもアンネリーゼの知らない上級修道士たちが中心だった。彼らは世間話もそこそこに仕事の話ばかりしたがった。
アンネリーゼは周囲に失礼にならない程度に丁寧に答えていたが、腹の底では、自分たちを囮にして勝手に戦争はじめやがって、という思いが煮えたぎっていた。よくもまぁ殴りかからなかったものだと、あとから自画自賛するほどに。
そんな彼女のいらだちを汲み取ったのか、エミリアがエラ修道会使節をアンネリーゼから引き剥がそうとした。
当然彼らはエミリアにも気がつき仕事の話をしようとしたが、エミリアは最高に特別な笑顔で白い歯をきらめかせ、宴を楽しんでくださいませ、と言って彼らを追い散らした。
とどめを刺されたのはその次、公安二課長エーリッヒ・ジークフリート・フォン・リッケンバウムに公安警察特殊戦術部隊司令官ヘグルンド伯爵を筆頭とした公安警察の面々。
見知った顔の連中が現れたことでアンネリーゼの緊張はほぐれたのだが、それがいけなかった。
彼らとの会話でいささか酒を楽しみすぎたアンネリーゼはその次の民部省難民保護局のものどもとも同じような対応を取りそうになり、彼らの中に次期難民保護局長が混じっていることに気がついて背筋を伸ばした。
次期難民保護局長はもうすぐ退職して年金生活に移行する現局長とは異なり、上昇志向の強い、いわゆるキャリア・エリートだった。
そしてアンネリーゼは彼がどうにも生理的に苦手だった。
怜悧な瞳、高く形のよい鼻筋、細いようでしっかりした顎、短く整えられたプラチナブロンド、長身ながらも密度の高い体躯。
いかにも女受けしそうなその姿は、アンネリーゼは本当に苦手だった。
空気は一気に堅苦しくなり、その空気はアンネリーゼの挨拶回りが終わるまで引きずることになってしまい、相手の名前を間違え、セリフを噛み、酒をこぼし、なんやかやあって現在に至る。
確かに、常に優雅たれ、と立ち居振る舞いを指導してくれたマダム・エリカのお説教が待っていることは間違いがなかった。




